仮面の女
「そこに座らせろ」
そこは、暗がりが支配する怪しげな施設。
顔が不気味に歪められた人形や、天井から吊り下げられた三日月型の刃、明らかに誰かを斬りつけた血の跡が残された剣が床に転がり、巨大なステージが奥に控えている。
少なくとも、世間に晒されて良い雰囲気はない。人によって作られた事は確かな構造だが、まるで異空間のような異質さが渦巻く。
…なのだが…ここにいる者達の姿は、全てただの人間だった。
そう、ただの人間。
サラリーマン、OL、学生。
白衣を着た研究者、八百屋や魚屋、医者、聖職者。
ずらりと並ぶ人間達は、誰一人として世から外れたような風貌はしていない。
常世の人間達を、そのまま異界へ移動させたような、本当に妙な光景だ。
そして、この場所に二人の[新人]が現れた。
両手を手錠で拘束され、床に座らされたその二人…。
一人は疲れきった表情の女教師、ユカリ。もう一人は目の前の人間達を強く睨みつける青年、リスケ。
リスケが声を荒げて怒鳴りつけた。
「おい!!何だクソ野郎!!ここはどこだよ!?」
「黙れゴミクズのクソガキが!!」
横に立った屈強な男が、リスケを蹴りつけ、髪を掴んで引っ張る。一方的な弾圧力が叩き込まれ、苦痛に口を閉じるしかない。
震えながらも、改めて目の前の光景に目を通す。
沢山の人間達…その表情は様々。
笑っている者、無表情な者、何故か怒りに満ちた表情の者。
やはりその表情も普通の人間…この施設にどこまでも似つかしくない。
彼らはしばらく二人を見下した後…道を開けるように広間の端に寄り始めた。
紫の光が漏れ出し、その奥から二つの人影が現れた。
一つは…赤いベレー帽を被ったガタイの良い大男。
顔の左側が鋼鉄のカバーに覆われている。
顔だけではない。左手、左足…左半身全てが鋼鉄のカバーに包まれている。
サイボーグだろうか?だが彼は、穏やかな笑みを見せたまま、あまりに人間的な声を発した。
「突然手荒な事をしてすまなかったね。…我々は、ある分野を信仰している一般の組織集団なんだ」
唐突に始まる自己紹介。
そんなものはどうでもいいと、リスケは器用に立ち上がり、一発蹴りでも入れてやろうかと足を構えたが…。
無機質な音が、その場に響く。
その場にいた全員が…リスケとユリカに銃を向けた。
「うっ…」
膝をつくリスケ。そこで、真横の男がまたリスケの横頬を殴り飛ばす。
「クソッタレの馬鹿がっ!!ゲロ以下のカス野郎が、黙ってねえとぶち殺すぞクソが!!」
黒い銃口が、二人を狙う。何人かの手は震えているが、それは迷いではなく、素人ゆえの照準のブレだった。
銃を構える事自体に迷いはない。
大男はそのまま語り続ける。
「…私はグルテ。元々は北コゴエザリム王国軍中尉として活動していた。大戦時もそこそこいい活躍をしたと自分では思っているよ」
両手を腰の後ろで組み合わせる彼に、リスケは目を細めた。
「コゴエザリムの大戦だと…?何言ってんだテメェ、馬鹿かよ?それはもう百年以上前の出来事だろ…」
「…勉強熱心な事だ。そう、私は百年前の戦場で駆け抜けていた。しかし、私はこれのおかげで永遠に近い命を手に入れられてね」
彼は自身の顔の左半分を、指先で軽く叩く。
機械の半身…それが彼の長寿の理由だという。
コゴエザリムの大戦…それは、氷の張る大地に存在する大国、コゴエザリムを襲った惨劇。
またの名を、血雪の戦い。
コゴエザリムに眠る鉱物を求めた貪欲な先進国、ドグリーンが仕掛けた戦争。
当時発展途上だったコゴエザリムはドグリーンの軍力を前に成す術なく荒らされていき、多くの国民の血で白い雪が赤く染まった…その惨状が、血雪の戦いと呼ばれる所以である。
「ドグリーン。私は、当時はやつらを呪ったよ。しかし今になってはこう思う。彼らは欲望、及び生きる意志に忠実だったと。非道に走ってでも彼らは自分達の欲望…生きる事への執着を見せたのだ。他者の命を奪ってでも自分達の生き抜く活力に変える。生物として自然な事だ」
リスケはやや俯きがちに、けれども目線はグルテを見上げたまま答える。
「は?頭おかしいんじゃねえのかおっさん。悪事を犯してでも己の欲を満たそうだなんて。良い歳した大人がよ!クソバカの能無しが…」
「どの口が言うのかな?間抜け君」
ぐぬ、とリスケは黙りこむ。
ふと、すぐ隣のユリカに肘を押し付けた。
「おい、何とか言えよあんたも…」
ユリカは…何も言わない。
完全に全てを諦めた顔。何も言わず、何もしない。
意思を放棄した、ある種の怠惰。
グルテは微笑むと、右手を広げてある方向へ視線を誘導する。
「そして…現在私は、このお方にお仕えしている」
またもや、紫の光、それらは天井に設置されたライトから放たれ、まるでスターの登場を彩るかのような…。そんな明るさに満ちた雰囲気が、この得体の知れぬ施設の不気味さを余計に引き立てていた。
光の中、誰かが立っていた。
長い黒髪、赤い着物、そして…。
赤い目が光る、白い仮面。
「…なんだ、あいつは」
リスケの視界に映ったその女は、異様なオーラを纏っていた。
何も話さず、何も発さず、ただ小階段を少しずつ降りていく。その動きは気品に溢れているが、何故だがこちらを見下すような意図を感じさせる。
存在するだけで場の空気が淀み、世界に流れる時が遅くなるような…。
これは、力だった。
その女は、普通の人間であるリスケですら分かるほどの、得体の知れない力を発していた。
「…」
黙り込むリスケ。ユカリも、この時ばかりは女の方を見つめていた。
そして。
「…!」
気づけば、女はすぐ目の前までやってきていた。
意識の隙を突かれたような、一瞬の出来事。
先程まで光で見えづらかった仮面が、今では細部まで分かる。
発光する赤い目、各地に刻まれた、うねるような黒い模様。
不気味な仮面だった。
「どうです?この二人の人間は。かなりの悪意に満ちたクズどもです。彼らも我らの仲間に加えましょう」
グルテは女を覗き込むように腰を曲げる。
女は…画面越しに二人を見つめているようだ。
リスケの心拍数が上がっていく。不愉快に脈打つ心臓、拘束された事で身をよじらせる事も難しく、鼓動の不快感がより鮮明に全身へと広がっていく。
「くっ…な、何だよ、テメぇは…!ぶち殺すぞ!」
苦し紛れに発せられたその言葉に、女は強い反応を示した。
…からくり人形のような不気味な挙動で…首を傾ける。そして…。
肉が貫かれる音が響く。
声を上げる間もなく、リスケとユカリの胸に…女の指が突き刺された。
その人差し指が赤く光り…何かが二人へ流れ込む。
口から垂れる赤い血。
苦痛、動機、息切れ、目眩、頭痛、発汗、唾液。
全身の[不愉快]という感情が暴走しているのが分かる。
…そして、十分後。
表情一つ変えぬ人間達に囲まれながら、二人の人間が新たな力を得ていた。
「…従いますか」
ただそれだけ、グルテが聞く。
リスケ、ユリカ。
手錠を解かれた二人は立ち上がり、頭を下げる。
「従います。悪の時代の為」
グルテは満足そうに、新たな信徒の頭に大きな手を乗せた。
「さあ、広めようではないか。咲かせようではないか。…悪の華を」
邪悪。
それが、この組織における最大の信仰対象だった。




