第17話:右手と左手、決して交わらない救い
第17話:右手と左手、決して交わらない救い
深夜の廃校。校舎の割れた窓から、湿り気を帯びたすすり泣きが響く。 久我とユウキは、月明かりの差し込む理科室でその「気配」を探っていた。
「……久我さん、朗報です」
ユウキがスマホの画面をタップしながら囁く。
「SNSの裏掲示板によると、この廃校に出る女子高生の霊、かなりの美少女らしいですよ。セーラー服が似合う清楚系だとか」
久我は迷いなく右手の関節をポキポキと鳴らした。 「任せろ。その『清楚で柔らかな真実』を、俺のこの右手が直接確かめてやる。除霊師の義務だからな」
そこへ、廊下の奥から強烈な妖気が押し寄せてきた。 重い足音と共に現れたのは、ボロボロの白衣を羽織り、左腕に不吉な黒い布を幾重にも巻き付けた鋭い眼光の男――。
「……そこまでだ、素人が。その霊は俺が引導を渡す」 男は低く響く声で告げ、左腕の布を解き放った。そこには禍々しく脈打つ、赤黒い異形の腕。
「俺は鬼手先生。この左腕に宿る“鬼の手”で、あらゆる穢れを無に還す!」
久我は呆然と立ち尽くし、思わずツッコんだ。
「なんで左手なんだよ! こっちは右手なんだよ! 属性が微妙に被ってて、画面の構図のバランスが悪くなるだろ!」
鬼手先生は冷笑した。
「貴様のような不潔な右手とは格が違う。俺の鬼手は強大すぎるあまり、触れる必要さえない。半径一メートル以内に近づけば、その霊力で霊体は塵も残さず消滅する……浄化の極致だ!」
久我は哀れみを含んだ目で男を見つめた。
「……それ、一回も触ったことないってことだよな? 相手の質感も知らないまま消しちゃうとか……それ、ただの『除霊童貞』じゃん」
「な、何を……っ!!」鬼手先生の顔が真っ赤に染まる。
「言うなァァァ!! 効率の話をしているんだ! 触感なんて不確定な要素、除霊には不要だ!」
その時、理科室の隅に透き通るような女子高生の霊が現れた。 彼女は涙に濡れた瞳で自分の肩を抱きしめ、震えている。
「出たな! 無に還れ、怨霊ッ!」
鬼手先生が左手を突き出し、圧倒的な破壊エネルギーを溜める。
「ストップ!! 殺すんじゃねぇ!」
久我はその射線に割り込み、弾丸のように彼女の懐へ飛び込んだ。 そして、戸惑う彼女の胸元へ、吸い込まれるように右手を添えた。
「むにゅっ」
「…………っ!!」
指先から、切なくなるほどの弾力と、行き場のない熱が流れ込んでくる。
久我「……視えるぞ。卒業式の日、第二ボタンを渡したかったあいつが、事故で来られなくなったんだな。誰にも言えないまま腐らせた恋心を……ずっと、ここで温めてたんだな」
幽霊「……え。気づいてくれたのは……あなたが初めて……」
彼女の姿が、淡い純白の光に包まれていく。久我の右手から伝わる「理解」が、彼女の執着を解いていく。
幽霊「……ありがとう、久我さん。あなたの右手……すごく、温かかった……」
彼女は最後に少女のような美しい笑顔を見せ、光の粒子となって消えていった。……完璧な成仏だ。
屋上で向かい合う二人。夜風が久我の髪を揺らす。
鬼手先生「羨ましいッ!! 羨ましすぎるぞ貴様ぁッ!! 俺の鬼手は強すぎて、物理演算が狂うレベルで触れた瞬間に原子分解しちまうんだッ!!」
久我「……あなたみたいな童貞には分からないでしょうけど。とても、優しくて柔らかい成仏でしたよ」
鬼手先生「ぐぬぬぬぬぬ……!! なぜだ! なぜ俺の左手は、こんなに攻撃特化なんだ!!」
久我(淡々とトドメを刺す) 「先生……ぶっちゃけ、女の子の胸に触れた回数、人生で一度でもあります?」
鬼手先生「……っ!! それ以上言うなァァーーーッ!! 俺は世界を守るために、青春を捧げたんだァァ!!」
絶叫する鬼手先生を背に、久我は遠くを見つめた。
久我「……でもな。触れた瞬間に、別れが確定する恋なんてさ。……楽しめるわけ、ねぇだろ」
その言葉に、鬼手先生も、背後で笑っていたユウキも、一瞬だけ沈黙した。 どれほど「柔らかい」と称賛しようとも、久我がその感触を味わえるのは、永遠の別れを告げる除霊の瞬間だけなのだ。
ユウキ「……久我さん。また霊にフラれて、感傷に浸ってる暇はありませんよ」
「あ?」
「ほら、パトカーのサイレン。近隣住民が廃校からの叫び声を聞いて通報したみたいです。現世の女の子には、手の温かさじゃなくて110番で対応されるのが僕らの日常ですから」
久我「……。救われねぇのは、俺の恋愛運の方だったか」
パトカーの赤色灯が近づく中、二人は夜の闇へと全力で駆け出した。 ポケットの中で、久我の右手だけが、まだほんのり、別れたばかりの恋の温もりを保っていた。




