FILE01.終わったはずの事件
初めまして!
本作『希望院麗華の事件手帖~何でもできるチートご令嬢は推理も戦闘も難なくこなします~』をお読みいただき、ありがとうございます。
本作の主人公・希望院麗華は、国内屈指の財閥に生まれ、あらゆる分野に精通する22歳のご令嬢。
そんな彼女の趣味は、なんと探偵!
優れた頭脳と豊富な知識で数々の事件を解決してきた麗華ですが、今回の事件は少し様子が違うようで……?
推理あり、戦闘あり、友情ありの物語をお楽しみいただければ幸いです!
それでは、第1話をどうぞ!
希望院麗華には、できないことがほとんどなかった。
国内屈指の財閥――希望院グループ。
金融、不動産、医療、航空、通信、重工業。
国内外に数多くの企業を持つ巨大財閥であり、その名を知らない者はほとんどいない。
麗華は、その希望院家の一人娘として生まれた。
幼い頃から最高水準の教育を受け、学業成績は常にトップクラス。
英語、中国語、フランス語、ドイツ語を自在に操り、法学、医学、心理学、経済学をはじめ、様々な分野に精通している。
乗馬、剣道、水泳、射撃など、運動能力も高い。
そんな麗華には、一風変わった趣味があった。
探偵。
職業ではない。
あくまで趣味。
けれど、彼女がこれまでに解決した事件は決して少なくなかった。
盗難。
詐欺。
横領。
時には警察すら頭を抱える事件まで。
だから、その夜も。
麗華はいつものように、自分が事件を解決する側なのだと思っていた。
――自分自身が殺人事件の容疑者になるまでは。
*
「……これは、少し困りましたね」
午後九時三十二分。
東京都心にそびえる高級ホテル《グランド・アルシェ》。
その最上階にある特別応接室で、希望院麗華は静かに呟いた。
目の前には、一人の男性が倒れている。
東城和臣、五十八歳。
国内最大手のIT企業《東城システムズ》会長。
胸には銀色のペーパーナイフが深く突き刺さっていた。
床に広がる血。
麗華は入室した足を止めた。東城から午後九時半に会いたいと呼び出されていたが、まさかこんな光景を目にするとは思わなかった。
すぐにホテルの緊急連絡先へ通報し、救急車と警察の手配を頼む。電話を切ると、麗華はゆっくりと膝をつき、東城の首筋に指を当てた。
「脈は……ありませんね」
瞳孔と呼吸を確認する。
胸に刺さったペーパーナイフの柄に、思わず指を添えた。傷の角度を確かめようとしたが、これ以上動かせば状態を悪化させかねない。すぐに手を離す。刃物は抜いていない。
「死後、それほど時間は経っていないと思いますが……」
警察が到着したのは午後九時四十二分だった。
「動くな!」
突然。
背後から声が響いた。
麗華が振り返る。
扉の向こうに、一人の若い警察官が立っていた。
二十代前半。
制服姿も、どこかまだ慣れていない。
「その人から離れてください!」
「分かりました」
麗華は素直に立ち上がった。
「生存確認をしていただけなのですが」
「それでもです!」
「はい」
両手を軽く上げる。
その時。
「麗華様!」
廊下からホテルスタッフが駆け込んできた。
続いて、複数の警察官。
最初に現場へ来た若い警察官が麗華の手を見る。
「その手……」
「え?」
麗華も自分の右手を見る。
血。
東城の脈を確認し、凶器の柄に触れた際についたものだ。
さらに。
東城の胸には、依然として血のついたペーパーナイフが刺さっている。
そしてテーブルの上。
一枚の紙。
『希望院家には渡さない。すべてを公表する』
東城本人の筆跡に見える文字だった。
若い警察官が麗華を見る。
「希望院家……?」
「はい」
麗華は静かに答えた。
「希望院麗華です」
その瞬間。
室内の空気が変わった。
*
警察署。
事件の状況は、麗華にとって非常に不利だった。
午後九時十五分。
東城が特別応接室へ入室。
午後九時三十二分。
麗華が入室。
午後九時四十二分。
警察官が現場を発見。
その十分間、廊下の防犯カメラにほかの人物の出入りは映っていない。しかも警備担当者の説明では、東城が入室した午後九時十五分以降、正面の廊下から部屋へ入ったのは麗華だけだった。
ただし、従業員用の通路側には別の出入口があり、そちらの記録については確認が続いていた。
さらに。
凶器からは麗華の指紋。
「触れましたから」
取調室で麗華は穏やかに答えた。
「胸に刃物が刺さった状態でしたので、救命できる可能性があるか確認しました。柄に触れたのは軽率でした」
「普通、刺さってる刃物って触ります?」
向かいに座るのは、現場で麗華を発見した若い警察官。
「刺入角度と出血量を確認しようとしたんです。もちろん刃物は抜いていません」
「医学も分かるんですか?」
「一通りは」
「……一通り」
青年は困ったように頭をかく。
「あ、俺……じゃなくて、自分は綾瀬陸です」
「綾瀬さん」
「はい。今年配属されたばかりです」
「まあ」
麗華が少し微笑む。
「新人さんなんですね」
「そうです」
「でしたら、少し安心しました」
「何がです?」
「まだ先入観が少なそうですから」
「それ、褒めてます?」
「もちろんですよ」
「本当かな……」
取調室の扉が開く。
中年の刑事が入ってきた。
「希望院麗華さん」
「はい」
「現時点では、あなたを逮捕するだけの決定的な証拠はない」
「そうですか」
「だが最重要参考人だ」
「承知しています」
「当面は捜査への協力をお願いしたい。必要なら警察官も同行させるが、応じてもらえるか」
「ええ。私も真相を知りたいので、同行には同意します」
刑事が陸を見る。
「綾瀬」
「はい!」
「お前が付け」
「俺ですか!?」
「現場で最初に対応したのはお前だ。先輩の指示を受けて、連絡役を務めろ」
「いや、でも俺まだ――」
「よろしくお願いしますね、綾瀬さん」
麗華が微笑んだ。
「なんで嬉しそうなんですか!?」
「これで、私が気づいたことを警察に伝えやすくなりますから」
「あなた容疑者ですよ?」
「もちろん分かっています」
麗華は穏やかに答えた。
「だからこそ、自分で身の潔白を証明したいんです」
*
翌日から。
麗華は公開情報や自分の知る関係者を通じて事件を調べ始めた。陸は担当刑事の指示の下で聞き取りに同行し、必要な情報を捜査班へ報告した。
東城の息子――東城雅人。
東城システムズ副社長。
父親とは経営方針を巡って対立していた。
しかし事件当時は取引先との会食中。
アリバイ成立。
*
東城の秘書――高梨美香。
事件当日に解雇を言い渡されていた。
しかし事件当時は別のホテルで会食。
複数人が目撃している。
*
共同研究者――真壁教授。
過去に東城へ研究成果を奪われたとして裁判を起こしていた。
しかし事件当時は大学で講義中。
こちらもアリバイ成立。
*
そして。
東城システムズ専務――久世誠一郎。
「私が会長を殺す理由などありませんよ」
久世は穏やかな笑みを浮かべた。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「東城さんは亡くなる少し前から、会社の資金について調査していたそうですね」
一瞬。
久世の目が止まる。
「何のお話でしょう」
「ご存じありませんか?」
「ええ」
「そうですか……」
麗華は微笑んだ。
「では、今はそれで結構です」
久世には、さらに強力なアリバイがあった。
事件当時。
同じホテルの大宴会場。
二百人近い招待客の前でスピーチをしていた。
*
三日後。
希望院邸。
「あと一つなんです」
麗華が資料を見つめていた。
「あと一つ?」
陸が尋ねる。
「はい」
「最後の一つが分かれば……」
麗華はそこまで言って口を閉じた。
「ちなみに」
陸が少し言いづらそうに続ける。
「明日、捜査会議があるそうです」
「そうですか」
「新しい証拠がなければ、麗華さんについても逮捕状の請求を検討するって。もちろん、そう決まったわけじゃありませんけど」
「……」
「怖くないんですか?」
麗華は少しだけ考える。
「怖くないと言えば、嘘になります」
「ですよね」
「でも、焦ってしまうと見えるものまで見えなくなってしまいますから」
「本当に強いですね」
「そうでしょうか?」
隣で陸がスマートフォンを操作する。
「あー……まだ事件の話題、かなり残ってるな」
「何がです?」
「SNSですよ」
「SNS……」
「麗華さん、使わないんでしたっけ?」
「あまり詳しくなくて」
「やっぱり弱点だ」
「弱点ではありません」
「詳しくないんですよね?」
「……詳しくないだけです」
「同じでは?」
「綾瀬さん?」
「すみません」
陸が笑う。
「でも、こういう事件ってネットに意外な情報が残ってたりするんですよ」
「そうなんですか?」
「一般人が撮った写真とか動画とか」
麗華の表情が止まった。
「……写真?」
「はい」
「事件当日のホテルのものも?」
「かなりあると思います」
麗華は少し考える。
「綾瀬さん」
「はい?」
「見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「SNSを?」
「はい」
「珍しいですね」
「お願いします」
陸からスマートフォンを受け取る。
麗華は投稿を確認していった。
料理。
記念撮影。
夜景。
宴会場。
動画。
ライブ配信。
「これは?」
「投稿時間です」
「こちらは?」
「引用ですね」
「引用?」
「そこからなんですね……」
「何か問題でも?」
「いえ」
十分。
二十分。
三十分。
麗華は無言で投稿を見続ける。
「こちらを少し戻していただけますか?」
「この写真を拡大できますか?」
「この投稿は何時頃でしょう?」
陸には。
麗華が何を探しているのか分からない。
やがて。
一つの投稿で麗華の指が止まった。
「……」
別の投稿。
さらに別の写真。
麗華は三つを静かに見比べる。
「麗華さん?」
「……」
数秒。
麗華の表情から迷いが消えた。
そして。
静かに微笑む。
「……希望の先に、真実の華が咲きました」
「え?」
麗華がスマートフォンを置く。
「綾瀬さん」
「はい?」
「皆さんを集めていただけますか?」
「全員?」
「はい」
「犯人が分かったんですか?」
「すべて、分かりました」
「じゃあ教えて――」
「それは」
麗華が微笑む。
「皆さんが揃ってからにしましょう」
「俺にも教えてくれないんですか!?」
「ふふ。ごめんなさい」
「絶対ちょっと楽しんでますよね?」
「どうでしょう?」
「……絶対そうだ」
*
翌日。
グランド・アルシェ。
特別応接室。
事件関係者全員が集められた。
「皆さんに集まっていただいたのは」
麗華が静かに口を開く。
「東城さんが殺害された夜、何が起きたのかをお話しするためです」
「犯人が分かったんですか?」
美香が尋ねる。
「はい」
麗華は防犯映像を映した。
「午後九時十五分。東城さんが入室」
「午後九時三十二分。私が入室」
「それ以降、午後九時四十二分の警察到着まで、正面の扉から誰も入っていません」
「だからあなたが疑われた」
雅人が言う。
「はい」
「でも」
麗華は続ける。
「私たちは、一つ大きな思い込みをしていました」
「思い込み?」
「東城さんは、私が入室したあとに殺害された」
「そう考えていましたね?」
担当刑事が答える。
「死亡推定時刻から考えれば当然だ」
「ですが死亡推定時刻には、ある程度の幅があります」
麗華がホテルの見取り図を表示する。
「事件当日」
「午後八時五十五分から九時三十五分まで」
「最上階の従業員通路と、特別応接室の裏口を映す防犯カメラが停止していました」
「理由はシステム更新」
「そして、そのシステムを導入した企業は」
麗華が久世を見る。
「東城システムズです」
「……」
「保守の予定を把握していた内部の人間なら、防犯カメラの停止時間を知ることができた可能性があります。従業員用エレベーターから裏口を通れば、正面廊下には姿を見せずに入室できたのです」
「それだけでは証拠になりませんね」
久世が言う。
「はい」
麗華は頷いた。
「ですから次です」
SNSへ投稿されていた動画。
午後九時二十八分。
宴会場。
壇上でスピーチをする久世。
「こちらをご覧ください」
麗華が映像を停止する。
「後ろの大型スクリーン」
「その右下です」
表示。
20:58。
「八時五十八分……?」
「この数字は、スピーチ映像の中に映り込んでいる、壇上脇の時計です。ホテルの時計は一斉に時刻を合わせています」
麗華が説明する。
「一方、同じ午後九時二十八分に客席から生配信された別の動画では、会場の壁の時計が九時二十八分を指しています」
「つまり、九時二十八分に撮影された客席の動画には、八時五十八分に撮られたスピーチ映像が映っていたんです」
「あなたはスピーチを事前に録画した。そして、その録画を本番の会場で流した」
久世の表情が少し変わる。
「あなたは事前収録した映像を、会場側の協力者に再生させたのでしょう」
「そして本番では会場を暗くし」
「大型スクリーンへ、その映像を流した」
「音声も録音しておけば」
「客席からは壇上そのものが見えにくく、ほとんどの参加者は大型スクリーンに注目していた。招待客が『スピーチを見た』と答えても、実際にあなたを壇上で見たとは限りません」
「そんなことで二百人を騙せると?」
「はい」
麗華が別の投稿を表示する。
暗い宴会場。
スクリーンを見る参加者。
『遠いからスクリーンで見る』
『スピーチ始まった』
「当時の参加者が投稿したものです」
「多くの方が、あなた本人ではなくスクリーンを見ていました」
久世が黙る。
「ですが」
麗華が続ける。
「これだけでは、久世さんが犯人だと断定できません」
「当然でしょう」
「だから」
麗華は一枚の写真を表示する。
「最後のピースを探しました」
東京の夜景。
「午後九時二十四分」
「外国人観光客が最上階で撮影し、その場で投稿した写真です。投稿記録に加え、元画像の撮影情報も捜査班に確認していただきました」
「窓ガラスをご覧ください」
薄く反射した人影。
左手。
特徴的な指輪。
「東城システムズ創業三十周年記念」
「役員だけに贈られた指輪です」
さらに。
「そして」
清掃用ワゴンの金属部分を拡大。
そこに。
男の顔。
「……久世」
陸が呟いた。
「午後九時二十四分」
麗華が久世を見る。
「あなたは宴会場にはいませんでした」
「この最上階にいたんです」
沈黙。
「あなたは防犯カメラの停止時間を利用し、従業員通路から裏口へ回った」
「東城さんが午後九時十五分に入室してから、私が九時三十二分に入るまでの間に襲ったのです」
「九時二十四分の写真は、犯行そのものではなく、あなたが最上階にいたことを示しています」
「その後、宴会場へ戻った。スピーチの映像が、あなたの不在を隠していたのです」
「そこへ」
「呼び出されていた私が入室した」
「私は通報して生存確認をした際、凶器の柄に触れてしまった。刃物を抜いたわけではありませんが、指紋を残してしまったんです」
「だから」
担当刑事が呟く。
「希望院さんの指紋が残った。だが、それだけでは犯行時についた指紋とは言えない」
「はい」
麗華は頷いた。
「そして久世さんには、完璧なアリバイが残るはずでした」
麗華はスマートフォンを見る。
「ただ」
「あなたには一つだけ誤算がありました」
「このホテルには」
「防犯カメラ以外にも、たくさんのカメラがあったんです」
「一般の方々のスマートフォンです」
久世がゆっくり目を閉じた。
「……完敗ですね」
「久世!」
雅人が叫ぶ。
「私が殺しました。従業員通路から裏口へ入ったのも、会場で録画を流すよう手配したのも私です」
久世は静かに言った。
「会長は私の横領に気づいた」
「十一億円ですね」
麗華が言う。
「そこまで……」
「はい」
久世は乾いた笑いを浮かべる。
「なら、これで終わりです」
「いいえ」
麗華が答える。
「まだです」
一枚の資料。
「東城さんは、あなたの横領とは別に」
「ある資金の流れを追っていました」
「総額七百八十億円」
雅人が息を呑む。
「複数の海外企業を経由し」
「最後は行き先が分からなくなっています」
そして。
一つの印。
黒い円。
その中心を貫く白線。
久世の顔色が変わる。
「この印」
「ご存じなんですね?」
「知らない!」
「今、明らかに驚かれました」
「俺はただ金を流しただけだ!」
「誰にです?」
「言えない!」
「なぜ?」
「殺される!」
室内が静まり返る。
「誰にですか?」
「知らない!」
「全部ネットだ!」
「毎回違うアカウントから指示される!」
「数分後には消える!」
「東城さんは?」
麗華が尋ねる。
「何を知ったんです?」
「あいつは……」
久世の声が震える。
「金の行き先を見つけた」
「どこです?」
「知らない」
「ただ……」
「会長は言ってた」
久世が麗華を見る。
「この国がひっくり返るって」
その瞬間。
照明が一度明滅した。
机の上。
捜査員が証拠品として保管し、通信を遮断していたはずの久世のスマートフォンが突然起動する。
送信者――不明。
『失敗を確認しました』
続いて。
『希望院麗華』
さらに。
『次は、あなたが対象です』
画面が消えた。
「……」
「麗華さん」
陸が彼女を見る。
麗華は黒い印を見つめていた。
「どうやら」
静かに言う。
「私たちは、とても大きな事件の入口に立ってしまったみたいですね」
*
それから三週間。
久世は逮捕された。
東城殺害事件は解決した。
少なくとも。
表向きには。
麗華は事件後も独自に調査を続けていた。
七百八十億円。
黒い紋章。
消えるアカウント。
そして。
《PROJECT:ZERO》
その名前へたどり着くまでに、さほど時間はかからなかった。
だが。
それ以上が分からない。
ネット上に存在する情報は、見つけた直後に消える。
企業名。
口座。
人物。
すべてが存在していた痕跡ごと消えていく。
「……随分と用心深いんですね」
深夜。
希望院邸の書斎。
麗華は一人でパソコンを見ていた。
陸から電話が入る。
『麗華さん、まだ調べてるんですか?』
「はい」
『もう夜中ですよ』
「あと少しだけです」
『そう言って昨日も三時まで調べてたでしょう』
「よくご存じですね」
『監視役だったんですよ、俺』
「もう監視は終わったでしょう?」
『そうですけど……』
麗華が小さく笑う。
「心配してくださっているんですか?」
『そりゃしますよ』
「ありがとうございます」
その時。
画面に、一つのデータが表示された。
「……?」
『どうしました?』
「少し待ってください」
見覚えのないファイル。
送信者不明。
麗華は送信情報を保存したうえで、隔離した端末を使って慎重に開く。
一枚の地図。
そして。
一つの住所。
『麗華さん?』
「綾瀬さん」
『はい』
「明日、お会いできますか?」
『え?』
「少し、分かったことがあります」
『なら今教えてくださいよ』
「まだ確証がありません」
『……一人で行ったりしないですよね?』
麗華は少しだけ黙った。
『麗華さん?』
「もちろんです」
『その間、絶対怪しかった!』
「ふふ」
『笑ってごまかさないでください!』
「では、明日」
『麗華さん!』
麗華は電話を切った。
「……ごめんなさい」
小さく呟く。
住所を見つめる。
東京都内。
使われていないはずの研究施設。
そして。
そこには。
あの黒い円と白い線の印が添えられていた。
*
翌日。
午後十一時。
廃研究施設。
麗華は一人で中へ入っていた。
「……綾瀬さんには、あとで怒られてしまいますね」
スマートフォンのライトで周囲を照らす。
何年も使われていないように見える。
しかし。
床には新しい靴跡。
「最近、誰かが来ていますね」
奥へ進む。
一枚の扉。
電子ロック。
「……」
麗華は電子ロックの状態を調べた。
端末の表示は生きていたが、扉の固定金具は劣化している。傷んだ箇所を慎重に動かすと、ロックが外れた。
扉の先。
地下へ続く階段。
「これは……」
地下。
大量のモニター。
サーバー。
資料。
そして中央。
《PROJECT:ZERO》
麗華の表情が変わる。
「やっと……」
机の上に資料。
ページをめくる。
世界各地の企業。
政治家。
研究者。
軍事施設。
そして。
不可解な項目。
《WORLD:01》
《WORLD:02》
《観測成功》
《接続実験》
「世界……?」
麗華が眉を寄せる。
「どういう意味でしょう……」
次のページ。
そこには。
《希望院麗華》
自分の名前。
「……私?」
「見つけると思っていました」
声。
麗華が振り返る。
暗闇。
一人の人物が立っている。
顔は見えない。
「あなたは……?」
「素晴らしいですね」
「東城和臣の事件から、ここまでたどり着いた」
「PROJECT:ZEROの関係者ですね?」
「ええ」
「目的は何です?」
「あなたには、まだ知る必要がありません」
「では」
麗華が静かに相手を見る。
「私をここへ呼んだ理由は?」
「確認するためです」
「何を?」
「あなたが」
一歩。
「本当に鍵として使えるのか」
「鍵?」
麗華の目が細くなる。
「何を――」
パンッ。
乾いた音。
麗華の身体が揺れた。
「……え?」
胸。
赤い染み。
銃弾。
身体から力が抜ける。
床へ倒れる。
「どう……して……」
息が苦しい。
視界が霞む。
足音。
男が近づく。
「あなたには」
「次の世界へ行ってもらいます」
「次の……世界……?」
「そこで」
「もう一度、鍵になってください」
麗華の意識が薄れていく。
脳裏に。
陸の顔が浮かぶ。
『一人で行ったりしないですよね?』
「……綾瀬……さん」
約束を破ってしまった。
謝らなければ。
でも。
声が出ない。
「……ごめん……なさい……」
視界が暗くなる。
音が消える。
そして。
希望院麗華の命は。
そこで途絶えた。
*
「……」
暖かい。
不思議な感覚。
麗華はゆっくり目を開けた。
「ここは……?」
真っ白な空間。
上も。
下も。
何もない。
「目が覚めましたか」
声。
麗華が振り返る。
一人の老人。
白い衣。
長い白髪。
柔らかな笑み。
「どなたでしょう?」
「神です」
「……」
沈黙。
「神?」
「はい」
「……そうですか」
「驚かないのですか?」
「驚いてはいます」
「そうは見えませんが」
「状況を整理しているところです」
麗華は自分を見る。
身体。
傷はない。
「私は……死んだんですよね?」
「はい」
神が静かに頷く。
「本来」
「あなたはあそこで死ぬ運命ではありませんでした」
「どういうことでしょう?」
「あなたの死には」
神が少し険しい表情になる。
「この世界の理から外れた力が介入しています」
「……」
「私にも、すべては分かりません」
「神様にも?」
「ええ」
麗華は少し考える。
「では」
「私はどうなるのでしょう?」
「元の世界へ」
神が答える。
「そのまま戻すことはできません」
麗華の表情がわずかに曇る。
「そうですか……」
「ですが」
「別の世界で生きることはできます」
「別の世界?」
「あなた方が言う」
神が笑う。
「異世界、というものですね」
「……異世界」
「姿も」
「記憶も」
「知識も」
「すべてそのまま」
「今のあなたの姿で、向こうへ送ります」
麗華は少し考えた。
「拒否することは?」
「できます」
「拒否した場合は?」
「ここで魂として眠ることになります」
「……」
麗華は目を閉じる。
まだ。
知りたいことがある。
PROJECT:ZERO。
自分を殺した人物。
陸。
家族。
そして。
なぜ自分が「鍵」と呼ばれたのか。
目を開ける。
「分かりました」
「行くのですね?」
「はい」
「まだ」
麗華は静かに微笑んだ。
「知らないことが多すぎますから」
神も笑った。
「あなたらしい答えですね」
「ただ」
「はい?」
「一つお願いがあります」
「何でしょう」
「もし可能なら」
麗華が静かに言う。
「元の世界のことを、忘れたくありません」
「……」
「綾瀬さんたちがどうなったのか」
「家族がどうしているのか」
「できれば」
「知りたいんです」
神がしばらく麗華を見る。
「分かりました」
「できる限りのことをしてみましょう」
「ありがとうございます」
「では」
神が手を上げる。
光。
麗華の身体を包む。
「希望院麗華」
「次の人生が」
「あなたにとって良きものとなりますように」
麗華は目を閉じた。
*
風。
草の匂い。
鳥の声。
「……ん」
麗華が目を開ける。
青空。
広大な草原。
遠くには巨大な山。
空には。
二つの月。
「……」
麗華はゆっくり起き上がった。
自分の身体を見る。
服装も。
髪も。
顔も。
すべて以前のまま。
「本当に……」
周囲を見る。
「異世界なんですね」
その時。
遠くから。
大きな獣のような鳴き声。
「……」
麗華がそちらを見る。
「少し」
困ったように微笑む。
「情報が足りませんね」
立ち上がる。
まずは。
この世界について調べなければならない。
言語。
文化。
地理。
生物。
政治。
法律。
魔法が存在する可能性もある。
「やることが、たくさんありそうですね」
歩き始めようとした。
その時。
「……?」
目の前。
空中に。
突然。
映像が浮かび上がった。
「これは……?」
透明な窓のようなもの。
そこに映っているのは。
見覚えのある場所。
希望院邸。
「……え?」
映像が切り替わる。
大勢の人。
黒い服。
花。
中央。
自分の写真。
麗華の表情が止まる。
「私の……」
葬儀。
母親が泣いている。
父親は俯いている。
そして。
少し離れた場所。
陸。
ただ一人。
麗華の写真を見つめていた。
「綾瀬さん……」
映像の中。
陸が小さく呟く。
『俺が止めてれば……』
『一人で行かせなければ……』
麗華が思わず手を伸ばす。
「違います」
届かない。
「綾瀬さんのせいではありません」
声も。
届かない。
陸は拳を握る。
『絶対に見つける』
『麗華さんを殺した奴を』
『俺が必ず』
麗華は黙って映像を見る。
そして。
映像が消える。
「……」
草原。
異世界。
二つの月。
麗華はしばらく立ち尽くしていた。
「神様の計らい……でしょうか」
答える者はいない。
だが。
確かなことが一つある。
自分は異世界にいる。
それなのに。
元の世界を見ることができる。
なぜ?
偶然?
神の力?
それとも――。
「……」
麗華の脳裏に。
最後に見た資料が浮かぶ。
《WORLD:01》
《WORLD:02》
《観測成功》
《接続実験》
そして。
自分を撃った人物の言葉。
『次の世界へ行ってもらいます』
『そこで、もう一度鍵になってください』
麗華の表情が変わった。
「……まさか」
風が吹く。
長い髪が揺れる。
「私がここにいることまで」
一瞬。
黒い円。
それを貫く白い線。
あの紋章が脳裏をよぎる。
「偶然ではない……?」
その時。
草原の向こう。
森の中。
一瞬だけ。
何かが光った。
麗華が目を向ける。
「……」
木の幹。
そこに刻まれていた。
黒い円。
その中心を貫く。
一本の白い線。
「……!」
麗華がゆっくり近づく。
指先で紋章へ触れる。
見間違いではない。
現実世界で追っていたものと。
まったく同じ印。
麗華は静かに目を細めた。
そして。
ほんの少しだけ微笑む。
「なるほど……」
異世界。
自分の死。
PROJECT:ZERO。
現実世界を見ることができる謎。
すべては。
まだ始まったばかり。
「どうやら」
麗華は紋章を見つめる。
「こちらでも、探偵を続けることになりそうですね」
希望院麗華。
国内屈指の財閥令嬢。
殺人事件の容疑者となり。
その身の潔白を証明し。
巨大な陰謀へと足を踏み入れ。
そして。
一度、その命を失った少女。
しかし。
彼女の物語は。
死では終わらなかった。
むしろ――。
ここからが。
本当の始まりだった。
――第1話・完
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第1話、いかがだったでしょうか?
殺人事件の容疑者になってしまった麗華でしたが、持ち前の推理力で見事に事件を解決!
しかし、それで終わりではありませんでした。
謎の組織《PROJECT:ZERO》、そして異世界への転生。
麗華を待ち受ける運命とは、一体……?
第2話からは異世界を舞台に、麗華の新たな物語が始まります!
今後も推理や戦闘だけでなく、様々な人物との出会いや日常など、幅広い展開を描いていく予定です。
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次回もよろしくお願いします!




