死するは正義
「…え?お姉ちゃん、来てないんですか?」
研究所にて。
白く、清潔感溢れる壁に囲まれた研究室。
パソコンをはじめ、精密機械が並ぶその部屋は、最早人間が住むような場所には見えない。
にも関わらず、その空間で一人、椅子に座る初老の男性の顔は、あまりに人間味に満ちていた。
「…そうだ。れなはここには来てないよ」
博士の顔。
それは、娘を心配する父親そのものだった。
「…また、何か恐ろしい相手と戦ってるんだな」
ワンダーズ…及び、れなとれみの姉妹が強敵と戦うと、博士はこうして、確認するような発言を度々重ねる。彼は姉妹の覚悟を重々理解している。だから、戦いを止める事はない。
とは言え、心配がない訳ではない。
いつ彼女らが取り返しのつかない状態になってしまうか…そんな不安を抱いている。
彼は研究を続けていた。未知の脅威が人類を脅かし、ワンダーズの出番が無くなってしまうような世の中を作るべく。
…残念ながら、今のこの状況は、彼が恐れていたものだった。
娘の姿が見当たらず、不明瞭な要素だらけ。けれど、娘に何かしらの危機が迫ってる事だけは明白…気が気ではないとはこの事だ。
れみは小さな体を博士の方へ傾け、覗き込むようにしつつも、独り言のように言った。
「…お姉ちゃんの腕を直したのが博士じゃないとしたら…他の研究者に…?」
「いや、それはない。彼女は…。物のような言い方はしたくないが、私名義のアンドロイド。他者の研究者の手で修理されたのであれば、その場合も私のもとへ連絡が来るはずだ」
博士は、体を軽く整え、れみに近づくように、椅子から腰を引く。
「…戦うなと言っても、止まらないんだろう?」
諦めたようなその言い方は、罪悪感を煽る。
れみは、すぐに答えが出なかった。
「…」
「…相当、危険な相手のようだな。先程、ニュース速報が報じられた。世界各地で、突如血を流して倒れる人々が続出していると。お前達が今戦ってるのは、間違いなく、コレだろう」
もうリューガが動き出したのだろう。
やつが人を殺す理由など、ほとんどない。ただ楽しいから。
やつはそれをサーカスと呼び、サーカスへの冒涜を繰り返す。
楽しい…それだけだ。
そんな愉快犯相手に立ち向かうなど、本来ならば娘でなくとも止めるはずだ。
それでも博士は、決して、やめろ、とは言わない。
アンドロイドでありながら、彼女らには自由に動く権利があると、彼は考えてるのだ。
…だからといって何の干渉もない訳ではなかった。
「…私もれなを探したい」
彼は、立ち上がる。
「れなはどうせ、やつと戦うだろう。私が全力で止めても、何の意味もない事は分かってる。あの子は正義感の塊だ。どんな敵が相手だろうと、決して放ってはおかない。でも…私の娘だ」
彼の目は、一種の決意に溢れているようだった。恐らくれなもリューガを前にすれば、こんな目をするだろう。
自分は足手まといになるだけだ。彼に課せられた使命…れなとれみ、そしてれなの仲間達、ワンダーズを見守る事、傍観する事。
「…博士」
「さあ、行こう。私もれなを探す」
二人は並びあい、研究所の玄関へと向かう。
…その頃。
「ははは!!ほら、早く殺し合え!」
名前も知らぬ、小さな町。
悪魔は、血の湖の上で、ある親子を新たな玩具として扱っていた。
…リューガ。
彼は近くの適当な家の屋根の上から、その惨劇を見物していた。
母親と娘。
なんの変哲もない、一般人の親子。
この親子がどんな人生を送ってきたのか。恵まれてるのか、貧しいのか、今の人生を謳歌しているのか、退屈しているのか。
そんな個性は、リューガにはどうでもいい…と、世間は思うだろう。
しかしリューガはむしろ真逆だ。
「お前らさ、さっき楽しそうに話し合いながら歩いてたよな?仲良さそうだなあ」
親子の顔は苦痛に満ちている。
母親の腕には刺し傷、そこから滴る真っ赤な血、そして娘の手には…ナイフが握られている。
「いや…やめて…やめて…!」
娘は頭を激しく振るいながらも、足は勝手に進んでいく。
母親の方へと、刃を向けながら。
その動作は、まるで操り人形のよう。リューガにとって、今の彼女は自身のショーを彩る小道具の一つに過ぎない。
母親は何も言えない。その思考も、定まっていなかった。静かなパニックに陥っていたのだ。
娘を助けるという意志、死にたくないという本能、何が起きているかも分からない恐怖。
彼女は、刃を前に動けない。いや、むしろ、この悪夢がさっさと覚めてほしいと、自ら終焉に近づこうと、歩を進めようとしていた。
…刃が腕を僅かに掠めた時。
「きゃああああ!!!」
噴き出すように、恐怖が露わになる。
足が高速で後ずさり、娘から離れる。娘の顔は涙でグシャグシャになっており、膝から崩れ落ちそうだ。だがそれも許されない。
リューガは両足をブラブラと揺らしながら、その光景に夢中になっていた。
その目には、何故だか涙が浮かんでいる。
「ああ、可哀想…なんて可哀想なんだ…!謎の男の魔術で体を乗っ取られ、意識はそのままの状態で、自分の手で自分の母親を八つ裂きにする…。うーん…」
左手の裾で涙を拭い、眉を八の字に寄せる。
「一体誰がこんな事を…!あ、俺か!ははははは!!!」
両手を叩いて大笑いするリューガは、本当に楽しそうだった。その足元では、娘は更にナイフを振るいながら母親を追い回している。
意思とは関係のない、矛盾した殺意。
…娘は自身に残された理性を使い、体に繋がれた糸に抗っているようだった。
「…っ!!」
彼女は足を強く踏み込み、その場で動きを止めた…。
「あ…」
母親もまた、娘を前に硬直した。
今なら助けられるかもしれない。
どう助ければ良いかは分からないが、何もしない訳にはいかない。
…逃げるのが一番だというのに、彼女は、親としての愛情を燃やすまま、娘へ駆け寄ろうとする。
「おい、萎える事すんなよー」
これにリューガが黙っている訳がなかった。
彼は娘を操る見えない糸を更に強く引っ張る。意識の中で魔力を強め、暴力的なまでにその四肢を締め上げていた。
娘の手に握られたナイフが、母ではなく、彼女自身に向けられた。
急所ではなく、肩に向けられる刃。
「逆らえば、てめえの全身を滅多刺しにするぞ?痛いぞー」
その声に宿るのは怒気ではない。やはり、喜びだ。
リューガにとって、人を傷つける事であれば、何でも、どんな事でも、極上の娯楽となるのだ。
どんな幼い命だろうと、痛めつけるのに容赦はしない。むしろ無垢であればあるほど、苦しめるのが楽しいのだ。
人間の攻撃的な本能が、ベールのようにリューガを包んでいた。
…その時!
「やめろっ、クソリューガ!!!」
空が一瞬光ったかと思うと…金色の光が、リューガに衝突した!
リューガは屋根の上から勢いよく落ち、コンクリートの上に後頭部を強打する。
同時に、娘を縛り付けていた催眠魔術が緩む。
極度の緊張感で全身の感覚が研ぎ澄まされていた娘は、転倒しそうになりながらもようやく自由を取り戻す。
乱入してきたのは…れなだった。
彼女はリューガに衝突した直後、娘の手からナイフを取り上げ、リューガ目掛けて投げつける。
これまで幼い少女とその母親を痛めつけていた刃が、元凶の額に突き刺さる。
「二人とも早う逃げて!!!!」
れなは自身を盾にするように、親子を逃がす。
「…ありがとうございます!!」「お姉ちゃんありがとう…!!」
二人の足音が遠ざかっていく。れなは正面のリューガを、じっと睨みつけた。
リューガは、額に刺さったナイフを引き抜くと…。
一瞬にして姿を消した。
「っ!」
れなは、息を呑む。
リューガの次の行動を読んだのだ。
「この野郎!!」
…次に展開された光景は…。
逃げる親子のすぐ後ろに、一瞬にして移動したリューガと、その襟首を掴んで動きを止めるれなの姿だった。
リューガの手には血まみれのナイフ。
『…あ、あああああ!!!』
声を揃え、勢いよく走って逃げていく親子。
リューガは、目だけでれなの方へ振り返る。
「…てめえよお。空気読めよ。今のは止めんなよ」
「テメェ、アタシという戦士を前にして、真っ先に狙うのがあの無防備な親子…?」
リューガの顔面に、拳を振るうれな。
案の定、リューガは姿を消した。あまりにも動きが速い。
背中を蹴り飛ばされるれな。大量の重りを一気に叩きつけられたような衝撃が走る。
一撃でやられていてもおかしくないダメージだったが、れなは足先の力だけで、倒れそうな体を意識に繋ぎ止まる。
よろめいた勢いのままに、拳を振るう。
今度は当たった。拳はリューガの顔面に直撃。
鼻がへしゃげる程の攻撃。その衝撃でリューガの髪が揺らめき、背後の小石が転がる。
「全っ然効かねえな?もう一回やってみろよ」
両手を揺らめかせ、馬鹿にするリューガ。
無防備になり、れなへとターンを譲る。
歯を折れんばかりに食いしばりながら、れなは拳に全力を込め…。
「後悔させてやるクソ野郎!!!」
…突き出した。
ここは人が暮らす街。破壊しないように、力を抑え込んだ攻撃だったが。
拳を振るうと同時に、衝撃波が放出された!
不可視の刃、不可視の衝撃の塊が、膨大な波となってリューガの頭部を吹き飛ばす!!
暴風が吹き荒れ、そこからも発生した風の刃がリューガの胴体にも斬撃を刻み込む。拳から発生した嵐に吹き飛ばされる小石たちが、近くの建物に衝突、穴を空けていく。
あまりの破壊力の打撃は、斬撃すらも作り上げるのだ。
首を失ったリューガは、バランスを崩し、地面に叩き落される。その姿は、奇しくも首を破壊されたテリーと似ていた。
倒れたところで、れなはすかさずリューガの胸部にも拳を振り下ろす。
「どりゃあああ!!」
今度は胸に風穴を空けた。鮮血の噴水が舞い散り、軽く返り血を浴びる。
慣れない攻撃に、足が震える。
普段、殺生は行わないれな。相手を生かすのが、ワンダーズの第一の目的だった。闇姫軍すらも、殺した事など一度もない。
だがこのリューガの前でだけは、そんな考えは甘いもの。放っておけば、秒単位で凄惨な被害が出ると言っても過言ではなかった。
未だに手足が震え、隙を晒さぬようそれを抑える。本当にかつてリューガを殺せたのかと、不安な疑問がどうしてもよぎる。
念入りに、もう一度殴り潰そうと拳を握る。
「震えてるじゃねーか、可愛いねえ」
いつの間にか、リューガが消えていた。
また背後からだった。
「っ!」
リューガはわざとれなが振り返り始めるのを待ってから、その右腕を摑む。
「確か折ったはずなんだけどな?まあ良い。何回でも折ってやれるしな」
また、やられた。
抵抗する隙すら与えられず、腕が瞬時に捻られる!
消えたはずの頭が元通りになっているリューガのニヤけづらが、二重に見える。
「うごあっ!!!」
短い悲鳴が、その激痛を物語る。それでも彼女はリューガを蹴ろうと、足を勢いよく振るうが、リューガは高速移動をするまでもなく、ふざけた挙動で飛び跳ねてかわす。
広範囲に拳圧を打ち込むべく、れなは拳を勢いよく振り上げる。また不可視の衝撃波が放たれ、コンクリートの地面が軋み、石が宙に浮いては砕ける。
リューガはバク宙で距離を離して回避。
「くそっ!くそっ!!」
苦渋しながら、リューガの肩へと手刀を叩き込む。
直後…一瞬にして爆発が起きた。
リューガが突然、爆発したのだ。
れなはそれに巻き込まれた!
ほんの1秒ほどで、閃光と熱が放たれる様は、爆発というより光線に近かった。コンクリートに背中を叩きつけられ、衝撃に貫かれる。
「うああああ!!!」
自然に視界に飛び込む青空に…目の前にいたはずのリューガが浮いていた。
「おいおい馬鹿じゃねーの。それ分身だよ」
つまり、先程から必死に殴っていたのは偽物だった…という事だろうか。
そんな事を考える暇もなく、れなは空中目掛けて拳を突き出す。拳圧が発射され、リューガを撃ち抜く。
見えない圧がリューガを包むと同時に…空中のリューガまでもが、瞬時に閃光を放った!
直後、巻き起こる爆風。そして…その中から飛び散る無数のナイフ。
「くっ!」
飛んでくる刃を直前で殴り砕き、落としていく。殺意の嵐、予測不能の攻撃。
もはや頭が追いつかない。こいつの悪意に対する怒りさえ、沸き立たせるタイミングが分からなくなる。
「はい、もうおしまい」
何もない場所から、声がした。
…必死にナイフの相手をするれなの横、何も無かった場所から、突然リューガが現れた。
まるでずっと透明になって、れなを監視していたかのように。
「うあっ!!」
今度は左手も掴まれ…軽くねじ折られる。左右から挟み撃ちにしてくる、重く、鈍い激痛。
膝を突き、倒れそうになる彼女の足を、リューガは逃さない。
リューガはれなの膝関節目掛けて蹴りを仕掛けた!
「あっ…」
虚しささえ感じる声が、れなからあがる。
四肢を封じられた。
武器が、完全に封じられた。
背中に、ゆっくりと足をのせられる感覚。
冷たい地面と、妙に熱を感じるリューガの足。
ここまで不愉快な気分になったのは、生まれて初めてかもしれない。
「おい、もう動けねえのか。情けねえな。何しに来たんだよ?」
「お前を…倒す為…」
言い終わる前に、鉄が潰れる音が響いた。
そして、れなの意識が途絶える。
…背中を、足が貫通していた。
それだけではない。
後頭部にも腕を突き刺され、オイルと部品を無残にまき散らしていた。
緑のガラス玉のような眼球が、地面に転がる。
「俺を殺した時の威勢はどこ行ったんだ?ほんと、情けねえやつ」
(…本当に)
闇に落ちていく思考。
れなは、深い深い崖の底へと落ちていった。
(…本当に、これで良かったの?)
鈍感になっていく感覚の中、彼女は、ここへ覚えのある気配がいくつも集まってくるのを感じていた。
仲間達だ。
(…ほら、皆来ちゃったよ。このままじゃ、皆殺される…。やっぱり、こんな早くに戦いを挑む必要はなかったんだ)
れながここまでリューガに戦いを挑みにやってきたのは、彼女の意思ではない。
彼女もまた、大いなる何かに、糸で吊られていた。
その存在。
この世界では、傍観者と呼ぶ。
「いいえ。これが正解です」
…暗闇の中、れなの手をとったのは。
天使のような少女だった。




