第5話:熟成された情動の密室:地下ワインセラーの「ブショネ」
第5話:熟成された情動の密室:地下ワインセラーの「ブショネ」
養蚕集落の情景、和子の濃密な情動
久我の呪いへの渇望と、連続殺人犯を追い詰める探偵としての使命感は、今、最高潮に達していた。車は、都心から遠く離れた、豊かなぶどう畑が広がる山梨の山間にある集落へと向かう。
その集落は、かつて養蚕で栄えた時代の名残を残す、茅葺き屋根の重厚な民家が集合する文化財として保存されていた。集落全体が静寂に包まれ、時の流れから切り離されたような、重く閉鎖的な空気をまとっている。伊織と美沙の実家もまた、その歴史の重みを持つ養蚕民家の一つだった。
玄関で一行を迎えたのは、伊織の母、和子だった。和子は50代前半だが、手入れの行き届いた肌と、落ち着いた物腰を持つ美熟女。彼女の存在感は、部屋の空気を一変させた。和子の薄いリネン素材のワンピースは、成熟した体躯を包み込み、久我の目を釘付けにしたのは、その生地越しに分かる、豊かで張りがある胸元だった。
久我の理性が、警鐘を鳴らす。(伊織さんとは違う、ぶどうが完熟するように濃密な情動。この閉じられた家屋の中で熟成されたような熱を帯びた情動に、もし触れられたら……私の理性が、耐えきれるだろうか……)
久我の心は一瞬、呪いへの衝動と、プロの探偵としての理性との間で激しく揺れる。しかし、黒岩とユウキの鋭い視線が集中する中、その衝動を抑え込んだ。
「お母さん、お久しぶり。元気にしてた?」伊織は和子に抱きつき、久我の横で、悲痛な顔で涙を流した。
黒岩はすぐに居間に座り、和子への聞き取りを始めた。
「美沙さんと藤本容疑者は、仲が良かったと?」
和子は悲しそうに目を伏せた。
「ええ、それはもう、仲の良いカップルでした。二人とも、ここによく遊びに来ていましたし……本当に、どうしてこんなことに。まさか、藤本くんが美沙を殺したなんて、今でも信じられないし、悲しいんです」
和子は、「藤本くん」という名を出した瞬間、久我の「呪い」を静かに見つめた。
地下のワインセラーへ
聞き取りが終わり、黒岩が指示を出した。「さて、我々は別室で資料を整理する。伊織さん、美沙さんと藤本容疑者の過去の関係を洗い直したい。アルバムなどがあれば見せてほしい」
伊織は、居間の隅に置かれた、鍵のかかった古びた木の箱を指差した。
「あ、写真なら全てあの箱の中に。でも、鍵を地下のワインセラーに置いてきてしまって。久我先生、悪いけど、地下室は狭いし暗いから、先生にしかお願いできないわよね。私たちが資料整理をしている間に、それを取ってきてくださらないかしら」
そして、少しいたずらっぽい視線を久我に向けて付け加えた。
「もしかしたら、お父さんが隠していたすごいヴィンテージでも転がっているかもしれません。もし先生のお気に召すものがあったら、お礼に差し上げますから。お好きなものを探してくださいね」
久我以外の全員が隣室へ移動し、居間には久我と和子の二人だけが残された。久我は言われるがままに、薄暗い地下への階段を降りた。
冷気と、熟成したワインの芳醇な香りが充満するワインセラー。久我の顔が一瞬緩む。(……これは、古い澱の香りが。ヴィンテージの深みが素晴らしい)ワイン好きの久我は、一瞬、探偵としての緊張を忘れかけた。
久我が鍵を探すため、棚の間に立ったその背後が無防備になった一瞬の隙を、和子は見逃さなかった。
和子は音もなく久我の背後に立ち、彼の肩にそっと手を置いた。その手は、優しさと、抑えきれない焦燥を帯びていた。
「久我先生。少し、お話しませんか。あの子たちには聞かせられない、母としての真実があるの」
久我はビクリと肩を震わせた。和子の体からは、ぶどうが発酵するような、濃厚な熟した情欲と、深く満たされない寂しさが、熱となって放射されている。その熱は、久我のワインへの渇望にも似た「呪い」を激しく刺激した。
「あ、和子さん。この鍵を探さなければ……」久我は後ずさりしようとしたが、冷たい地下の床に足が縫い付けられたように動けない。
和子は久我の逃げ道を塞ぐように一歩踏み出し、その年齢の割には張りのある胸を久我の背中に密着させた。その圧力は、久我の理性をねじ伏せるには十分すぎるほど強烈だった。
和子の声は低く、訴えかけるようだった。
「いいのよ、先生。夫が亡くなってから……ずっと、ずっと寂しいのよ。こんな歳になっても、女の体は温かいものを求めている。あなたは、特別な力を持っているんでしょう? 真実が見えるんでしょう?まるで、熟成したブショネ(欠陥のあるワイン)のように、私の中には開けられない真実が閉じ込められているの。」
和子の視線は久我の瞳を射抜き、その手は久我の腕を這い上がり、彼の肩を強く掴んだ。
「ねえ、私の寂しさを、あなたの熱い手で満たして。もっと、強く揉みしだいて。そうすれば、私の中の情動も、あなたに美沙の本当の真実を教えてくれるかもしれないわ」
久我の全身が熱に浮かされたように震えた。理性の枷が外れかかり、呪いがその本性を露わにする。目の前には、芳醇なワインの香りが絡みつく、完璧な胸の美熟女。久我は抵抗したが、和子の強く求める情動と、真実への渇望が、彼の理性を飲み込んだ。
久我は和子の手首を振り払う代わりに、衝動的に彼女のワンピース越しのDカップ程の胸部に手を触れてしまった。
情動の奔流と確信
ゴオオオッ!!
久我の脳裏に炸裂したのは、藤本の「殺意」ではない、「深い喪失感」と、「美沙と伊織の絶え間ない対立の記憶」だった。
久我が見たのは、高校生時代の藤本が、美沙の厳しい叱責から伊織をかばう光景。美沙の叱責の情動は、久我に「異常な高圧的態度」として強烈に伝わる。
(情動の錯綜ヴィジョン): 美沙:「あなた、伊織を甘やかしすぎよ! あいつは悪いことをしたのよ! あなたが庇うから、この子はいつまでもダメになるよ! 私を怒らせてまで、どうしてあの子をかばうの!?」
美沙の怒りの情動は、伊織への叱責から藤本への激しい非難へと即座に切り替わり、二人の間で激しい喧嘩が勃発する。藤本が美沙を諌める優しさは、久我には「藤本は美沙の邪魔な存在を庇い、美沙をさらに怒らせていた」という情動の文脈で読み取られた。
さらに、美沙の身体に深く刻まれた「ペンダントに関する情動」が久我の脳に流れ込む。 画面の端に、幼い伊織が美沙にペンダントを贈る姿がフラッシュバックする。
幼い伊織(声):「お姉ちゃん、これあげる!私が初めて一人で選んだ、お守りのペンダントだよ。ずっとつけててね!」
美沙の情動からは、そのペンダントを「妹の純粋な愛の象徴」として、何よりも大切にしていた事実が読み取れた。
久我は、情動の奔流に耐えかねて和子から手を離した。息を切らし、ヴィンテージのワインラベルが並ぶ棚に片手を突いて身体を支える。
(美沙さんは、藤本が伊織さんを庇うのが許せなかったのか……そして、あのペンダントは美沙が伊織の愛として大切にしていたものだったのか……!)
その瞬間、久我の脳裏に、伊織がペンダントを引きちぎった光景が蘇る。
(でも、なんであんな大切なペンダントを、伊織さんはあんな風に引きちぎってしまったんだ……? 美沙さんが、妹の愛の象徴として命より大切にしていたものを……)
久我は、伊織の行動に対する新たな不協和音を感じながらも、美沙の異常な厳しさと藤本への非難の情動を、藤本が美沙を殺害するに至った動機への新たな裏付けとして誤認し、確信を強固にした。
その瞬間、階段の上から黒岩刑事の、「伊織さん!資料はもういい。久我さんを呼んでこい!」という怒鳴り声が聞こえた。和子は一瞬で平静な顔に戻り、久我に微笑みかけた。
「ごめんなさいね、先生。つらい真実を追うのは大変でしょう。温かいお茶を淹れますわ」和子は久我の背を優しく撫で、何もなかったかのように地下室を出た。久我の手に残ったのは、成熟した女性の熱と、誤って掴んだ真実の、冷たい残滓だけだった。
和子の背中を見つめながら、久我は深呼吸をし、混乱した情動の残滓を頭の中から追い払おうとする。――その、久我が自身を取り戻そうとする一瞬の隙を、伊織は見逃さなかった。




