プロローグ
姫ちゃんという生き物をご存じだろうか?
頭お花畑のシュガーシロップ気質、べったべたに複数の男に媚び売って奴隷化させて従い、自分を『お姫様』として崇めさせる生き物だ。
奴隷となった男どもは何でも言うことを聞く。
……だがしかし、メリットばかりではない。
姫ちゃんがパーティに存在するというのは、遅かれ早かれトラブルが多発する大きな要因となるのだ。
それは主に奴隷たちによる姫ちゃんの取り合いなど。
だがしかし、一般には姫ちゃんという存在自体稀なものでこのセンスを共有できる者はいない。
いいことだと思う。つまり、パーティクラッシャー姫ちゃんなんて存在は、身近でも何でもない。
ましてや、俺が所属しているのは冒険者ギルド有数のSSランクパーティだ。
そう、俺は剣聖。若干18歳にして剣の達人と認められた、未来の明るい若き実力者。
そんな俺に近い人物たちが集うこのSSランクパーティで、まさかそんな醜い存在が出るはずもないのだ――――
……そう思っていた時期が、俺にもありました。
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「なに、今なんて言ったのー? アダムくん」
アダム。俺の名前だ。若き天才剣士である俺は今、生まれて初めて憎悪を込めて自分の名を呼ばれた。
偉そうなこいつは同じパーティの若き天才白魔導士の少女で、名前をリリーという。俺とはもう5年の付き合いになる。
そいつは目と鼻のすぐ先で俺を睨みつけていた。簡単には許してくれないって表情だ。
俺は女の恐怖ってやつに息を呑んで、静かに言葉を返す。
「……だから、こんなことはもうやめようって。リリー、分かってくれよ……」
「えー? それってなんのことー?」
リリーは自慢の黒いストレートヘアーをさらっとかき上げ、わざとらしく小首を傾げる。
出会った頃はくすんだブロンドのくせっけで、つい1か月前急に男受けする黒髪に変えたこいつはこれが可愛いと分かって動いている。
だがしかし、俺は騙されないぞ。
髪型と色を変えてからのこの1か月、その間に洗脳されなかった俺がこいつに心を動かされることは1ミリもない。
「……お前はこの1か月、自分が他のパーティメンバーにしてきたことを覚えてないのかよ」
「なんのことー? わたし、なんのことかわからなぁい。 ね? キングくん、スマイルくんー」
「ああ、姫が何したっていうんだ蛆虫」
「姫様に乱暴な言葉を使うものじゃありませんよ、底辺くん」
姫の言葉に答えた二人の男は、キングとスマイル。どちらもSSランクの冒険者で、もちろん同じパーティのメンバーだ。
こいつらはリリーが髪型を変えてから寄ってきた男共で、つまり俺たちと過ごした時間もまだ1か月程度。
同じパーティメンバーといえ、『姫ちゃん』となってしまったリリーに従って俺をゴミ扱いする薄情さも納得だ。
……しかし一番許せないのは、それを聞いてにっこりと笑みを浮かべたこいつの方だった。
「ほらー! 二人とも私の味方だってよー? アダムくん、ひどーい」
本当にあの忌むべき生物――『姫ちゃん』になっちまったんだな。
俺は大きくため息をついて、呆れた視線でリリーを見つめ続ける
……1か月前。
ギルドの大仕事で大金を手にした俺たち二人は、アクシデントで怪我をして療養することになった当時のパーティメンバーの補充要因を探していた。
その時リリーは急に髪型を変えてきて、くすんだブロンドから黒髪ロングへと変貌したのだ。
髪型の色を完璧に変えて髪質まで変化させるのは、相当な大金がかかる。そんな金どこにあったのか問いただしたら、先の仕事で稼いだ金を全部注ぎ込んだと答えた。
パーティの資金を勝手に使ったことを咎めてギクシャクしているところに現れたのが、補欠メンバーの二人、キングとスマイル。
実力は申し分ないし二つ返事で入れてしまったのだが、これが間違いだったのか、その前から間違えていたのか……。
二人は元より黒髪ロングとなったリリー目当てではなかったが、意識はしていたのだろう。
初めて男にちやほやされたリリーは何を考えているのか、その男どもに媚びを売り、そしてどうやら身体も……といった結果、二人は完全にリリーに入れ込んでしまったらしい。
鈍感な俺があっと気付くころには、リリーの言うことに何でも素直に従う奴隷が二人完成していた。
まあ、そんなこんなで新しいメンバーにちやほやされてからリリーは変わり、今更リリーに何も感じていなかった俺を仲間外れにして今に至る。
正直実害が出ていなければ……まあ、療養中の二人が復帰するまでの我慢だと思えたのだが、こいつはパーティで稼いできた金を堂々と私用に使い始めたのだ。
さすがにいけないと思いしつこく注意した結果がこのありさま。
……俺は今、ダンジョンの深層で金縛り魔法をかけられてリリーに捉えられている。
背後の方から、様々な魔物の呻き声がする。まだそう近くないが、こちらにくるまでは時間の問題だった。
「もう、時間はなさそうだねー」
リリーもそれは分かっているみたいだった。分かっているうえで、こいつの目は笑っている。
多分俺が今から何を言ったところで、解放はしてもらえないだろう。
ギルド有数のSSランクパーティが潜る深層のダンジョンで、身体が動かないまま一人放置される。
リリーはもう、そこまで出来る人間になってしまっていた。だから俺も、素直に諦める。
「……リリー。今のお前は最悪だけど、今まで世話になったよ。それなりに楽しかった」
「ふーん。さ、もうそろそろ危ないからいこっか、二人ともー」
俺の最後の言葉を聞かずして、リリーは奴隷を連れて背を向け去り始めた。
姫ちゃんというのは、こうも人を変えてしまうものなのだろうか。
正直怒りたい気持ちはあった。思い切り叫んで、このやろー!って。
でも、どうせ最後ならそんな意味の無いことはしない。
だからせめて、意味のあることを叫ぶ。
「リリー! 皆のこと、頼んだからな!!」
どうしても気がかりだったのは、今なお療養中の二人。
二人は女の子だ。少なくともリリーの奴隷にはならないだろうから、それが心配で……。
暗い視界の先で、もう消えかかりそうなリリーにその言葉は届いたのだろうか。
何も返事はもらえないまま、最後には魔物に囲われた俺だけが取り残された。
「さて……」
耳をつんざくような魔物たちの怒声、一際大きなそれが合図だったかのように一斉に俺に飛び掛かってくる。
剣を抜くこともできない俺は、薄れゆく意識の中でゆっくり目を閉じた。