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赤靴を履いたシンデレラ  作者: saco
第一章
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プロローグ

 九月。

 この言葉から連想するもの。

 銀杏、紅葉、サンマ、読書、食欲……。

 まあ要するに秋なのである。

 ところで今挙げた秋。秋は涼しいものである。男子はワイシャツの上にブレザーを羽織るようになり、女子はシックなカーディガンに身を包む。色鮮やかな落ち葉のカーペットの上を歩きながらこれから訪れる冬を待つ季節、秋。

 ……しかし、そんな秋を連想する九月。この九月にどうして太陽は未だ燦々と強烈な紫外線を浴びせ続けるのか。

 今日は九月二日などではない。八月三十三日だ。そうしてしまえばこの暑さにもまだ納得がいく。諦めがつくと言ったほうがいいかもしれない。

 天気予報によると本日の最高気温は三十二度の予想。

 笛吹走太は腕時計に目を落とす。午前八時十五分。これから気温は上昇する一方だというのに、もう気温は三十二度に到達しているのではないかという錯覚を覚える。そんなでたらめな暑さを感じた。

 二学期が始まって二日目。走太はついさっき着たばかりのワイシャツが汗で体に張り付く嫌悪感にうんざりしながら一人通学路を歩いていた。

「あー……」

 無意識のうちに「あ」に濁音が付いたような呻き声が漏れてしまう。

 ゾンビのように体を前かがみにして歩を進める。自転車で悠々と通学したいのは山々だが走太の家は学校から徒歩十分と極めて近く、もちろん自転車通学の許可が下りることはない。

 視線の先のアスファルトが暑さで蜃気楼のようにゆらゆらと蠢いている。いっそのことこの暑さも幻であってくれと願う走太だった。

「……ん?」

 そんな蜃気楼の中に一つ、人影があった。

 通学路なので走太はその人影に近づく以外ないのだが、一応幻ではないらしい。

 見るとそれはしゃがみこんで自転車を弄っていた。両手が真っ黒な辺り、チェーンでも外れたのだろう。炎天下の中ご苦労さまです。

 走太は厄介事には極力足を突っ込まないタイプの人間だ。なるべくその様子を見ないようにして自転車を通り過ぎることを試みる。

 しかし。

「あ、あのぉ……」

 声を掛けられてしまった。

 普段から人とコミュニケーションを取ることがあまり得意ではない走太だが、今回はそれが顕著に現れてしまった。

 相手が女だったからである。

 走太の家は三人姉弟だ。二歳年上の姉と五歳年下の妹に挟まれるようにしてこの世に生を受けた。……ただ、それがいけなかった。

 普段から何をしでかすか分からない姉に散々弄り倒され、振り回されまくった走太は世の中の女というものは全てがこういうものだと思い込んでしまい、彼の脳内では女イコール頭おかしいという計算式が完成されてしまっている。もはや一種のトラウマである。

 だが走太にもそんな考えを改めさせるような出来事があった。時に走太少年五歳。妹が生まれた時のことである。

 当時は妹のあまりの可愛さに、これは果たして本当に女なのか? もしかしたら男、女とは別の第三の種族なのではないかと思ったほどで、走太は妹のことを愛でに愛でた。

 しかし、数年もするとその考えは無残にも崩れ去る。

 毎日姉の背中を見て育った妹の末路は、火を見るよりも明らかなことだった。姉同様、頭がおかしくなってしまったのである。

 常にネジの外れたハイテンション姉妹の相手をしている走太は、こうして高校一年生になった今でも女性とコミュニケーションを取ることが苦手なのである。

「……あの……聞こえてます……?」

 走太は女に話しかけられてしまったことにより思考が停止していた。

「き、聞こえてない」

「聞こえてるじゃないですかぁ!」

 なんとか振り絞ったセリフに彼女はたどたどしくツッコミを入れる。コミュニケーションを取ることが苦手な走太だが、向こうから話しかけられてしまうとどうしても冷たい態度を取ることが出来ない。とにかく押しに弱いことも彼の特徴だ。これも姉妹のゴリ押しに毎回屈してしまっていることが原因である。

「ええと……迷惑で悪いんですけど、笛吹君にお願いがあって……」

 この言葉にも走太はしばらく反応を示さず、数秒間うろたえたところでようやく正気を取り戻した。まず、なぜ自分の名前を知っているのか。走太にはそれが不思議だった。

 しかしその疑問はすぐに解消された。同じ学校の、しかも同じクラスの女子だったからである。

 三郷雪。それが彼女の名前だ。

 腰まで若干届かないくらいの綺麗な黒髪。日焼けという言葉を知らないのではないかと思わせるほど透き通った白い肌はまさに雪という名前がぴったりだった。上品な顔立ちの中にはまだ高校一年生のあどけなさが残っている。女性というよりは女の子という方がしっくりくるか。入学当初、全員新品で当たり前の制服の中、一人だけ妙に色褪せた制服を着ていた彼女を走太は何となく不思議に思っていたが、ろくに話もしないので訊いてはいない。

 そんなおしとやかを絵に描いたような彼女だが、それに反して雪にはある特徴がある。

 天才サッカー少女――それが三郷雪の正体だ。

 自転車の脇に置いてある大きな赤いエナメルバッグは彼女の外見とのギャップを更に強く際立たせていた。バッグの隅に記されているエースナンバー「九」の文字が燦然と輝いて見える。

「……あぁ三郷か。毎度のことながら大きな荷物だな。それがあればちょっとした旅行も簡単に出来そうだ」

「そ、そうですかね? 確かにこれがあれば大抵のものは入っちゃいますけど」

「そうか、それじゃあ旅行楽しんでこいよー」

 そう言って走太はその場を立ち去ろうとする。

「はあ……って、違います! 私は今笛吹君に助けて欲しくて呼んだんです! どうして夏休みが終わってすぐに旅行の計画を立てなきゃなんないんですか!」

 語気は強いがいかんせん声が細いのでツッコミも弱々しく聞こえる。

「ちっ、バレたか……」

 走太は雪に聞こえないように愚痴を漏らした。

「この外れたチェーンをどうにかしてくださいぃ……」

 雪はチェーンのオイルで真っ黒になった手を広げて懇願した。目には涙を浮かべている。

「やっぱりそうか……」

 走太は頭を掻きながら渋々自転車に近づく。しゃがんで見てみると見事にチェーンは外れていた。

「こんなもの、普通にもとの位置に戻せばいいだけだろう」

「時間がなくて……それで焦っちゃってて……」

 顔を赤くする雪に小さくため息を漏らしながら走太は順調にチェーンをもとあった位置へと嵌め直していく。

 数分もかからないうちに修理は終了した。

「これでいいか? はぁ、手、真っ黒……」

 朝から、しかも猛暑の中でなぜこんなことを、と走太は肩を落とした。

「あ……ありがとうございます! このお礼はいつか必ず――」

 と、雪が全力で感謝している時、

 きーんこーんかーんこーん きーんこーんかーんこーん

 遠くから学校のチャイムが鳴り響いてきた。走太はすぐさま腕時計に目をやる。

 八時二十五分。遅刻の五分前だった。

「あ、あわわわ! どうしよう、このままじゃ先生に怒られます!」

「どうしたもこうしたも急ぐしかないだろ! 二学期二日目にして早くも遅刻なんて気分が悪い!」

 そう言って走太が走り出そうとすると、

「……あ、待ってください。今私がいつか必ずって言ったお礼の件、今使いますね」

 雪はそう言うと自転車の荷台を指差す。

「学校まで送りますので、乗ってください」

 満面の笑みで言った。

 そんな雪の笑顔を見た瞬間、走太の体中から暑さとは関係のない汗が吹き出した。なぜこんな汗が出るのか、走太自身よく分からなかったが今はそんなことを考えている場合ではない。

 ただ考えてみよう。まず自転車の二人乗りが違法だということは周知の事実である。それはそれでいけないことなのだが、百歩譲って二人乗りが違反ではなかったとしよう。その場合、女子の運転する自転車に男子が後ろに座るという行為はどうなのか、と走太は考える。

「かっこわる……」

 行き着くべくして行き着いた結論だった。事実、青春ラブコメ的な創作物において、その中の男女が自転車の二人乗りをしているシーンがあった際、女子が運転しているなんてハチャメチャ展開見たことがない。

 要するに今、雪が走太に促した行為は非常におかしい。一応男としてのプライドがある走太は雪にある提案をしてみることにした。

「だ……だったら俺が運転するから三郷が後ろ乗れよ」

「え? それなら大丈夫ですよ。多分私の方が笛吹君よりも体力あるんで」

「う……」

 走太の考えは一蹴されてしまった。反論の余地が一切無い見事な意見だった。

「ほら笛吹君、何してるんですか。遅刻しちゃいますよぅ!」

 雪は既に自転車にまたがりスタンバイOKのようだ。大きなエナメルバッグは前のカゴに無理矢理詰め込まれている。六割はみ出しているが。

 背に腹は代えられない。走太は頭を抱えながら荷台に腰を下ろす。

「……よろしく頼む――うぉお!?」

 待たずして自転車は動き出した。

 まだ心の準備ができていない走太は雪の身体能力の高さを身をもって知ることとなる。

 恐らく雪はまだ自電車を漕ぎ始めて三メートルも走っていないだろう。しかしこのでたらめなスピードはなんだ。原付並みのスピードは出ているのではないかと走太は身を震わせる。左右の景色が次から次へと変わっていく。

 あまりのスピードに咄嗟に雪の体にしがみつきそうになってしまったが、そこはギリギリで理性が働いたため、荷台の狭いスペースに指を絡ませるのだった。

 少々安心したところで改めて前を見る。そこにはもちろんのことながら雪の背中が至近距離で立ちはだかっていた。綺麗な黒髪の間から覗くワイシャツ。その奥でうっすらと下着が見えてしまい視線をどこに固定しようか困った。しかもその髪の毛からリンスの香りが漂ってくるのだからタチが悪い。走太は脳味噌が痺れ、理性が消えてしまう前に自分を制する。

「落ち着け……落ち着くんだ。俺は女が苦手のはず……」

 誤解を招くようで補足を加えるが、走太は女性が苦手であっても男性が好きということではない。彼だって年頃の男子だ。画像資料なり映像資料なり見るものは見ている。ただ女性とコミュニケーションを取ることを極端に嫌う、言うなればただのシャイボーイなのだ。

「? 何か言いましたか?」

「なんでもない! というか前見て運転しろ!」

 ものすごい勢いで風を切り裂く二人乗り自転車。

 雪の背後で心地いいような、生きた心地のしないような風を受けながら走太は本当に女とはよく分からない生き物だと嘆息するのだった。


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