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探偵は胸を揉む  作者: リチャード裕輝
探偵は胸を揉む:『霊感(パイ)コメトリー・オブ・ザ・デッド』

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『死神サイコメトリー:世界を救う右手』第四章

第四章:空白の一日、静寂の逃避行


窓の外では、銀色の光が毒々しいほどに濃度を増していた。

世界はまだ、崩壊の序曲に気づいていない。街にはいつものように通勤を急ぐ人々が溢れ、商店のシャッターが開く音が響いている。しかし、久我の眼には、それらすべてが砂で出来た城のように脆く、色褪せて映っていた。

二人はあやなの家を出て、あてどなく電車に揺られた。


【Remaining:42:15:05】


「ねえ、久我さん。海、見に行かない?」


久我が理由を尋ねる前に、あやなは少しだけ寂しそうに笑った。

「富士山へ行く前に……最後に、普通の一日を過ごしてみたいの」


あやなの提案で、二人は江ノ島へと向かった。

海岸沿いのカフェには、まだ「日常」を享受する人々がパラパラと座っている。波の音に混じって、カップルの屈託のない笑い声が聞こえる。この平和な光景の中で、自分たち二人だけが「死」という名の不可逆な刻印を背負って立っている。その凄絶な乖離かいりが、かえって心中への覚悟を鋭く、美しく研ぎ澄ませていた。


「あやな、怖くないか」


テラス席で、久我は彼女の冷えた指先を包み込んだ。

あやなは青い海を見つめたまま、小さく首を振った。


「不思議ね。久我さんと一緒だと、死ぬことが『おやすみなさい』を言うのと同じくらい、自然なことに思えるの。……でもね、もし、もし明日も世界が続いていたら。私、久我さんのお嫁さんになりたかったな」


その純粋な、あまりに質素な願いは、どんな鋭利な刃物よりも久我の胸を深く抉った。

久我は何も言えず、ただ彼女の髪を撫で続ける。右手の指輪『デス・レゾネーター』が、彼女の胸の鼓動を拾い、刻一刻と削られていく「生」の感触を、残酷なまでの解像度で久我の掌に伝え続けていた。


【Remaining:29:47:06】


夜。二人は江ノ島近くの、潮騒が聞こえる古い旅館に宿を取った。

街の灯りはまだ消えていない。けれど、天を仰げば、星の隙間を埋めるように銀色のオーロラが不気味に蠢いている。

久我は、旅館の暗い部屋で、あやなの体を丁寧に「調律」し続けた。

それはもはや寿命を視るための行為ではなく、指先から伝わる柔らかな熱、狂おしいほどに波打つ鼓動を、一つでも多く自分の魂に焼き付けようとする、祈りに似た愛撫だった。


「久我さん、もっと……もっと深く触れて。私の全部を、久我さんの中に閉じ込めてほしいの」


あやなの願いに応えるように、二人は深く重なった。

汗ばんだ肌が密着し、境界線が溶けていく。サイコメトリーの感度は限界を超え、あやなの絶望も、久我への愛も、すべてが濁流となって久我の脳内に流れ込む。

ふと、あやなが久我の胸に耳を当てた。


「……久我さんの心臓、私と同じ音がする。同じ速さで、同じ悲しさで、一緒に走ってるみたい」


「ああ。俺たちの魂はもう同期してるんだ。お前が行くなら、俺も行く。地獄だろうが無だろうが、お前一人で行かせやしない。……俺たち、もう一心同体だからな」


久我の低く響く声に、あやなは熱い吐息を漏らし、瞳を潤ませた。


「……ずるいよ、久我さん。そんなこと言われたら、私……もっと生きたくなっちゃう」


その言葉と同時に、あやなは久我の背中に爪を立て、縋るように強く抱き寄せた。

死への恐怖と、今この瞬間の生への渇望。その矛盾した感情が、二人の交わりをかつてないほど濃密に、そして悲痛なものへと変えていく。


(あと一日……明日、太陽が昇っても、俺たちの時間はもう二度と戻らない)


二人は重なり合ったまま、一睡もせずに、銀色の闇が支配する夜を明かした。


【Remaining:24:00:00】


朝。

テレビのニュースは、いまだに「各地で観測されている発光現象」について、気象庁の楽観的な見解を垂れ流していた。

「健康被害はありません」「心配いりません」。

そんな嘘に満ちた平穏を背に、久我は机の上に置かれた「富士山の石」を手に取った。

石は、昨日よりも明らかに大きく、重く、そして生命そのもののような熱を帯びていた。


『ドクン、ドクン……』


石から放たれる拍動は、あやなの胸の音と一分一秒の狂いもなく完全に一致し、部屋の空気を物理的に震わせている。


「……久我さん、この石が私たちを呼んでるわ」


あやなが、石にそっと手を触れる。その瞬間、彼女の瞳が銀色に一瞬だけ輝き、深い知性を帯びた冷たさが宿った。


「一番高い場所へ行かなきゃ。そこで、私たちの『心中の答え』が出るのよ」


久我は無言で頷き、彼女の手を強く引き、部屋を出た。

旅館の主人が「ありがとうございました、またお越しください」と、いつも通りの笑顔で見送ってくれる。

その笑顔が、二度と戻ることのない「日常」からの、残酷なまでの訣別の合図だった。

二人は、銀色の霧がゆっくりと麓を覆い始めた富士山へと向かう。

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