16話
赤らんだ頬、興奮で少し吊り上がった口角。
余韻で残っていた表情の残骸が、一歩、また一歩と歩くたびに徐々に消失する。
そうしてようやくいつもの表情を取り戻した伊崎アイリは、薄いピンク色の唇を舌で一周し、それから僅かに口を開けた。
「――ユウト」
漏れ出たその名前は先ほど話していた少年の名前ではなく、ここにはいない幼馴染の名前だ。
元気にやれているのか、今日はちゃんと学校に行けたのか。
今思い浮かぶのはそんな心配だけで、さっきの会話なんてもう殆ど頭になかった。
「これでよかったんですか」
廊下の突き当たり、壁に背を預ける男にアイリがそう言い放つ。
綺麗に着こなされた制服にメガネと、真面目な印象を与える男だ。
男は静かに体を起こすと、感情の読めない瞳でアイリを見下ろす。
「ああ。完璧だった。これで僕の頼み事は終わりだ」
「あの、一応聞いてもいいですか。あなたはカイトくんが言ってた先輩さん、ですよね。どうしてこんなことを……。一体カイトくんをどうするつもりですか」
「それは必要のない情報だ」
カイトと話す前、二人の間で密約が交わされていた。
アイリはあらゆる手段を使ってカイトを焚き付けてハント・ザ・デッドの本戦に出場させること。
そしてその見返りとして男は本来なら知ることのできないハント・ザ・デッドの情報をアイリに渡すこと。
逆に言えばそれ以外の情報については全くアイリは知らされていない。
なぜカイトを焚き付ける必要があるのかも、なぜ男がハント・ザ・デッドの情報を持っているのかも――。
「本当に私とユウトを助けてくれるんですよね」
「保証はできない。僕も大きな権限があるわけじゃないから。それよりこれ以上の接触は無しにしてくれ。リスクはなるべく避けたい」
「わかりました……」
男にバッサリと切り捨てられたことにアイリは一瞬、目を細めて不快感を露わにするが、すぐに我に返って表情を戻す。
「ごめんね、カイトくん」
男の背中を見送りながら、そう呟くアイリ。
その目に宿るのは罪悪感か、それとも安心か。
アイリ自身にもわからなかった。
「でも、こうしないとユウトが死んじゃうから」
『一般枠:伊崎アイリ参戦』
◇――――◇――――◇――――◇――――◇
「うわー、まじか」
カイトは恋愛とは無縁の人生だった。
小学校では言わずもがな、中学校でも思春期ということもあって気になる子はいてもそもそもその時点では恋愛を意識することはなかったし、高校になって少しは異性を意識するようになっても悪い奴らとつるんでいるせいでクラスメイトからの評判がすこぶる悪く、恋愛に発展する土台すら作られなかった。
もちろんそのことを漠然とした危機感を抱きつつも、これが自分の運命なのだろうとどこか受け入れている自分もいて、2年生になった今では高校での恋愛ももはや諦めていた。
異性と初めて付き合った年齢で一番多いのが大学生、だからまだ焦る必要はない。
自分にそう言い聞かせていたのだ。
「うわー」
「――ちょっと」
自らの胸に手を当てる。
まだ鼓動が鳴り止んでいない。
ドッ、ドッ、と早いリズムを刻んでいる。
昨日の自分に言ったら確実に信じてもらえないだろう。
まさか自分が恋愛で悩む日が来るなんて。
自分で言っていても正直まだ信じられない。
さっきまで話していた女の子の顔を思い浮かべる。
初対面でカイトが刺々しくしていても、そんなことは気にせず気さくに話しかけてくれた。
ゲームが好きだと言っていたから趣味も合う。
何より顔が可愛い。
いや、顔だけではなく声音も表情も全てが心地いい。
しかもハント・ザ・デッドという地獄を乗り越えた仲であり、同じ学校に通う同級生という申し分ない接点もある。
あの吉木ユウトにはない接点が。
思い出を並べてみて改めて気づく。
好きにならない理由がない。
むしろなぜ今までもっと意識していなかったのか自分に疑問すら浮かんでくる。
「ねぇ、聞いてる」
「どうすればいいんだ、俺は……」
「ちょっとってば……!」
急に耳元で聞こえてきた声に、「うおっ」と反射的に声が出る。
「何だよ……って、ゴリ……」
大きな瞳に鋭い眼光、ちょうど同じ目線。
振り返ると、そこにいたのはゴリラ女こと、クラスメイトの女子だった。
「ゴリ?」
「いや、なんでもない」
「……? それより本、返してよ。あなたが持ってるんでしょ」
「本? ああ……」
そういえばツレの二人に押し付けられてそのままだった。
持っていた本を体の前に持ってくる。
「お前ってこういうの読むんだな。ちょっと意外だった」
「悪い?」
「いや、いいと思うぞ?」
カイトの思ってもいない言葉に、不満げに鼻を鳴らすゴリラ女。
ツレの二人にこの恋愛小説をいじられたのがそれだけ効いていたのだろう。
そこで思い出したが、カイトはツレとの約束で目の前の女と恋人にならなくてはならない。
二人はまるでカイトの告白が成功するという前提で話していたが、カイトは目の前にいるゴリラ女を見て十中八九そうはならないと確信する。
良くて無視されるか、悪くてキレ気味に断られるかのどちらかだ。
そしてそれがカイトがくだらない罰ゲームを引き受けた要因でもある。
たとえ付き合えなかったとしても、カイトが盛大に振られたとなればあの二人も満足するはずだ。
「ちょっといいか」
「何?」
呼び止める声に、彼女は短くそう返す。
相変わらず無愛想なやつだ。
もちろん今までこの本を探していたことを考えたら当然の反応だが、彼女のこの後の行動によってはカイトはクラスで浮くことになるのを考えたら、もう少し同情してくれてもいいのではないかと思う。
カイト自身、これが人生で初めての誘い。
取り繕ってはいても、内心ではありえないほどに緊張しているのだ。
「なんて言うかその……言いたいことがあってさ」
「言いたいこと……?」
「じ、実は……」
これは本当の告白ではなく、罰ゲームの告白。
一瞬、引き返すことが頭をよぎった自分にそう言い聞かせてから、再び口を開く。
「お前のこと、良いなって思ってて。よかったら今度二人でご飯行かない?」
「……いいよ」
「ま、まあそりゃあもちろん無理だよな。今まで酷いことしてきたし、やっぱり今のは……って、え?」
思わず息を止めるカイト。
「今なんて……」
「だからいいよって」
「……ま、マジで?」
聞き返すが、結果は変わらない。
カイトがデートに誘って、それをゴリラ女が同意した。
もちろん彼女がいつもの仕返しのために嘘をついているという可能性もないわけではないが、それこそあり得なかった。
「……うん」
なぜなら彼女の顔が頬から耳にかけて真っ赤に染まっていたからだ。
「どうしたの」
「い、いや……そっか。じゃあまた連絡する」
「わかった。待ってる」
走ってその場を離れる。
自分の頬を自分で叩いてみるが、まだ現実を飲み込めない。
昨日会ったばかりの女の子に告白まがいの約束を取り付けられ。その直後に他の女の子をデートに誘ったら二つ返事で了承されて。
現実というよりは、漫画やアニメの話だ。
しかもその中心にいるのはカイト。
顔が良いわけでもなく、話が面白いわけでもなく、親が金持ちでもない。
そんなカイトという一般の少年なのだ。
「うわー、まじか」
悪態をつく。
カイトの頭の中には今、二人の女の子がいる。
「あれだ、二股ってやつだ」
やむを得ない事情があったとはいえ、二人同時に仲を進展させてしまった。
そしてそこからどうするかは完全にカイト次第だ。
アカリは言わずもがな、ゴリラ女もよく見たら見た目は悪くなかった。
ガタイが逞しいのは事実だか、正直カイトはそんなところをあまり注視して見たことはないし、別に太っているというわけではないので、気にするようなことでもない。
何よりデートに誘った時に見せたあの表情。
あれは明らかに反則だった。
「やっぱだめだよな、いやでも……」
いくら考えても答えは出ない。
そもそもすぐに答えの出る問いではない。
「あー、くそっ」
カイトは肩の力を抜き、そして大きくため息をつく。
そして心の中で密かに決心した。
「……とりあえず、生き延びてから考えるか」
『一般枠:坂井カイト参戦』
◇――――◇――――◇――――◇――――◇
鬼の面相をした男への聞き込みから約一時間。
刑事二人は行き詰まっていた。
「いやー、しかし捕まりませんね。怪しい人物もいたんですが」
「お手上げだな。通り魔事件、爆死事件、そして今朝方入ってきた謎の行方不明事件……」
「まったくどうなってるんでしょうね、この街は。探偵アニメの主人公でも投げ出すレベルですよ」
三つとも重大事件だ。
それらが立て続けに、しかも同じ街で起こっている。
警察署はこの話題で持ちきりなり、昨日からずっと慌ただしかった。
当然、二人も駆り出されることになり、ここ二日間はずっと周辺への聞き込みで歩き回っている。
「それでどうします。一度、本部に戻って整理し直しますか。僕はこのまま捜査範囲を広げて聞き込みを続けたいですけど」
「俺は戻りたい派だな。行方不明に関して何か新しい情報が入ってるかもしれないし、あと単純に足が悲鳴を上げ始めてる」
「本音出ちゃってるじゃないですか。しっかりしてくださいよ。これだけ重大事件が重なってたら、引っ掛かる可能性も高いんですからね」
「40代のおっさんには酷な話だ。それに、そう単純な話でもない気がするんだよ。何というか、想像もつかないようなどでかいものが裏で蠢いているような……ほら、例の」
抽象的だが、年下の刑事はそれだけで言いたいことを理解する。
「“ハント・ザ・デッド”ですか。あれは眉唾ものでしょ」
「それがそうでもないぞ。黒い首輪のようなアクセサリーを着けた通り魔の犯人、同じく黒い首輪を着けて爆死した『ハント・ザ・デッド』と叫ぶ謎の男、そして行方不明者の最後に接触した人物の『ハント・ザ・デッドのテストプレイに行くと言っていた』という証言。全てが繋がるわけじゃないが、並び替えたら綺麗に横に繋がるんだ」
「考えすぎですよ。チラホラそういう意見も耳にしますけど、陰謀論って一蹴されてますし、僕も同じ意見です。追うとしても行き詰まった後だ」
「でもな、刑事の勘というか何というか……」
「そこまで言うならわかりましたよ。じゃあそれを含めて聞き込みしましょう。流石に手ぶらでは帰れませんから」
押し切られて思わず「えェ……」と溢す年上の刑事。
これでも刑事歴20年のベテランだ。
解決に貢献した事件の数は両手では数えきれない。
「それに警察関係者から一人極秘に送り込んだらしいじゃないですか。時間が経てば嫌でもわかってきますよ」
「だといいんだがな……」
そんな男が感じた漠然とした違和感。
何もないならそれでいいが、不幸なことにこの男の勘はよくあたる。
そしてそれをわかっていたからこそ、年下の刑事も完全に無碍にはしなかった。
歩いていると、年上の刑事が急に足を止める。
視線の先にいたのは制服を着た学生と思われる男。
注目すべきでは首元に付いている首輪のようなアクセサリーだ。
「ん、あれは……」
「一応声、かけときますか」
即断即決。
小走りで学生の方に歩み寄る。
「ちょっといいかな。僕たち六原警察署の者なんだけど」
警察手帳を翳しながら話しかけると、学生は驚いたように目を見開く。
「何か御用ですか」
「君はみたところ学生さんだよね。今はとっくに授業が始まってる時間だと思うけど、どうしたの学校は」
「あー、実は昨日夜遅くまで勉強していたせいで寝坊してしまって。今から行くところです」
「勉強って……ああ、その制服、藤山の。有名だよね、進学校で。あと身だしなみにも厳しい。大丈夫なの、その首の」
「これですか……」
例の首を指でなぞりながら、わずかに笑顔を浮かべる。
「はい大丈夫です。これぐらいなら何も言われません」
「そっか。まあ若いし、アクセサリーの一つや二つはつけたくなるのは普通だよな。学業の方も順調なの」
「はい、頑張ってます。もちろんこれからも頑張っていきます。一人でも多く救わなければならないので」
「何か夢があるんだね。救うってことは医者かな? いいね、有望な若者は。じゃあこれ以上は邪魔しちゃ悪いかな」
「はい。授業もあるので、そろそろ失礼します」
黙って見送る。
男前で、受け答えもしっかりしている好青年。
それが二人の刑事が抱いた印象だ。
「あ、一応名前だけ教えてくれるかな」
「吉木です、吉木ユウト」
「おっけー。ありがとう」
だからこそ気づけない――。
「……そう、俺が頑張らなきゃ」
彼が去り際に物騒な言葉を口ずさんでいたことに。
「たとえこの命を犠牲にしても」
『一般枠:吉木ユウト参戦』




