『死神サイコメトリー:世界を救う右手』第六章
第六章:銀河の姫、降臨
1. 加速する終焉
「……おかしい、減り方が早すぎる!」
久我は、右手の掌に浮かぶ赤い刻印を凝視し、戦慄した。 さっきまで【12:12:00】だった数字が、瞬きをする間に【11:45:12】へと跳ねた。1秒が1秒として機能していない。世界そのものが、巨大な洗濯機に放り込まれたように、終末に向かって回転速度を上げている。
「ユウキくん! 数字が……時間が加速しているぞ!」
「……おや、因果の崩壊が予想より早い。隕石の質量が時空を歪めているんですね。久我さん、このままでは山頂に着く前に、カウントはゼロになります」
ユウキの言葉通り、五合目から見上げる富士の頂は、逃げ水のように遠ざかって見える。通常なら数時間かかる登攀。だが、今の「加速する12時間」は、実質あと1時間も残されていないことを意味していた。
「間に合わないか……!」久我の喉を絶望が締め上げる。
2. 墜落、死の空路
「久我さん、さあ乗ってください。セバスチャン、ヘリを!」
五合目の地獄のような喧騒を切り裂き、漆黒の機体が舞い降りた。久我は衰弱しきったあやなを抱きかかえ、後部座席へと飛び込む。
「時間がもうありません! 全速力で山頂へ!」
ユウキの鋭い号令と共に、ヘリは垂直に急上昇を開始した。眼下には、銀色の光に怯え、蟻のように右往左往する数万の群衆。だが、平穏は一瞬だった。
超巨大隕石の接近に伴う強烈な磁気嵐が、機体の計器を狂わせる。警告音が耳を刺し、ローターが断末魔のような悲鳴を上げた。
「……チッ、計算外の磁気圧だ。セバスチャン、維持しろ!」
ユウキが叫ぶが、機体は激しく横転し、重力に裏切られた鉄の塊となって山肌へと叩きつけられた。
衝撃。視界が白濁し、意識が遠のく。 ……気がついた時、ヘリは八合目付近の切り立った岩場に突き刺さっていた。運転していたセバスチャンは衝撃で気絶し、ユウキも額から血を流し、息を切らしている。
「セバスチャンはここで待機させます。久我さん、走るんですよ。いえ、這ってでも登るんだ!」
久我は、奇跡的に無傷だったあやなを背負い、歪んだ扉を蹴破って外へ這い出した。
「久我……さん、もういいの。私はここで……」
「黙ってろ! 間に合わせる……絶対にだ!」
標高3000メートル超。そこは酸素が希薄な死の世界であり、隕石が撒き散らす熱風が肺を内側から焼き焦がす地獄だった。久我は、右手に流れ込む全人類の「死のノイズ」という、脳が焼き切れるほどの激痛を歯を食いしばって押し戻し、鋭利な溶岩石を掴んだ。
ガリッ、と嫌な音がして爪が剥がれ、指先から鮮血が噴き出す。だが、その激痛すらも「加速する時間」に置き去りにされていく。もはや一歩進むごとに、数時間分の命が掌から消えていくのだ。
「……ハァ、ハァ……っ! 届く……あと、少しだ……!」
背後では、ユウキもまた、エリートの余裕をかなぐり捨てていた。高価なスーツは裂け、泥と血にまみれながら、獣のような形相で岩にしがみついている。
「久我さん……止まるな……! 時間が、消失する前に……ッ!」
血の滴る指先で岩を穿ち、あやなを背負う重みを唯一の「生の証明」として、久我は垂直の壁を這い上がった。視界は真っ赤に染まり、肺は悲鳴を上げ、掌のカウントはついに【00:59:59】を切り、分単位の猛烈な速度でゼロへと突き進む。
物理法則、重力、そして時間。そのすべてに裏切られながらも、ただ「あやなを助けたい」という執念だけが、彼らを地球の頂、剣ヶ峰へと押し上げた。
3. 剣ヶ峰の種明かし
ついに辿り着いた富士山頂、剣ヶ峰。そこはもはや、地球と宇宙の境界線だった。 空が、燃えていた。大気圏を突破した巨大な隕石が、赤黒い火花を撒き散らしながら視界のすべてを埋め尽くしていく。凄まじい熱風が吹き荒れる中、久我はあやなの手を、骨が軋むほど強く握りしめた。
「あやな……。やっぱり君の鼓動だけじゃなかったんだ。俺が視ていたのは、君が立っているこの『地球』そのもののリミットだったんだ」
あやなは、震えながらも覚悟を決めた瞳で久我を見つめ返した。彼女は自分のブラウスの襟元を強く掴み、久我の右手を、再びその左胸――最も激しく、最も熱く脈打つ場所へと導いた。
「久我さん、やって……! 私を通じて、地球の、私たちの命を宇宙に叩きつけて!」
「ああ……。頼む……来てくれ、エリス!! 俺の右手を知ってるのはお前だけだ!!」
久我は、指先から伝わるあやなの高鳴る鼓動と、足元から響く地球の断末魔を右手に集約させた。ヤケクソで空に右手を掲げ、全霊を込めて絶叫する。 その瞬間、指輪『デス・レゾネーター』が眩い銀光を放ち、久我の「生の執着」という周波数が、大気圏を突き抜け、銀河の果てまで一本の光の柱となって伝播した。
凄まじい風圧に煽られながら、遅れて這い上がってきたユウキが、岩陰で歪んだ笑みを浮かべた。
「いい声です、久我さん。……ああ、ようやく全ての種明かしができますね。その指輪は最初から、あなたと地球を共鳴させ、エリスを呼び戻すための『銀河級のビーコン(増幅器)』として調整してあったんですよ」
「……は?」
久我が呆然と振り向く。ユウキは眼鏡を押し上げ、その奥の瞳を冷酷に光らせた。
「あなたが『死ぬ』と言ったあの時間は——そう、あなたにすでに話した通り、あやなさん個人の寿命ではなく、惑星規模のタイムリミットです。その上で、あなたが、あやなさんを救おうと必死に胸を『調律』し続けたことが、彼女の鼓動に——つまり彼女を介して、彼女が踏み締めている『地球』のリズムにまで同期したことで、あなたの右手は全人類…..いや地球上全ての生物のの生命エネルギーを束ねるアンテナとなった訳です。」
さらに久我は、右手に握らされていた石の違和感に気づく。
「ユウキ……昨日お前が『霊石』だと言って渡したこの石は、一体何なんだ!」
「ふふ、それも嘘ですよ。それは富士山の石などではなく、以前落ちてきた『隕石の欠片』です。同じ性質を持つ巨大隕石を正確にこの場所へ誘導するための『光り輝く標的』。僕は昨日、これをあなたに渡すことで、あなた自身を山頂へ向かう『動く標的』にしたんです。日本一宇宙に近いこの場所へ隕石を落とし、エリスを確実に呼び戻すためにね」
久我は戦慄した。昨日、石を渡された瞬間から、自分の必死な愛も、あやなを想う執念も、すべてはユウキの冷徹な盤上の駒に過ぎなかったのだ。
「皮肉ですね、久我さん。あなたが彼女を救おうと必死に胸を『調律』し、命を繋ごうとすればするほど、その純愛のエネルギーは指輪で増幅され、隕石を呼び寄せる信号として宇宙へ拡散されていた。あなたの愛こそが、滅びを加速させていた真犯人だったんです」
4. 銀河の姫、降臨
「ユウキ……! 君は、俺たちを、ただの道具として騙したのか……!?」
「人聞きが悪い。僕はただ、愛の力で世界を救う舞台を用意しただけですよ。……さあ、来ましたよ。あなたの『責任』が」
直後、燃える夜空が割れた。 落下する巨大隕石の先端に、一筋の銀光が突き刺さる。かつて久我がその右手で触れ、神聖な肉体の記憶を読み取ってしまった銀河の姫――エリスが、巨大隕石をサーフボードのように乗りこなし、物理法則を無視した機動で降臨した。
背後の宇宙船が磁気嵐を展開し、隕石を固定して銀河の彼方へと運び去る。空は本来の青さを取り戻し、世界を覆っていた「死の数字」が霧散していく。
エリスは雪の上に静かに降り立ち、銀の髪をなびかせて久我の目の前で足を止めた。その無機質なほどに美しい瞳が、久我の右手――そして光り輝く増幅の指輪をじっと見つめる。
エリス『信号、受信。……私の休息を妨げるほど、下俗で、それでいて強烈な「生の執着」を感じた。……久我、この周波数、私の記憶核に深く刻まれた。……責任、とりなさい』
久我はあやなの手を握ったまま、あまりにも壮大な「再会」を前に呆然と立ち尽くした。世界は救われた。だが、右手に残る「揉んでしまった神聖な感触」と、「地球上の全生命体の運命を握った記憶」は、決して消えることはなかった。
「……責任、か。……ああ、受けて立ってやるよ」 久我の呟きを、冷たい山の風がさらっていった。
【Remaining:消滅】




