第20話:月下の淫夢と全てを奪う聖女
第20話:月下の淫夢と全てを奪う聖女
国道沿いの闇を、不規則に瞬く極彩色のネオンが塗りつぶしていた。巨大な満月の看板が掲げられたその場所――ラブホテル《Moon Palace》。欲望と霊気が渦巻くその門前で、久我はコートの襟を立て、重々しく夜空を仰いだ。
「……ここが現場か。ユウキくん説明を。」
ユウキがタブレットを操作しながら、声を潜めて言った。
「はい。このホテル、満月の夜になると決まって怪異が発生するんです。チェックアウトしてくる若い男たちが、みんな揃ってミイラみたいにシナシナになっていて。なのに全員が恍惚とした表情で『天国だった……』と呟く。通称“快楽霊障”の巣窟ですよ」
サヤカは周囲の空気を鋭く読み取り、不快そうに眉をひそめた。
「……ええ。ねっとりと甘く、どこか腐敗した果実のような霊気が漂っていますわ。満月、そしてラブホテル……。淫らな情念が、異界の門を開けてしまったようですわね」
サヤカはチラリと久我を盗み見て、ほんのりと頬を染めた。
「よし、突入だ。揉んで除霊してやる」 「納得しないでください。仕事ですからね」
【フロント:甘い罠の予感】
無人フロントには、獲物を待つ蜘蛛の巣のように、タッチパネルだけが怪しく青白く光っていた。並ぶ部屋の名前は『ルナ』『セレーネ』『かぐや』、そして一番奥で不吉に明滅する――。
「……この『夢幻』です。苦情というか、怪異の報告が集中しているのは」
ユウキが端末のデータを操作しながら、さらに声を潜めた。
「……吸われていますわね」
サヤカが軽蔑を含んだ視線でパネルを睨む。
「……何を?」
「……“精”を。魂の根源、生命力そのものを、一滴残らず絞り取られているんですわ(小声)」
「…………女の霊?」
久我の目が、獲物を見つけた肉食獣、あるいは宝くじを当てた男のようにギラリと輝いた。
「目を輝かせないでください! 不謹慎の極みですよ、この煩悩の塊!」
【部屋・夢幻:即落ちの三人】
ドアを開けた瞬間、脳の芯を麻痺させるような、やけに甘ったるい香りが鼻腔を突いた。天蓋付きのベッド、淡紫の官能的な照明。壁には月の満ち欠けが描かれている。
「……おい……いい匂いだ……」
久我は入室と同時に、もはや職業病を超えた本能の動きで、両手の指をワキワキと動かし始めた。いわゆる「揉んで除霊」の全開モードである。
「吸わないでください! あなた、匂いで即落ちするタイプなんですから!」
ユウキが慌てて夢共有装置――最新式のヘッドギアを取り出した。
「夢の中でしか実体化しない相手です。三人で精神をリンクさせて突入しますよ。いいですか?」
「……わたくしも装着しますわ」
サヤカは決然とした表情でギアを手に取った。(久我様が夢の中で、あの淫らな霊に変なことをされないように……わたくしが監視しなくては……!)
だが、久我はギアを受け取ったその瞬間。
「……ああ……なんか……もう……眠……」
「は?」
「スピー……スピー……ぐごぉぉぉぉ!!」
「早っ! つけただけですよ!? 起きてください! のび太か!」
「……即落ちですわね……。しかも、いびきが地響きのようですわ……」
サヤカは呆れつつも、久我の無防備な寝顔を愛おしげにまじまじと見つめる。やがて、ユウキとサヤカも装置を起動させ、意識を深い紫の闇へと沈めていった。
【夢の世界:誘惑と拒絶】
そこは、現実以上に豪華で、狂おしいほど淫靡な寝室だった。窓の外には巨大な満月が居座り、柔らかな光がベッドを照らしている。
「あら……来たわね」
背後から、シルクを撫でるような艶のある声が響く。振り返ると、そこには月の光を衣にしたような美女――サキュバスが、余裕の笑みを浮かべて横たわっていた。
「……っ! 揉んで除霊だ!!」
久我が飛びかかり、その豊かな双丘を鷲掴みにする!
「……っ!? ……ああぁッ!?」
サキュバスの余裕が消え、絶叫が響く。久我の指から放たれる独自の除霊圧が、一瞬だけ彼女の霊体を内側から激しく揺さぶった。
だが、サキュバスは驚異的な粘りで久我の両手首を掴み返した。
「……っ、痛いわね……! でも、こんなに乱暴で濃い霊力……初めてよ……ッ!」
サキュバスは久我を引き剥がすと、耳元で「ふぅっ」と熱い吐息を吹きかけた。
「いきなりはダメよ。順番があるでしょ? ゆっくり楽しみながら……」
サキュバスは久我を軽々とベッドへ押し倒した。
「……抵抗しなさいよ。ほら。その方が吸いがいがあるわ」
逃げ場のない、深く甘い口づけ。一度、二度。久我の四肢から急速に力が抜け、意識がピンク色の霧に包まれていく。久我の頬が赤らみ、抵抗する意志が快楽へと塗りつぶされていった。
【嫉妬の業火とインキュバスの囁き】
「……久我様!?(青筋)」
ようやく夢に侵入したサヤカが目にしたのは、サキュバスにのしかかられ、魂が半分口から漏れ出している久我の姿だった。
「その方を離しなさい! 今すぐ……塵にして差し上げますわ!」
サヤカが法力を練り、攻撃に転じようとしたその時――。彼女の肩に、スッと冷たく白い、しかし男らしい手が置かれた。
「おやおや、お嬢さん。そんな怖い顔をしちゃ、せっかくの美人が台なしだよ」
振り返ると、そこには月光を背負った絶世の美青年――インキュバスが立っていた。
「あんな軽い男を想い続けて、何になるんだい? 僕なら君をそんな惨めな気持ちにはさせない。……ねえ、僕と遊ぼうよ」
インキュバスの甘い声が、サヤカの心の隙間に染み込んでいく。
サヤカは一瞬、うっとりと目を細めた。……が、再び久我を見る。
彼はサキュバスの腕の中で、あろうことか「……幸せだ……」と、うわ言を漏らしているのだ。
その瞬間、サヤカの中で何かが、静かに、しかし確実に切れた。
(……奪われているのに、気づかない人。
守られているのに、分からない人。
だから……わたくしが、守るしかないじゃありませんの)
(……この男を使えば……久我様を取り戻せるのなら……)
サヤカは、にこりと微笑んだ。
「……少しだけ、付き合って差し上げますわ」
その瞳に、情はなかった。
サヤカの唇が、ゆっくりと歪む。
瞳の奥に、冷たくも艶やかな光が宿った。
「お嬢さん、いい判断だ」
とインキュバスは微笑んだ。
【ユウキ、ようやく侵入と交代劇】
「……マジか……戦闘は……?」
さらに遅れて到着したユウキは、地獄のような四角関係にフリーズした。ユウキは天を仰いだ。
「……皆さん、落ち着いてください。このままでは霊的感応が暴走して、全員の自我が崩壊します。ここは『相性補完』による中和を行うべきです。霊体は霊体同士、人間は人間同士。属性を一致させてエネルギーを循環させるのが、最も合理的な解決策です!」
そのもっともらしい(?)主張に、サキュバスがゆっくりと瞬きをした。
「……ふふ。良い提案ね。それに……私、もう十分よ。この人、精の質が異常なの。吸えば吸うほど底なしに湧いてくるんだもの。久しぶりに、一人でお腹いっぱいになったわ」 サキュバスは久我から身を離すと、隣にいたインキュバスの首に腕を回した。
「ねえ、交代しましょう? 私たちは、私たち同士で楽しみましょう。そっちの人間たちは、人間同士で好きにすればいいわ」
インキュバスもニヤリと笑う。
「お安い御用だ。本物の魔女の味が恋しかったところさ」
パチン! サキュバスが指を鳴らした瞬間、豪華な天蓋付きベッドが真っ二つに分かれ、空間そのものが反転した。
片側の空間には、サキュバスとインキュバス。人外同士が重なり合うと、そこには氷のように冷たくも美しい、青白い霊気の渦が巻き起こる。磁石が引き合うような、人知を超えた淫らな交わり。
そしてもう片側の空間では、サヤカのスイッチが完全に吹っ飛んでいた。
「……久我様。他の女に吸われるくらいなら、わたくしが……わたくしが全部、いただきますわ!」
サヤカは虚脱状態の久我を押し倒し、その上に跨った。久我を救うためか、あるいは独占するためか。彼女の体からは、サキュバスたちとは対照的な、燃えるように熱く、赤い法力が立ち昇る。
久我はもう天国モードの絶頂におり、相手がサキュバスからサヤカに替わったことすら気づいていない。
「……あ……う……」
「夢ですから……良いですわよね」
サヤカは久我の胸板に手を置き、逃がさないと言わんばかりの熱い口づけを叩き込んだ。
【ユウキ、余る】
一拍。 青白い霊気の嵐と、熱く赤い法力の渦。二組のペアが激しく睦み合う狂乱の空間で、全員の視線が、ポツンと立っているユウキに集まる。
「……あの……僕……余りですか?」
「……ふふ」
とサキュバスが鼻で笑う。
「……まあ、そうなるね」
とインキュバスが同情の目を向ける。
「……仕方ありませんわ」
とサヤカが冷たく切り捨てる。
「なんか分からないけど……ユウキくん……強く生きろよ……」
と久我が消え入りそうな声で囁く。
「……泣いていいですか……。なんで僕だけ観客席なんですか……」
サキュバスが、慈愛に満ちた表情で軽く手を振る。
「……大丈夫。見てるだけでも……楽しいわよ? 良い勉強になるわ」
「一番きついタイプの優しさ!!」
満月の光が、耐えられないほど強くなっていく。
「……そろそろ……終わりね」
サキュバスが呟く。
「夢は……ここまでだ。おやすみ、お嬢さん」
インキュバスの声とともに、世界が眩い白光の中に弾けた。
【朝:一番怖いオチ】
現実世界。ラブホテルのベッド。 久我が、ゆっくり目を開ける。
「……ん……。なんだか……最高に幸せな夢を見た気がする……まるで天国だった」
久我の顔は、かつてないほどツヤツヤと輝いているが、首から下は驚くほどシワシワで、下半身を含め身体は枯れ木のように「シナシナ」の状態だ。
隣には、顔を真っ赤にして、毛布を握りしめながらモジモジしているサヤカがいた。
「……久我様……すごかったですわ……」
「……何が? ……まさか俺、夢の中で除霊に大活躍したのか……?」
その傍ら、机に突っ伏したまま動かないユウキ。
「……おはようございます……。僕……一晩中、見てるだけでした……」
「……え? ユウキくん、どうしたんだ、強く生きろよ?」
「それ昨日も言われました!!」
サヤカが、そっと久我の枯れ枝のような腕に触れた。その瞳は、逃がさないと言わんばかりの光を湛えている。
「……しばらく……元気出ないでしょうから……わたくしが……責任を持って、たっぷり面倒見ますわ。精のつくものを、たくさん食べさせますわね」
「……一番怖いオチだ……」
とユウキがガタガタ震える。
「……なあ……俺……除霊(揉むやつ)……成功したんだよな……?」
サヤカとユウキは、同時に窓の外へ目を逸らした。 外では、妖しく輝いていた満月が、もう、力なく沈んでいた。
そして翌日から、《Moon Palace》での怪異報告は、嘘のように消えた。
理由は――誰も、知らない。
ただ一人、サキュバスだけが、どこかで満足そうに笑っている。




