30話【レレという女性】
狩りから一夜が明けた夕方。
集落を立つのは1日延期となったと、お父様から連絡があった。
本当は今日の朝方に立つ予定だったのだが、私の怪我と、族長との相談事が何やら長引いているみたい。リザードマンの資源問題に、良い案があまり思いつかないとお父様がボヤいていた。
ともあれこの集落に入れるのもあと少し。できることなら皆にお別れを言って回りたいけど、リーシャから絶対安静を言い渡されているからそれはできそうにない。
寂しいわ。もう少し彼らと同じ時間を過ごしたかったのに。
それに何より、……レレさんのことが気がかりだった。
結局今日も会えず終い、もう夜中に突入してしまう時間だった。
どうにかして会いたいけど、リーシャが許してくれるとも思えないわね。
最悪の場合は、隙を見てコッソリ抜け出すしか――。
そんな脱出計画を企てようとした時だった。
――コンコン。
家の扉をノックする音、時間からしてリーシャが食事を持ってきてくれたのね。
「どうぞ」
扉を開けるよう、一声をかける。
すると、扉からは意外な人物が現れた。
「レレさん……?」
「……、……」
彼女は暗い顔で、私の前に姿を現した。
俯いた顔で、いつもの明るさはなく、どんよりと扉の前に立ち尽くしていた。
「どうぞ入ってきてください。ちょうど私、レレさんとお話がしたかったのです」
「ッ……、……オレに、……怒ってるからか」
ビクッと子うさぎのように臆病に肩を跳ねさせた。
「怒るなんて、どうしてそう思うのです?」
「だってミラ……オレのせいで、怪我して……」
「レレさんのせいではありません。私の独断が招いた結果ですわ」
「けど、……ミラはオレを――」
「とりあえずこちらに座ってください。話は座ってしましょう」
「……」
コクリと彼女は頷いて、私のベッドの上に腰掛けた。ギシリとベッドが軋む。
彼女は私と目を合わせられず、私はそんな彼女の横顔を座りながら眺める。
相当落ち込んでいる様子ね。やっぱり昨日の出来事が応えたみたい。それに、私に怪我を負わせたことが負い目だったのだろう。
「怪我は、その……大丈夫か?」
「ええ、もうほとんど良くなりましたよ。メイドのリシャルテが心配性で、まだ立つことはできませんが」
「……そうか。……、……」
会話は途切れ途切れになる。
レレさんがいつも、明るく話題を振ってくれるのだけど、今日はそんな気分ではないようだった。
「あまり落ち込まないでください。レレさんのツライそうな顔を見ると、私まで心が締め付けられるようです」
「……、……」
「レレさんは、英雄になられるお方でしょう? 英雄が顔を伏せたは、他の人も暗い顔をしてしまいます。だからどうか――」
「オレは……英雄になっていいのか?」
その疑問は、私への投げかけは、チクリと私に心に刺さった。
ベッドで項垂れる彼女は、悲しみを堪えるような表情でようやく顔を上げた。
そして、私を見て、尋ねた。
「オレ……英雄に成れるのかなッ……? オレみたいなのが……なってもいいのかなッ……?」
「……レレさん」
「わかんないんだ、わかんないんだよ……! オレ、アイツに、英雄に成れねェって……資格がないって……そう言われて、なんも言い返せなかった……! 悔しいけど……スゲェ嫌な気持ちになったけど……なんも言い返せなかった……! アイツの言葉、全部正しいって思っちまったッ……!」
溢れ出そうな涙は、赤い目元に留まっていた。
「だ、だってオレ、ずっと……言い訳ばっかだった! できないこと……調子が悪いとか、体調悪いとか、なんか色んな言い訳して……全部、誤魔化してた……! 傷つくのが怖くて……現実を見るのが、スゲェ怖くて……見えないように目ェ瞑ってた……。――そのせいで……ッ! ……そのせいでミラが怪我しちまったッ……!」
一滴の涙が、赤い鱗をなぞる。
「ミラ……ッ、……うぅ……! ご、ごめんなさい……! オレが……い、言い訳ばっかするから! よわ、弱かったから……怪我させちまったッ……! ごめん、……ごめんなさいッ……! オレ……オレが、全部弱ェからぁ……! う、うぅ……ッ、……ミラが、オレを庇って……、っ……!」
ボロボロと大粒の涙を流し、何度も謝る。
自分の弱さを知り、打ちのめされ、私を想い、涙を流していた。
「ごめんなさい、なさい……ッ、……うぅ……! ミラ、……オレ、もう、……言わないから……! ッ……、ミラにも、……誰にもッ……、英雄に、……成るなんて、……ッ、……言わ――」
泣きじゃくる彼女を、優しく抱き留めた。
大粒の涙が、私の服で拭えるように、彼女の頭を私の胸で抱き締めた。
それ以上は、言わないでいい。
言いたくないことを、言わせたりはしない。
だってそのことは、レレさんにとって、死ぬよりもツライことかもだから。
――それに私は、夢を諦める彼女なんて見たくない。
「レレさん……。生まれた時から英雄の人間などいません」
優しく彼女の頭を撫でながら、言葉を続ける。
「赤龍の英雄だって、最初はただの赤い龍でした。村の住人の一人で、生を受けた瞬間から英雄だった訳ではありません」
「そ、それでも……赤龍は、弱くなんて――」
「最初から英雄でないように、最初から強いこともまたないのです。挫折を知り、失敗を知り、そうして人は強くなるのです」
「っ……、けど赤龍は、大切な人に、……怪我なんてさせない……、赤龍は、皆を守れて……、なのにオレはミラに怪我を……!」
「――私は、あの本に書かれている全てが、赤龍の全てだとは思いません」
「え……?」
「英雄譚とは、英雄を記す本です。そこには赤龍の英雄としての彼は描かれいましたが、人としての彼は描かれていませんでした。――きっと、英雄として相応しくない話は、本に描かれなかったのでしょう」
彼は故郷の村を出て旅をし、英雄となった。
しかし、そこに彼の苦悩は描かれていなかった。何故故郷を発ったのか、旅に出たのか、何故各地を転々としたのか、理由は一切明記されていなかった。
フィクションだからと言ってしまえば、それまでだけど。けど、私はそうだと思わない。
「赤龍の英雄も、多くの失敗を経験してきたのでしょう。今のレレさんのように、涙を流したことがあったかもしれません。大事な人に怪我をさせたかも……もしくはもっと酷いことをしてしまったかもしれません。――けど、英雄譚では描かれません。英雄でない赤龍は、英雄譚では隠されてしまうから」
「……けど、そうだとしても、……オレが、英雄に成れるかは……」
「レレさん、私に約束してくれましたよね。アナタが英雄になる姿を、私に見せてくださると」
「ッ……!」
「レレさんがその約束を果たしてくださるのを、私は心よりお待ちしております。そして、叶うなら……」
見上げる彼女の額に、私の額を合わせる。
これは、誓いの言葉である。
レレさんが英雄になれるように。私が英雄となる彼女を見届けられるように。
「私はアナタが英雄になるのを、隣で支えたい。――そしていつか、アナタの英雄譚を描かせてください」
「っ……! オレの……英雄譚……」
「ええ。レレさんが英雄になった時、私はその栄光を本に記します。……昨日のことも、今日のことも、全部私が隠してみせます。強いアナタだけを、英雄のアナタだけを、本に描きます」
そして本の結末には、レレさんの隣に私が立ちたい。彼女を支えた、英雄を支えた、愛された人として。
赤龍の英雄の……結末のように。
「だからレレさん、今は好きなだけ泣いてください。悔しいことも、悲しいことも、全部私が隠してあげます。――アナタが英雄に成れるその日まで、私が一生支えてあげます」
「ッ……、っ……! い、いいのかな……! オレ、英雄に……成りたいって……目指しても……、ッ……、いいのかなッ……!」
「勿論です。アナタは英雄になります、必ず。だからどうか、今は私の胸で泣いてください。英雄と成るアナタではなく、ただのレレさんとして――」
「ッ! ……う、……うぅ……!」
線を切ったように、彼女は泣き出した。
涙で服がグショグショになっても、変わらず私は、レレさんを抱き締めた。
レレさんの涙が、枯れるまで。
レレさんが再び、英雄を目指せるまで。
次回30.5と30.75話をノクターンにて掲載。
10月4日と10月5日の18時です。




