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探偵は胸を揉む  作者: リチャード裕輝
探偵は胸を揉む:『霊感(パイ)コメトリー・オブ・ザ・デッド』

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『螺旋の断罪:掌が暴く偽りの名探偵』第一章

第一章:道化の乗船と「二人のクガ」


「やばい、やばいですよ! 出航まであと3分、いや2分半です!」


久我クガは、はち切れんばかりに詰め込まれたボストンバッグを抱え、港の桟橋を猛然と疾走していた。背後ではユウキが、乱れた呼吸を整える余裕もなく必死についてくる。


「おいユウキくん! 間に合わないぞ、あっちだ、あの船だ!」


久我が指差す先、重々しいディーゼル音を響かせ、今まさにタラップを上げようとしている船があった。二人は、錆びた手すりに指をかけ、転がり込むように甲板へと飛び込んだ。


「はぁ……はぁ……。あぶねぇ、肺が焼けるかと思った。……けどユウキくん、なんかこの船、豪華客船にしては……妙に魚臭くないか?」


「ええ……。今回は依頼人側が用意した『ミステリー体験格安ツアー』ですから。まあ、演出の一環でしょう。名簿にも確かに『クガ』とありましたし、間違いありませんよ」


ユウキは眼鏡を指で押し上げ、資産家子息らしい余裕を見せようとしたが、その顔は潮風に吹かれて心なしか引きつっていた。


二人は知る由もなかった。本来乗るべきだったのは、隣の埠頭に停泊していた白亜の城――「サンセット・ノーブル号」であったことを。そしてこの漁船には、本来「釘宮クガミヤ」という男が乗るはずだったことを。


一方その頃、本物の招待客である「ポー(本名:釘宮)」は、豪華客船のサロンで、クリスタルグラスに注がれた最高級のシャンパンを眺めていた。


「……あれ? ミステリー愛好会の合宿にしては、周りの連中がタキシードを着て、小難しい顔でワインを転がしてるな……妙だな。オフ会のメンバーが誰もいない……」


釘宮は首を傾げたが、目の前のキャビアのカナッペを一口食べると、思考を放棄した。


「まあいい。飯は美味いし、日本の海とは思えないほど優雅だ。世界一周旅行なんて言ってるが、まあ、伊豆諸島を回るくらいだろう」


そこへ、ドレスを纏った若く可憐な女性が、潤んだ瞳で近づいてくる。


「あなたがクガ様ですか……? 依頼人の良子です。実は、飼っていた猫がいなくなってしまって……。あなたに、その子の代わりになってほしいんです。新しい私の『猫』に……」


「……は?」


本物のポーは、惨劇の舞台から遠く離れた洋上で、甘美で奇妙な孤独に沈みつつあった。運営側が「釘宮クガミヤ」を名簿に「クガ」と略して記載したという、あまりに些細な事務的ミス。それが、この後に続く惨劇と喜劇のすべての引き金となったのだ。


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