3話
5階のスポーン位置。
廃病院の最上階に当たるこの場所に割り当てられたのはナンパ男とそのペアの女だ。
扉が開くと、ナンパ男は当然のように女の隣に付き、同じ方向に歩き出した。
「すぐにゾンビと鉢合わせってことも考えられるから、あんまり僕から離れちゃダメだよ」
そう言いながら女の腰に手を回す。
ゲーム開始と同時に扉が開いてから僅か1秒後の出来事。
女は体をビクッと振るわせつつも、抵抗せずされるがままになる。
もちろんこれは受け入れているわけではなく、ただ女の控えめな性格が拒みきれないだけ。
だが男にとってそれは積極的すぎるアプローチをやめる理由にならない。
「あはは。緊張してるの? 大丈夫。一応経験者だから困ったことがあったら何でも聞いて。力になるからさ」
腰に回していた手を今度は頭に持ってきてそのまま撫でると、女はみるみるうちに顔を赤くする。
ナンパ男はその姿を見て口元を歪める。
「……ちょろい女」
「い、今何か言いました?」
「いや、何も……。それより早く部屋の中に入ろう。こういうのって大抵はタンスの中とか棚の奥にアイテムが隠されてるから」
部屋の中はタンスや机、古い医療器具が乱雑に置かれている。
ゲームでいうところのオブジェクトだ。
これらは敵から身を守るための遮蔽物にもなるし、フィールドアイテムの隠し場所としても使われる。
「ほらやっぱり。これは……ブザー? 何に使うかはわからないけど、アイテムがあるね」
「ほんとだ。こっちには弾がありますよ」
「おー、それは拾っておいた方がいいよ。弾は重要なアイテムだから」
棚を探索していた女が嬉しそうに声を上げる。
そこで浮かべた表情が初めて見るものだったので、好奇の目でじっと見つめると、視線に気づいた女はそれだけでまた顔を赤らめる。
「じ、実はFPSのゲームが好きで……」
「fps、いいよね。僕もよくやるよ。もしかしてテストプレイに参加したのもそれが理由?」
「はい。どうせ受からないだろうって軽い気持ちで応募したら当選しちゃって。でも今はよかったって思ってます」
緻密に作られた廃病院のフィールド、そこに散りばめられたサバイバル要素。
オタクにはたまらない一時だろう。
そしてそんな微笑ましい姿を邪な目で見る人物が一名――。
もちろんナンパ男だ。
女は自分の趣味を語ってからは、まるで警戒感を解いたようにアイテムの探索に集中している。
襲うなら今襲ってください。
そう言わんばかりの無防備さだった。
ナンパ男は持っていたブザーをポケットに入れる。
そしてバレないように女の後ろに回り込むと、そのまま迷うことなく抱きしめた。
「え……」
困惑が漏れる女。
ナンパ男は抱きついたまま、話を続ける。
「僕、君こと好きになっちゃったかも」
ゾンビが近くにいないことは既に目視で確認済みだ。
だから多少強引に、でも所々で優しさを忘れない。
男の経験上、大人しめの女にはこれが1番だった。
「好きって……そんな冗談……」
「冗談じゃないよ。本気。一目見た時から可愛いと思ってたんだ。それとも君は僕のこと、嫌い?」
「そ、そんなことは……」
拒否しきれずにいる女にナンパ男の口角が上がる。
「じゃあ好きってことだよね。良かった、気持ちが通じ合ってて。もう我慢の限界だったんだ」
「わ、私たちってまだ会ったばかりですよね……。それにこんな場所で……」
「大丈夫。ゾンビが来たらすぐにやめればいいし」
「でも……」
「でもじゃない。女は黙って従ってればいいんだ」
まごつく女に構わず、準備を進めていく。
もはやここまで来れば取り繕う必要はない。
女を部屋に置いてあるベッドに座らせ、服のボタンを外す。
「それでいい。いや、僕に抱かれるんだ。むしろ泣いて喜んでほしいな」
「あっ……」
「じゃあいただきますっと」
震える女をゆっくりと押し倒す。
そして自分のベルトに手をかけて、襲い掛かろうとした――。
だがその時、近くで音が鳴った。
「何?」
振り返るが、誰もいない。
ナンパ男は一通り見渡してから部屋の端にあるロッカーを睨む。
「そこのロッカーにいるんでしょ。まさかここのスタッフ? とにかく隠れてないで出てきなよ」
返事はない。
やり過ごそうと考えているのか、音もしなくなった。
痺れを切らしたナンパ男は女を放置してロッカーを開けにいく。
「おい、聞こえてるんだよ。ふざけるのも大概に……」
そこでぴたりとナンパ男の声が止む。
不自然に抉られた痕のある肌、不規則に広がる赤黒いシミ。
そして顔面に刻まれた鋭い刃で斬られたような痕。
ロッカーから出てきたそれは、グロいという言葉では表しきれない、かろうじて人の形を保つ肉塊だった。
「人形……だよね?」
「……ふゥ……」
「ひぃ!!」
急に声のようなものを発したことで、ナンパ男は思わず情けない声を出す。
よく見ると、人形と思っていたものの胸が僅かに上下していた。
「な、何だよお前は……!」
「あの……」
「おい、今はそれどころじゃ……」
取り繕うことすらしない男。
困惑する中、再び近くで音が鳴った。
「こ、今度は何だ」
「……ギィ……グゥ……」
「ぞ、ゾンビ?」
灰色の肌、剥き出しになった骨、奇天烈な動き。
現れたのはゾンビ役を担うロボットではなく、頭の中で思い描いていたゾンビそのものだった。
ゾンビは横たわる人の形をした何かに狙いを定めると、それに躊躇なく噛み付いた。
「嘘……」
「食ってる、のか?」
肉を引きちぎる音が部屋中に響き渡る。
横たわっていたそれが完全に呼吸を止めたのはその直後だ。
誰の目から見てもわかる息を引き取った瞬間だ。
だがゾンビは食事の手を止めない。
肉の音はやがて骨の音に変わる。
「大丈夫、大丈夫だ……」
ようやく状況を飲み込んだナンパ男がゆっくりとジェクターの照準を定め、引き金を引く。
狙いはもちろん食事中のゾンビ。
ドンッという爆発音と共に銃口から発射された弾丸はそのまま吸い込まれるようにゾンビの後頭部に直撃すると、次の瞬間、ゾンビの頭をまるで腐った果実のように弾き飛ばし、ドロドロの肉片を周囲に飛び散らせた。
「これ、本物だ。本物の銃だ。あはは……」
全てを理解して驚きを通り越して笑いが込み上げてくるナンパ男。
再び脅威が出現したのはそんな時だ。
髪が肩まで流れている女性のフォルムで、左手には5本の鋭い刃が携えられている、特徴的な見た目をしたゾンビだ。
「また出たか。まあでも大丈夫。何たって僕は選ばれしものだから。さっさと終わらせてさっきの続きだ。もちろん無理とは言わせないよ」
ジェクターを構え、発射する。
前の時よりもスムーズに、そして力強く。
一度の成功体験がナンパ男を調子づかせていたのだ。
「あれ」
だが肝心の結果は、男の思い描いていた通りにはならなかった。
ゾンビの右肩目掛けて撃ち抜かれた二発目の弾丸はゾンビに届くことなく、その手前で異様に伸びた鉤爪によって弾き返される。
運悪くそこに命中したのではない。
軌道を読んで鉤爪を扇のように伸ばし、そして見事に防いでみせたのだ。
弾丸はその場で爆散し、謎の液体を撒き散らす。
その時の衝撃でゾンビは僅かに仰け反るが、まるで痛みなど感じていないかのようにまた一歩踏み出す。
虚ろな目でナンパ男を捉え、半開きの口を大きく開ける。
「すぅ……」
絶体絶命の場面。
そこからのナンパ男の行動は面白いほど早かった。
「ごめん、さっきのはなし。あとは頼むよ」
辺りを見渡して鉤爪のゾンビから離れたところにあるちょうどいい通路を見つけると、女を置いてさっさと逃げ出した。
背後から女の悲鳴が聞こえてくるが、振り返ることはない。
ただ脅威から逃れるために迷路のように入り組んだフロアを駆ける。
「何だよこれ……何なんだよこれは……」
これがただのサバイバルゲームではないことはわかった。
でもなぜこんなゲームを開催したのか、自分は生きて帰れるのか。
わからないことの方が多すぎて、頭の中はいつまでも纏まらない。
「と、とにかくまずは出口だ。もしこれがサバイバルゲームに則っているならちゃんと用意されてるはずだ」
狂いかける頭で、それでも何とか生きるために次の行動を起こす。
隠された部屋はないか、ヒントになるようなものは落ちてないか。
途中でゾンビが現れてもお構いなしに部屋中を歩き回った。
「黒い箱?」
暫くして謎の箱を発見する。
物資が入っていた箱が白かったのに対し、目の前の箱は黒色だ。
何かあると確信したナンパ男は急いで中身を確認しようとする。
その時、運悪く通常個体のゾンビが前に立ち塞がるが、そんなことは関係ない。
「邪魔だ!」
残っていた弾でゾンビを素早く片付けて、黒い箱に触れる。
中にあったのは一枚の紙。
一瞬肩を落としそうになったが、読んでみると、そこには「欠けた鍵」という言葉と共に、鍵のキーヘッド部分が入っていた。
「ははは……」
思わず笑みがこぼれる。
「……僕はやっぱり選ばれしものだったんだ」
一時は死を覚悟した。
ここで自分はゾンビの餌になり、ロッカーのあの肉片と同じような結末を辿るのだろうと思っていていた。
だがもはや悩む必要はない。
偶然見つけた箱の中には、ステージのクリアを示す福音がまるで運命の導きのようにくっきりと浮かんでいた。
この牢獄を抜け出すための手助けとなる鍵は今自らの手の中にある。
あとは他の参加者と合流しつつ出口を探すだけ。
簡単な作業だ。
心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、冷たい石壁に手を這わせて出口へと続く道を進む。
後ろで何かが動く気配がしたが、振り返る気はない。
希望は目の前にある。
ただ前へ、出口へ。
抑えきれなかった笑みと、独り言を溢しながら進む。
「僕は神に愛された男だったん――」
言葉を紡いだ。
その瞬間、男は膝から崩れ落ちた。
「あぁ? ああ……」
遅れて感じた背中の鋭い衝撃。
さらに息を吐く暇もなく全身に焼かれるような痛みが広がる。
「これ、が……」
何とか視線を動かすと、見覚えのある五つの刃が自分の腹を抉るように突き出ていた。
さっき攻撃を防がれた特殊個体のゾンビのものだ。
滴り落ちる血が反射して不気味に輝いている。
その時、男が感じたのは驚きではなく納得だ。
痛み、恐怖、絶望。
尋常ではない苦しみと目の前の光景は男にとって合致するものだった。
「……グゥ……」
視界がぼやけていく中、最後に男の目が捉えたのは複数のゾンビだった。
これは男が黒い箱を探している時に追いかけてきた足の遅くて耐久力の低い通常のゾンビだだが、動けない今の男には脅威そのものだ。
ゾンビたちはナンパ男を囲むと、服で覆われていない露出した腕に喰らい付いた。
腕に飽きたら首へ、首に飽きたら顔面へ。
生きることを諦めてしまった後も暫くこの苦しみは続いた。
実際には一分ほどで命を落としたが、男にはそれが永遠に思えた。
◇――――◇――――◇――――◇――――◇
3階フロア。
アイリたちのスポーン位置として設定された階であるここも例に漏れず腐臭が漂い、「グゥゥ……」という独特の呻き声が響く。
「まさか本物のゾンビと戦わせられることになるなんて」
悪態をつくのは吉木ユウト。
既にゾンビとの会合は済んだ後で、何ならついさっきゾンビとの不意の遭遇を切り抜けたばかりだ。
その代償にユウトの心臓はまだバクバクとなり続けている。
「ごめん、ユウト。私がこんなゲームに誘ったばかりに……」
そう謝罪したのは伊崎アイリ。
後ろを警戒しながらユウトの後を付いていくその姿は一見落ち着いているように見えるが、その声には抑えきれない震えが混じっている。
自分の身の危険。
そして自らが招いてしまった身近な人間の身の危険。
元々サバイバルゲームに興味のないユウトをテストプレイに誘ったのはアイリだ。
楽しそうなイベントがあって一人では心細いということでついてきてもらった。
つまりアイリが誘わなければこの命懸けの戦いにユウトを巻き込むこともなかったのだ。
「あっ……」
考えが堂々巡りする中、気付かぬ間に早まっていた足がユウトの足とぶつかり、その拍子に膝をついてしまう。
「おまけに足も引っ張ってる……」
「仕方ない。こんな状況だ。ほら、手を貸すよ。こういう時こそ落ち着かないと。大丈夫、アイリは絶対に俺が生きてここから出すから」
「ありがと……」
ユウトはアイリの手を取り起き上がらせると、すぐにジェクターを構えてアイリの周辺を警戒する。
一連の所作は素人ながら華麗で、その端正な顔も相まってかむしろ目を引く。
死の蔓延る地獄のような場所でも、主人公性は健在だった。
「とりあえずまずは他の参加者たちと合流しないとな」
「それは私も賛成。でも問題は……」
「ああ、わかってるよ。1階はやめとこう」
お互い目を見合わせて頷く。
一階にいるのは宮野と中津。
2人と協力するのは難しいというのが共通の意見だった。
「そうなると2階か4階なんだけど……まずは4階に行ってみない?」
「上か。どうしてだ」
「そっちに坂井カイトくんっていう同い年の子がいるの。話してみていい子だったから、信頼もできるし」
アイリの提案にユウトは一瞬、言葉を詰まらせる。
坂井カイト。
ユウトがその名前を聞いて思い出すのはアイリがアタッシュケースを持ってきた時のことだ。
アイリは気づいていなかったが、去っていくアイリのことをカイトが後ろから睨んでいたのをユウトは見ていた。
もちろん断る気はない。
元からそういう目つきだということも考えられるし、何よりアイリが信頼できると判断したなら恐らく心配ない。
ただアイリと違い、ユウトはカイトに対していい印象を持っていなかった。
「……エントランスで話してたやつか」
「ダメ?」
「いいや。坂井ね……。わかった。アイリがいいって言うならいいぜ」
ユウトの返事にアイリはパッと表情を明るくする。
「そうと決まればすぐに階段を見つけないとね。でも無茶はしちゃだめだよ。私だけじゃなくて、絶対に二人とも生きてここを出る」
アイリとユウトは背中合わせのまま、一瞬だけ視線を交わす。
二人は小学校からの付き合い。
互いの決意を確認するにはそれだけで十分だった。
ただしユウトに限って言えばそれだけではない。
もし坂井カイトとそのペアの道元が信用できる人間でなければ心を鬼にして二人をアイリから引き離す。
アイリの笑顔を見て密かにそう誓うのだった。
「今まで通り後ろは任せるぞ」
目指すは4階。
カイトと道元がスポーン位置として選ばれたフロアだ。
◇――――◇――――◇――――◇――――◇
「欠けた鍵、か……」
1階フロア。
ゾンビの呻き声が響き渡る他のフロアとは違い、静けさが包むここでそう呟いたのは宮野。
その視線の先にあるのは黒い箱だ。
「結局、蓋を開けてみればあっけなかったな」
これを見つけるまでに数え切れないほどのゾンビに遭遇し、そしてその度に命のやり取りを行なってきたが、宮野は五体満足どころか息切れすらしていない。
まだ余力を残しており、残弾も6発と最初より多いくらいだ。
「なあ、お前もそう思うだろ」
振り返って声をかける。
「誰、一人として、生きて、帰ることは、できない。これは、試練、ではなく、断罪」
そこにいたのは何を考えているのかわからない顔で佇む中津だ。
相変わらず謎の言葉を呟いて自分の世界に閉じこもっていた。
二人は一緒にいるが、別に協力していたわけではない。
宮野が行く先に勝手に中津がついて行っていた。
もちろんその間に中津がゾンビに立ち向かったことは一度もなく、後ろで悠然と歩きながら、戦闘はすべて宮野に任せていた。
「まだその変人ムーブを続けるつもりか」
「誰、一人として、生きて、帰ることは、できない。これは、試練、ではなく、断罪」
「はぁ……」
宮野は目すら合わせようとしない中津にため息をついた後、黒い箱に視線を戻す。
「まあいいけどな。本戦に出るためには、一匹でも多く狩るゾンビを必要がある。でもお前はもう邪魔だからついてくるなよ。大人しく他の鍵を探すか出口を探してろ」
「……誰、一人として、生きて、帰ることは、できない。これは、試練、ではなく、断罪」
「あー、あと最後にアドバイスをしておくが、バリエーション増やすよりも、語彙力を伸ばす方に力を入れた方がいいと思うぞ。名前は中……何だっけ。まあ歯抜け野郎でいいか」
そう言い残すと、返事も待たずに歩き出す。
各フロアには、スポーン位置にあった階段とステージ中央の階段の二つが設置されている。
宮野が向かったのはステージ中央のメイン階段。
今いる場所から一番近い階段だ。
「…………」
中津は暫く無言でその場に立ち尽くしていたが、宮野との距離が5メートルほど開いたところで移動を始める。
向かう先は宮野のいる方向。
中津が動き出したのを感じ取った宮野は一瞬振り返るが、興味がなさそうにまた前を向く。
ゾンビの気配がなくなったことで完全にリラックスしていたのと、あとは中津を取るに足らない存在だと認識しているからだ。
だからこそ気づけない。
中津がいつもとは違う動きをしていることに。
その距離、変わらず五メートル。
中津は息を殺し、ポケットに手を入れる。
取り出したのはジェクターだ。
空気がざわめき、重く冷たくのしかかった。
「……行くとしたら3階か。2階の奴らは経験っぽかったしな」
中津はジェクターをゆっくりと構える。
銃口の先にあるのは、宮野の無防備な背中だ。




