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ささみ様と重陽の宵祭り

 ささみ様はじっと夜空を眺め始めていた。私はその横顔をじっと見つめていた。綺麗な猫だった。美しいという形容詞が一番合うと思う。品と言うか、ただ佇んでいるだけなのに、見るものを惹きつける魅力を持っている猫だった。

 あまりにも凝視しすぎた。視線に気が付いたささみ様が不思議そうな顔をして振り返ったのだ。私は恥ずかしくなって顔を背ける。クスリと、ささみ様の笑った声がした。ますます恥ずかしくなる。顔が熱いのが分かった。空気はかなり冷たくて、頬を優しく撫でていた。

「そんなに硬くならないでください」

 ささみ様が言った。不思議なもので、その一声が私から恥ずかしさとか緊張とかを取っ払ってしまった。身体が、座った原っぱの中にすっと沈んでいくかのような感覚になる。この場所にも、ささみ様にも慣れてきた私は、ひとつ深呼吸をして気持ちを整えることにした。心の持ちようが大事だからだ。辺りは虫の音ひとつしない。驚くほどに静かな空気が満ちていた。

 ぴんと張り詰めた空気にメスを入れるように、ささみ様に声をかけてみた。

「どうして私を連れてきたんですか?」

「そうねえ……。寂しかったから、かしらね」

 質問が来るのが分かっていたかのように、ささみ様は自然に答えてくしゃりと微笑んだ。とても上品な笑い方だった。遠くを見ながら、ささみ様が言葉を続ける。

「今日はね、お祭りがあるの。大切な大切なお祭りが」

「祭りですか?」

「ええ。すっごく盛大なお祭り。酔って踊って騒いで、朝まで夜通し続くお祭りなの。ほら、あそこを見て。ちょうどここから右の方に見える小さな光。あるでしょう。あそこが始まりなの。あそこから始まって、どんどんどんどん、燃え広がるかのように一気に会場が広がって、祭りが始まるの」

「空にですか?」

「そう。人の子の邪魔をしては悪いでしょ。このお祭りのルールなの」

「ルール……」

「そう。何事もある程度の決め事をしておかないと。楽しむものも楽しめないわ」

 そうなのだろうか、と思った。めりはりをつけなければならないと言うことだろうか。人間の社会みたいなんだなと、ちょっとがっかりした。

「そろそろね。始まるわ」

 言って、ささみ様が空中を漂う人魂みたいな光を指し示しす。私もとにかくはその光を見守ることにした。町の明かりが煌々と光るその上に、ぽつんと灯は揺らめいている。

 その揺らめきがぐらりと形を崩したように見えたと思った次の瞬間、夜空一杯に祭り囃子が響き渡った。

「わっ」

 思わず声が出た私を、ささみ様は優しく微笑む。

「さあ、もっと激しくなるわよ」

 言うや、どんと突き抜けるような太鼓の音が腹の底にまで響いて、小さかった灯は這うように、そして舞うように、一気に夜空全体を埋め尽くした。灯は揺らめき、次第に形を成していく。ある程度その全容が見え始めた頃、口らしき場所がぱっくり二つに割れた。

「えー、今宵もやってまいりました、重陽の宵祭りであります。闇に蠢く有象の輩、光を恐れる無象の徒、今宵限りの祭りであります。飲んで喰らいて狂うほどに踊りましょうぞ」

 翁のような顔を浮かび上がらせて、灯がそう声を上げた。しわがれてはいるものの、威厳と力のこもった老人の声だった。

「それでは、重陽の宵祭りの開演であります」

 そう言い残して、灯はざわりと翁の顔から形を崩した。水溜りに雫が落ちたときのように、円状に波が広がっていく。私はそれを綺麗だと思った。

 お囃子が聞こえている。何やら話し声も聞こえてきた。最終的にまん丸に形を変えた光に向かって、どこからともなく現れた異形の影が飛び込み始めていた。

 離れているのに加えて、シルエットだけだからよく判別が付かないのだけれど、角のようなものが頭から生えた人物や、大きな二足歩行の犬みたいな影も飛び込んでいる。たぶん、先ほど翁が言っていたものたちなのだろう。次から次へと数えきれないくらいたくさんの影か光に飛び込んで行っている。壮観だった。次第に光の中は騒がしくなり始めた。

 私はぽかんと口を開けて、そんな一連の変化を見ていた。見るしかなかった。とんでもないところに来てしまったのではないかと今更ながらに思った。そもそも、ささみ様が大きくなっていたり、喋っていたのだから、その時点でおかしいと思えばよかったはずなのだ。もともと鈍いのか、それとも空気が判断を鈍くさせていたのかは分からないけれど、これは一大事だと私の身体は冷や汗と共ににわかに強張り始めていた。

 けれど、それすら遅かったみたいだ。よし、と隣でささみ様が言ったのが耳に入ったのだ。たぶん、ささみ様はこういう私の性質も考慮のうえで私をここまで呼んだのだろう。

「さあ、それじゃあ私たちも行きましょうか」

「無理です」

「無理じゃないわ。さ、ほら立って」

「え、え、え、ちょっと待って。私、行くなんて、本当に無理で」

「行くわよ」

「待ってってー」

 叫ぶ私の声なぞ聞かずに、ささみ様はふわりと地面を蹴った。いつの間にか襟を咥えられてしまっていた私の身体も、下から風が吹き上げたかのように軽ろやかに宙に浮く。意味不明の言葉を叫びながら、私は町の夜空を飛んでいた。そしてそのまま光の中に飛び込んだのである。

 それからのことは断片的な視野となってしまっていて、あまり覚えていない。身体がぐるぐる回転しているんじゃないかと思うほどいろんな方向から大音量のお囃子が聞こえていて、笑い声が、談笑がずっと続いていた。なんだか暖かくて、ぼんやりと赤いような黄色いような、それでいて緑とか綺麗な青とか、いろんな光の中で溺れている感覚だった。私のそばには絶えずささみ様がいて、こんなよく分からない場所なのに、ささみ様は凛と落ち着き、祭りを楽しんでいるようだった。

 そんな祭りの中で、ひとつだけ流れを順番道理に記憶した事柄がある。犬と猿の喧嘩だ。私も少なからず係わったから覚えているのかもしれない。私はまず目が三つある大きな二足歩行の犬からお酒のようなものを貰った。

 ぐるぐるするお囃子とちかちかする光の渦にすっかり飲まれてしまっていた私は、渡された杯に入っていた酒みたいな飲み物をちびちびと飲んでいたのだが、現れた手が四つある猿に奪われてしまった。そんな私をささみ様は可笑しそうに笑った。呆然と空っぽになった両手を宙に漂わせていた私だけれど、そのうちなんだか可笑しくなってきてしまった。気が付けば、けたけたと笑いながら、美味そうに杯を傾ける猿を見ていた。しばらくしてからまた私のもとに戻ってきた犬が猿に気が付く。あれやこれやと見ているうちに、三つ目の犬と四つ腕の猿との喧嘩は始まっていた。

 やんや、やんやと周りが騒いでいるのを聞いていると楽しくなってきて、私も一緒に盛り上がっていた。いろんな野次を飛ばしたような気がする。ようやく少し冷静になって見てみると、眼鏡をかけた梟が仲裁に入っていた。騒いでいる最中に、一つ目のこうもりをいっぱい付き従えた黒服の紳士からおかしな飲み物を何杯か貰い飲んでいた私は少しだけ残念な気持ちになった。梟のはりのある叱咤に二人は喧嘩をやめてしまったのだ。

 それでも、ぐるぐるする意識の中で私とささみ様はお互い顔を見合わせて笑った。それから本当に記憶があやふやになってしまった。

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