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赤靴を履いたシンデレラ  作者: saco
第一章
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カクテル光線

 誰からの脚光を浴びることもなく生きていくことなんて、生きながらにして死んでいるものと同じだ。

 走太の姉がことあるごとに言っていた言葉である。そう言ってはいるものの、走太は姉がどこかで脚光を浴びているのかはよく知らない。まああれだけでかい口を叩けるのだから、走太の知らないところで活躍しているのかもしれない。

 姉のこの考えに対して、走太は口には出さないが(出したらどうなるか分かったものではない)否定的である。世間から脚光を浴びることなく細々と暮らしている人はそれこそごまんと存在する。そんな人たちの存在自体を否定するような発言に、走太は少なからず嫌悪感を抱いていた。それに、脚光を浴びるということはそれだけ自分にかかる期待が増し、責任が大きくなるということだから好きではない。しかし走太が入学した場所は、生徒の九割が何かしら脚光を浴びている学校。自分の考えと行動の矛盾に溜息が漏れてしまう。

 時刻は放課後。走太は一人校内をうろついていた。

 目的の場所はサッカーグラウンド。その辺のスポーツ公園並みの設備と広さを有する光城高校の中でも随一の環境を誇るその場所に向かう理由。

 

 数分歩いたところで目的のサッカーグラウンドに到着した。綺麗に手入れされた芝生の上を、ある者はボールを追いかけ、またある者は走り込みに精を出していたりと、女子サッカー部員それぞれが元気な掛け声と共に汗を流している。夕方五時とはいえ、昼間の猛暑さがあとを引いているのか、そこまで涼しいとは感じない。このしつこい暑さがなければ良い場所なのにな、と走太はグラウンド周りの柵に沿って歩く。

 しばらくすると、ゴール前を陣取って攻撃の連携を確認している集団が目に留まった。おそらくレギュラー陣の練習だろう。数人のコーチと思わしき男性が笛を吹きながら彼女たちに指示を出している。

 コーチが笛を吹く。それと共にゴールから遠い女子(サイドバックだろうか?)がドリブルで右サイドからの上がりを見せ、サイドハーフの子にパス。すると彼女はノートラップで中央の子にボールを出し、それを受けた子は前を向いたかと思うと一気に前線に強めのパスを送る。サッカー経験者でもあのようなパスを出されたらトラップするのに苦労するのではないかと思われるボールを、前線の子は難なく華麗に受け取って反転をした後、短いドリブルから右足でシュートを放った。ボールは吸い込まれるようにサイドネットへ突き刺さる。素人の走太が見ても気分が良くなるような見事な連携プレーだった。いつまでも見ていたい。不覚にもそう思ってしまうくらいの出来だった。

 しかし、走太は一流のプレーに一人唖然としているところで気づく。このレギュラー陣と思われる練習風景は、走太がかれこれピッチの周りを歩き始めて最後に見る光景で、つまるところ既にピッチを一周してしまったのだ。

 レベルの高い練習風景を見ていることは一向に構わないのだが、走太はこれまでピッチの周りを歩いてみて、肝心の三郷雪の姿を見つけられていない。確かに女子の顔の記憶力に関しては致命的なものがあるが(関わりたくないから顔を見ようとしないだけだ)、彼女は光城高校女子サッカー部の少ない一年生レギュラーである。学校内ではそうでもないが、ピッチ上ではそれなりに存在感があるのではないかと考えた予想は不発に終わった。

 柵に手をかけながら顔をしかめていると先ほどの気合の入った掛け声はなくなっていた。その代わりに雑談が聞こえる。俯いていた走太は何事かとピッチに目を向けると、ぞろぞろと女子部員たちがこちらに向かって歩いてくるではないか。どうやら休憩の時間らしい。参った。これは参った。

 頬をたらりと伝う冷や汗。こんな大勢の女子たちがそれこそ雪崩のように押し寄せてきたらストレスで窒息死してしまうかもしれない。走太は急いで校舎へと逃げ込もうと回れ右をすると、

「あ――」

 逆にこれからピッチへ向かおうとする女子と出くわしてしまった。袋小路、針のむしろとはこのことか。

 女子と対面した際はただひたすらに顎や首辺りを見るようにしている走太は始めはその女子が誰なのか分かるはずもなかった。

「くっ……!」

 彼女はその場から動こうとしない。後ろから女子の大群も迫ってきている。痺れを切らした走太は無理やりに歩き出した。

「ええと……」

 横切った瞬間、ようやく彼女は言葉を発した。走太自らが先に声をかければよかったのだろうが、彼にそのようなスキルが備わっているはずがない。

 はっとして走太は振り向き、女子の顔を見る。

 肩口まで伸びる女子にしては短い黒髪。そしてこれまた女子にしては上背のあるスレンダーボディ。

「……鞠井の使いっぱしりか」

 喉からやっとのことで声を搾り出した。確か鞠井が〝なつ〟とか言っていた気がする。

「つかっ!?」

 明らかに抗議の色を見せている彼女は心外だとばかりに握り拳を作る。

「そ、そんなつもりで一緒にいるわけじゃないよ! ……確かに振り回されてる感はあるけどさ……」

 すると今度はもにょもにょと消えかかりそうな語尾でいじけてみせた。

「そうかいそうかい。で、お前は俺に何か用か? こっちは急いで――」

 そう言ったとき、走太の左右を続々と女子サッカー部員たちが通り過ぎていった。かちゃかちゃとスパイクでアスファルトの上を歩く音に妙な心地よさを感じてしまう。しかし時間をかけすぎてしまった。やはりあの時無視して逃げておくべきだったと走太は頭を抱えるのだった。

「よ、用? そんなのないよ。第一、キミの方が何か用があるのかと思ったんだけど……それにお前じゃくて、私には赤坂捺っていう名前があるんだよ?」

 うろたえながらも捺は頬を膨らまして答える。昼休み、雪と会話をしている時や、鞠井と接している時の彼女の姿を見て走太は、物静かであまり自分から動き出さないところなどがこいつはどことなく雪と似ているなと感じていた。

 しかし今の一連の会話で走太は何かが違うと感じた。何が? そう聞かれると具体的なものが思いつかない。強いて挙げるとすれば雪よりも話しやすいことか。

「……ってことは、私もキミって言うのは失礼かな。教えてよ、キミの名前」

 って、また言っちゃった、と申し訳なさそうに口に手を当てる捺。

「……走太、笛吹走太だ」

 頬を掻きながら走太は歯切れ悪く答えた。

「……そう、それじゃあ走太くんは女子サッカー部に何か用なの?」

 少々思案した後、捺は走太を下の名前で呼んだ。会ってまだ二回目の自分をまさか下の名前で呼ぶとは彼も思っていなかったらしく、思わず吹き出す。

「いや、ええとなんだっけな……あぁ、そうそう三郷を見に来たんだった。なんであいつが魔人って呼ばれてるのか気になってな」

「そういうこと。で、雪ちゃん見つかった?」

「いや、一応一通り練習風景は眺めたんだが、当の本人が見つからない。あいつは今日本当に部活に出ているのか?」

 真顔で答える走太に捺はキョトンと目を丸くする。

「え、レギュラー練習の中にいたと思うんだけど……見えなかった? 背番号九番の女の子」

 言われて走太は十数分前のレギュラー陣と思われる部員たちの練習風景を思い出してみる。サイドからのパスを中央の子が貰い、そこから前線への強烈な縦パス。それをふわりと受けてドリブルからのシュート――

「あ」

 どのスポーツにも言えることだが、背番号というものにはそれなりの意味が込められている。プロ野球選手での背番号十八はエースピッチャーの証、高校野球で言うと背番号一などがその例である。

 サッカーにもそのようなものがあり、背番号十を付けた選手はチームの司令塔というイメージが誰にでもあると思われる。そして今、捺の挙げた九番という背番号にも大きな意味が込められており、その意味というものがエースストライカー。つまりは点取り屋である。

「いたな、九番。豪快にネットを揺らしてたぞ」

 走太は自分で言っておきながらはっとする。今朝、雪の背負っていた馬鹿でかいエナメルバッグに刻まれていた数字は何番だった?

 そうだ、燦然と輝く九番だった。

「……まさか、あのシュートをあいつが……?」

「うん、そうだよ。まあ無理もないかぁ、あれだけ人が変われば……って、噂をすれば」

 そこまで言うと捺は挨拶とばかりに小さく手を上げる。もちろん自分にしているものではないと分かっているので反射的に後ろを向いた。

 そこには。

「……三郷……か?」

 走太は思わずそう尋ねてしまった。

 そっくりさんを見ているような気分だった。雪に見えることは間違いないのだが、何かが決定的に違う。走太は頭の中では彼女が雪にとてもよく似た別人なのだという印象を持ってしまった。

 しかしその考えは次の言葉で跡形もなく散る。

「何を言っている。当たり前だろう。何か悪いものでも食べたのか」

 真顔でそう言う彼女は走太の質問に対して呆れた様子で答えた。どうやら本物らしい。

 腰まで伸びていた黒髪は赤いヘアゴムでまとめられポニーテールに。更に額にも赤いヘアバンドを巻き、スポーツマンオーラを全開に放出しているこの子が、あの三郷雪だというのか。

「いや、そりゃそうだよな……赤、好きなんだな」

 言葉に詰まった走太は咄嗟にそんなことを口に出した。言われた雪は額のヘアバンドをつまみながら、

「ああこれ。確かに、赤いものが多いな。このスパイクだってそうだ。しかし、ただ好きというよりは、なんて言うのか、赤以外の色に興味がないんだ。だから気づいたら赤いものを手に取っている」

 と淡々と答えるのだった。

「へ、へー……」

 二人の間をなんとも言えない間が支配する。

 次に何を話せばいいのか分からなくなってしまった走太は少々の沈黙の後、後ろの捺に助けを求めた。

「な、なぁ。あれは本当に三郷なのか?」

「うん、そうだよ。本人がそう言ってるんだから間違いないよね」

 捺はドッキリが成功した時のような意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

「でもな、俺の知っている三郷はなんて言うのか……もう少し、いやかなり大人しそうな奴だったと思うんだが」

 走太は顎に手を当て普段の三郷を思い返す。

「うん、走太くんの言ってることも本当。雪ちゃんは静かでおしとやかな女の子だよ」

「だったらなんなんだよこの状況は――はっ! まさか双子の妹とかか!?」

「だーかーらー、雪ちゃんは雪ちゃんだって言ってるでしょぉ?」

 じっとりとした目で走太を見る捺。彼女の視線を逃げるようにして視線を山の方に向けると、夕日が山の向こうへ消えようとしていた。

「おしとやかな雪ちゃんも、スポーツマンな雪ちゃんも、全部まとめて雪ちゃんなんだよ」

 捺はそうして一息置くと、少し困ったような、やれやれといった様子で続けた。

「……ただ、どうしてそうなっちゃうのかというとね、そのスパイクが原因らしいんだ」

「スパイク……」

「まあ私としては頼もしい限りなんだけどね」

 走太は捺の言葉を復唱すると前を向き直して雪の足元に視線を落とす。先ほどの練習で幾分か汚くなっているが、まるで新品のように手入れされた真紅のスパイクに思わず目を奪われてしまった。

「そのスパイクに何か特殊な力でも備わっているのか?」

「そんなわけあるか。漫画の読みすぎだ」

 一蹴されてしまった。

「ただ、特殊な力とまではいかないが、このスパイクには何かがあると私は思っている」

「何か?」

「すごく落ち着くんだ、気持ちが。そしてそれと同時に心の底から何か熱い、得もしれないものがこみ上げてくる」

 雪は片膝をついて自らのスパイクに触れた。スパイクを見るその瞳からは、温かい慈愛の色を感じた。

「でもね、雪ちゃん、相当無理をしてるみたいなんだ」

 神妙な面持ちで雪の話に耳を傾ける走太に、ふと捺が耳打ちをしてきた。

「部活が終わってあのスパイク脱ぐでしょ? そしたら途端にふらふらになっちゃうの。本人は大丈夫って言ってるんだけど、いつか体を壊しちゃうんじゃないかって心配で……」

「……アドレナリンか」

 アドレナリンは神経が興奮した際に分泌される物質で、その例としては戦争時の兵士、スポーツ選手の試合中などでよく分泌されることを耳にする。この物質が分泌されると人間は一時的な感覚の麻痺状態に陥り、普段では考えられないようなパフォーマンスを行うことができる。実際にアドレナリンによって興奮状態にあったサッカー選手が骨折していたにもかかわらずプレーを続行していたというケースもあったほどだ。

 走太はこう考える。普段物静かな雪はサッカーというものに対しては人一倍に特別な感情があり、その感情の具現化したものがスパイクを履いた時に現れてしまう。すべての感覚が研ぎ澄まされた状態に長時間置かれると、それだけその反動も強く、雪はスパイクを脱いだ途端にそれまで感じていなかった疲労感などが鉄砲水のように襲ってくるのだと。

 しばらくすると雪は立ち上がった。

「そろそろ休憩が終わる。ピッチに行かせてもらうぞ」

 気づけば雪と捺を残したほとんどの部員がピッチの中で待機している状態だった。

「え? あ、あぁ。時間を取らせて悪かった」

 一人考え事に耽っていた走太は慌てて雪たちに返事をした。

「気にするな。じゃあ、また明日だな。行くぞ捺、お前が遅れたせいでレギュラー練習を存分に行えなかったからな」

「仕方ないでしょー掃除当番だったんだからさー」

 雪は足早にピッチへと向かった。雪の後を追う捺は言いながら頬を膨らます。そして走太に向かって振り返りざまに小さく手を振った。走太は仕方なくそれに応える。

 先ほどまで二、三しかついていなかった照明が、日が完全に落ちた現在では全ての照明に明かりが灯り、ピッチ内にまばゆいカクテル光線を浴びせている。ピッチは瞬く間に部員同士の掛け声で賑やかになった。

 光城の魔人と言われる理由は未だによく分からないままだったが、魔人と呼ばれるにふさわしいオーラは放っていたな、と走太は九番の背番号を見ながら思う。

 走太は背番号九番と二番がピッチに入ったのを確認すると回れ右でこの場を後にした。


 ん、二番?


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