第13話:鏡の中の乙女、あるいは境界線上の狂宴
第13話:鏡の中の乙女、あるいは境界線上の狂宴
「……いいか、ユウキくん。僕は納得いかないぞ」
古びた屋敷の薄暗い廊下。久我奏太は、洗面所の巨大な姿見を指差して抗議した。 今回の依頼人は、この屋敷の若き主人。「鏡の中に女が現れ、僕の服を剥ぎ取ろうとする」という奇怪な現象に怯えていた。
『久我さん、そう言われましてもね。この霊は“一人でいる男”の前にしか現れない極めて排他的な性質を持っているんです。だから、私は隣の部屋で優雅に待機させてもらいますよ』
インカムからユウキの無責任な声が聞こえ、隣室から「カチャリ」と紅茶を淹れる音がした。
「サヤカさんを行かせればいいじゃないか!」
『ダメです。男でないと出ないのですよ。安心してください、危なくなったらサヤカさんを投入(物理)して、鏡ごと叩き割らせますから。……では、頑張ってくださいね笑』
「最初からそうしてくれよ!!」 久我は毒づきながら、一人で洗面所の鏡に向き合った。
鏡を覗き込んだ瞬間、異変が起きた。鏡面が陽炎のように歪み、映っていた久我の姿がみるみる変貌していく。 輪郭は柔らかく、首筋は白く細くなり、絶世の美女となった「女の久我」が鏡の中にいた。霊が久我の存在を「虚像」へと上書きし始めたのだ。
鏡の中の美女(久我)が、艶めかしい手つきでボタンを外すと、現実の久我の指も強制的に自分の服を脱ぎ捨てさせられた。 パチン、パチン――。 衣服が足元に滑り落ち、露わになったのは、白く豊満な巨乳。現実の久我の身体までもが、鏡に引きずられるように「全裸の美女」へと書き換えられていく。
鏡の表面がぬるりと波打ち、久我を向こう側へ引きずり込もうとする。
「ぬるり」と、境界線に触れた瞬間、脳と身体を同時に焼くような熱と圧迫感が押し寄せた。
——まるで、鏡の向こうの“もうひとつの自分”の熱と柔らかさが、自分の中でじわじわと溶け合い、絡み合うように。
皮膚の奥まで伝わる微かな振動、掌に吸い付くような重み、体の中心で共鳴する甘い疼き。
そして、下腹の奥にまで伝わる未知の熱——触れたことのない柔らかさが、想像の中で絡み合うように押し寄せる。
「(っ……これが……重なり……互いの熱……!)」
「ウッ……くぅ……っ! 全部飲み込まれてしまう……!」
鏡にこのまま触れていれば魂を奪われる。久我は土壇場でひらめいた。
(鏡の中のあいつと、今の僕は“同じ”身体だ。なら、自分を介せばあいつに触れられる!)
久我は鏡には指一本触れず、自分自身の(女体化した)豊かな胸を、両手で思い切りわし掴みにした。
「食らえ! セルフ・サイコメトリー!!!」
もにゅ。
その瞬間、世界が反転した。久我の脳内に情報の濁流が押し寄せる。
「(……っ! なんだこれ……柔らかい……。僕が揉んでいるのか、揉まれているのか、どっちなんだ!?)」
掌には吸い付くような乳房の重み。同時に自分の指が食い込む強烈な刺激が胸に走る。
「あぁっ……はぁ……っ、もっと……もっと強く揉んで……!」
自分の口から漏れる嬌声。快感に脳がとろけ、意識が白濁していく。
「(気持ち良い……やばい、これ……おかしくなる……!)」
鏡の境界線で、執拗に己の胸を揉みしだきながら、久我はついに霊の記憶を読み取った。
――(霊の記憶): そこにいたのは、生前、醜い容姿を疎まれ愛されなかった一人の女性。 「誰かに愛されたかった。この胸を、男の手に抱いてほしかった」 彼女は、一度も手にできなかった夢の姿を鏡に宿し、誰かと重なり合いたかったのだ。
「(……そうか。君は、この柔らかさを誰かに肯定してほしかったんだな……)」
久我は、自分自身の胸を慈しむように優しく包み込みながら、霊に語りかけた。
「……わかってるよ。今の君は、こんなに美しい。もう自分を隠さなくていい。僕が今、君を抱きしめているから」
その温かい共感に、女の霊は満足げな涙を流し、光となって鏡から解き放たれた。 鏡は静かに粉々に砕け散り、久我の身体も一瞬で元の「男」へと戻る。
「……ふぅ。いい仕事、しちゃったな……」
全裸のまま、やり遂げた男の顔で余韻に浸る久我。 だが、その手はまだ「除霊のポーズ(自分の胸を揉む形)」のまま、股間もさらけ出した全裸の状態だった。
バタンッ!
「久我さん、お待たせしました。危なそうだったのでサヤカさんを投入――」
突入してきたユウキの言葉が、氷のように凍りついた。 扉を開けた先にいたのは、全裸で、自分の平坦な男の胸を揉みしだきながら、恍惚とした表情でハァハァと息を切らす久我奏太。
「…………」
ユウキの瞳から光が消えた。底冷えするゴミを見るような目が久我を射抜く。
「ち、違うんだユウキくん! 今のはセルフ・サイコメトリーという新技で、霊と僕が一体になって、ぬるりとして……!」
必死の弁明。しかし、ユウキは一歩後ずさりしながら、冷ややかに言い放った。
「セ、セルフ……なんですか……?」
「そう! 自分の胸を介して霊を――」
「……そういうのは、一人で家でやってください」
「だから除霊なんだよ!! 感動のラストだったんだよ!!」
パシャッ。 背後から無慈悲なシャッター音が響く。サヤカが一切の感情を排した無表情で、スマホを向けていた。
「証拠保全。……『全裸鏡自慰事件』として、事務所のブラックリストに登録します」
「サヤカさん!? 削除して! 今すぐクラウドから抹消してぇええ!!」
ユウキは溜息をつき、そっと目を逸らした。
「……感動を台無しにする天才ですね。さあ、警察が来る前に消えましょう。僕は知り合いだと思われたくないので、先に失礼します」
「置いてかないでよぉおおお!!!」
久我は砕け散った鏡の上で、生まれたままの姿で泣き崩れた。 物語は美しかった。だが、久我奏太の「尊厳」だけは、修復不可能なほど粉々に砕け散っていた。




