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第11回 最後の聖戦

教室に向かう足取りは重たい。

「今日という日にもしも残念な図面を描いたら、僕は来年もこの苦痛の多い講義を受けなくてはいけない」


その事が頭から離れなかった。


教室に向かう途中、後ろの席の友人と出会った。彼は真っ先にこう言った。

「いざ、決戦の時」


心こそしんどいが、笑みがこぼれた。なんだって同級生と最初にあってそんな言葉が出るんだ。

まるでSF小説の最後の方みたいだ。



座席について、深呼吸をする。今日まで色々なことがあった。その全てをここにぶつける。


講義開始のチャイムと共に、製図板を用意してトレーシングペーパーを貼り付ける。輪郭線を作るのも慣れたもので、手早く枠を作って表題欄のスタンプを押しに行く。


「頑張ろうぜ」

もはや、同級生と交わす会話はこの程度だった。皆、考えることは「来年この科目をまた履修したくない」ということだけだった。


表題欄のスタンプを押せば、後は図面を描くだけだ。ボルトならば最初の講義に描いた。評価こそ最下層のものだったにしろ、描いたという経験は持っている。重要なのはボルトを素早く描き、今回のメインのねじ部の拡大図を如何に仕上げるかだ。


もしここで未完成の場合、僕は評価すらされず無条件で来年もやることになる。つまり、時間は1秒だって無駄にはできない。



巡回する教授が席に近づいてくる。それを察知して、僕は教科書を机に開いていかにも「あれ、ここの記載方法これで大丈夫かな?」と調べているような学生を演じた。



時間を無駄にはできない。それはすなわち、教授に「こんなんじゃ作る人泣くよ」「ボルトにいくらお金をかけるつもり?」「もう一度調べ直した方が良いと思うな~」といった「注意されるがどこが修正点なのかを明白に言われない注意」を受ける事も避ける必要がある。

もしも、教授の気分次第で追及された場合、今の僕にはそれに答えるだけの知識はない。従って「死」がまっている。不用意に「はい」などと返事した日にはいつしかの誰かの二の舞になろう。


今日という日に至るまで、多くの学生が不用意な発言の為に一方的な押し問答(果たしてそれが押し問答と言っていいのかわからないが)の末に「絶望」した。


僕は彼らのようにはならない。なりたくない。その意志の行為だ。


しかしそんなことをすれば、間違いの修正は出来ずに間違った図面を提出してしまうのでは?と思う人も多いだろう。





けれど、そこは僕らの超協力プレイで補う他ない。


ある程度図面が進み、後ろの席の友人が言った。

「後で図面を重ね合わせて確認しよう」


トレーシングペーパーの利点を最大限利用した方法と言える。お互いの図面を重ね合わせ、修正点を探す、場合によってはお互い落単する可能性もあるがそこは死ねば諸共、一蓮托生だ。



ボルトが完成し、ねじ部の作成にかかる。


教科書の114ページと115ページを参考に見ながらペンを進める。ねじ部は断面として考えるので、断面図の参考にできるのは115ページだ。しかし、115ページに記載されているねじは管用平行ねじであり、今回ボルトに用いられているねじは一般用メートルねじ。この違いを忘れて愚直に描いた奴は落単することだろう。


ピッチを始めとした必要な寸法を記入し、僕は後ろの友人に問いかける。


「角度って、入れる?」


それは、教授が説明でボソリと言った「ねじの角度は、描いた方が良いですよ」と言ったことに由縁する寸法だ。

教室の時計と自分の図面を見比べると、描いても描かなくても完成するのは終了時間間際だという事はわかる。それでも、僕は後ろの友人に問いかけた。


友人は自分の図面を見ながら一言呟いた。


「入れるわ」


無言で頷き、自分自身も図面と向き合う。

素早く三角定規で寸法線を伸ばし、適当な円テンプレートを使って角度寸法を示す線を引く。




僕と後ろの友人が完成したのは終了時間20分前だった。

「確認しよう」

友人はそう言って自分の図面を製図板から剥がす。


僕と彼とで違うのは、ボルトの呼び長さのみ。他は全て同じでなくてはおかしい。

必要な寸法が記載されているか、表面性状の値は同じか、など様々な要素を検討する。


この行為は、見る人が見れば無駄なことかもしれない。間違った図面を間違っていると気が付かず提出する要因ではあるし、そもそも他人と完全に一致の図面を描いて何の意味があるのか、と思われるかもしれない。模写するだけならばコピー機を使えばいい、そう思う人も必ずいるはずだ。



けれど、それでも、僕らはやる。

安心感の為、不安を薙ぎ払う為に。



ひとしきり確認を終えて、お互い修正点を修正点を修正する。また、他の友人の図面とも見比べて違いを修正するか否かを検討する。



講義終了5分前になった時だ。

マイク越しに、教授が吠えた。


「そこの君、図面を提出してください」


皆の手が一瞬止まる。


「君…今、図面を製図板から剥がしたよね?」

その言葉に、身が硬直するのを感じた。教授が一体誰の事を言っているのか、冷や汗が背中から噴き出す。


教授は間違いなく、僕らの座っている列を指さして言っていた。

コツコツと音を鳴らして教授が近づいてくる。僕の前を通り過ぎ、僕の後ろの友人も通り過ぎる。




注意されたのは、僕の2つ後ろの友人だった。

「最初の講義で言わなかったっけ?製図板から一度剥がすと、図面の正確性が失われる。何のために輪郭線を描くのか忘れたのかな?」


しどろもどろになる2つ後ろの友人。

「いいから提出しなさい。もし何か書いたら一切評価しません。評価しなくてもいいなら構いませんけどね?」


僕は必死に願った。「わかりました。でも前の2人も剥がしてチェックして今平然とした顔で図面に文字とか付け足してますけどね?」なんて言ったりするなよ、と。



願いが通じたのか、彼は不貞腐れながら提出をした。それと共に、僕と後ろの友人は安堵のため息を吐いた。





講義終了のチャイムが鳴る。

「今すぐにペンを置いてください。今後一切図面に手を加えることは許しません。もし見つけた場合評価は一切しませんので、皆さん速やかに提出してください」


教授は何度目かわからない注意を僕らにする。

僕らは図面を提出した。


それは同時に、僕らの前期の製図が終わったという事だった。



この「終わった」が果たしてどのような意味になるかは夏の終わりまでわからない。けれど、僕らは間違いなく、ひと時の心の安らぎを得られたのだ。


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