第12話:境界線のバグ、あるいは優しい悪霊
第12話:境界線のバグ、あるいは優しい悪霊
夜。静まり返った住宅街の一角。 古い日本家屋の門前で、依頼人の女性・松代が、今にも泣き出しそうな顔で久我とユウキを迎えた。
「夜な夜な、家に数人の不気味な女の幽霊が来て……。鉢植えをひっくり返し、窓ガラスには呪文のような落書きをして、勝手に上がり込もうとするんです。もう、怖くて夜も眠れなくて……」
久我は自信満々に右手を掲げ、頼もしく胸を叩いた。 「任せてください。最近の俺も彼も幽霊を実体として見ることができますし、何よりこの右手が『触れば正体がわかる』仕様になってます。霊か人間か、一瞬でケリをつけてやりますよ」
ユウキはシーツをマントのように羽織り、松代の様子を観察した。
声や仕草には妙な緊張感がある。神経質なクレーマーに見えなくもない──でも、胸の奥に小さな違和感があった。何か、ただの怯えではないものを感じる。
「……まあ、見てみないとわかりませんね」
「……久我さん、あの触るやつ、まだ続ける気ですか。あれ、除霊というよりただの事案ですよ。そろそろ警察のブラックリストに載るんじゃないですか?」
「うるせぇ! これが一番確実な真実への近道なんだよ!」
深夜二時。 久我とユウキは庭の大きな金木犀の影に潜み、息を殺してその時を待っていた。 数分後、門のあたりに数人の影がゆらりと現れた。女子学生らしき三人組だ。彼女たちは手にしたライトで庭を照らし、楽しげに笑い合いながら、手慣れた様子で合鍵を取り出し、玄関を開けようとしている。
「……いたな。三人まとめて除霊(確認)してやる!」
久我は獲物を狙う野獣のように、音もなく背後から接近した。彼女たちが玄関の鍵を開けた瞬間、久我は跳躍した。 「そこまでだ、不届き者め!」
逃がすまいと、久我は三人組の背後から一気に両手を……いや、残像が見えるほどの超人的なスピードで、その実体を捉えた。
「むにゅっ……!?」「ふにっ……」「もちっ……」
久我の脳内に、同時に三者三様の「肉の感触」が流れ込む。
「……一人目、驚くほど大きくて重厚な弾力。圧倒的なボリュームだ! 二人目、若さゆえの弾けるようなハリ! 指を押し返すほどの活きのいい弾力! 三人目、小ぶりだが吸い付くような柔らかさ! 繊細で、守ってやりたくなるような感触……。
…………って、どいつもこいつも、めちゃくちゃ柔らかくて温かいじゃねーか!!」
女子学生A「ギャァァァーーー!!!」 女子学生B「不審者! 幽霊のフリしたガチの変態が出た!!」 女子学生C「お化けに胸揉まれたぁ!! 警察! 誰か警察呼んで!!」
久我「!? いや、ちがっ……お化けは、え、感触がある! 全員生身だ!!」
女子学生たちは腰を抜かさんばかりに驚き、叫びながら脱兎のごとく逃げ去っていった。久我は空を掴んだままの掌を凝視し、呆然と呟く。 「……生きてる。あいつら、ただの人間だぞ。なんでこんな深夜に、お婆さんの家に上がり込もうとしてたんだ?」
そこへ、依頼人の松代が、暗いリビングの奥から恨めしそうに顔を出した。 「……追い払ってくれたのかしら? あの、私の平穏を汚す不届き者たちを」
久我「え? いや、松代さん……あの子たち、完全に生身の人間でしたよ? むにゅってしたし、心臓もバクバク言ってた」
松代「人間がなんなの? ここは私の家よ。私と夫が守ってきた聖域なの。邪魔をする者は、誰だって許さないわ……」
その執念に満ちた低い声に、ユウキが微かな悪寒を感じ、久我の服の裾を強く引いた。 「……久我さん、おかしいです。依頼人の雰囲気が……。もう一度、右手で確かめてください。今度は、もっと根幹を」
久我は生唾を飲み込み、ゆっくりと松代の胸に右手を置いた。 ……先ほどの三人の「弾けるような温もり」とは正反対の、芯まで凍りつくような冷気と、中身が一切詰まっていない虚無の感覚。
一瞬にして、右手が「真実」を吸い上げる。 視界がぐにゃりと歪み、過去の断片が高速で再生された。
真夏の直射日光が照りつけるアスファルト。激しいブレーキ音。 誰もいないリビングに置かれた、色褪せた家族写真。 そして、彼女が「いたずら」だと言っていたものの正体――。
久我の顔から血の気が引いた。
「……松代さん。あなた、もう死んでるんだ」
松代「…………え?」
久我「あなたこそが“幽霊”です。半年前にあなたは事故で亡くなり、ここはもう誰も住んでいない空き家だ。あの子たちは……あなたのお孫さんたちですよ。深夜、遊び感覚でおばあちゃんの家に集まって、みんなで思い出話をするために泊まりに来てたんだ。」
松代は、自分の手を見つめた。だんだんと透けて、床の畳が透けて見え始めている。
久我「彼女たちは、おばあちゃんがいなくなった空き家を怖がるどころか、今も自分たちの『居場所』だと思って遊びに来てたんだ。庭を掃除したり、窓にデコレーションをしたり……おばあちゃんを喜ばせようとして。でも、幽霊になったあなたの目には、深夜に騒ぐ彼女たちが家を奪いに来た侵入者に見えてたんだよ」
松代の生活感に溢れていたはずの家が、急速に色を失い、埃を被った沈黙の空き家へと姿を変えていく。
松代「……私、帰る場所なんて、もう……。独りで、こんな暗いところで……」
久我「あるよ。……あなたを覚えてる人が、深夜にこっそり遊びに来るくらい、あなたを慕って集まってくれてる。……胸に触れなくても、今ならはっきりわかる。松代さん、あなたは、まだちゃんと愛されてるよ」
松代は、最後にはにかむような、少女のような笑みを見せた。 「ふふ……。ありがとう、変態の除霊師さん」
彼女は静かに夜の闇へ、光となって溶けていった。孫たちの笑い声が残る、その家を見守るように。
静まり返った空き家の前。 久我とユウキだけが、ただ立ち尽くしていた。
ユウキ「皮肉ですね。生きてる人間を『幽霊だ!』と恐れる者がいて、幽霊もまた『生きてるつもり』で人間を恐れる。境界なんて、とっくにバグってるんですよ」
久我「……確かにな。俺も最近、人間と幽霊の違い、マジでわかんねぇし。……でも、一つだけ確信したことがある」
ユウキ「なんですか?」
「……向こうから聞こえるサイレン、これ絶対俺たちのことだよな」
「ですね。あの子たち、かなり正確に特徴(変態的な挙動)を伝えたみたいです」
「……逃げるぞ、ユウキ。捕まったら、幽霊になるより悲惨だ」
二人は夜の住宅街を、幽霊よりも必死な形相で駆け抜けていった。ポケットにしまった久我の右手が、じんわりと切なく、そして心地よい熱を帯びていた。




