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アルバイト輝夜 ~稗田阿求編~

聖ウァレンティヌスという聖職者が存在したとされている。

『されている』等と曖昧な言い方なのは、彼の存在が非常に希薄だからだ。

実際に存在したかどうかは、僕には確かめる術はないのだが、そういう人物がいたとしよう。

彼は身分の違う二人の結婚を認めたと言われているし、禁止されている結婚を執り行ったとも言われている。

ともかく、愛の伝道者の如くな聖職者は2月14日に殉教したのだ。

どこにでもある話といえば、それまでなのだが。

良い行いをした人間も、悪い行いをした人間でも、人という存在は必ず死ぬ。

だが、彼の存在はいつまでも生き続けていた。

どこの国の人間なのか、どんな人物なのか、どこに葬られているのかもはっきりしないまま、恋人たちの守護聖人として、その名前と命日だけが生き続けている。

それが2月14日。

しかし、それにしても……

それは、彼にとっては喜ばしい事なのだろうか。

もしかしたら、人の命日に祭などと、転生を繰り返す度に憤怒しているのではなかろうか。


「それとも、彼は虚像であり偶像であり、現実には存在していないのか」


僕は呟き、読んでいた本を閉じる。

少しだけ春が近づいてきたからだろうか、突き刺すような寒さも治まり、そろそろストーブの出番もなくなってきた。

燃料さえあれば素晴らしい働きをする彼に、毎年僕は最高の賛辞を贈っている。

そんな彼にも、そろそろ春休みを与える時期に来ているのかも知れない。

未だ熱心に頑張ってくれているストーブの火を落とし、先程まで読んでいた外の本をもう一度パラパラとめくってみた。

書かれている情報が変わる訳ではないのだが、近代的な文化に僕は顔をしかめる事しか出来ない。


「バレンタイン……ね。なんとも情けない文化だ」


バレンタインデーとは、女性から男性へプレゼントを贈る文化である。

局所的に、だそうだが。

主にチョコレートを贈るみたいだが、どうやらこれは甘味屋の陰謀らしい。

なるほど、巧い商売方法だ、と思う。

外の世界ではこの文化が浸透しているらしく、チョコレートの売り上げが跳ね上がると本に書いてあった。

だが、裏を返せば、女性達は甘味屋に踊らされている訳だ。

聖人ウァレンティヌスを信仰し、その御力を賜り、事を成すのなら解るのだが……その真意も理解せず、甘い菓子を買い、男性へと贈る。

果てしてそれは、どうなのだろうか。


「女性の勇気は、一日限定なのか。それとも祭りに乗っかっているだけなのか」


その真意を考えるに、僕はため息を吐いた。

それと共に、僕が良く知る少女達を思い浮かべる。

面倒くさがりやの巫女に強奪魔法使い。

彼女達には到底むいてないイベントだ。

それからもう一人……

不意に、あの屋台が思い浮かんだ。


「彼女も、チョコレートを男にあげるのだろうか」


僕こと森近霖之助は、屋台で働くお姫様を思い浮かべて頭をひねる。

バレンタインデーの表裏一体として存在するホワイトデー。

それは男性から女性へのお返しをする日だ。

つまり、


「今日、彼女から難題を出されたとしても、クリアするには1ヶ月しかない訳か」


女性の勇気が一日限定ならば、男性のそれも、そうであるべきだろう。

僕は思わず口元を歪める。

今頃、里の男性は頭を抱えているかもしれない。

それはそれで、一興。

僕は恐いもの見たさで、いつもの屋台へと出かける事にした。



~☆~



夜道を歩くのは、なかなかに楽しいものがある。

昼間とは全然違う姿を見せるのが夜道だ。

逢魔が時を越えれば、世界は姿を変える。

反転する、ひっくり返る、と言い表してもいい。

昼間は人間や妖精などの表側。

夜間は妖怪や幽霊などの裏側。

それだけで空気は別物となるのだ。

もちろん空を見上げてもそれは顕著に現れている。

昼に輝くのは太陽だが、夜に輝くのは月だからね。


「おや?」


僕の行く先に、見知った後姿を発見する。

だが、彼女が夜に一人で出歩く事があるのだろうか。

もしかしたら見間違いかもしれない。

僕は前を行く人影の正体を確認するために足を速めた。

すると、僕の足音に気づいたのだろうか、先を歩く人物はビクリとし、後ろを振り返る。


「だ、誰ですか……あぁ、良かった……霖之助さんでしたか」

「僕は半人半妖だけど、人は食べないよ」


胸を撫で下ろしたのは、僕が想像した通りの少女、稗田阿求だった。

稗田家の当主である彼女がこんな時間に出歩ける理由など思い浮かばないのだが、いったいどうしたのだろう。


「こんな所でどうしたんだい?」

「え、え~っと……あ、蓬莱山輝夜さんがアルバイトを始めたそうなので、調査に行こうと思いまして。必要ならば幻想郷縁起を書き換えなければ、です」


ふむ、と僕は頷いた。

どうやら彼女は、何か隠し事があるらしい。

とっさに嘘を吐いた様ではあるが、まだまだ人生経験が足りないという事か。

こればかりは求聞持に頼る訳にもいかないだろう。

まぁ、息を吸う様に嘘を吐くよりかはマシだけど。


「丁度僕もミスティアの屋台に行くところなんだ。良かったら一緒にどうだい?」


この時代、この幻想郷では妖怪に襲われたりはないと思うが、万が一という言葉もある。

それに、目的地が一緒なので、分かれて歩くのもおかしな話だ。

僕の言葉に、阿求はパッと顔をほころばせた。


「是非にでも。一緒に参りましょう」


恐らく、彼女は暗がりをおっかなびっくり一人で歩いていたのだろう。

流石にただの人間には恐怖を煽るに充分な道だ。

人間は、勝手に妖怪や幽霊を幻視する。

冷静さを失わせるこの機能は、人に備わった防衛本能としてどうだろうかと僕は思う。

暗がりだからこそ、目をこらして歩かなければならないというのに。

身を縮ませる様に歩いていた阿求の姿は、どう考えても防衛する用意になっていない。


「もっとも……出歩かない事が一番だが」

「はい? 何か言いました?」

「いや、何も」


先程とは打って変わって、元気良く歩く阿求の姿に、僕は苦笑を零すしかなかった。



~☆~



「幻想と敗北の淵から~、それは生まれで~る~♪ 血に希望、死に勇気を~、与える為に生まれ出る~♪ あ、がんぱれ~どま~ち♪ がんぱれ~どま~ち♪」


いつもの竹林沿いに、いつもの赤提灯が見えて来た。

暗闇に浮かぶ薄ぼんやりとした提灯の灯り。

阿求は初めてなのだろうか、少しだけ目を輝かせ足を速めた。

いつもの店主の妙な歌が、段々と大きく聞こえてくる。

今日の歌は、これから撤退も許されない戦場にでも行きかねない勢いだ。

そんなミスティアの歌と、先客の笑い声。


「ふふふ~、今夜は呑んじゃいますよ~」


すでにヘベレケ状態の東風谷早苗。


「ほら早苗、まだまだ行くわよ」


そんな早苗に焦点があってない目で文句を言っている博麗霊夢。


「うははははは! うふふ? いやいや、うんうん」


一人で馬鹿笑いをして納得する赤ら顔の霧雨魔理沙。


「あら、美味しい。あ、これも美味しいわ。あ、これもう一個ちょうだい」


他のメンバーのお皿から勝手に拝借している酩酊状態の十六夜咲夜。


「はいよ~♪ よ~ろ~こ~ん~で~♪」


どうやらかなり盛り上がっているらしく、ミスティアはご機嫌で歌を紡いでいく。

そんな様子を見ながら、僕と阿求は屋台の横にある長机の方へと座る事にした。

素面で混ざるにはあまりにもテンションが違いすぎるし、そもそも屋台側は4人でいっぱいだ。


「いらっしゃい香霖堂。それから稗田家の当主様。珍しい組み合わせね」


僕達が座ると輝夜は、以前に来た時と同じ様に付け出しの筍の漬物を出してくれた。


「そこの通りで会ってね。一緒に来たんだ」

「ふ~ん、本当にそこで出会ったの?」


輝夜が口元を隠してニヤニヤと笑う。


「な、ほ、本当です。そこで出会ったんですから!」


そんな輝夜に対して阿求は声を荒げた。

輝夜特有の冗談なのに、阿求は何をムキになっているのだろうか。


「ふふふ、そういう事にしてあげましょう」

「ちょ、ちょっと、輝夜さん、信じてくださいよ!」

「はいはい、分かってるって。香霖堂にそんな度胸あるハズがないわ」


……どうして僕が馬鹿にされているのだ?


「そうですよ。霖之助さんですよ」


……どうして阿求も、そういえばそうだ、的な落ち着き方をするんだ?


「まったく……日本酒とおつまみを貰えるかい?」

「今日は筍ご飯いらないの?」

「残念ながら夕飯は済ませてるんだ」


僕の注文に輝夜は、喜んで、と答え伝票に筆を走らせた。


「阿求は何にする?」

「筍ご飯あるんですか?」

「えぇ、蓬莱山輝夜特製の筍ご飯よ。最近は里でも人気なんだから」


えっへん、という感じに輝夜は胸を張った。

やはり自分の料理が他人に褒められるというのは、嬉しいらしい。

まぁ、僕も彼女の筍ご飯を目的として通っている節もある。

筍ご飯だけではなく、他の料理もなかなかの物。

亀の甲より経験の功、というやつだろう。

しかし、自信満々の輝夜とは反対に阿求は小首を傾げる。


「へ~、それは初耳ですね」

「あれ、おかしいわね。今日も里の男の方が来て言っていたのに。輝夜ちゃんの筍ご飯は絶品だって噂は本当だった、って」

「輝夜ちゃん……」


思わず呟いた僕の言葉に、輝夜はギロリとこちらを見た。

はぁ~、余計な事は言わない方がいいらしい。


「里で輝夜さんの話題はあまり聞きませんよ」

「あれれ、おかしいなぁ」


輝夜は腕を組んで首を傾げた。

ふむ、と僕も同じ様に腕を組み、思考を巡らせる。

まず前提として、輝夜は自分の人気を自覚している。

これは、輝夜の性格と人生経験からして嘘では無いだろう。

かわり阿求の話では、里でそんなに話題ではない、となっている。

つまりは……


「輝夜、もしかして里からのお客さんは男性ばかりじゃないのかい?」

「え……ん~、そうね。夜の森は物騒だし、里の女性はまだ一人も来てないわ」


そこの4人以外、と輝夜は屋台の方を指差す。

里の住人が一人もいないのは、なんとも参考にならないが。


「つまり、里の旦那さん方が……え~、大人のお店的雰囲気? で扱っている訳ですね」


阿求が少し言い淀みながら答えた。

それに対して輝夜は、


「ここはそんなイカガワしいお店じゃな~~~い!」


と吼えたのだった。


「里の奥様方に言っておきます。少々お客さんは減りますが、我慢してください」

「えぇ、お願いするわ、阿求ちゃん」

「任せてください輝夜ちゃん。筍ご飯と美味しいお酒を」

「はい喜んで♪」


と、答えて輝夜は屋台の方へと引っ込んだ。

まったく……自分のリップサービスのせいだという自覚は無かったのか。

これで自重してくれれば、最高の屋台になるんだがなぁ。

少しして輝夜はお盆で注文の品を持ってくる。


「お待ちどうさま。日本酒は『黒龍』ね。それから筍の串焼き。で、こっちが阿求の筍ご飯。阿求の分の串焼きはサービスよ」

「やった」


輝夜のサービスに素直に喜びを示す阿求。

僕はそんな阿求に微笑みつつ、輝夜に注いでもらうと、日本酒で喉を潤わした。

さて、酒の次はつまみだ。

筍の串焼きとやらを一口齧る。

三角形に切った筍を火で炙っているのだろう、コリコリした食感と甘み、そしてほんのちょっとのエグみが何とも言えず美味い。

阿求も漬物と筍ご飯でご機嫌なようだ。


「ところで、香霖堂は誰からチョコをもらったの?」


はて、何の話だろうか。

突然の輝夜の言葉に僕は疑問符を浮かべた。

もちろん、今日がバレンタインデーという事は知っている。

そして、幻想郷でのバレンタインは、隣で騒いでいる東風谷早苗嬢が流行らせた事も知っている。

だが、輝夜の話し方では僕が誰からかチョコを貰える事が確定しているような口ぶりだ。


「どういう事だい?」

「あら、もらってないの?」


輝夜は不意に隣の屋台を見る。

そこにいるのはヘベレケ人間4人衆。

彼女らに関係があるのだろうか。


「霊夢、魔理沙、咲夜、早苗の4人で誰が一番人気があるのか、という勝負をしていたみたいで、誰が一番チョコを受け取ってもらえるか競っていたのよ。優勝はバレンタインの使者、東風谷早苗。ちなみにビリは魔理沙よ」


僕は思わずため息を零した。

まったく何をやっているんだか……なんとも無駄な勝負で盛り上がっている様だ。

2位と3位は彼女らの名誉の為に聞かない事にしよう。


「里の男の人を対象にしてたみたいだけど、香霖堂には来なかったのね」


今日一日、僕はずっと香霖堂に居た。

幻想郷での常を表している如く、静かで穏やかな一日だったのだが、どうやら里では騒がしかったようだ。


「なるほど。僕が幸せにも読書に興じれたのは、僕の人気がなかったお陰という訳か」


皮肉とも、負け犬の遠吠えとも取れる様な僕の言葉に輝夜は笑った。


「人気が無かったというか、あなたは殿方として見られていなかったのじゃないかしら」


輝夜は着物の長い袖を押さえながら、長机越しにそっと僕の頬を撫でる。


「香霖堂の顔って、少し中性的だもの」

「そうかい?」

「えぇ、少なくと無精髭は似合いそうにないわ」


それは褒め言葉なのだろうか、と僕が首を傾けていると、阿求が助け舟を出してくれた。


「少なくとも貶されてませんよ。香霖堂さんの顔は」


顔は、ね。

つまり僕の性格に問題あり、と言いたいのだろう。

御阿礼の子め、なかなかに言うじゃないか。


「どうせ僕は偏屈さ」


僕の言葉に、二人の少女は笑った。



~☆~



「ふはぁ~」


目を細めて、阿求は息を吐いた。

随分と日本酒が気に入った様で、ぐい飲みを両手でもって、くいくいと呑んでいく。

ペースはかなり早いようだが……大丈夫だろうか。


「ところで、阿求。君の本当の目的はなんだったんだい?」


そろそろ頃合か、と僕は阿求に質問する。

彼女が嘘をついていたのは分かりきっていた。

ここに来た本当の目的は何だったのか、気にならないと言えば嘘になってしまう。


「私だって~、女の子なんですよ~」


うぅ~、と項垂れる阿求。

お酒のまわりが丁度良いらしく、阿求はウダウダと話を始めた。


「そして、今日は~、バレンタインデー、なのですよ。知ってますか、霖之助さん」

「あぁ、知っている」


しかし、どうやら随分と酩酊しているらしい。

まだ呂律がまわっているだけマシな状態だろうか。


「里の女の子達は盛り上がっているのです~。でもね、わたしにはね、ダメなんですよ」


御阿礼の子は恋をしない。

それは、求聞持の能力が故に。

短命が故に。

稗田阿求は……恋をしない、のか。


「でもでも、手作りチョコというのを作ってみたのですよ」


阿求は着物から小さな包みを取り出す。

丁寧にリボンが付けられており、可愛らしい装いの小箱だ。


「でもね~、私には~、さしあげる殿方がいないのです」


くすんくすん、と阿求は自分で声を出して泣いているフリをする。


「チョコを受け取ってもらっても、それ以上何も差し上げる事が出来ないんですよ~。何とも寂しい気分になるじゃないですか~。お祭りに自分だけ参加できないんですから~。それで、輝夜さんを思い出しまして~、来た訳ですよ~」


つまり、寂しかったのだろう。

話を聞いてもらえれば、それで良かったのだ。

同じ人間だと思っている蓬莱山輝夜に、彼女は愚痴を零しにやって来たのだろう。

短命なる御阿礼の子。

果たして、彼女達がこの求聞持の呪いから解放される時がくるのだろうか。

何も言えない僕は、ただただ口元に酒を運ぶ事しか出来ない。


「どうでした~、輝夜さ~ん?」

「えぇ、今日のお客さんは多かったわ。お陰で用意したチョコが全部なくなっちゃった」


うらやましい話です、と阿求が突っ伏した。


「もちろん、全員に難題を付きつけてやったわ。一番はマグロのお刺身が食べたい、かしら」


僕は思わず笑ってしまった。

マグロと言えば、外の世界の海にいる魚だ。

この難題を出された男は今頃マグロとは何かと頭を抱えている事だろう。


「輝夜さんと言えば、難題なんですね~。何かこだわりでも~、あるんですか?」


阿求は、やはり輝夜の正体を知らないらしい。

幻想郷では、竹取物語は普及していない。

だから、例え僕が『かぐや姫』だよ、と言ったところで理解できないだろう。

彼女がかぐや姫として存在できるのは、竹取物語を読んだ事のある人物か、竹取の時代を生きてきた妖怪ぐらいだろう。

図書館にこもるあの少女なら、もしかしたらお姫様と看破できるかもしれない。


「もてる女の秘訣よ。ちょっとした謎がある方が、女性は魅力的に見えるわ」


輝夜は唇にそっと人差し指を当て微笑む。

阿求は素直に、そうなのですか、と頷いていた。


「はぁ~、長生きしたい……」


その言葉には、僕と輝夜は閉口するしかなかった。

御阿礼の子が短命なのは周知であり、僕と輝夜が長生きなのは揺るぎようの無い事実だ。

ただ、阿求が本気で嘆いているわけではなく、愚痴の一種だったのが幸いだろうか。

輝夜はそっと阿求の頭を撫でた。


「いいじゃない、短くても。阿求は幸せに生きられるんだもの。閻魔さまの所でお手伝いする毎日も慣れれば、日常となるわよ」


もちろん、それは気休めだ。

だからどうした、なんて事は阿求は言わない。


「そうですね~。それにまだまだ死ぬには早すぎます」


そう言って、くいっと手の中のぐい飲みを空にした。


「ぷはっ。う~、ぅ~、凄い世界ね、酩酊した状態というのは」


自覚のある酔っ払いとはまた珍しい。

冷静に酔っていると表現すれば良いだろうか。

なかなか粋な酔い方をするものだ。


「それでも、一人きりのバレンタインは寂しいです」


阿求は呟いて、やっぱり机に突っ伏した。

お酒よりもバレンタインにやられている感じだ。


「ふむ、良かったら僕が―――」

「ダメよ、香霖堂」


僕の言葉を、輝夜が遮る。

輝夜は怒る様な、叱る様な表情で、僕を睨んでいた。


「ダメよ、香霖堂。阿求のチョコを受け取っちゃ」

「……どうしてだい?」


チョコを貰ってやるくらい、なんてことはない。

阿求もバレンタインというイベントに参加できる訳だから何も困る事にはならないはずだ。


「ここであなたが阿求にチョコをもらえば、あなたは同情からチョコをもらってやる事になる。それは、女の子にとって屈辱的な事よ。本命チョコでも義理チョコでもない、阿求のチョコはね、誰も貰っちゃいけないの。バレンタインデーの少女はいつだって真剣なのよ。馬鹿にしちゃいけないわ」


輝夜の言葉に、分かった、としか言葉を紡げなかった。

バレンタインの文化を、情けないと一蹴した僕に紡げる言葉は、存在しない。


「それに、阿求はあなたの事を意識しちゃうじゃない。無意識から意識に変わる……つまり恋だわ。香霖堂は阿求の傷心につけ込んで彼女の心を奪ってしまうのよ。あなたは勿論、ホワイトデーにお返しもきっちりするでしょう。それがトドメとなるわ」


そんな馬鹿な、という言葉を飲み込む。

輝夜は揶揄するのではなく、真っ直ぐに僕に向かって言葉を放った。

僕をからかうのなら、もっと斜に構えているだろう。


「そうですよ、霖之助さん。女の子を舐めちゃダメです。母は強し、恋する乙女は強し、恋に恋する乙女はもっと強いんです~」


机に突っ伏しながらも、にこりと笑う阿求は、月の姫を前にしても霞むことなく美しかった。

酔ったせいで紅潮する頬も、少し潤んだ瞳も、少女のそれではなく、成熟した乙女のものだった。


「分かったよ。僕に出来る事は何もない。傍観者は素直に観察だけに留めておこう。語り部が物語に介入するのはよろしくない」


僕の言葉に輝夜が笑った。

くひひ、という少し下品な笑い方。

それが彼女の本性なのか、演技なのか、未だに僕には理解できていない。


「さぁ、香霖堂。私からのチョコよ。口を開けなさい」


有無を言わさない程度に邪悪な笑みを浮かべる輝夜に、僕は仕方なく口を開いた。

コロンと、小さなチョコを放り込まれる。

苦味が少しばかり強く、それでも仄かな甘さが中々に美味しい。


「これは、美味しいな」

「さぁ、味わったのなら私からの難題よ」


しまった。

僕は思わず顔をしかる。

難題を出され、悩む男の話を肴にしようと此処へ飲みに来たというのに、僕が難題を出されては世話が無い。


「稗田阿求を屋敷まで送りなさい」


そう言って、邪悪な笑みをいつものニヤリとした笑みに変えた。

斜に構えて口元を袖で隠す。

優雅であり美しくもあり、男を惑わすには充分な笑顔だ。


「なるほど……それは難題だ」


こんな時間に泥酔した阿求を屋敷まで運んでみろ。

一気に不審人物の仲間入りだ。


「はぁ……仕方ない」


僕は阿求の傍で屈む。


「お嬢様、僕に屋敷まで送らせて頂けないでしょうか」

「いいわよ~、霖之助さん」


とん、と背中に軽い重みを感じる。

僕はよいしょ、と阿求の小さなお尻を持ち上げた。


「送り狼になっちゃダメよ」

「オクリモノという妖怪だな。本来は帰り道を後ろから守り歩く妖怪だが、転べば遠慮なく襲い掛かるという」

「冗談よ」

「僕もだ」


僕と輝夜は笑った。


「阿求の分とお会計ね」

「……また奢るのか」


確か、チルノと魔理沙と続いて3回連続だ……

少女と呑む際は、少し大目に持ち歩いた方がいいのかもしれない。


「う~、大好きよ~、霖之助さん。嘘ですけど」

「良かったじゃない香霖堂。嘘だけどね」


少女達はケラケラと笑う。

程遠い愛の告白。

まったく、こんなにも綺麗な星空で、今日はバレンタインデーだというのに……


「何とも色気のない話だ」


と、僕は何度目かのため息を吐いた。

これはこれで、森近霖之助らしいといえばらしいのだが。

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