第一話『レアノと主』
祭りで賑わうシャト・シルドの街道。
道の脇に住む人々はぎっしりとテントを張り、そこには菓子や酒など、屋台に似合った物が売られている。
太鼓や弦楽器の音が響く中、二人の男が会話をしていた。
どちらも身なりは良い訳ではなく、かろうじて着ていられるほどのぼろ布を羽織っている。
酒を飲んだ後なのか、顔は赤く、少しばかりふらついていた。
「最近は嫌な事件が沢山起こるが、こういう祭りの時だけはのんびりしてられるよな」
「ああ、きっと盗人達も、屋台を狙ってるんだろ。嫌だなぁ、家も狙われてないと良いんだが」
嫌な事件─この街では、近頃妙な出来事が起こっているらしい。
何も、街道付近で殺しが多発しているそうだ。
その遺体には必ず、六角星の呪印が刻まれているとの事。
どこかの情報屋の話によれば、数十年前にも同じような事が起こっていたと言われていると。
その時は決まって、魔師が被害に合っていたらしい。
今回の殺人事件は、無差別に殺されているのだが、それも魔師が減ってきたからだろう。
ぼろ布の二人はそんな事を話していたが、知っている情報を出し切ったのか、やがて別れた。
そのうちの一人、家を心配して帰って来た男が自分の屋台をくぐり抜け家に入ると、何故か妙な胸騒ぎがした。
扉を開けて玄関口に足を踏み入れた時、一瞬つんと生臭い臭いがしたが、あれは何だったのだろう。
ふと、男の心に嫌な思いがよぎった。
それは言うまでもなく、先の殺しの話。
「まさか…な」
妻も子も、声を上げれば笑顔で迎えてくれるだろう。
可愛らしい娘は、小さな足で玄関まで出迎えてくれる筈だ。
そう、無事な筈。
そう思うと少し気持ちが落ち着いて、彼は二人を呼んだ。
すると、いつも通りの返事が返り、男はやっとほっとした。
娘も妻も、彼に微笑みかける。
そうだ。
元々、おかしな心配をする必要など無いのだ。
だが、その安心もそこまでだった。
一瞬にして妻の顔から、笑顔が消えたのだ。
やがてその顔は真っ青なまま、彼の背後を見つめはじめる。
それに気付いた男が振り返ろうとした。
次の瞬間、部屋の壁に真っ赤な血が飛び散った。
力を無くした男はバタリと倒れ、床に赤い水溜まりを作る。
が、残された二人は悲鳴を上げなかった。
それよりも《上げられなかった》という方が適切だろうか。
その二人も、何も言わずに床に伏せ、やがて冷たくなった。
そこに一人立っていたのは、床や壁にべったりと付いた血と同じように赤い瞳の男だった。
彼の右手には、魔術で出したのか光の短剣が握られている。
男はしばらくの間、床の無残な光景を目に焼き付けるように見下ろしていたが、手の中から剣を消すと踵を返して帰って行った。
後に残った残骸はぴくりとも動かず、見開いた大きな目で ただじっと男が立ち去るのを見ているだけであった。
袖の間から覗く赤い紋章。
六角星が一瞬光を放ち、やがて糸が切れたように消えた。
*
何故彼は戦うのだろう。
何故そこまでして、自分を傷付けなければならない?
もう十年以上行動を共にして来た主を目の前に、レアノはその瞳で彼に疑問を投げかけた。
直接声に出しても、返ってくる言葉はわかっていたのだが。
そして、レアノ自身もその答えは知っていた。
ここは、街道をずっと進んだ脇にある、自分が守るべき主の家。
天使の少年にとっては大きかったが、主の魔師にとっては小さな家だ。
もう二人が出会った時からここに住んでいる。
レアノとセルヴァは既にこの家に馴染んでいて、どこか懐かしさの残る場所になっていた。
壁はレンガ作りになっており、古風な窓枠や木の扉が目立つ。
内装もなかなかのもので、温もりのある暖炉も付いていた。
レアノにとっては、二人だけで暮らすには大きいような気もしていた。
彼の主、セルヴァは十代の頃から魔師を仕事にしている。
それは、セルヴァ本人が望んだ事では無かったが、 親を継いで魔師になったのだという。
彼自身、本当に魔師という職業を気に入っているのだろうか。
それがレアノにはよく分からなかったが、自分が口を出す事では無いことをよく承知していた。
戦いで他人を、自分を傷つけ、痛みをこらえながら机に向かう主をレアノはずっと見てきた。
ある日それが堪えきれず、セルヴァに何故争いをするのか訪ねた事があった。
しかし彼は疲れきった冷たい瞳で天使を見つめるだけで、すぐ二階に上がって行ってしまった。
レアノには彼のその行動が、 自分の犯した魔師としての罪から逃げているように見えたのだった。
微かな光の差す牢屋の中、シルダと交わした約束。
それは今でも堅く結ばれている。
たとえ住む世界が離れていても、永遠に会えないとしても、過去で、目の前で起こった出来事はそのままの事実。
それが、人と天使の心をこんなにも大きく変えることが出来ることを、この世の誰が知っていよう─