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違う空と二股交差点のカーブミラー

 公園を出たのは三時を少し回った頃だった。三時間近く、公園で時間を潰していたのかと思うとびっくりした。それほど時間が経った気がしなかったのだ。不思議なこともあるもんだ。でも、悪い時間の潰し方ではなかったなと思った。

 相も変わらずささみ様はブロック塀の上を歩いている。お昼寝をして元気になったのか、少し足取りが軽いような気がする。気のせいなのだろうか。たぶん間違いないと思うのだけれど。

 すたすたと塀を歩いていくささみ様を、付かず離れずの速度で追う。ぼんやりと周りの景色を楽しみながら歩いていた。ささみ様に連れられてここまでやって来た私は、いつの間にやら町の高台の辺りを歩いているみたいだった。右側のガードレールの向こう側に、地平に広がる街並みが見える。坂道を歩いていた。

 歩きながら、私は青年から貰ったスケッチブックを開いてみることにした。そう言えば、彼はなんという名前だったんだろう。気になって裏表紙を見てみた。名前はどこにもない。ささみ様の絵を開く。ここにもサインがない。もう一枚。その絵にもサインはなかった。

 誰だったんだろう。ああ、そう言えば私も自己紹介すらしていなかった。よく考えれば、平日の昼中に制服姿で公園をうろついていた高校生によくもあれほど優しく接してくれたものだと思った。いや、平日にもかかわらず昼間っから公園なんかをほっつき回っている高校生だからこそ、あんな態度だったのかもしれない。本当のところは、どうしてだったんだろう。少しだけ気になった。

 青年のことを考えながら、私はスケッチブックを開いてみることにした。やっぱり、まずは表紙から。記念すべき第一作目はなんなのだろう。わくわくしながら表紙をめくった。

 そこには一匹の猫が描かれていた。お座りをして、じっとこちらを見上げてくる猫。ささみ様だった。私はこの絵が彼の話していたささみ様との始めての出会いを描いた絵であると確信した。なんと言うか、筆者の視点がちょうどベンチから、地面に座り見上げてくる猫を見ているという構図だから話のそれと同じだったのだ。いや、構図がどうとかは正直なところ分からない。ただ、絵で分かるのだ。このスケッチブックに描かれている絵は、描かれていな風景も想いまでも映し出している。そんな気がした。

 じっくり鑑賞する。ベンチの下からささみ様に見上げられて、私はなんだか恥ずかしいようなくすぐったいような気持ちになった。同時にとても胸が温かくなった。

 絵をめくる。次に描かれていたのは、私が別段見るべきところもないと思っていたあの公園の風景画だった。

 圧倒された。普段学校で使っているノートと同じぐらいあの紙面に描かれた景色に、ただただ圧倒された。そこには息吹があった。木々の、草花の、そこに生きる全ての生物の。そこには流れが溢れていた。風の、光の、生命の。描かれた経った一枚の絵の中に、私は重ねた生命の年月を見た。

 これはすごい。私は空を仰いだ。少し青が深くなった空が私のことを見下ろしていた。あの時、あの公園で私と彼は一緒に空を見た。同じ空だと思っていた。でも、もしかしたら、彼に見えた私の見た空とはまったくの別物だったのかもしれない。彼には私には見えなかった何かが見えていたのかもしれない。

 彼はあの空に何を思ったのだろう。何を見たのだろう。私には分からない。分からないけれど分かりたいなと思った。彼が見えている、ありのままの世界と言うものを私も見てみたかった。

 その後も、坂道を登りながら私は一心に青年がくれたスケッチブックを読み進め続けた。そこには人が描かれていて、おもちゃが描かれていて、遊具が描かれていて、空が描かれていた。どの一枚にも、胸を揺さぶられるような激しい感動を味わった。こんな絵があるんだと思い知らされるような一枚ばかりだった。

 ささみ様が、みゃあと一声鳴いた。顔を上げれば、いつの間にか随分と歩いていたみたいだった。スケッチブックを開いてからは、今まで景色に費やしていた興味を全て持っていかれていたので、距離感や時間の感覚が薄れてしまっていたようだった。

 そこは、二股の交差点だった。道の真ん中にカーブミラーが立っている。その鏡のまん前に立って、こんな角のど真ん中に立てても効果はないだろうに、と思った。カーブミラーを除き見る。顔がぐにゃりと歪んでおかしなものが映ったように見えた。変なの、と思い私は数歩下がってみる。角の真ん中で、カーブミラーは何かを見つめているみたいだった。

 坂を登って来たこの場所に、こんな風にミラーがあったら、なんだかとっても神妙な気分になるのかもしれない。不意にそう思った。別れ道の真ん中に立っているのは、行き先を示す看板ではなく、自らの姿を映し出す鏡だったのだ。暗示的な光景に、私はしばし時間を忘れてしまった。

 にゃあ、と一声ささみ様がまた鳴いた。左側の、更に高く山へと昇っていく道の真ん中にささみ様は座っていた。

 こちらへ行くと言うことなのだろうか。

 思ったものの右側の道も見てみた。今までずっと登りだった道は、すっと下がり、一気に駆け下りる道に変わっていた。私はささみ様を見る。右側の道へ行ったほうが戻れるのではないだろうか。

 にゃあ、とささみ様は鳴く。こちらへ来るんだと言っているようだった。

 空を見る。大分陽も傾いてきていて、風が肌寒くなってきていた。もう一度だけ私はささみ様を見た。じっと見返してくる青い瞳に、私は負けた。分かりました。付いていきます。その代わり、帰り道も頼みますよ。そう心の中で語りかけて私は左側の道へ歩き出した。

 おそらく私に決定権などないのだから。


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