6話
正直、最初から違和感はあった。
ユウトはアイリのペア。
しかし近くにアイリの姿はなく、ユウトは今一人でここに立っている。
「はぐれただって?」
「四階で武器を持ったゾンビに襲われて……。アイリだけでも逃すために俺が囮になったんだが、元の場所に戻ってみたらアイリの姿がなかったんだ」
「それは、まじでやばいな……」
縦島の言葉に内心同意する。
ユウトの言っている武器を持ったゾンビというのは十中八九、鉤爪のゾンビのことだ。
4階でそのゾンビと出会す直前にジェクターの発砲音が聞こえてきたが、彼らが同じ階にいたのなら辻褄が合う。
そしてそれは同時に絶体絶命のピンチを表している。
アイリが言いつけを破って場所を移動したということは、何かしらのハプニングが起きた可能性が高い。
そしてそのハプニングというのがもし鉤爪のゾンビとの鉢合わせだったとしたら――彼女は今頃あのペアの女のように肉片になっていてもおかしくない。
「実は俺と坂井もそのゾンビに襲われて命からがら逃げ出してきたんだ。だから嬢ちゃんがどこにいるのかはわからねぇ」
「声とか、足音とかも聞かなかったか。些細なことでもいいんだ。教えてくれ」
「そう言われてもな……。なあ、坂井」
同意を求められ、カイトは小さく頷く。
「ああ、残念ながら」
「……そう、か」
か細い声で返事をしたユウト。
見れば、息が上がってる。
ここに来るまでに散々駆け回ったのだろう。
鉤爪のゾンビに追いかけられた上でアイリの捜索も行っていたことを考えると、体の疲労はどう見積もってもカイトの倍以上だ。
そんなユウトにとって同じく参加者であり生存者でもあるカイトたちは希望だったに違いない。
こうしている間にもアイリの生存確率は確実に下がっていっている。
「そう落ち込むなよ。まだ死んだと決まったわけじゃない。危険を察知して移動したって可能性もあるからな」
「じゃあもしどこかで見かけたらその子を保護してやってくれないか。一緒に出口まで連れていってくれるだけでいいんだ」
「もちろんそのつもりだが……まさか吉木、今から一人で嬢ちゃんを探すつもりか」
呆れたように頬を掻く縦島に対し、ユウトは迷わず首を縦に振る。
「当然だ。あんたたちを巻き込むわけにはいかないからな」
「いや、巻き込むって……。子供は大人を頼ってなんぼだろ。最近のガキはそんなことも教えられてないのか」
「昔のことを持ち出されても今は今としか。あ、あと最近のガキって言い方は老害っぽくて若いやつには嫌われるぞ」
「……と、とにかくガキは大人を頼っていいんだよ。というか頼れ。子供に頼られなくなった大人ほど空虚なものはねぇよ」
「でも今の状況じゃ……」
「ここで俺たちの力を借りなかったら助かる可能性が下がるだけだ。よく考えろ。嬢ちゃんは今どんな状況にいる。嬢ちゃんはお前に何を求めてる」
このマップはそれなりに広大で、しかも入り組んでいる場所も多い。
10人で隅々を見て回るならまだしも、一人での探索は重要な情報を見落とすことも少なくないだろうし、ゾンビの危険にも対処しにくくなる。
アイリからしたら頼りすらせずに助力を諦めるのは最悪の選択だ。
そして何より問題なのはアイリがすでにこの世を去っていた時だ。
ある程度、院内を探索し終えて何の情報も得られなかった場合は、その事実を受け入れなければならない。
その時にもし冷静な誰かが隣にいなければ、ユウトは確実に力尽きるまでこの地獄を彷徨うことになる。
「嬢ちゃんはお前にとって大切な子なんだろ? じゃあどんな手を使っても助け出してみろよ」
「どんな手も……」
ユウトは拳をギュッと握りしめる。
流れる数秒の沈黙。
その後、深く息を吐き、前を見据えた。
「じゃあ、助けて……ください」
「それでいいんだよ。なあ、坂井」
ユウトから協力の要請があった直後、再び縦島から話を振られる。
「坂井?」
二度目の名前を呼ぶ声には困惑の色が混ざっていた。
カイトが返事をしなかったからだ。
代わりにポケットに手を入れ、あるものを取り出した。
「……途中で拾ったアイテムだ。他の参加者の位置を教えてくれるらしい」
カイトが4階で拾った「レア」等級のアイテム。
使い所が限定すぎて、見つけた本人ですら存在を忘れかけていたが、これがあればアイリを見つける効率は格段に跳ね上がる。
「そんなのがあるなら早く言えよ。でも、でかしたぞ。早速使おう」
「それは断る」
「そうだよな、じゃあ嬢ちゃんの居場所は……って、え!?」
予想外の回答に、縦島は口をポカンと開ける。
「どうしてだよ。何か不具合でもあるのか?」
「これは俺が見つけた。だから俺のアイテムだ」
「そ、それはそうだが、嬢ちゃんを助けるためにみんなで協力して……」
「そもそもあの女に助ける価値があるのか」
「……あ?」
その言葉に一番に反応したのはもちろんアイリのペアであり、恋人でもあるユウトだ。
「助ける価値? 俺の聞き間違いだったら悪い。お前はそう言ったのか」
「もう少し具体的に言うなら、あのビッチに命をかけてまで助ける価値があるのかってことだけどな」
そう言うと、流石に看過できなかったのか、ユウトは取り繕うのをやめる。
「それはないって言いたいんだよな? お前、それ本気で言ってんのか」
「逆に聞くが、お前が本気か。ここはいつ死ぬかもわからない地獄。そんな中で俺が貴重なアイテムをどうでもいい赤の他人のために手放さなければならない理由があるのか」
「だからってアイリを乏しめていい理由にはならねェだろ。言いたいことがあるならはっきり言ったらどうなんだ」
視線を合わせる。
ユウトの熱い感情の宿った瞳に、自分の真っ黒な目が映る。
「いいのか、言っても。俺はあのビッチを助けるつもりもないし、アイテムを渡す気もないって」
「……まずそのビッチって言うのを止めろ。お前がアイリの何を知ってるんだ」
「さあ。ただそんな気がしただけだ」
「気がしただけ? お前はそれだけで他人をビッチ呼ばわりできるのか。中々ぶっ飛んでるな」
「じゃあお前は俺が間違ってるって証明できるんだな? あの女の外面を知らないくせに。なぜビッチじゃないと言い切れる?」
捲し立てる。
反論の隙すら与えず、ただ濁流のように言葉を押し付ける。
その時微かに自分の冷静な部分が頭をよぎるが、それも全て飲み込む。
本当はわかっている。
これはただの嫉妬だ。
ライフハッカーなんてあってもなくても危険度にそれほど差はない。
鉤爪のゾンビだって別に確実に遭遇するわけでもなく、中には一度も会わずにクリアを迎える参加者もいるだろう。
本当はアイリが心配な気持ちもある。
鉤爪のゾンビに襲われて酷い目にあっていないだろうか。
想像しただけで鳥肌が立つ。
だからこれは私怨であり、八つ当たりだ。
「なぜあの女がまだ生きていると思い込めるんだ?」
恋人がいるにも関わらず、男である自分に気さくに話しかけてきたこと。
そしてペアの誘いを無様に断られたこと。
もし最初から恋人と来ていると知っていたなら誘うことはなかった。
わざわざ馴れ合うこともなかったし、その後恥ずかしい思いをすることもなかった。
全てはアイリの責任。
彼女自身があの時にカイトという存在を切り捨てた。
彼女の行動が天然だろうが、人工だろうがそんなのは関係ない。
あの時からアイリは明確にカイトの敵だ。
取るに足らないその他大勢なのだ――。
「さあ、言ってみろよ」
「言ってたぞ――」
「あ?」
「アイリはお前のこと、信頼してるって言ってたぞ」
その時、頭が真っ白になったような感覚に陥った。
「……は?」
「あと、いい人だって言ってた。だから大丈夫。アイリはお前が思っているようなやつじゃないよ」
押し黙るカイトにユウトが声をかける。
さっきと同じ、まるで子供を諭すかのような態度だ。
「何だよ、それ……。絞り出した言葉がそれかよ。なんかもっと感情的な言葉が出るだろ、普通こういう場面は」
別に信頼という言葉に狼狽えたわけじゃない。
それもないこともないが、それ以上にカイトはユウトが怒るだろうと思っていた。
そうなるように仕向けたからだ。
この全てを持っているような男の顔面を歪ませたい。
感情的にさせて、その上で全てを台無しにしてやりたい。
しかし現実は違った。
ユウトは怒るどころかカイトに対して同情するような視線を向けてきたのだ。
「アイリを助けるためにはお前の力が必要みたいだからな。これでも我慢してる方さ」
「下手に出続ければ俺がいつかは納得するとでも? どうせ助けたとしても手柄は全てお前のものになるのに」
「手柄は全てやる。もちろん俺はアイリのことを全力で助けるが、そのことはおくびにも出さない。もし感謝されても坂井のおかげだって言い続ける」
その目には、その声には、その言葉には、何の違和感も感じられない。
本当にアイリを助けることができるなら手柄を取られてもいいと、彼女に嫌われてもいいと、そう思っているようだった。
それはユウトと対峙しているカイトが一番理解していた。
同時にカイトはユウトをバカだと思った。
訳のわからない理論を振り回す男にプライドを捨てて頭を下げて、直接的にアイリの救出に関与しなくても手柄を全て渡すというあり得ない約束をして。
カイトには到底理解できないことだった。
「……嫌いだな。お前みたいな優等生キャラは。サボるって概念すら知らなさそうな純粋な顔で見てきやがる」
なんとか絞り出した言葉がそれだった。
当然、ユウトが動じることはない。
「優等生キャラか。俺は案外自分のことは普通だと思ってるんだけどな」
「どこがだよ。真面目くんが」
「違う」
カイトの言葉を冷静に払いのけ、それからうんざりしたように眉を顰める。
「適当に生きてる奴が、俺を真面目にするんだ」
とうとう言い返す言葉が見つからずに拳をギュッと力を込めた時――。
「――そこまでだ、二人とも」
二人の会話に割って入ったのは縦島。
ユウトとカイトを交互に見て、最後に大きなため息を吐く。
「坂井、お前の気持ちもよくわかった。じゃあこうしよう。お前の望むものを俺たちが用意する。別に今用意できないものでも、ここを出たらちゃんと用意する。金でも何でもな……。つまりは交換条件だ」
利害の一致。
確かにそれならカイトも心情的に受け入れやすい。
だがそれよりも気になったのは縦島の態度だ。
「あんたは俺を責めないのか」
「……俺は嬢ちゃんことをそこまで知らないからな。それに自分の命を優先させるって考え方はおかしいことじゃねぇよ。行動した奴は偉いから、行動しなかった奴は偉くない。そんな狭い世界じゃねぇだろ、ここは。大事なものは人それぞれ違うんだ」
「…………」
思わず口を閉ざすカイト。
縦島の口から出たのは否定ではなく、肯定だった。
熱かった頭が急速に冷えていく。
よく考えたら、今さっき自分が発した言葉は自らの非を認める言葉と言っても過言ではない。
それはもはや自らの負けを認めるようなものだった。
そもそも二人かがりなら、カイトからアイテムを力ずくで奪うこともできる。
その時点でこの交渉はカイトにとってとても有利なのだ。
「……わかった。でも金はいらない。弾を三発だけくれ。そしたら譲る」
「えらく好条件だが……坂井がそれでいいっていうならもちろん俺もそれで構わないぜ。吉木もそれでいいか?」
「もちろんだ。弾はまだ余裕がある」
澄ました顔でそう言い放ったユウトは、宣言通り取り出した弾をカイトに手渡す。
確認すると、確かに何度か使用したジェクター用の弾だった。
条件を達成し、今度はカイトが手に持っていたライフハッカーを渡す。
「ほらよ」
「ああ、ありがとう」
顔を突き合わせ、短く言葉を交わして、それから素直に手渡した。
これで交渉は成立。
ユウトは礼を挟みつつ、早速手にしたライフハッカーを起動させる。
媒体から出た光が虚空をぐるぐると舞い、徐々にそれが情報に変わる。建物のマップ、さらにその上にいくつかの赤い点が浮かび上がっている。
恐らくこの点が参加者の位置だ。
「この赤いのが参加者の位置だよな。5階に三つ、3階と4階に一つずつ反応がある」
「5階のは俺たちだな。とにかく時間がねぇ。まずは4階の動きのある反応を追うぞ」
「そうだな」
縦島とユウトはジェクターを構えて、いつでも戦闘が行える状態を作る。
「ただ最後に一つだけ言っておきたいことがあるんだ」
そう前置きをしたユウトは縦島に向いていた顔をゆっくりと動かす。
その先にいるのはカイトだ。
「アイリとは友達であり幼馴染だが、男がいたなんてことは一度もなかったし、最近告白されてそれも断ってた」
「……それが何だよ」
「あいつはビッチなんかじゃない。お前がアイリのことをどう思おうが勝手だけど、そこだけは勘違いしないでくれ」
捨て台詞とも捉えられるそれに、カイトは沈黙で答えた。
ユウトは時間をかけて返事がないことを確認すると、すぐに反応があった場所に向かって走り出した。
縦島もユウトに続いて素早く部屋を後にする。
部屋の中を見渡すが、当然残されているのは自分のみ。
開放感、それから侘しさと静寂。
2人が去った空間で、カイトは両出を垂らし、その場で立ち尽くす。
「…………」
思い返せばアイリとユウト、二人が自分の人となりや関係を打ち明けることは殆どなかった。
それは別にカイトが特別、話してもらえなかったというわけではなく、ただ単に話す機会が限りなくゼロに近かったからだ。
カイトと二人が今日会ったばかりの関係。
むしろ打ち明けてもらえる方が珍しいのだ。
逆に知っていることと言えば、名前と、年齢、通っている学校、それから二人が知り合いでこの会場に一緒に来たことぐらい。
それ以外はあくまで想像か、あるいは自分で勝手に補完して決めつけたカイトの中のイメージの二人だ。
もちろんそれだけでも十分知り合いを名乗れるほどには情報をもっているが、人となりのような友達しか知らない情報という意味では当然含まれないので、それだけで二人の人間的な部分を確定させることはできない。
二人のことを知りたいなら、結局は時間をかけて何でも聞けるような間柄になるしかない。
「何が勘違いしないでくれ、だよ」
アイリを助けにいくために命をかけることへの不満と、ユウトへの敵対心。
それらを押し通したことで生まれたのがこの状況だ。
だがどうしても納得できない。
一人取り残されたこの状況は他でもないカイト自身が望んだ結果だ。だから今は歓迎する場面だ。
そんなことはわかっている。
ユウトにマウントを取ることができた。アイリに意趣返しする材料だってできた。
そんなことはわかっている。
その上でどうしても受け入れられないことが一つ。
「くそっ……」
最後にユウトが残した言葉。
あれはカイトの心にぽっかりと穴を開けるほどの威力があった。
「お前ら、付き合ってなかったのかよ……」
◇――――◇――――◇――――◇――――◇
灰色の空が窓から見下ろす廊下。
その片隅でアイリは蹲り、口元を手で覆い隠す。
「はァ……はァ……」
近くから漂ってくるのは腐臭だ。
見渡すと、まるで屠殺場を再現したかのように壁や床に血と臓物が張り付いている。
いつになっても慣れない嫌な匂いだ。
我慢の限界を迎えて口での呼吸を試みるが、周囲の静けさも相まって息づかいが響いて聞こえる。
それはどこかに拡声器があるんじゃないかと錯覚するほどだった。
アイリは暫く口呼吸で空気を確保した後、今度はピタッと息を止める。
「……ギグゥ……ガァ……」
何かを口ずさむような呻き声。
それに並行して反響する金属が擦れる音。
ここに来てから何度も見たゾンビだ。
しかも目の前にいるのはただのゾンビではなく、アイリとユウトを引き離した張本人でもある。
アカリは膝に埋めていた顔を少しだけ上げ、そしてすぐにまた元の位置に戻す。
ゾンビは左手に携えた鉤爪のような武器を引き摺りながら、相変わらずアイリの前を何度も行ったり来たりしている。
通常のゾンビは音や視界を頼りに襲ってきた。
だがこのゾンビはすぐに襲ってくるわけでも、離れていくわけでもない。
まるで獲物を弄ぶかのように時間をかけて狩りを行っている。
その理解し難い状況がアイリの中の恐怖を何倍にも膨れ上がらせた。
(ユウトは、無事なの……? 私たちは、ここから生きて帰れるの……?)
アイリはただ祈ることしか出来なかった。




