『死神サイコメトリー:世界を救う右手』 第一章
『死神サイコメトリー:世界を救う右手』
第一章:銀の凶兆と、死神のライセンス
その日、大学のキャンパスを包む空気には、血の混じった鉄錆のような、不快な金属の味が混じっていた。
黄昏時に染まるはずの空は、禍々しい「銀色の微光」に侵食されている。オーロラのように揺らめくその光を、ニュースは「観測史上最大の磁気嵐」と呼び、物理学者たちは理論の崩壊に沈黙した。だが、霊的な「視覚」を持つ久我には、それが世界の枠組み――すなわち「因果律」が音を立てて軋み、剥離している予兆であると直感できた。
「……はぁ、はぁ……っ。ようやく、片付いたか」
法文二号館の重厚な影、人気のない裏庭。久我は右手を激しく震わせながら、膝をついた。足元には、先ほどまでこの知の集積地に巣食っていた「文字を喰らう古霊」の残滓が、黒い霧となって霧散していく。浄霊によって物質に宿る負の念を強引に読み取り、中和した代償は、彼の神経をズタズタに引き裂いていた。
「……くっ、あ、あああぁっ!!」
突如、右手が内側から爆発するかのように熱を帯びる。視界が銀色に染まり、空を覆う「微光」が巨大な血管のように脈打って見えた。
「ぐ、あ……っ! なんだ、これ……脳に、直接……流れ込んでくる……っ!」
最近の久我は、この銀色の微光に過敏なほど反応していた。空の光が強まるたび、彼の「右手」は制御を失い、周囲の物質が持つ数百年分の負の記憶や残留思念を無差別に吸い上げては、脳を直接焼き焦がしていたのだ。
「言ったでしょう。今のあなたのままでは、世界が発する『銀の波動』に耐えきれず、精神ごと焼き切れてしまうと」
浄霊の一部始終を静観していたユウキが、音もなく歩み寄った。彼は無機質な手つきで、ポケットから鈍い黒光りを放つ指輪を取り出す。
「久我さん、あなたのサイコメトリーは、今、完全に暴走し、人格が崩壊する一歩手前です……。この指輪を嵌めてください」
「は、はぁ……っ、ふざけるな……。俺に、何をした……っ!」
ユウキの手が、久我の震える右手に触れた。その瞬間、指輪が吸い付くように久我の指へと嵌まる。
――カチリ、と。運命が噛み合う音がした。
あれほど久我を苦しめていた銀の波動が、指輪へと急速に吸い込まれていく。激痛は引き、代わりに氷のような冷徹な感覚が右手を支配した。
「……落ち着きましたか?」
ユウキは、久我の指に収まった指輪を満足げに見つめ、その不気味な黒光りの意味を語り始めた。
「これは『終焉の調律器』。あなたのサイコメトリーを制御し、特定の目的のために再定義するためのインターフェースです。今、世界に溢れる『銀の波動』は膨大な情報のノイズ……裸のままのあなたの右手は、それをすべて拾ってしまう高性能すぎるアンテナだった。ですが、この指輪はそれら膨大な情報のほとんどを遮断し、唯一……『その人間がいつ、どのようにして存在を終えるのか』という死の周波数を、あなたの既存のサイコメトリー機能に追加・強化する。死神のライセンス、とでも呼びましょうか」
「機能の……追加?」
「ええ。あなたの『過去』を読み取る能力はそのままに、この指輪が『未来の終わり』をも可視化させる。対象に触れた瞬間、指輪が過去の因果から未来の終着点を計算し、網膜に投影するんです。……ただし、この指輪は触れた相手の生命力をわずかに触媒として利用します。不必要に触れば、あなたがその手で相手の寿命を削り取ることにもなりかねない。それなりの覚悟で嵌めてください」
「ふん、死神ごっこか。柄じゃないな」
久我がその指輪を突き返そうと手を伸ばした、その瞬間だった。
「――っ、きゃああ!? 誰か、どいてっ!!」
頭上の古い石階段。図書館から駆け下りてきた誰かが、濡れた苔に足を取られ、弾かれたように宙を舞った。
「危ない……!」
久我は反射的に足を踏み出し、受け止めるために右手を突き出した。
だが、空に舞う「銀色の微光」が、その瞬間に強く輝いた。 磁気の乱れのせいか、あるいは運命の悪戯か。久我の視界がわずかに歪み、伸ばした手は、想定よりも数センチ深く、彼女の身体へとめり込んだ。
「どさっ」という重い衝撃。 久我の右手が捉えたのは、華奢な肩でも、守るべき背中でもなかった。
(……なんだ、この、感覚……)
掌の中にあったのは、ニットの柔らかな質感を超えて伝わってくる、圧倒的な質量を持った「命の弾力」だった。 指先が深く沈み込む。それは驚くほどに柔らかく、それでいて芯には温かな脈動を秘めている。掌全体で包み込んでもなお溢れそうな、女性特有の豊潤な曲線。 倒れ込んできたのは、学内でも一際目を引く美貌で知られる、文学部のあやなだった。
「……っ、は……っ!?」
あやなの喉から、短い悲鳴が漏れる。 あまりにも露骨に、そして深く。久我の右手は彼女の左胸を真正面から、鷲掴みにするようにして、その形を歪めていた。
「な……な、な……っ!! 何するんですか、この、変態!! 最低!!」
あやなは顔を耳の根元まで真っ赤に染め、怒りと屈辱で身体を震わせた。彼女は久我の胸を突き飛ばし、逃げるように距離を取る。
「どさくさに紛れて……! こんなひどいナンパ、通報してやるんだから!!」
罵声を浴びせながらも、あやなは不意に言葉を失った。 自分を突き飛ばしたはずの男――久我の顔が、この世の終わりを目撃したかのように白く、強張っていたからだ。
久我の視界には、今触れた「胸」の感触と共に、指輪が強制的に引き出した「死のタイマー」が、血のような赤色で刻まれていた。
【Remaining:71:58:42】
「71時間……あと、3日……」
久我の声は震えていた。 その数字は、あやなの心臓の鼓動に合わせて、不気味に、規則正しく脈動している。
「……嘘だろ。なんで、お前が……」
久我の瞳にあるのは、下心ではない。ただ圧倒的な絶望と、今にも泣き出しそうな悲哀だった。 その右手の掌には、まだ彼女の胸の柔らかい残熱がこびりついている。だが、その熱さえもが、今はこの数字を刻むための燃料にしか思えなかった。
「お前……あと三日で、死ぬぞ……」
その言葉は、呪いのように夕闇の裏庭に響いた。 あやなは怒ることも忘れ、自分を射抜くような久我の視線に、蛇に睨まれた蛙のように立ち尽くした。 空を覆う銀色の影が、彼女の白い肌を冷たく照らしていた。




