世界はそれほど優しくはない
デュボール王国。
ドラングレイブ大陸東に位置する国であり、山岳地帯に囲まれ農耕に向かず、未だに狩猟が盛んな国である。
国の歴史は古く、規模としては中堅程度だが、大陸3大国家に名を連ねている。その理由はこの国は交通の要所でもあり、常に蛮族の襲撃や怪物の被害に晒されている為、その防衛と討伐の為、強靭な軍を保有する。また、元々が狩猟民族であるデュボールの民はその多くが優秀な戦士である為、それ自体が他国への牽制になっている。
国土内は古くから竜種が多数生息しており、軍にも『竜騎士』と呼ばれる竜種に騎乗する騎士団が存在する。更に国には『八柱』と称される古きドラゴン達が守護者として、助言者として居住している。
傭兵のカルが話したこれからの行き先、デュボール王国の情報はこんな所だ。新しい単語が続々出て来る。
彼女の話し方から推察するに、この程度の知識は在って当然なのだろう。少なくとも、傭兵にとっては。あるいはそこが彼女の母国だからかもしれないが。
幾つか理解出来た事もある。
まず、今現在居る場所は『ドラングレイブ大陸』と言う大陸内であり、そこには少なくとも3つ以上の国が存在すること。同時に、俺の居た世界と違い、国の隣はもう他国では無いらしく、どの国の領土でも無い土地は少なくないらしい。
そして『蛮族』と呼ばれる人型の化け物以外にもよくファンタジーものに出て来る竜種、つまりドラゴンのような怪物も、当然のように存在するらしい。そして、化け物共の襲撃は、そう珍しいことでは無いということ。
「あたしもあんまり詳しい話は出来ないんですよ。何せ、傭兵としてあちこち旅をして、その先で見聞きしたこと以外は知りませんから。本なんかも読まないですしね。」
少しだけ恥ずかしそうに頭を掻きながら、カルは言った。
カルが自称するには、彼女はあまり学が無いらしい。文字は書けるが下手で、言葉も『共通語』(この世界の体系化された標準言語らしい)を話せる程度だと言う。どちらも傭兵として最低限身に着けたものらしい。
とは言え、彼女は色々と俺から見たら凄いと思う。
彼女はその年齢は13歳だと言うが、その若さで独り立ちし、旅をしている。そして既に自分の仕事を見つけ、自分で稼いでいる。元の世界には30歳を超えても働こうとしない人間も居ると言うのに。
しかも彼女の傭兵と言う仕事は危険なものだ。それこそ、何時死んでも可笑しくないような。
彼女に『両親は?』と尋ねた所、彼女は微笑みながら首を横に振った。
聞かなければ良かった、そう思った。
「川に着くまで遭遇は無いと思っていたんですがねぇ。」
カルは足を止め、手で俺に合図を送る。そして背中から、あの鉄塊のような特大剣を抜く。
「カルさん?」
「ひと仕事ってヤツです。剣の間合いに入らないように、でもあたしから離れ過ぎないようにしてください。」
直ぐにその言葉の理由が理解出来た。
前方から6人の人影、でもそれは『人間』ではない。
小柄だがガッチリとした体格、造作の大きな眼鼻に土気色の肌の粗末な防具を身に着けた人型。
つい数時間前に見たそれをカルは『ゴブリン』と呼んだ。俺の知っているそれとは少し違う。
腰から片手剣や斧を抜くと、ゴブリンの戦士団はゆっくりとカルを包囲するように横に展開し始める。
恐らく、野盗なのだろう。だがその動きは多少なりと統率がとれており、戦士団と言うのは間違いでは無い。と言うか、俺が知っているゴブリンは愚かで統率力皆無なはずなんだが。
その包囲が完成する前に、動いた。
カルは敵の中央に突進し、真ん中の1体に向けて剣を振り上げる。
そのゴブリン戦士は革の盾を構えた。バックラーと呼ばれる、受け止めるのではなく受け流す為の盾。
だからこそ捌けると彼は思ったのだろう。特大剣は盾を構えた腕をその上からへし折り潰し、それでも刃は逸らされたので、カルは間髪入れずに刀身の腹で力の限り、その頭を殴りつける。言わば金属バットで頭をフルスイングされたような(それより酷い)ものだ、顎は外れ、首が変な方向に曲がり絶命した。
仲間の無惨な死に動揺し、その隣のゴブリンが僅かに注意を逸らした次の瞬間、大きく踏み込んだカルは脇腹から片口を引き千切るように剣を振るい、2人目を二つにした。
少し酸っぱい物が込み上げて来たが、何とか堪える。
そして、彼女自体の異常さを認識した
とんでもない膂力だ、元の世界のボディビルダーやレスラーなんて目じゃない、異様な筋力だ。特にあの特大剣を身体の一部のように振り回す様は、それが大男ならまだしも、小柄な少女なので、現実とは思えない。
これで残り4人。
警戒を強め、4人の戦士は少し距離を取る。互いの間合いを広めに取り、一網打尽にされないように、かつ各個撃破させないような陣形だ。
ちらり、とゴブリンの戦士達がこちらを見た。あ、ヤバい。
俺はこの面子の中では場違いもいい所の一般人だ。当然剣なんて振るったことも無いし、精々殴り合いの喧嘩をした事がある程度だ。
相手方もそれを見た瞬間に理解したようだ。カルの方を警戒しながらも、まず半歩、俺に近づく。もし俺が背中を見せて走り出せば、後ろから斬られるだろう。運動神経は悪くないと自分では思っているが、戦いを生業にしている連中に敵うとは思えない。
「あたしは無視できませんよ?」
額から嫌な汗が流れ落ちたその時だった。
今度は俺に一番近いゴブリンに何か巨大な物が飛んできて潰した。命中した時に分厚い刃が杭のように突き刺さり、そのゴブリンを地面に縫い付けるように串刺しにした。胸から尻まで貫通した上に抉れてる姿を見て、彼がどうなったかを理解しない人間はいないだろう。
カルが自身の得物である特大剣を投げつけたのだ。あの、自分の体重程もありそうな鉄塊をだ。
今は予備であろう長さ70cm程の両刃の片手剣の抜いている。
ゴブリンは彼女の得物を奪おうとして慌てて特大剣に手をかけるが、地面に深く突き刺さったのもあるだろうが、重いようで持ち上げられる気配が無い。
カルは四苦八苦する一体に大きく踏み込み瞬時に間合いを詰めると、剣を横に振るう。
断面をズタズタに引き裂きながら、その首が跳び、残った身体がやや遅れて崩れ落ちる。
不利を察して残る2体が逃走を始めたのと、俺が吐き気を催して膝を着いたのは同時だった。
「逃がさないですよ。」
実力差は明らかだった、敵が戦意を失ったのは確実だった。
しかし、カルは無慈悲に宣告した。『逃がさない』と。
地に刺さった特大剣を素早く引き抜くと、彼女は駆けだす。革と金属の鎧に特大剣の他にも様々な武具を身に着けた重装であるにも関わらず、彼女の脚力は(重装であることを考えれば)異様な速さでその背後に肉薄すると、特大剣を大きく横薙ぎに振るう。
その2体の身体は衝撃で地面に叩きつけられ、肩と背骨が折れたが、その前に胴を切り口がぐちゃぐちゃになるレベルで引き裂かれたので、叩きつけられる前に絶命したことだろう。
「生かして置いたら、夜襲されるかもしれませんからね。」
6体とも、もれなく凄惨な死体に変えた彼女は淡々と言いながら、その死体を物色する。どうやら、僅かな銅貨を持っていたらしい。
彼女はそれを腰のポーチに入れると、特大剣の血を振るい落とし背中に戻した。
「ああ、こういうのは慣れてる訳が無いですよね。」
「済まないな、流石に一般人にはキツイ絵面でな…」
込み上げてくるモノを何とか飲み下し、立ち上がる。酷い虐殺だと思ったし、あまりにも無慈悲だとも思った。
でも、それは仕方無いことだと、先程カルが言った言葉で理解出来た。
彼女は傭兵で、この世界は化け物が普通に存在し、襲って来る。しかも旅する彼女を守るのは、彼女しか居ないのだ。特に今は俺と言う足手まといまで連れている。
後に、それこそ夜に襲われたらどうなるのか?
他の仲間を呼んで大人数で復讐に来たらどうするのか?
自分が生存する為には、こうするしかないのだ。この世界が、過酷なら。
「もう少し歩けば川がありますんで、そこまで行ったら休憩しますよ。」
彼女は歩き出し、俺もそれに続いた。
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「よし、じゃあ今日の移動はここまでにして夜営しますよ。」
「つ、疲れた…」
時間的には俺がこの世界に来て20時間程だろうか。
到着したのは街道を横切る形で流れる川だった。その周辺には少しではあるが樹が並ぶように生え、前方には大きな石造りの橋がある。
カルはその脇の、草が茂ってない場所に、肩掛け鞄を下した。そして、近くの折れた木の枝や朽ちた葉などを集める。俺も当然手伝った、この先何をやるかは想像がつく。
集め終えた枝や葉っぱを隙間が出来る程度に組み上げると、彼女はポーチから赤い小さな石のようなものを取り出した。透けており、一見は原石にも見える。
彼女がそれを取り出したナイフの腹で一打ちすると、音を立てて火が燃え上がり、焚火になった。
驚いた、一体あの石は何なのだろう。
「『着火石』って物です。特殊な石に魔法をかけて作られる火起こし用のアイテムですよ。」
「へぇ、便利な物もあるんだな。」
今度は魔法と来たか。ファンタジー定番要素だが、この世界では初めて見る。ただ、魔法だけでなくあの石自体も元居た世界には無いような特性を持った鉱石らしい。
彼女は更に木の近くにもう一つ土台を組むと同じように火を起こし、拾った長い木の枝を機の枝に引っ掛け、物干しのようにする。
「じゃあ、あたしは先に川で身体洗ったり服と鎧の汚れを落として来ますんで。」
「ああ、わかった。」
彼女は俺に予備武器の片手剣を手渡すと(一応の護身用か?)川へと向かった。
返り血を結構浴びていたので、そろそろ気になっていた頃だ、丁度いい。
だからもう一つ火を起こしたのか。
独りになり、改めて自分の境遇を考える。
怖くない、そう言えば嘘になる。何も知らない世界で、ここは俺の元居た世界、正確には日本と違い安全ではない。実際に先程襲われたのだから。もし彼女と出会っていなければ、もう死んでいたかもしれない。
早く、戻る方法を探さなければ。
カルは何かアテがあると言っていた。恐らくそれは直接帰る方法があると言うことでは無いだろう(彼女自身、俺のような境遇の人間は初めて見たと言っていたし)。だがそれに詳しい(恐らく『召喚魔法』とやらに詳しい)人物が知り合いに居るのだろう。何せ向かう先のデュボールは彼女の母国なのだ、知り合いが居るのが当然だ。
何れにせよ、今は彼女に頼るしかない。
勿論、帰る前にこの恩も返さなければ。俺に何が出来るか分からないが。
そして、考えたくないが『もしも』の時のことも考えなければならない。
もし戻れなかったら?俺は帰れると決まった訳ではないのだ。
その時は俺はこの世界で生きていかなければならない。
この平和に慣れてボケた人間が、危険だらけの、この世界で。
その場合、俺は何からやるべきなのか。
住む場所、新しい仕事、知識や技術の取得はどうするか。問題は山程出て来るだろう。
何せ俺はまだ、この世界の文字すら分からないのだ。言葉が分かるのが(結局、これが俺の得た何らかの『能力』だったりするのだろうか?)唯一の救いだが。
「お待たせしました、ミノルさんも水浴びしますか?」
「ああ、そうさせてもらぶふぅっ!?」
木に立てかけられた大剣や斧はすっかり血汚れは落とされていた。その近くの鎧と長ブーツも丁寧に拭かれて置かれていて、もう血の跡は見えない。インナーである黒い半袖の上衣と半ズボン、飾り気も何もない簡素なデザインの黒いパンツは焚火で乾くように、物干し代わりのあの木に焚火を下にして掛けられている。
言葉通り、彼女は色々洗ったようだ。
では何が問題か?言うまでもない。
「カルさぁぁぁぁん!?何か着てくださいぃっ!?」
彼女はすっぽんぽん、つまり全裸だったのだから。
いやいや、問題がありすぎるだろう!?
俺は一応成人男性で、彼女は未成年の少女だ!
元の世界だったら俺は確実に捕まってる(当然彼女も痴女扱いだ)!
「いやぁ、明日から船ですし、今のうちに全部洗っときたいんで、乾くまで着るもの無いんですよ。それに、どうせここにはミノルさんしか居ないですよ。まぁ蛮族は出るかもですが。」
成程、だからパンツは他に2枚、インナーは1セット干してあるのはそう言うことか…
違う、そうじゃない。
ああ、どうやらこれもこの世界の傭兵独特の考え方か。恥じらいなんて無いし、他の男が居る程度では動じないのか。
「でも、出来れば…」
だが俺は目のやり場に困るから何か着て欲しい、そう言おうとした時に、俺はハッとなった。
焚火の前に立ち、照らされた彼女の小柄な裸身。
その身体には、外見には不釣り合いな筋肉が付いていた。見せるために肥大化させたそれとは違い、戦う為に武器を振るう為に鍛え上げられた、鋼のような、強靭でしなやかな筋肉だ。
そして、その身体には無数の傷跡があった。新しい物も古い物もあり、肩には治りかけとは言え、何かで抉られたような傷跡がある。あの位置は、彼女が矢で撃たれた位置だ(その短時間でここまで治っているのは、不自然だが)。
そして、筋肉質な脚、そのうち左脚は膝から下が金属で出来た義足になっている。根本は大きい手術痕がいくつもあり、義足は精巧で、造作は大きいが足の指まである。脛部分は装甲で覆われており、その義足はなんと、彼女の動きに合わせて足首や指が生身のように動いている。
「カルさん、その脚は…」
「ああ、これですか。」
カルは座ると、焚火に火をくべる。
「数年前ですかね、あたしはドラゴンと戦い『竜狩り』を成し遂げました。その時の戦いの中で、喰い千切られたんです。」
彼女は強大な怪物であるドラゴンと戦い、それを倒したと言う。彼女の口ぶりから、それは困難で名誉ある功績であることが察せた。そして、その代償に戦いで左脚を膝下から失ったのだと言う。
「それで今は『魔動機』の義足を付けてるんですよ。ちょっと値は張りましたけど、荒っぽく使っても大丈夫で頑丈な物です。」
彼女の義足は『魔動機』と言う機械のような物で作られているのだと言う。見た目こそ鎧のようで銀色の金属剥き出しだが、その動きは俺の知るそれを遥かに凌駕する程、自在に動いていた。
この世界の文明水準が、より分からなくなった。
だが、今はそれはどうでもいい。
「脚を失くしたのに、平然としてるんですね…」
「仕方無いですよ、そう言う生き方をしてるんで。この程度は魔動機の義肢で補えますし、生きていただけ儲けものです。」
彼女はまだ少し水気の残る身体を焚火で乾かしながら、事も無げに言った。
少し、彼女が怖くなった。
あれ程の大怪我を負っても仕方無いで済まし、戦いで死ぬのすら恐れていない。
この世界で『戦士』として生きるには、そうでなければならないのかもしれない。
知った気でいたようだ。この世界は優しい世界ではないと、理解していたが、実際にその痕跡を見ると怖くなる。
あれ程強い人間でも、一歩間違えば…