13話
気づけば背筋をピンと伸ばしていた。
自分よりも身長が低くて、それほど筋肉もついていない。
そんな女の脅迫めいた言葉がただのお遊びではないということを、回してきた手に握られていた小型のナイフが物語っていたからだ。
「――そういえば犯人の特徴は? もしかしたら人混みに紛れて普通に歩いてるかも」
「――首輪みたいな黒いネックレスと、顔の頬にあるタトゥー。見た目はまさに不審者って感じね」
フードの奥に隠されていた黒い首輪、そして堂々と顔に刻まれたタトゥー。
完全に犯人の特徴と一致している。
加えて初対面の人間にナイフを突きつけられているというこの状況と、女が選んだのが同じく首輪をつけているカイトだったという事実。
もはや疑いの余地はない。
「……これは驚いた。お前も参加者だったのか」
最初は変な女に絡まれたぐらいに思っていたが、どうやらとてつもなく面倒臭いことに巻き込まれていたらしい。
「こういう時、普通は通り魔だったことに言及するべきではないですか。仮に君がその言及をした場合、私はこう答えます。確かに私は既に殺人という罪を何度か犯しています、と」
「あっそう。ちゃんと通り魔なのね。まあそれはどうでも良いけど、殺人鬼に常識を説かれるのは何かむかつくな」
文句を垂れると、女は僅かに腕の力を緩める。
「……すごいですね、君は。私のことをまるで怖がっていない。私が君を殺す気がないとわかっているみたいに。もしかして、殺気を感じ取れるんですか?」
「どうかな。地獄を経て秘めたる力が呼び起こされた可能性はなくもないが……まさか本当に……」
「そうやって喋っている今もそう。決して私を侮っているわけではない。死のイメージもちゃんと頭の中にある。でも、媚を売る気も、命乞いをする気も君は全くない」
不満、というよりは驚き。
思い通りにならないことに警戒感を抱きつつも、今までになかった状況に興味を持っている。
そんな態度。
そしてそれはカイトも似たようなものだ。
女はとち狂った行動や言動が目立つが、たまに核心を突いた発言をしてくる。
完全なるモンスターではなく、まだ人間の部分をいくらか残したモンスターと言えばいいのだろうか。
一歩間違えたら死を招くと分かっていても、話が通じる相手なんじゃないかと思わせてしまう何かがある。
違いがあるとするならそれは順番だけだ。
先に警戒が来るのが女で、カイトは最後。
つまり「どんなことがあってもあの女は一応、警戒は続けなければならない」というのがカイトのスタンスだ。
「君の向いている方向は私ではなく、ここにはないどこか遠くの方です」
「……それは期待外れだってことか?」
「いえ、逆ですよ。私の目に狂いはなかった。そう、つまり君はステキです」
言いながら、女がホールドしていた腕を離す。
さらに一歩引いてナイフの届かない間合いまで下がる。
さっきまでとは打って変わって協力的だ。
簡単に逃げ出すチャンスを得られた。
だがそれが逆にカイトの警戒心を引き上げる。
「私がどうして人を殺すかわかりますか」
言葉を投げかけた後、女はにかっと笑みを浮かべる。
「人は死ぬ間際に本当の自分を知るからです」
噛み砕いて、吸収して、出来る限りのことはやった。
だがカイトは女が言っていることを全く理解できなかった。
「自分が何なのか、どういう人間なのか、なぜ生まれてきたのか。君もずっと考えているでしょう」
女はカイトの顔を指差す。
そしてその手をゆっくりと反転させて自らの胸に持ってくる。
「私はあります。いえ、今もそうです。ずっと自分を探しています。たとえ何十年かかったとしても、楽しい時も辛い時も含めて乗り越えていく。そうすることで自分というのはようやく姿を現すのです」
言葉に熱が籠る。
同時に表情が徐々に明るくなっていく。
さっきまでの貼り付けたような笑みが嘘のように輝きを纏っている。
この世界は輝いている。
そう言わんとするように。
「でも他の人はそうじゃありません。10年や20年そこらしか生きていないのにも関わらず、自分を見つけたフリをする。もっと成長すれば満開の花を咲かせられたのに、そのことを知らず葉っぱだけの状態の自分を自分だと思い込む。そしていつしかそれを本当の自分だと錯覚し、満足してしまう」
「…………」
「自分らしさ、アイデンティティ――そんなものは時代の流れや、環境、願望によって形作られた理想の生き方にすぎません。君もそう思うでしょう。自分らしさという言葉を使う人は皆堕落していきます。真面目な方向で生きようとする人なんて一人もいません」
服をギュッと掴む。
布が捻れて捲れ上がるほどに力を入れる。
「自分らしさというのは突き詰めていけば、人間らしさ、果てには生物らしさです。抑圧からの解放、不満の爆発。それは本能のままに生きる獣であって、人間という種がもつ多様性ではありません」
「……つまり、何だよ」
「そうですね、つまり……」
一拍置く。
そして呼吸を整えてから、再び口を開く。
「人々はまだ本当の自分に出会っていない」
周りを気にせず大声で言い放つ。
まるで決め台詞でも吐くかのように大袈裟に言葉を紡ぐ。
「だから私は人を殺めるのです。死の淵に立つ。それが人間を劇的に成長させる方法です。それだけが本当の自分に会える機会なのです」
「馬鹿馬鹿しい……」
「最初はみんなそうです。でも君もすぐにわかりますよ。私が正しかったと。だって君は私と同類だから」
100歩譲って殺人をする理由は女の価値観ということで片がつく。
だがさっきも使っていた「同類」という言葉。
これだけはカイトも納得できなかった。
性別も見た目も考え方も何もかもが違う。
それが今回の会話でわかった事実なはずなのに、女はまだ自分に興味を持っているような態度を取る。
まるで本当に自分でも知らない自分をしっているかのように。
そしてそんな彼女の話を聞いていると、本当にそんな自分がいるような気がしてくる。
夢遊病、或いは二重人格。
もしかしたら自分には裏の顔があって、その自分が知らないところで暴れ回っているかもしれない。
そんな悪夢が頭の中をよぎっては、言葉にならない不快さが溢れ出してくる。
だから否定しなければならない。
自分は自分であって、決して彼女ではない。
むしろ否定しなければ自分が自分でなくなっていくような、そんな危機感さえあった。
「お前にも信条があるのはわかった。でも何回も言ってるだろ。同じじゃないって。いいか、俺はお前と違って今の自分に満足してる。これは強がりじゃなく、弱者なりの己を守る術だ」
「…………」
「自分を知っていった先が綺麗な花とは限らない。そして俺のような人種は十中八九それ以外だ。そんな現実を見るくらいなら俺は無垢で無知なままでいることを選ぶ。それが俺にとっての幸せなんだよ。それが俺とお前の……それが……」
カイトはどうにか相手を否定しようと頭を回す。
「……あ?」
だがカイトの口から出たのは言葉にならない言葉だった。
気づくと、女が歩き出していたのだ。
顔を見られないように俯きながら、人混みの最後尾に向かって素早く移動する。
「言いたいことだけ言ってとんずらかよ……」
もちろん呼び止めることもできた。
まだ肝心のテストプレイのことについて何も聞けていない。
だが女の溶け込み具合を見ていたら流石にそれ以上アクションを起こす気にはなれなかった。
あんな狂気を孕んだ人間でも、雑多の中の一つになれば気づかないものだ。
時間が経てば、後続が女の背中を覆い尽くし、やがてどこにいるのか認識さえできなくなる。
カイトが気づいていないだけで、今までもいわゆる闇側と呼ばれる人間とすれ違う機会は何度もあったのだろう。
今通り過ぎて行ったサラリーマン風の男だって別にサラリーマンである保証はどこにもない。
これから闇側に落ちないという保証もない。
実際、カイトをゾンビの巣窟に放り込んだ奴らは今もどこかで人間のフリをして生きている。
「……ったく、どうなってんだよこの社会は」
ヒーローに憧れていた。
大人の決まり文句。
儚い空想だったと、幼い情景だったと、いつのまにか物語の中に閉じ込める。
あの日、ヒーローが教えてくれたものは何もかも無駄だったと主張するように。
これからヒーローを目指す子供達を嘲笑うかのように。
何が言いたいのかと言うとつまり、この世にヒーローなんていない。
「ゾンビだけじゃなくて、殺人鬼にも命を狙われんのか、俺は。終わってるな……」
地獄からようやく這い上がってきた。
なのに、どこへ行っても地上に戻ってきた心地がしない。
「あーあ……」
息を吐いてから、再び歩き出す。
向かう先はもちろん学校だ。
時計を見ると、すでに8時半を回っていて、これはすでに一時間目の授業が始まっている時間だ。
「大遅刻じゃねェか」
カイトは静かに不満を溢した。
◇――――◇――――◇――――◇――――◇
カイトの前から姿を消した女は大通りを抜け、人気のない路地に出ていた。
「まだ気持ちが昂ってる……」
息を荒くしながら、赤く染まった頬にゆっくりと手を当て、それから強く自分に言い聞かせる。
「我慢、しないと」と。
女の言う我慢とは、もちろん殺人衝動のことだ。
本当の自分を知らないと言っていたが、20年生きてきて自分のことはある程度理解していた。
この衝動はいつも、本当の姿を見てみたいという人間に出会った時にだけ湧き出てくる。
別に誰でもいいというわけではない。
そして、この状態になると決まって狂ったように何にも手がつかなくなった。
行きつけのカフェの前を通っても、好きな音楽が聞こえても、たまたま道で他人の配布を拾っても。
頭の中にあるのは、衝動を持つ原因となった人間の顔だけだ。
「本戦まで待つだけ。すぐです」
本来ならこういう人気のない場所に誘導して犯行に及ぶが、今回はそんな危ない橋を渡らなくても、『ハント・ザ・デッド』という人の死が当たり前のデスゲームが待ち構えてある。
急がずとも、そこで暴れればいくらでも欲求は解消できる。
つまり、今求められているのはどうやってこの衝動を鎮めるかということではなく、この昂った状態をいかに維持しながら、平穏に本戦を迎えるか、だ。
女の目的は本当の自分を知ってもらうこと。
決して人の死や血に対して興奮する快楽殺人者ではない。
「――や、やめて……」
「――いいじゃん、ちょっとくらい。軽い運動をするだけだよ。あそこに見える綺麗なホテルでさ」
暫く歩いていると、二人の男女を見つける。
男は女の腕を掴み、女は必死で男の腕を振り解こうとしている。
話さずとも、それが強引なナンパであることはわかった。
「私で良ければ相手をしますよ」
声をかける。
いや、かけるなんて生ぬるいものではない。
それは悪魔の囁きだ。
「誰よ、お姉さん。ってか、今の話ほんと?」
「ええ、もちろん。ですが、今ここであれこれ言っても伝わらないでしょう。時間も勿体無いですし、早速行きましょうか」
「あ、あの、私……」
女の方は訳もわからず固まり、男の方は期待混じりに返事をする。
もしここに女をよく知る人物がいたら間違いなくこう言うだろう。
早く逃げろ、と。
だが残念なことにそんな都合のいい人物はここにはいない。
男は舐め回すような視線を向けながら、満足したように大きく頷く。
それが地獄への入り口だとも知らずに。
「いいねいいね。お姉さんみたいな従順な人は久しぶりだ。顔が全然タイプじゃないのが残念だけど、無駄に抵抗する女よりはましだ」
「…………」
「それに、今大事なのはお姉さんがちゃんと俺のことを気持ちよくさせられるかどうかだけだ。そっちから誘ってきたんだし、期待していいんだよね」
「……その点については安心してください」
「ほんと?」
女はわずかに口角を上げる。
それはさっきまでの恍惚とした表情ではなく、どこまでも黒く冷たい幽暗とした表情だった。
「焦らずとも、すぐに本当のあなたに会わせてあげますよ」
その後に起こったことは、もはや語るまでもない。
血に飢えた獣。
そして死んでも誰も困らないような愚かな生き物。
二つが出会った時点で、運命は決まっていたのだ。
「あっ……」
思い出したように口を開ける。
「そういえばあの子の名前を聞くのを忘れていました」
下着姿でベットに腰掛ける女。
その傍にはさっきまで威勢の良かった男が血まみれで横たわっている。
「まあそれを含めて楽しみです」
赤く染まった自身の身体を抱き、身を捩る。
そして誰に言うでもなく、虚空に向かって囁いた。
「早く会いたいな。本当の君に」
『一般枠:シリアル・キラー参戦』




