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第8回 ナット返却と回避不能な愛の鞭

最終課題突入です。

返ってきた図面は、赤だった。未完成の枠を超えてなんとかC評価をもらうことはできたが、この科目でC評価は「落単」を意味する。


「なんども言うようですが、このままでは皆さん来年も履修することになりますよ?」


一般的な科目は、C評価あればギリギリ単位を貰える。テストで60点取れば教授は仕方なく単位をくれる。


けれど、この科目(手書き製図)は違う。

教授曰く、C評価は社会に出て使い物にならないゴミ同然なのだ。事実、ギリギリ単位を取れるような学生の脳味噌にその学問が身についているとは言い難い。


その為この科目はB以上の評価を取らない限り単位を手にすることはできない。

幸か不幸か、来年のこの科目が執り行われる曜日に必修科目は無いため、教授も学生も安心して落とすことができるのだ。



教授はしばらく「あんまり言うと皮肉に聞こえてしまうから言わない話」を続ける。それを聞きながら、僕はやるせない気持ちになった。


教授の言う事は間違ってはいない。しかし無茶な部分もある。

例えば、「人の話を聞く時は手を止めて前を見なくてはいけない」これは至極当然のことだ。下を向いて作業に没頭なんかしていたら聞く気が無いと思われるし、そもそもそれでは聞いている内容も中途半端になってしまう。


けれど作業が中断されてしまうと、課題が終わらなくなる可能性が出てきてしまう。


教授が話す→作業が止まる→未完成が増える→意識が低いと思われる

という負のスパイラルが生じるのだ。


また、下手に話している人をジッと見てしまうと今度は「メモを取らないのか?」という指摘を受ける可能性が生じる。板書だけを書き写すのではなく、教授の言った言葉もメモすることは大事だ。むしろ、社会に出てからは口頭での説明をメモすることの方が多いはずだ。これも的確な指摘と言える。

けれど、メモ書きに専念すると先ほど述べた「人の話を聞く時は手を止めて前を見なくてはいけない」の条件を破る可能性が生じるので適度に話を聞いている、ということを主張しなくてはいけない。

まぁ、主張が強すぎるのも問題だが。


「あんまり言うと皮肉に聞こえてしまうから言わない話」が終わり、ナットの解説を教授がする。その最中にそれは起きた。

教授の方を熱心に見ながら聞いていた学生が、教授の目に留まった。


「もう話すのやめようか?私も睨まれながら講義をするのは嫌だからね。話を聞くのがそんなに嫌かい?」


皆が辺りを見渡す。誰が教授を睨むなどという愚行を犯したのか興味があるからだ。


「ほら、そこの君だよ」

指さされた学生は不思議そうな顔をした。

「話聞くのが嫌なんだろ?こんな顔してさ」


教授は眉間にしわを寄せて嫌そうな顔をする。その顔を見て、指摘を受けた学生は反論する。

「いや、そんな顔してないです」

「いや、してたね。睨んでいたよ私のことを」



不穏な空気が教室全体を包み込む。

「君たちだって嫌だろう?こんな顔されながらずっと講義されたら」

教授はそう言ってムスーッとした顔をする。見る人によっては変顔と思う人もいるかもしれない表情だ。しかし、不用意に笑みを浮かべたりしたらいけない。


誰もが目線をそらし、頼むから次の説明をしてくれと願っただろう。


「それじゃ話聞きたくない人は教室を出て行って結構ですよ。誰が出て行ったかとか記録したりしませんから。なんなら後ろ向いていますから」


5分後、また説明をする。と言って教授はホワイトボードと向き合う形で椅子に座った。もちろん誰一人として出ていく人はいない。


そして、驚くべきことにこうしている間にも最終課題のやる時間は削られているのだ。




5分後、教授は再び僕らの方を見る。

「それでは、今ここにいる人は絶対に嫌な顔をしたり居眠りしたりせず、真剣にメモを取りながら講義を聞いてくれるということですね?そういう認識で最終課題の説明をします。もし一人でもできていない人がいたら説明をやめますので」




くどすぎる程の念押しをされて最終課題の説明が始まる。


最終課題は、組立図だった。今までやったボルトとナット。この2つの組立図だ。

2枚の鋼板をボルトとナットで挟んだ図面を描く課題だが、今まで描いたものをそのまま描くわけではない。今回の課題はあくまで組立図、詳細な部分よりはそれをどう組み立てて使うかが明白である必要がある。

その為、ボルトとナットは略画で描くことが必要だ。


鋼板の厚さは締結後のボルトのねじ部の長さがナット上面よりねじ山の数3~5ピッチになるように、用意された標準厚さの中から選ぶ。その際、ボルトの長さによっては標準厚さの中にある厚さでは足りない人も出るが、その場合は標準数を用いて考える。




標準数がどんなものかはわからないが、少なくとも自分が描くボルトの長さなら考えなくても良さそうだった。


説明を終えて作業開始の指示が出る。最終課題だから、皆気合が入っていた。



略画で描くということもあり、手間は少ない。前半こそ説教と講義で無くなってしまったが、来週提出ならば時間は十分にある。



教科書を見ながら略画を描いていると、また教授と学生とでひと悶着があったようだった。

「だから、調べて来たの?」

どうやら、標準数について質問に言った学生が教授の触れてはいけないところに触れてしまったようだった。


「あのね、教科書見れば書いてあるんだよ。それを見て、考えて、それでもわからないなら質問に来なさい」

答えだけを知りたくて尋ねた学生は、こうやって図面を描く時間を奪われる。つくづく自分のボルトの長さが標準数の必要ないもので良かったと安堵した。


1人が犠牲となり、質問に向かおうとしていた学生たちが席に戻って対策を考え出す。教授に質問するならば、ある程度の知識を持って挑まなくてはいけないと理解し、言われた教科書のページを読み込む。


しばらくして、また別の学生が標準数について聞きに行った。

「標準数について調べてきたの?」

教授の質問に、彼は言った。

「一応、調べてきました」




「一応って何?」

これもまた、言ってはいけない言葉だった。

「一応」Google先生によれば


いちおう

【一応・一往】

《副ノ》ひとまずのところは。ひととおり。


といった意味の言葉だ。これは教授に言ってはいけない言葉だった。

「一応じゃ駄目なんだよ。わかる?完璧に調べて、それでもわからないなら来いって言っているんだ。そんな言葉使ってるんじゃ社会に出た時使えない奴の烙印が押されるだけだよ?」


そう言い放つ教授に、学生はただ「はい」と答えた。

「今、はい、って言ったね?それはわかったってことだと思われるよ?本当に分かったの?私の言っていることが一語一句理解できたって解釈されるよ?」


もはや聞いているのがしんどい。されどてこれは愛の鞭。受け入れるしかない。それがこの場での最善策だった。




標準数で立ち止まった学生は、その日図面を一切描くことはなかった。一度質問に行った学生は、目を着けられているために諦めて適当に描くことができなくなった。


僕はただ、その光景を見ながら「ご愁傷様」と思うだけだった。


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