悪が生きる
その光は、人間に下された神の鉄槌なのだろうか。
悪が人類を制し、その故郷、地球をも消し飛ばした。
人類どころではない。生態系そのものが、跡形もなく消え去った。
結局、勝つのは悪なのか。得をするのは悪なのか。
正義は永遠に勝てないのか…。
悪が、世界を制し、そして罰するのか。
正義が悪を罰するのではない。
悪が正義を罰するのだ。
暗黒の宇宙の中、バリアの中でしばらく身を屈めていたFは、そんな事を考えてしまった。
温かい感触が、彼の腕にこもる。
クラナが、抱きしめられていた。
「…だ、大丈夫…?」
そうだ。
正義は、負けない。
悪に屈しない。
地球消滅という目の前の真実よりも、一人の妹の思いが、Fの正義を留めた。
まだ生きてる。まだ負けてない。
…幾つもの星々が煌めく中、眼前に何かが輝いていた。
星と比べればその質量は比べ物にならない、人間大程しかない虹色の光。
にも関わらず、その魔力は、宇宙の一部を常に照らす程のものだった。
光が晴れ、やつが現れる。
…リューガの姿は、変わっていた。
髪が長く、腰のあたりにまで伸びている、中性的な姿。
全身が虹色のベールに覆われ、海のような波を見せている。
背中からは…白い触手が二本生えている。
しかし、その所々に羽根のような物が生えており、下に向かって光の膜が張られてる。得体の知れない何かを備えていた。
「いやあ、この姿と力を体得するまで努力したんだぜ。れなに殺された後、俺は死後の世界…地獄の底で、修行を続けた。本来悪を罰するっつー世界である地獄でも、俺は悪意を持ち続け、鬼どもに何度も八つ裂きにされた。地獄時間で恐らく百億年…だったかな。でも俺、せっかちだからよ。その百億年後にこの力を体得したら、すぐに地獄から脱獄したんだよ。勿論自力で。刑期はまだ半分もいってなかったのにな!」
地獄では、それぞれの罪人によって拘束する時間が異なると聞く。
大悪党リューガに課せられた拘束時間は、無限に等しいようだった。
だが、彼はその想像もつかない時間の中、一瞬たりとも悪意を捨てた事も、後悔した事もなかった。むしろこうして…自身の奥底に眠っていた新たな力を覚醒させたのだ。
リューガは髪を片手で撫で、翻す。
その姿、その言動。
悪意のみで塗り固められたとは思えぬ姿。
人は、その姿を美しいと感じるだろう。
悪意の、視覚的な具現。それが、今のリューガの姿だ。
「…」
リューガと宇宙空間を、交互に見るF。
地球は、何度見ても姿がない。
「地球は…!?」
クラナがFの横から、無重力に乗ってリューガに近づく。咄嗟にFは片手でクラナを止める。
「消したよ」
リューガの人差し指が、地球があったであろう場所へ向けられる。
消した。
たったそれだけで、この状況が納得できるだろうか。
そう察したリューガは、目の前で[実践]を行う。
「ほれ」
突如、気の抜けた事を言った。
沈黙。
「…は?」
額の血を拭い、Fが、その場にそぐわないような、気の抜けた声を発した。
あまりに恐ろしい事が起きていたとも分からずに。
「お、お、お兄ちゃん…」
クラナがFのコートの裾を摑む。
目眩の中、Fは見た。
クラナの顔…これまでにない程に怯えた顔を。
彼女の視線を辿るように、Fは周囲に目を向ける。そこで、はじめて異変に気づいた。
周囲にあったはずの惑星が…消えていたのだ。
「…どういうことだ」
あくまで平静を保ちながらも、心は不吉な予感にざわついていた。
「だから、消したんだよ。考えただけでな」
そう語るリューガの声は、何て事のないように指を立てる。
「どうやら強くなりすぎたみたいでよお。何でもできるようになっちまった。ほら、こんな事も」
突然、宇宙が歪み始めた。
Fの視界に、目眩と共に飛び込む非現実的過ぎる光景と現象の数々。彼はバランスを崩し、無重力のままに流されそうになったが…。
その時にはもう、その[空間]は、無重力ではなかった。
突如重力が戻り、Fを引っ張り、硬いものに叩きつけられそうになる。
「お兄ちゃんしっかりして!!」
クラナが下に回り込み、両手で兄を支える。
…目を開くと。
そこは、宇宙などではない、楽しげな遊園地だった。
メリーゴーランド、観覧車、コーヒーカップ、ミラーハウスにお化け屋敷。
今まで目にしてきた惨状とはあまりに真逆で、無垢で、それ故訪れた者の不安を煽るような場所だった。
「どうだ?宇宙から転送したんじゃねえぞ。宇宙そのものを遊園地に変えてやった」
力を誇示するような言い方。明らかに二人を威圧している。
リューガはその神秘的な姿のまま、近くの柱を掴み、そこによじ登りながら遊び始めた。自身の余裕をも、過剰に誇示しているようだった。
とても大量の命を奪った者の姿に見えない。リューガは柱の頂点付近に登ると、そのまま近くのメリーゴーランドに飛び乗る。
愉快なbgmの中、踊るように舞い、遊ぶ道化。
彼は、可愛い息子達も[遊び]に誘うように、左手を伸ばした。
「俺のもとに来たら、俺の力でお前らにとって理想の世界を作ってやる。れなたちも何回死んでも生き返らせてやるぞ」
メリーゴーランドに乗るリューガが、視界の隅へと通り抜けていく。
その間、Fもクラナも、無表情のまま黙っていた。
…メリーゴーランドの上のリューガが、目の前の位置まで戻ってくると。
Fが拳を突き出した。
拳圧が、メリーゴーランドの馬へと直撃。
バラバラに解体し、上に乗っていたリューガを地面へと叩き落とす。
ついでとばかりに、Fはすぐ近くのコーヒーカップを、同じ手段で破壊した。
bgmはまだ流れているまま。だが、一部が壊れただけでも、楽しさを押し付けるような不快感は拭えた。
それに…これは、リューガがいかに強い力を持って何をしようとも、自分達は何度でもそれを打ち砕く、という意思表明だった。
それはリューガにも伝わったようで。
「やるか」
虹色のベールの向こうでも分かる。
リューガが拳を握ったのを。
Fはクラナを守るように、彼女の前に踏み込んだが…。
クラナは、そんな兄の横に出る。
「もう、アタシは守られてばかりじゃないよ…」
その言葉には、確かな固い意思がある。それとは裏腹に、彼女の目はまだ震えていた。
自身の父親が悪党である事は知っていた。
それでも会いたかった。
どんな汚れた存在でも、会って顔を合わせたかった。そして、できれば笑いあいたかった。
そんな、過去の自分が抱えていたある種の夢は、こんな形で打ち破られた。
大切な仲間が、殺された。
それだけで、十分だった。
その夢を諦めるには。
目を瞑るクラナ。
涙は、流さない。戦士として。
「…クラナ。一緒に倒そうぜ。…クソ親父を」
もう親父と呼ぶのは、これで最後だ。
Fとクラナ、それぞれの覚悟が、強固に結ばれた。
『どりゃああああああ!!!!!』
叫びが、空間に力を及ぼしたのだろうか。
場違いなbgmを打ち消し、遊園地が黙り込んだ。
青空は、白い雲が増え始める。
二人の拳が、リューガにぶつかる。
リューガは…まさに、びくともしない、という言葉が何より合っていた。
確かに当たる感触はある。見た目は変化しているが、その肌の感触は変身前のリューガと同じ、生物を殴っている感覚。
二人は腰を落とし、そして捻り、風圧を味方につけ、拳をリューガへ叩きつける。
岩を粉砕する程の打撃…いや、それ以上。鋼鉄だって、容易に砕ける程だろう。
なのに、リューガは全くダメージを受けていない様子だ。それどころか、これが攻撃とすら思われていないらしい。
彼は殴られ、蹴られているのにも関わらず、微動だにせず、ただ近くのアトラクションを眺めて、時々口笛を吹く。
確かに当たってるのに、その絵面はまるで、ホログラフでも殴っているかのよう。
必死に動けば動くほど、自分達が馬鹿らしくなる。
時々、リューガは意味もなく「あー」とだけ発する。
あまりに退屈そうに。その振る舞いもまた、彼の力に凄まじさを示すようだった。
Fは導狼の証を青く光らせ、全身の魔力を一気に活性化する。
そして、魔力を込めた拳を叩き込む。通常の打撃とは異なる技だ。
効果は…なし。
「くっ…」
クラナが、幼さを感じさせない戦士としての声を発した。
彼女は周囲の空間上の魔力を集中、桃色の光弾を連射。
リューガに当たり、爆発する。
効果はなし。
「なんでだよ…!」
Fはリューガの急所へ集中攻撃。
頭頂部に拳を全力で叩きつけ、後ろに回り込んで後頭部へ肘打ち。
クラナも鳩尾を真っ直ぐに殴りつけ、両目へ手刀を真っ直ぐに打ち込む。
なのに、傷一つつけられない。
これだけの攻撃が飛んできてるというのに、どれにも反応がない。
攻撃を逆に楽しんでいる、という素振りさえ確認できない。
…攻撃そのものが干渉できない程の存在になっているのだろうか。
リューガは更にもう一度、「あー」とだけ呟くと…。
二人目掛けて、拳を少し突き出した。
少しの空気の振動すら生じさせない程、緩やかで、もはや突きとすら言えない程の低速で。
その攻撃一つで、二人は遙か先に吹き飛ばされた。
二人だけではない。
その緩やかな動きからは明らかに矛盾した衝撃の嵐。それは、空間そのものにすらとてつもない影響を与え…遊園地を、瞬時に崩壊させる。
アトラクションは溶けるように砂に戻り、大地に大量の亀裂が生じ、地上が消滅していくかのよう。
Fとクラナは亀裂に落ちていき、地底深くへと飲み込まれていく。
リューガは、ここでまた力を働かせた。
割られた大地同士が互いに叩きつけられあい、地面が修復する。
つまり、亀裂に落ちた兄妹は…地面に挟み込まれ、潰された。
いや、こんなものでは終わらない。
「リューガァァァァァァ!!!」
地面が砕かれ、二人は飛び出した。
血まみれの姿でありながら、まだ戦う余力を残している。
その生命力は…リューガの子である何よりの証拠だった。
もはや、どう攻撃すれば通じるか、など考えている暇はなかった。偶然でもいい。
こいつの弱点を何かしら突く事ができれば。一瞬でも痛がらせれば。
それだけで、1パーセントの勝率は見えてくる。
藁にも縋る…などというレベルではない。
それでも、やらねばならないのだ。
愛する全てが、壊されたのだから。
永遠に殴り続ける覚悟だった。
「絶対…絶対、お前を倒…」
必死に言葉を紡いでいたクラナだが…。
…突如、血を噴き出した。
「ク、クラナ!?」
Fの拳が、一瞬乱れた。
リューガは、クラナを右手で掴み上げた。
そして、左手の拳を握ると…。
「飽きた。もう玩具にもならねえ」
クラナの頭を、粉々に吹き飛ばした。
血すら出なかった。
「…」
Fの時が、止まった。
これまで無視し続けていた情報量が、一気に脳を掻き乱す。
目の前には、父親によって殺された…世界で一番愛している妹の、首無し死体。
ゆっくりと膝を突き、ゆっくりと倒れる。
仲間が死んだ。
妹が死んだ。
地球も滅びた。
…宇宙も滅びた。
現実が突きつけられた。
目の前にいるのは、あまりに次元が違う存在。
ただ思案するだけで、世界を破壊する事も作り上げる事もできる相手。
かたや自分…。
妹一人、守れなかった自分。
「…あっ」
地面が近づいてくる。
全身の力が抜け、体を支えていた足が、勝手に曲がっていく。
相手がこちらに迫る音が聞こえてくる。
逃げねば。
避けねば。
戦わねば。
そんな思考すら、残っていなかった。
…多くの人間を守ってきた。
そんな自分たちの最期を飾るのが、人間の悪意の化身とは。
恐らく、人生最初の挫折。
そして、最後の挫折でもあった。
「おーおー、馬鹿すぎて可哀想とも思わねえな。同情の余地ゼロ。敵わねえって、分かってたんだろ」
Fの首を鷲掴みにし、持ち上げる相手。
もう、相手の名前も忘れていた。
思考が止まる。
全てを諦める。
…今抱えてるこの絶望すらも、リューガの魔術によるものだとは、思いもしない。
「こんな腰抜け野郎を後継者にしようなんて考えた俺も、相当な馬鹿だな」
リューガの拳が、握られる。
「…クソ、野郎」
虚しい呟きが、雫のように落っこちた。




