第3話:Bカップの予感と、傍観者の生々しい怒り
第3話:Bカップの予感と、傍観者の生々しい怒り
『第一の死体と、現場に残された不自然なほどの静けさ。喉を切り裂かれた亡骸に触れた主人公を襲う、決定的な「Bカップ」の予感。そして、罪悪感と無力感に崩壊する傍観者に、冷たい視線が突き刺さる。』
ケンジとタナカが駆け出した数秒後、俺もその血まみれの悲鳴の元、薄暗いペンションの奥の物置小屋へと辿り着いた。中から鉄錆と生温かい湿気が混じった、強烈な匂いが漏れ出していた。
物置小屋の電灯が瞬く中、ユキの姿が横たわっていた。喉は根元から深く切り裂かれ、白い床には黒々とした血だまりが広がっている。その顔には、純粋な恐怖と、避けられない苦痛の表情が張り付いたまま、すでに硬直し始めていた。
しかし、最も不気味なのは、争った形跡が全くないことだ。 ユキは、誰かに呼び出され、そのまま抵抗を放棄して殺害されたかのようだった。
ケンジはユキの姿を見るやいなや、その場で膝から崩れ落ちた。「う、嘘だ…ユキ! ユキ!」彼は泣き叫び、ユキの亡骸に手を伸ばしかけたが、途中でその手を引っ込めた。それは、深い悲しみと絶望だけでなく、何か決定的な事態を思い出したかのような表情だった。
俺は血の匂いと、この不自然な静けさに、吐き気を覚えた。
この惨劇は、誰の狂気でもない。 窓の外にいた確かに立っていた異様な影を思い出した。あの嵐の中、外界から侵入し、一瞬でユキを無抵抗のまま殺した真の殺人鬼が、今もこの館のどこかに潜んでいるのだ。俺の直感、サイコメトリー能力と同じくらい正確な直感が、それを告げていた。
俺は震える手でスマートフォンを取り出すが、画面には赤い文字で「圏外」と表示されている。 「ダメだ…この嵐じゃ、外界との接触は完全に断たれたな…」
タナカは、ユキの死体から一歩、また一歩と後ずさり、壁に背中を打ち付けた。「ありえない…こんなこと…!誰が…誰がこんなことを…!」彼の顔は蒼白になり、冷静沈着な教授の仮面は、完全に剥がれ落ちていた。
その時、物置小屋の扉が開き、マミが顔をのぞかせた。顔色は青ざめ、身体は微かに震えている。 「...なに、これ...?」 マミはそう呟くと、その場で膝から崩れ落ちた。
激情とサイコメトリーの衝動
ユキの死体は、血だまりの中に横たわったまま、沈黙していた。俺が真犯人の存在に気づき、呆然と立ち尽くす中、ケンジはタナカに向き直った。その顔は、先ほどの悲しみとはまるで違う、抑えきれない、生々しい怒りに歪んでいる。
「…タナカ先生、あなたがやったのではないですか」 ケンジの声は、ひび割れたガラスのように、か細く震えながらも、殺意を帯びていた。
タナカは眼鏡の奥の目で、彼を静かに見つめる。 「何を、とは? 私はあなたと共に暖炉の前にいたはずだ」 「あなたが…あの子をこんな風にさせたのです! あなたの汚れた好奇心のせいで!」
タナカは静かにグラスを揺らし、嘲笑うかのように首を振る。 「私が? 私が観察していたのは、ただ一つの『生態』。あなたは、その中で傍観者を選んだに過ぎない。この惨劇は、誰かの悪意によって引き起こされた『結果』ではない。あなた自身が選んだ『傍観者』という役割が、この『物語』の必然的な終着点だったのだ。罪の意識と、それを抱えたままの逃亡。彼の存在そのものが、この『生態系』における殺人者に呼び水を与えたのだ!」
タナカの皮肉めいた言葉は、ケンジの心の急所を正確に抉った。ケンジは掴みかかる勢いでタナカに迫ったが、その一歩を踏み出す直前、何かが決定的に崩壊した。
「ああ…無力だ、その通りだ…」
ケンジはタナカを睨みつけることをやめ、そのまま膝から崩れ落ちた。床の血だまりを見ることもせず、両手で顔を覆い、堪えきれない嗚咽をあげた。
「俺のせいだ! 俺がユキを! 俺が悪かった…俺が…!」
彼の号泣は、嵐の轟音の中でも異質な、悲痛な懺悔の響きを持っていた。
しかし、タナカはその人間の本性の崩壊を前にしても、一歩も引かなかった。フッと鼻で笑い、物置小屋を出て暖炉のある応接間へと向かった。ケンジは、その後ろ姿をただ憎悪と自己嫌悪の涙で見送ることしかできなかった。
俺は、この混乱の中で真実を暴かねばならないという衝動に駆られた。真犯人が潜んでいるなら、一刻も早く、ユキから情報を引き出さねばならない。俺はユキの亡骸へ向けて、一歩足を踏み出した。
だが、その腕をマミが掴んだ。その力は、見た目以上に強かった。 「ダメよ。警察が来るまで、死体に触れちゃいけない。久我先生」 マミの言葉は正論だったが、その声には、妙な焦りと、俺の行動を阻止したいという明確な意図が感じられた。
その一瞬の隙。マミに掴まれた腕とは逆の、呪われた右の掌を、俺は素早くユキの胸に伸ばし、ごくわずかに、一瞬だけ触れた。
サイコメトリーは、深く、そして意識的に触れないと鮮明な記憶は引き出せない。だが、ごく微かな感触から、俺は確信した。
「...この胸の感触、間違いなく……Bカップだ」
俺が、まるで何かの呪文のようにその言葉を微かに呟いた瞬間、マミの視線が、鋭い刃物のように俺の胸を貫いた。その眼差しには、俺が何者であるか、そして俺の能力をまるで知っているかのような、冷たい光が宿っている。
ユキの死体、そしてマミの焦りと、俺の能力を見抜いたかのような視線。俺は、彼女が何かを隠していること、そしてこの惨劇が、単なる殺人事件ではない底知れぬ深さを持っていることに気づき、背筋に冷たい悪寒が走った。




