赤坂捺と鞠井・アントワネット
二学期が始まり十日が過ぎた。夏休みの間で狂ってしまった体内時計は、ようやく通常運行を行えるまでに修正が完了し……といってもそこまで劇的に変わったわけではなく、ただ二学期初日よりは寝起きが良くなっただけである。
日差しは相変わらず強かった。最高気温が幾分か下がってきてはいるが、走太の体感温度は気温が下がったなという気持ちにはならない。いつまで汗をかきながら学校に行かなければいけないのだろう。今日も気だるそうに通学路を歩く。
校門前で見知った人物に遭遇した。
「ああ、走太くんだ。おはよう」
「お、おう」
「おう、じゃないでしょう~? ちゃんとおはようって言わなきゃ。ほらっ」
「……おはよう」
「はい、おはようございます」
よくできました、と赤坂捺は両手を合わせて微笑む。朝から面倒くさい人間に出くわしてしまった。走太は足早に下駄箱のある正面玄関へ向かおうとするが。
「ちょっとちょっと。せっかく会ったんだから教室まで一緒に行こうよ、隣のクラスなんだし」
悔しいが断る理由が見当たらない。
階段を上りながらチラと視線を捺に向けて考えてみる。俺はいつからこの女と親しくなったのだろう。実際言葉を交わしたのも、女子サッカー部を見学に行った数日前が初めてのことだし、それまで赤坂捺という女子生徒の存在自体、走太の脳みそには書き込まれていなかった。それなのに気づけば仲良く肩を並べて登校している。
「なんなんだこれは……」
小さく顔をしかめながら視線を正面に戻す。
しかし、これが不思議なことなのだが、先ほど捺から逃げ出そうとしたはものの、雪や鞠井など、他の女子よりは彼女のことを警戒していない自分がいる。この事実に走太は驚いていた。こうして歩いている最中も、気まずいなぁ、何か話さなければいけないだろうか、などと変に気を遣おうとも思わない。もしかしたら赤坂捺とは一番自然でいられる女の子なのかもしれない。
そして驚いたことといえばもう一つ。
まず、この光城高校女子サッカー部には二人の一年生レギュラーがいることは知っているだろう。その一人が光城の魔人こと三郷雪だということも周知の事実である。
女子サッカー部を見学した数日後に発覚したことなのだが、もう一人というのが――この赤坂捺だったのだ。背番号は二。ポジションはセンターバック。女子にしては恵まれたその上背は相手チームからすれば相当な驚異となるだろう。一年生にしてディフェンスラインを統率する守備の要を任されているとは恐れ入る。
「……くん。走太くんってば」
捺のスポーツマンとしての一面を考察していたため、捺の呼びかけに気づくのに大きなタイムラグが発生してしまった。
「あ、ああごめん。なんだよ」
「どうしたのさボーッとして……まあ朝なんだから仕方ないかな……いやね、なんとなく気になったんだけど、どうして走太くんはこの高校を選んだの? 言っちゃ悪いけど走太くんって結構普通の人だよね?」
「……これまた突拍子もないことを聞くな……まあ強いて挙げるとすれば家が近いことか。それと――」
「それと?」
「ちょっとした反抗」
その言葉に捺はきょとんと首をかしげた。
「反抗? 誰に?」
「家族だ。まああれだ、若気の至りっていうのか」
「若気って……今でも十分若いってば」
走太は吹き出す捺の笑顔になんだか照れくさくなってしまい思わず頬を掻く。なんだこの甘ったるい空気は。高校生活五ヶ月目にして、女子と会話をしても苦痛ではないと感じるのはこれが初めてかもしれない。
「……で、どういう反抗なの? それが一番気になるなぁ」
「そんな派手なもんじゃないぞ? ええとな――」
ほぼ人生初となる女子との楽しい会話に、調子に乗って喋りだそうとした時だった。
「いいいたあああああああ! 捺! どこにいたのよ! 探して……ってなんで笛吹走太となんか一緒にいるのよあんたは!?」
「ひっ……! マリーちゃん!」
階段を上がりきったところに突如として鞠井が姿を現した。校内厄介度Aプラス(走太の独断と偏見)の人間に朝から出くわすとは。不運でしかない。
「いや、だってマリーちゃん今日は朝練があるから一緒に学校には行けないって」
「うっ……! そうだけどっ、だったら朝練が終わったのを見計らってテニス部の部室に来なさいよね!」
すごく理不尽なことを言っていた。
「それをなんなのあんたは……よりにもよってこんな奴と!」
鞠井はずびし! というSEが聞こえてきそうなほど鋭く走太に向かって人差し指を突きつけた。
「悪かったなこんな奴で」
走太は目を合わせずに答える。
「というかお前たちっていつも一緒にいるよな」
そして鞠井ではなく捺に話かける。この方が幾分かスムーズにコミュニケーションがとれるようだ。
「そんなつもりは無いけど、幼馴染だから無意識のうちにそうなっちゃうのかな」
「幼馴染か。いいなそういうの。俺にもそういうのがいればなぁ」
「そう? 私は別に思ったことないけど」
楽しく朗らかに談笑をする二人。
「……」
そんな様子を鞠井がおとなしく見ているはずもなく。
「ちょっと! 何楽しそうに話なんかしちゃってるのよ! それに捺! 今の……どういうことよ!」
「え? 今の?」
捺はびくっと体を震わせて記憶をたどる。しかし思い当たる節が無かった。
「幼馴染がいることを別に……どうも思ってないってとこよ!」
「え、えええ?」
「幼馴染なんていなかったらいい、あんたそう思ってるのね!?」
「そ、そんなわけないでしょ! なんだよ急に……」
息を荒くする鞠井に困惑する捺。朝から本当に騒がしい人間だ。
「落ち着けよ。なんだよムキになって」
「あんたには関係ないでしょう」
「まあそうだが……まさか鞠井お前、赤坂のことが好きなのか?」
「「!!」」
走太自身、この場を和らげるために無いコミュニケーション能力を使った渾身のジョークのつもりだった。
「俺はまあそういうのには寛容な方だし? 性別の壁なんてどうにでもなるっていうか――」
そう言って走太は鞠井に目を向ける。
「~~~~!」
鞠井は目に涙を浮かべ、頭から煙が出そうなほどに顔を真っ赤にして体を震わせていた。
鞠井の予想以上の過剰な反応に走太はうろたえ、次に捺の方を向いてみる。
「……」
こちらでは絶句していた。顔からは血の気が引き、今にも床にへたりこんでしまいそうだ。
「え、ちょっと何このギャップ!? 差!」
走太は何度も視線を上下に行き来させる。すると鞠井は沸騰した表情のまま、
「な、捺! 早く来なさい!」
「……うん」
そう言って捺を呼び寄せた。捺も捺で先ほどの微妙な反抗的な態度は消え、素直に鞠井のもとへと向かっていく。
「ごめんね、私先に行くから」
「お、おう……俺、何か気に障るようなこと言ったのか? だとしたら謝――」
「大丈夫だから。じゃあまたね」
捺は走太の目を見ることなく答える。
二人は逃げるようにして走太のもとから消えていった。朝の予鈴のチャイムが聞こえる。しばらく放心状態だった走太はチャイムの音にはっと我に返り階段を駆け上がる。やはり女とはよく分からない生き物だ。先ほど捺と楽しく話をしていた自分がどこか滑稽に見え、走太は頭を掻いた。