5話
改めて見ても異質な個体だ。
それは何も見た目に限った話ではない。
こうして間近で対峙していてもすぐには襲ってこない。
まるで状況を分析するかのようにあたりを見渡している。
左から右へ、右から左へ、正面から真上へ、真上から背面へ。
鉤爪のゾンビが顔を動かすたびに自分の中でのゾンビのイメージが覆され、同時にこの状況から逃れるイメージが潰されていく。
「で、君がここのボスってわけ?」
「……ギグゥ……ギィ……」
「まあいいや。とりあえず死んでもらおうか」
冷静な口調でそう言い放った蓮見は、すぐにジェクターを向ける。
通常のゾンビと相対すような単調な構え。
目の前の特殊個体のゾンビが他のフロアにもいる可能性を考えていたが、この二人に関しては今回の遭遇が初めてだとそこで確信する。
「おい、待て待て。俺の話聞いてたか? 逃げないとやばいんだって」
再度、忠告するカイト。
カイトにとってそれは最後の温情だったが、結果は残念なものだった。
「逃げる? どうして。君の粗末な物差しでこの僕を測れると思わないでほしいな」
「いや、坂井の言う通りだ、蓮見。あれは見るからにやばい。坂井の言ったことが本当なら命の保障はないぞ」
「君もこの無能の味方? どうせ逃げ帰ったのが恥ずかしくて話を盛ってるだけでしょ」
「だとしてもだ。準備を整えて、作戦を練った上で戦うかを決めるべきだ」
「はぁ、どいつもこいつも弱気なことを……もういい、腰抜けたちのために俺だけで殺ってあげるよ」
そこで「待て!」という縦島の声が傍で聞こえてくるが、もはや手遅れ。
「おい、女ゾンビ。今からお前をぐちゃぐちゃにしてやるよ」
忠告を払い除けた蓮見は、静かに鉤爪のゾンビに照準を合わせる。
無言で睨み合う両者。
暫くその状態が続いていたが、痺れ切らした蓮見が先に仕掛けた。
構えていたジェクターの引き金を迷わず引く。
一発、二発、そして三発。
通常のゾンビに対してなら過剰とも思える攻撃は、強がってはいても目の前のゾンビの異質さを感じ取っていた証拠だ。
ジェクターから放たれた三発の弾丸は空を切り裂き鉤爪のゾンビへと吸い込まれる。
蓮見はそこで勝利を確信しただろう。
命中した弾丸が腐敗した体を抉り取り、血と臓物を無様に曝け出している姿を想像していたはすだ。
「さあ、早くお前の内臓を撒き散らして――」
鉤爪のゾンビはもがくように仰け反り、膝をついた。
だがホッとしたのも束の間――。
「……グゥ……キィ……」
「は?」
鉤爪のゾンビは蓮見を見据えたまま、平然と立ち上る。
「ち、ちょっとこれは……」
先ほどの攻撃はゾンビを行動不能にできるほどの致命傷になっていない。
言うのは簡単だが、受け入れるとなったら話は別だ。
目の前の光景に自分の目を疑う蓮見。
だがこの地獄は考える時間を与えてはくれない。
鉤爪のゾンビは起き上がると、怒り狂ったようにカイトたちに向かって走り出した。
1番近くにいた蓮見は訳もわからずジェクターを構えるが、そこで一瞬躊躇してしまった。
鉤爪のゾンビが身をかがめて、まるで獲物を狩る前の猛獣のような姿勢を取ったのだ。
蓮見は予想外の動きに反応が遅れたことで、照準を合わせるのが遅れる。
弾丸の脅威がなくなった鉤爪のゾンビは最短最速で懐に潜り込む。
射手が近接武器を持った敵に間合いへの侵入を許した結果はわかりきっている。
左手の強靭を横薙ぎに振るうと、容易く蓮見の両の足を切断した。
「い、いやぁぁぁぁ――!!」
響き渡る絶叫。
辛うじて喋れるようだが、確実にもう助からないとわかる傷だった。
「あぁぁぁ……足がぁぁぁ!」
足を失ってその場に立てなくなり、涙と鼻水を撒き散らしながらうずくまる蓮見。
予見していた光景だ。
こうなることがわかっていたからこそ何度も忠告した。
だが眺めているだけで動悸が激しくなってくる。
これは決して他人事ではない。
もし鉤爪のゾンビがカイトに対して凶刃を向けてきたら蓮見と同じ結果になってしまう。
「坂井!」
その時、名前が呼ばれる。
見るまでもない、縦島の声だ。
冷や汗を垂らしながらも、覚悟を決めたようにカイトを見据える。
「逃げるぞ!」
その言葉でようやく現実を飲み込んだカイト。
このままでは本当に全滅。
ここで決断しなければ、足掻かなければ何も変えられない。
「お、おい! 何やってるんだ助けろよ! この人でなしどもぉぁ――」
カイトも縦島の後に続く。
その光景を見ていた蓮見はカイトたちに怒り狂った声を向けてくるが、その声は肉を断つ音と共に消えていった。
カイトと縦島はそこで振り返らず、代わりに走るスピードを上げる。
二人は入り組んだ室内から出て、走りやすい廊下に出た。
結構な距離を走ってきたつもりだったが、まだ刃と床が擦れる音が聞こえてくる。
しかもそれは耳を澄ませて聞くと、徐々に近づいてきている。
「追ってきてる……」
「こりゃあちょっとやばいな……」
周りの様子を確認して、再び走り出す。
「おい、どこに行くつもりだ」
「階を移動する。ここから近いメイン階段に行くぞ」
意図はわかる。
同じフロアにいたらいつか鉢合わせするので、一か八か階段を使って撒くつもりなのだろう。
だが今それを遂行できるかは別の問題だ。
「き、来てるぞ」
「思ったよりも早いな……」
一本の長い通路の奥から鉤爪を引き摺りながら走るゾンビを視認する。
窓の外へ飛び出しでもしない限り、いずれは追いつかれる距離だ。
縦島は走りながらジェクターに手をかける。
「この先の突き当り、チャンスがあるとしたらそこだ。奴が俺たちに続いて突き当たりを曲がってきたらその瞬間、弾丸を打ち込む。合わせてくれ」
縦島が振り返ってジェクターを構えたところで、カイトも同じようにジェクターを構える。
迎え撃つという作戦を聞いてもそれほど抵抗はなかった。
むしろこの場面を切り抜けるにはそれしかないと思わせる作戦だった。
狙うは、突き当たりの一瞬ゾンビの視界からカイトたちがいなくなる瞬間。
説明は少なかったが、生への執着で頭は冴え、既にシュミレーションが頭の中で行われていた。
突き当たりを右に曲がり、少し進んだところで待ち伏せる。
1秒、2秒……。
耳をつんざくほどの金属音に耳を澄ませていると、その瞬間はすぐに訪れた。
「今だ!」
縦島の合図でカイトは引き金を引く。
鉤爪のゾンビが切り返そうと体を捩ったその僅かなタイミングで放った完璧な射撃だ。
放たれた二つの弾丸は鉤爪のゾンビの右腕と胸の部分に命中し、膝をつかせた。
「やったか……? いや……」
一瞬の静寂。
だが願いも虚しく、鉤爪のゾンビは再び起き上がる。
「これでも起き上がってくるのかよ……」
「止まるな! 走れ!」
その声でハッとする。
作戦が不発に終わったら当然次の行動に移らなければならない。
この場合は一目散に逃げることだ。
「やばっ」
慌てて走り出すが、縦島との距離がさっきよりも大きく開いている。
それはつまり初動が遅れたということ。
そしてカイトが鉤爪のゾンビとカイトの距離が縮まったということだ。
致命的な油断。
気づいた縦島が走りつつ器用に後ろを向いてジェクターを発射するが、それも不発に終わる。
「壁をつたった? 冗談だろ?」
鉤爪のゾンビは走る勢いそのままに壁を蹴り歩いて、迫る弾丸を避けた。
文字通り化け物じみた身体能力。
障害を乗り越えた鉤爪のゾンビは速さを保ったままカイトに迫り来る。
まさに追いつかれるというところで、最後の抵抗として近くに置いてあったパイプ椅子を投げつけるが、鉤爪によって容易く弾き返される。
原因はたった一度の小さなミス。
しかしそのミスがカイトの足を掬うことになった。
「……終わった」
死を覚悟した時――。
「……ギグゥ……ガァ……」
鉤爪のゾンビは刃を振り下ろす直前で止まる。
「何……?」
視線の先にあるのはカイトではなない。
いつの間にか辿り着いていたメイン階段だった。
よく見ると、先ほど投げた椅子が踏板の上を音を立てて転がり落ちていた。
「今……」
転がり込んできた絶好のチャンス。
そう思ったのはカイトだけではなく、縦島もだった。
カイトが静かにジェクターを構えたときには既に後ろから銃声が鳴っていた。
「刃の平で!? だが……」
「ここだ!」
至近距離から放たれた弾丸は間一髪で鉤爪でガードされるが、その後に間髪入れずに放ったカイトの弾丸が鉤爪のゾンビの右肩を捉えた。
さっき与えていた右腕へのダメージがそれと重なったことで、綻びが伝播し爆ぜる。
衝撃に体勢を崩したゾンビはそのまま背後にあった階段に身を投げた。
「な……」
思わず息を呑む。
「何かいけた……!」
自分で言っても信じられない。
それほど予想外の幕切れだった。
「とりあえず上に移動するぞ!」
脅威が去ったのも束の間、縦島の一声で上の階に避難することが決まる。
速さはもはやどうでもいい。
とにかく音を出さないことに全神経を集中させた。
5階に上がると、すぐに適当な扉を見つけて室内に転がり込む。
「……流石に追ってこないよな」
致命傷ではなかったとしても、鉤爪のゾンビに放ったあの弾は確実にダメージを入れた一撃だった。
再生能力でもない限り、すぐに追ってくることはできないはずだ。
「そうじゃなきゃ困る」
心臓に手を当てると、異常なほどにバクバクと鼓動が鳴っている。
死を目の前にして震え上がるほどの恐怖が襲ってきた時と似た動悸だ。
この状態でずっといて、さらにあれだけ走れば疲れるのも当たり前だった。
思い返せば、途中で同じ参加者である蓮見の死を直接ではないにしても目にしていた。
普通ならあそこでフリーズしていてもおかしくなかった。
こうして生きているのは奇跡なのだ。
その場にへたり込むと、縦島もその場に膝をつき、そしてそっとカイトの頭に手を置いた。
「何するんだよ……」
「あれを見て褒めないわけにはいかないだろ。まさかあいつを撒くどころか一泡吹かせられるなんて想像もしてなかったぞ」
ゾンビであるにも関わらず速い足、壁をつたって走るという人間顔負けの身のこなし、そして触れれば一発で終わる鉤爪。
確かにあれを見て逃げ切れるビジョンを持てる人間など殆どいない。
「……別に。たまたまだろ。椅子が階段から落ちるってイレギュラーもあったし」
「だとしてもだ。あそこで冷静に撃つ判断が出来るのは大人でも少ない。俺も坂井の立場だったら咄嗟に同じ行動が出来てたかはわからない」
「わ、わかったけど、子供扱いはするなよ……」
そう言って頭に乗せられていた腕を払いのけたカイトは、そのまま両手で自分の体に触れる。
「助かった……」
かすり傷もない。
ましてや切断されて消失した部位もない。
凶器を振りかざす異質のゾンビと戦っていたとは思えない綺麗な体だ。
疲弊して少し立ち往生をしているが、それは休憩すれば解決する。
バカにしてきた蓮見や、バカだった道元とは違う。
カイトは再び出口を目指すことができる。
「安心して、いいんだよな……」
間違いない。
カイトは乗り越えた。
自分の力で希望を掴み取った。
自分より年上の大人たちがバダバタと倒されていく中で、カイトは抗い、手傷を負わせることにも成功した。
たとえ他の人間に同じような奇跡が降りかかったとしても、あの瞬間をチャンスだと捉え、尚且つジェクターで攻撃も加えることはできなかっただろう。
だがカイトはできた。
カイトがこのデスゲームに適応してきたからだ。
皮肉にもここでの最悪の経験がカイトを突き動かしたのだ。
そのとき感じたのは安堵というよりはどちらかというと喜びに近いものだった。
自分だけがあの怪物を退けた。
自分だけが――。
「そろそろ移動するか。通常のゾンビがどこかに潜んでいたりしたら……」
縦島が辺りを気にし出したその瞬間、近くで音が鳴る。
「これは……足音か?」
地面を蹴る音、しかも速い。
徐々に近づいてくるのを察知してカイトと縦島はジェクターを構える。
「――待て、ゾンビじゃない」
現れたのはゾンビではなく人間だった。
しかもこの顔はよく覚えている。
仲良くなったと思っていたアイリ。
彼女が懇意にしていてペアにも選んだ男――吉木ユウトと呼ばれていた人物だ。
ユウトは荒く呼吸しなが、カイトたちに鋭い視線を向ける。
「何だ、びっくりさせるなよ」
「すまない、急いでいて……それより女の子を見なかったか?」
「女の子?」
カイトたちはポカンとする。
言いたいことが伝わらなかったことに気づいたユウトはすぐに口を開けて次の言葉を出す。
「ペアの子と……アイリと逸れてしまって」




