『死神サイコメトリー:世界を救う右手』第三章
第三章:同期する鼓動、心中の夜
窓の外では、銀色の光が毒々しいほどに濃度を増していた。街からは人々の喧騒が消え、時折聞こえるのは、遠くで鳴り続ける壊れたアラームのような無機質な音だけだ。世界は、巨大な沈黙の中に沈もうとしていた。
あやなの自室。そこだけが、世界で唯一の「熱」が残された密室だった。
「……はあ、……っ、久我さん……」
二人は、初めて互いの体温を深く確かめ合っていた。それは単なる情欲による交わりではなかった。一刻一刻と削られていく「死」へのカウントダウンから逃れるための、必死で、あまりに脆い、生の証明。 調律のために触れていた彼女の胸は、今や久我の全身と重なり、その柔らかな重みと拍動が、久我の肌を通じて魂に直接流れ込んでくる。
(こんなに温かいのに……こんなに、生きたいと叫んでいるのに……)
久我の右手が、あやなの背中を強く抱き寄せる。汗ばんだ肌が密着し、二人の境界線が溶けていく感覚。調律の副産物か、サイコメトリーの感度は限界を超え、あやなの絶望も、微かな希望も、すべてが自分のことのように理解できた。
行為のあと、あやなは久我の胸に顔をうずめ、慈しむように小さく呟いた。
「……久我さんの胸、すごくあったかくて落ち着く。ずっと、ずっとこうしていたいな。……ねえ、久我さん。自分の鼓動も、聞いてみて。ほら、ここ」
あやなは、久我の右手をそっと取り、それを久我自身の左胸――心臓の真上へと誘導した。
「……っ!?」
その瞬間。久我の脳内に、今まで経験したことのない漆黒の激しいノイズが走った。視界が真っ赤に染まり、網膜に焼き付いたのは、あやなの胸で見たものと一分一秒の狂いもない、残酷なまでに一致した数字だった。
【Remaining:47:52:10】
「……あ……っ、嘘だ……俺の、俺の寿命も、あやなと同じだ……!!」
久我の全身から血の気が引いた。彼女を救おうとして、彼女の細胞の乱れに深く干渉し、右手を介して魂を同期させ続けた代償。
あやなは、取り乱す久我を優しく見つめ、哀しくも美しい微笑みを浮かべた。その瞳には、恐怖を通り越した澄んだ静寂が宿っていた。
「……そう。私たち、魂が同期しちゃったのね。……ねえ、久我さん。これってもう、心中ね」
彼女の指が、久我の頬を愛おしそうになぞる。自分を救おうとした代償として、久我までもが死の淵に立たされた。その残酷な事実が、皮肉にも二人を、この世の誰よりも深く、強く結びつけてしまった。もう、どちらかが生き残る道はない。二人は一蓮托生、同じ一秒を消費しながら「無」へと向かうのだ。
翌朝。窓から差し込む光は、太陽の暖かさを失い、不気味な銀色を帯びていた。
一階のダイニングへ降りた二人は、異様な光景に足を止めた。 そこには、母親と並んで朝食の席につき、平然とトーストを齧る青年――ユウキがいた。
「……えっ!? ユウキくん、何故ここに……!?」
あやなが驚愕に声を震わせる。
「おはよう、あやな。久我さんの後輩のユウキくんよ。忘れ物を届けに来てくれたんですって」
母親は、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべていた。外を覆う不気味な光も、娘に迫る死の気配も、何も視えていないかのように。 食卓の中央には、見慣れない「赤黒い溶岩のような石」が置かれていた。それは、あやなの拍動と呼応するように、ドクン、ドクンと不気味に脈動している。
久我はあやなを背後に隠し、コーヒーを啜るユウキの胸ぐらを掴み上げた。
「ユウキくん!! 君は、こうなることを知っていて俺に指輪を渡したのか! 俺まで死ぬなんて、聞いてないぞ!!」
「共鳴ですよ、久我さん」
ユウキは眼鏡の奥の瞳をわずかに細め、感情の欠落した声で笑った。
「あなたが彼女の胸を通じて、あまりに深く『生』に執着しすぎた結果です。お互いの波長が完全に一致し、一つの運命を共有するに至った。……究極の純愛じゃないですか。心中、おめでとうございます」
「ふざけるな! 俺はあやなを助けたかっただけだ! 俺が死んでどうする!!」
「……いいえ、久我さん。あなたはまだ気づいていない」
ユウキは立ち上がり、窓の外の銀色の空を指差した。
「なぜ、あなたの右手が彼女と同期したのか。なぜ、その数字がこれほどまでに『正確』なのか。…彼女を救うという行為が、何を救うことに繋がっているのか。…その石を見てください。日本で一番高い場所――富士山頂から、今朝届いたばかりの『忘れ物』です。この街に満ちている銀色の波動が、あそこで形を成したんですよ」
ユウキの言葉の真意を測りかねたまま、久我は食卓の「石」をひったくった。石はあやなの胸と同じ熱を持ち、生き物のように震えている。
「さあ、残りは二日を切りました。精々、後悔のない逃避行を楽しんでください。その石に導かれるまま、一番高い場所へ行けば……あるいは『正解』が視えるかもしれませんよ」
久我はあやなの手を強く引き、家を飛び出した。 玄関を出る間際、背後から母親の、どこまでも明るく、慈しみに満ちた声が響いた。
「あやな、あんなに素敵な良い彼氏さんがいて良かったわね。久我さん、娘をよろしくね。フフフ」
その狂気じみた平穏な笑顔に見送られ、二人は掌で脈打つ「富士山の石」を抱え、銀色の絶望が支配する街へと踏み出した。外では、道ゆく人々が不安げに空を見上げている。その一人一人の胸の奥で、自分たちと同じ「重低音」が響き始めていることに、久我はまだ気づいていなかった。




