教育という地獄
人間の悪意…それは、この世で最も厄介なものと言っても過言ではない。
地球上でも特に理性ある生物であるとされ、思考する力を持つからこそ、あらゆる箇所で災いにも等しい悪事を考え、行動に移し出す。
そしてそれは、今回も…。
「はあ、全く。何でこんな事もできないかしらね」
ある学び舎。
テクニカルシティの学校。机と椅子が無骨に並べられた教室で、一人の女性教師がため息をついて教壇に両手を乗せていた。
彼女、ユリカはこの道十年年以上もの間教師を務めてきた人物だ。故に経験も豊富、生徒たちの扱いも手慣れている…つもりだった。
近頃は生徒も言う事を聞かず、授業中に席を立つ、黒板に落書きをする…あらゆる非常識的な行いで、ユリカの頭を悩ませ、苛つかせていた。
近頃の子供は活発であるとは聞いていたが、まさかここまでとは。つい先程はチョークを隠され、授業の半分程を説教で費やした。そんな事に振り回される自分自身にも腹が立つ。
頼れる友人も彼女にはいない。理解ある人物とは案外少ないものだ。
…そんな中、ダメ元で頼ったのが…。
「はーい、お呼びかな先生〜」
黄色いツインテールヘアーを揺らし、自分自身もユラユラと揺らしながら、一人の少女…れなが入室してきた。その態度、その髪型、その仕草…ユリカを苛つかせるには十分すぎる。
それに、彼女は明らかに相談する相手を間違えた。何故、テクニカルシティで少し話題になっているというだけのこんな娘を頼ってしまったのだろう。こんなところでも彼女の判断力の鈍りを感じさせ、苛つきは止まらない。
ユリカの組まれた手、その指先が小刻みに動くのを見て、れなは気まずそうに姿勢を整えた。
「あ、ど、どうも…」
それかられなは事情を聞き出した。
ユリカの悩み、学校での治安、そしてユリカ自身が廃れてる事。
一応、れななりに真剣に話を聞いた。椅子に座り、相槌を打って目を合わせる。
…が、れなは教師ではない。明確な解決策など分かるものか。
れな達ワンダーズは便利屋ではあるが、人生相談ばかりは受け付けてない。事務所にもそう書いておくべきだった。
「…アンケートとってみたら?」
ありきたりなその答えに、ユリカは深いため息。片手だけを机に叩きつけ、力任せに立ち上がる。
「そう、ありがとう」
無愛想な返答に、ムッ、とれなは片眉を上げた。呼び出しといてその態度は何だ、と。
結局、その日は何の解決策も浮かばぬまま、虚しく時間が過ぎた。
適当な雑談の末、れなは靄に塗れた気持ちのまま、校門を抜けていった。
「あの先生…何か嫌なものを感じたな…」
不愉快な思いこそさせられたが、故に心配でもあった。あんな様子で、本当に上手くやっていけるのか。
そして、れな以上に心に靄を抱えていたのは、誰あろうユリカ。
両の握り拳が、教壇に置かれていた。
翌日。
「おい!!またお前らか!!」
ユリカの怒号が教室に響く。
声の矢が狙う先は、髪の長い男子をリーダー格とした、四人の男子グループ。だが彼らはこの矢をかわし、人を舐めきったような笑みで返してみせた。
授業中、席から立って堂々と仲間同士で話しだした彼ら。日々様々なトラブルで苛立ちを募らせていたユリカを怒らせるには十分な行い。
「前も言ったでしょ!あんた達、何回言えば分かるの!?」
「ええー、だってさ、ユリカの授業つまんねーだもん。聞いてはいるからさ、せめて歩かせてくれよ。椅子に座りっぱなしなんて無理でーす」
座る気配はゼロ。反省する気は勿論ゼロ。
彼らだけではない。隅に座っている女子生徒数名もまた、くすくすと笑ってる。その笑いが男子達でなく、ユリカに向けられている事はそのわざとらしい視線から嫌でも分かる。
はっきりとは聞こえないが、ユリカには分かる。たった数名の子供も正せない自身を笑ってるのだ。
子供だからこそ、正すのは難しいというのに。
「…」
その日の放課後。
夕暮れ。オレンジの陽だまりが校舎を支配する中、ユリカは重い足取りで校門をくぐる。
結局、今日も何も変わらなかった。そして、変えられなかった。
若いユリカ。児童から舐められ、あのような態度を取られて心身ともに疲労が激しい。
それに、注意すればするほど彼女の口調も激しくなっていく。このままでは問題児の一人でも泣かせてしまい、教育委員会や保護者からもアレコレ難をつけられかねない。自身の立場も危うくなるだろう。
…ぼんやり考えながら歩いてると、彼女の前に一人の少女が現れる。
夕陽の中で穏やかに揺れる長い二本の髪。
れなだった。
コンビニ帰りなのか、彼女は両手に袋を提げて歩いてる。ユリカの姿を見ると立ち止まり、目だけをあわせてきた。
「あ、先生じゃん。こんな所で何してんの」
「帰ってるだけよ」
苛立ちをのせた声。れなは眉を潜めつつも、ユリカの前に寄りつく。力になれなかった事をほんの僅かながら気にしていたのだ。
あれから何も解決策を見いだせなかった事を語るユリカ。とは言え、れなを教室に呼んでからまだ二十四時間も経過していない。何も解決策が出ないのは当たり前の事。
が、ユリカの心はあまりにも弱気だった。
このまま一生、舐められ続けるのではないか…ならばいっそ教師をやめるしか…。
「…まあ、どうにもならないわよ」
俯くユリカ、ぼんやり見つめるれな。立ち話は、意外にも長引いていた。
そんな時だった…。
唐突に現れたのだ。邪な者が。
「…!」
れなが気づく。
背後から、何か邪悪な気配を感じたのだ。れなはアンドロイドではあるものの、全身に隠されたセンサーのおかげで強い察知力を保有している。それは生物の心のオーラすらも読み取る事ができる。
振り返ると…そこには一人の男が立っていた。
眼鏡をかけており、黒いスーツを着ている。青く、異様に整ったネクタイが妙に目を引く。
しかしながら、全体的な風貌はどう見ても普通の人間。会社帰りにしか見えず、今の邪悪なオーラを纏うような人間にはとても見えない。
「そこのあなた」
男は人差し指を向ける。その指先は…れなではなく、後ろのユリカに向けられていた。
突然の遭遇に、ユリカはしばらく黙っていた…。
「…え、私?」
恐らくそれは、素の声だった。高いトーンの声、れなの耳には新鮮に聞こえただろう。
男は一歩一歩ユリカに近づいていく。自然な足取り、敵意を感じさせない動き。れなは思わずそれを見過ごしていた。
「…!危ない!」
ここでようやく明確な危機感を覚えた。れなは手を突き出すが、男はユリカの手をとる。
そして…。
瞬く間に、姿を消した。
「え?」
本当に一瞬だった。
二人ともはじめからその場に存在していなかったかのような…無だけがその場に冷たく残されていた。
れなは沈黙した。一般人にしか見えない男がユリカの手を取り、そして消えた。
魔力やエネルギーの残滓らしきものも感じられない。風が地面の葉を運び、舞い上がらせ、空間はあまりにも普通に動いていた…。




