ストップバス・バスストップ
ストップバス・バスストップ
向こうの方へ陽が沈む。
だからあっちが西なんだろう。
赤よりも焼け付くような、赤紫に空を塗り。
振り返ると、東の空はすでに闇。
星明りは、とても綺麗で頼りない。
今日も一日が終わってしまう。
午後一時に星川駅で待ち合わせ、相鉄線に乗って横浜へ。
横浜駅で乗り換え、桜木町へ向かう。
文化祭で使う、教室の壁面を覆うほどの世界地図を探した。
ランドマークタワーには無かった。知っていた。
クイーンズスクエアにも無かった。知っていた。
ワールドポーターズにも無かった。知っていた。
そこから十五分も歩けば、関内駅に着く。
線路下をくぐり、駅の反対側へ行く。
有隣堂の本店ビル、果たしてそこに地図があった。知っていた。
ぼくはただ、文化祭の買出しにかこつけて、彼女を独占したかっただけだ。
普段の学校生活では許されないほど、何時間も、何時間も。
中学生の財力じゃ、小洒落たカフェにも入れない。
だから、無いと分かっている店を周った。
でも、奇跡のような一日は、ものの二秒で過ぎたみたいだ。
星川まで戻っても時間稼ぎをした。
ぼくと彼女、どっちが地図を持ち帰るのか。
こんな十秒で終わる会話を、ああでもない、こうでもないと論議した。論議するふりをした。
そしてぼくらはバス停へ。
彼女は東へ、ぼくは西へのバスに乗る。
「じゃあ」バス停前の横断歩道で、彼女が口を開いた。
「いや、来るまで待つよ。向かい合って無視しあうのも気まずいじゃん」ぼくは即座に彼女の言葉を揉み消した。
彼女が乗る方のバス停に寄り、ベンチに隣り合って腰かける。
隣り合っているのに、ぼくは前を向いている。前しか向けない。
車通りの少ない道路を眺め、必死に必死に考える。
左側には彼女が座っていて、振り向けばそこにいるのに。
どうしてこんなに左を向けない。
どうしてこんなに左を向けない!
言いたいことが山ほどある。
だけどそれは嘘で、本当はひとつだけ。
たったひとつが言えないまま、バスの到着時刻が迫ってくる。
西側の信号機が切り替わる度、まだ来ないでと願っている。
沈黙。
結局、向かい合って無視しあうのが気まずいと言ったくせに、隣り合って無視しあっている。
すぐに何かを話せば良かった。どうでもいい話をすれば良かった。
一度できあがってしまった気まずい空気は、どんな言葉で切り開いてもぎこちなくなりそうだ。
毒のように、時間が過ぎるごとに、じわじわと。
重い。苦しい。窒息する。
何も語らず、何も起きず、無情に、正常に、バスが近づいてきた。
彼女はすっと立ち上がり、こっちを振り向かずに言った。
「ねえ。その地図さ、ネットでも買えたんだよ」
なぜそれを今言うんだ。
なぜそれを知ってて今日来てくれたんだ。
混乱が解けるより早くバスが眼前に停まり、乗車口を開けた。
思わずぼくは立ち上がったが、口から音が出てこない。
彼女はステップを昇り、背中を見せたまま右手で手すりを掴んだ。
ドアは閉まらない。運転手は、ぼくが乗るのか乗らないのか迷っているんだろう。
『ご乗車になりますか』
やや二重に震えた、マイク越しの声。
乗りません。
乗りませんよ。
運転手に届くよう、大声で言うべきだった。
違う。
ぼくが今、大声で言うべきは。
言うべき言葉は。言うべき相手は。
深呼吸。
心臓が早鐘を打っている。
この言葉を叫んだら、破裂してしまいそう。
死にたい。死にたくない。死ぬほど。生きたい。一緒に。
破裂……してしまえ。
「君のことが、大好きだ!」
彼女の背中が震えている。
首が下がり、俯いているようにも見える。
何も言わずにするすると。
手すりに沿って右手を挙げて。
親指ひとつで応えてくれた。
ピンポン。