第16話:狂気のプロデュース
第16話:狂気のプロデュース
宣戦布告の残響が消えぬうちに、ユウキの身体が弾かれた。 その動作には一切の無駄がない。柔術の基本に忠実ながら、予備動作を完全に排した一歩。それが地を這うような低い体勢からの掌底となり、カゲの顔面を正確に捉えようと襲いかかった。
カゲは辛うじて顔を逸らすが、ユウキの掌は彼女の耳元を通過しただけで皮膚を熱く焼いた。その一撃の速度と重さに、カゲの狂気の瞳に一瞬だけ驚愕の光が走る。
「伊織さんと違って、美しくないですね、カゲ。……いいですか。久我さんは、僕の物語を誰よりも熱狂的に体現してくれた、至高の存在なんだ。あなたのような野蛮な暴力で、僕の『推し』の尊い光を汚すことは、この僕が許しませんよ」
ユウキの言葉は挑発的だが、その眼差しは冷徹な観測者のそれだった。
技術と狂気の衝突
カゲは血塗れのナイフを握り直し、低い唸り声とともに突きを繰り出した。しかし、ユウキの動きはさらに洗練されていた。彼は合気道の流れるような体さばきで刃先をわずかに躱し、同時にカゲのナイフを持つ手首を絡め取る。
ユウキの指がカゲの橈骨と尺骨の僅かな隙に入り込み、寸分の狂いもない締め技を仕掛けた。「ガキッ!」硬い音が響き、カゲの手首から力が抜け、ナイフは宙を舞う。ナイフは倉庫の隅の鉄骨に当たって、甲高い警告音を立てた。
だが、カゲの身体能力は常軌を逸していた。彼女は悲鳴を上げずに、関節の限界を超えて手首を無理やり引き抜き、ユウキの完璧な技を力技で破壊した。ユウキが体勢を立て直す間もなく、予期せぬ角度から腰の入った強烈な回し蹴りが繰り出される。
ユウキはガードする暇なく、その衝撃を脇腹で受け、鉄骨の壁に凄まじい音と共に叩きつけられた。
「邪魔よ! 全員死ねば、藤本サァンも久我センセッも永遠に私のものなのに!」 カゲは獣のように喉を鳴らした。
矜持と痛覚の欠如
ユウキは、肺から空気をすべて吐き出させられた衝撃に呻きながらも、すぐに壁を蹴って体勢を立て直す。廃倉庫の空間には、濃い血の匂いと、金属と肉体の激しい衝突音が響き渡っていた。
ユウキの体術は「技術の美しさが全て」という矜持に基づいていた。彼の目的はカゲの「確保」であり、「殺す」ことではないという微妙な抑制が、彼の攻撃には常に含まれていた。打撃は急所を外され、関節技は破壊寸前で留まる。
対するカゲは、反射神経と俊敏性こそユウキを凌駕しないが、狂気と痛覚の欠如という絶対的な盾を持っていた。ユウキの正確で致命的な関節技は、カゲの「痛み」を無視した野獣のような反動によって、次々と無効化されていく。
演出家の終焉
ユウキは、カゲの動作を先読みし、再び素早く懐に潜り込む。彼はカゲの腕を内側から捕らえ、流れるような合気道の四方投げの要領で関節を決め、カゲの体勢を完全に宙に浮かせた。
カゲは宙吊りになり、もはや脱出不能な体勢――その瞬間、カゲはユウキの胸ポケットから放たれる十字架ペンダントの「思念」を、獣の第六感で本能的に感じ取った。
「ああっ、ダメ……」 純粋な恐怖と怯えに満ちた詩織の叫びが、伊織自身の声としてカゲの口から漏れた。カゲは強烈に動揺し、組み技の中の動きが一瞬凍りつくように鈍った。
「この隙だ!」 ユウキは勝利を確信した。このペンダントの力がカゲを制御できる。彼は確保のための「とどめ」としてペンダントを取り出そうと、無意識に手をポケットに動かした。
「……ねえ、ずっと言いたかったんだけどさ」
動きが止まったはずのカゲの口角が、不気味に釣り上がった。
「私、ユウキ、あなたのこと大っ嫌いよ。 捜査中も、気取ったツラして隣にいて……ずっと邪魔だったわ」
ユウキの思考が一瞬、白濁する。
「私の久我センセッを、あなたの安っぽい台本でプロデュースしようなんて。横取りしないでくれるかしら? センセッを汚していいのも、壊していいのも、この世界で私だけなのよ」
「……っ!?」
ユウキがペンダントへ手を伸ばそうとしたその一秒の永遠。これが、演出家としての致命的な油断となった。
カゲは、自らの関節を外す異様な音を立てながら体勢を崩し、その異常な角度から体重と狂気のすべてを乗せた渾身の踵蹴りを、ユウキの鳩尾へと叩き込んだ。
「グァッ!!」
ユウキの口から血の混じった呻き声が漏れる。彼は内臓を潰されるような激しい衝撃を受け、呻き声すら上げられずに激しく宙に吹き飛ばされた。
(ああ……これは……僕の書いた結末じゃ……)
泥水に叩きつけられた衝撃で、身体の自由が完全に奪われる。 霞む視界の先、カゲがゆっくりと背を向けた。その先には、血反吐を吐き、這いつくばる久我がいる。
(まずい……このままじゃ、久我さんも……藤本みたいに……)
バラバラに引き裂かれた藤本の残像が、久我の未来に重なる。 自分が愛し、磨き上げてきた至高の存在。その光が、自分の失態のせいで無残な肉塊に変えられようとしている。
ユウキは指先を動かそうとしたが、喉から溢れるのは血の泡だけだった。
(逃げろ……久我さん……)
祈りは届かない。 久我の処刑を最前列で眺めるしかないという、演出家としての、そしてファンとしての完全な絶望。 ユウキの瞳から光が消え、その意識は逃れようのない漆黒の闇へと沈んでいった。




