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1.念願叶って旅立ちますが

「なんだよ、とっととヒロイン落としてラスボス倒せよ」


 陽が完全に沈みきる少し前の時間、広さ以外に取り立てて取り柄のないボロアパートで横になり、読んでいた本を閉じつつ独りごちるのは、これまた取り柄のない黒髪の青年だ。

 彼の名前は前田(まえだ) (しょう)。特徴らしいものが何一つない、しがないオタクの大学生だ。


 彼は大学入学を機に一人暮らしを始め、そこそこの広さのみが取り柄の1LDKアパートは人間らしい生活を送るのに必要最低限の物以外は全て本棚で埋め尽くされていた。

 その内容のどれもがライトノベルと呼ばれるジャンルばかりで、本棚に収まりきらず敷かれた布団の範囲以外の至る所に散乱している。


 翔の趣味は所謂ラノベを読む事だが、気が付くとそれは異世界転生という限られたジャンルに偏り始め、今の果てには異世界チートもののみを好んで享受するようになった。

 故に今彼の部屋にある娯楽物と言えば、その全てが異世界転生に関連する物のみとなっている。


「あーあ、俺が異世界転生したらもっと上手くやるのになぁ……」


 何故、いつからラノベを読み、更にその中でも異世界転生というものにハマったのかは、翔本人にも分からない。

 気が付いた頃には既に家の本棚はそれで埋まっていたし、お小遣いもルーティンのようにそういったグッズに全て注ぎ込んでいた。

 更に今でこそ控えるようにはなったが、小さい頃「将来の夢は?」と聞かれたら「ラノベの主人公」と臆面もなく答えるほどその思いは強く、掛ける想いも人並みを外れていた。


「俺が異世界に行ったら速攻でヒロイン落として、本来の力を隠したまま周りからちやほやされて度肝抜くような魔法見せてやれやれするのになー」


 翔の考える理想の主人公像とは、初めからなんの努力をする事もなく最強で、ヒロインにモテてハーレムを作り、本来の力を隠したまま常識外れな事を颯爽と行う。そんな一般社会では到底受け入れられぬ破綻した人間性こそを強く望み、またそれを夢想する。


「ったく……努力パートなんかいらねんだよ。チートでも覚醒でもしてとっとと新しいヒロイン探しに行けよな」


 現在彼が読んでいる表紙には、強大なドラゴンへと果敢に立ち向かう勇者が描かれており、タイトルの末には三巻と書かれている。どうやらこの作品の主人公は強敵との戦いに敗れ、一度自分を鍛えるシーンに入っているらしい。

 だがそんなものはいらないと、主人公ならば才能とチートのみで充分だと言わんばかりに苦悶の顔でページを捲り、遂には堪えきれなくなったのか本そのものをそっ閉じしてしまった。


「んだよ今回も駄作じゃねぇか。次だ次」


 そっと閉じした本を、根が真面目な故かそれともオタク故か、極力表紙が傷まないように優しく本棚に戻し、まだ買ってきたばかりなのであろう、色の濃いビニール袋から新たな一冊を取り出し、先程とは少し変わった好奇心の色が見える目で表紙を捲った。


 だが、それは一通の通知によって中断される。


「誰だよこんな時に……」


 こんな時も何も、ただ買ったばかりの本を読もうとしていただけなのだが、連絡が来ただけで苛立つ辺り、翔にとって新たな異世界転生系作品を読む事の重大さが窺い知れる。


 そんな苛立ちを持ったまま、無視する訳にはいかないと送られて来た内容を確認し、携帯の画面を凝視し、ただでさえ不機嫌な顔を更に眉間の皴を深めてはっきりとしかめ面を作った。


 その理由は、翔の私生活での人間関係が原因である。


 『明日の講義、代わりに受けてくれない?』


 液晶画面には絵文字や顔文字すらない、たったそれだけの簡素な文章が表記されていた。


 差出人は、大学入学を機に、共通の趣味があるという事で仲良くなった女子からの連絡だ。

 最初の内はよかった。少し芋っぽい見た目の、絵に描いた様なオタク系女子。偶々同じ講義を受けているだけの関係だったが、彼女が読んでいたラノベを翔も同じタイミングで読んでいたので、何の気なしに話し掛けた。きっかけはそれだけだった。


 そらからは共にオタ活をし、本屋やアニメショップに行ったり、好きな異世界小説がアニメ化し劇場版が出たら共に劇場に見に行ったりもした。


 だが、最近の彼女はよろしくない。

 どこでどう知り合ったのか、よく分からないチャラい男とつるむようになり、SNSで見たところ毎日のようにその男とその取巻きたちと家で酒を飲んだりしていて、講義すらまともに出なくなってしまった。


「はぁ……所詮リアルはこんなもんだよな……」


 別段、その子の事が好きだとか、付き合いたいとか思っていたわけではない。ただ初めて出来た共通の趣味を持つ異性の友人を失った事に対しての苦言だ。


 すっかり気分は落ち込み、握っていたスマホを、先程の本とは打って変って放り投げるようにベッドへと捨て、何もない木目の天井をぼーっと眺める。


「あーあ。俺も異世界転生しねぇかなー」


 もはや口癖になりつつある言葉を意識することも無く口にすると、徐にベッドから起き上がり、部屋着のスウェットの上から薄手のパーカーを羽織り、出掛ける準備をする。


「晩飯何にすっかなー」


 それがこの青年、前田 翔の最後の言葉だった。
























『おめでとうございます』


 ……は?


『直ぐには理解できないと思いますが、あなたは死にました』


 は?


『ですがご安心ください。あなたの魂は地獄には行きません』


 いや、ちょっと待って。


 なんだ、何がどうなってるんだ?

 何も無い空間で、無機質な抑揚のない女性の声が頭に響く。初めての体験のはずなのに、何か既視感を感じる。


『このまま輪廻に従い新たな生物として生まれ変わるか、異世界へと記憶を宿したまま転生することもできますが、どういたしますか?』


 そう問われると、この真っ白な空間の中、目の前に選択画面が現れた。

 左は『YES』右は『NO』だ。


 おーけー。落ち着いて整理しよう。


 恐らく俺は死んだのだろう。ただ家から出掛けようとしただけなんだが、どうして死んだのかは今は置いておこう。

 この状況、ラノベマスターの俺には分かる。今は異世界転生をする前の、死後の世界と現実の狭間と言った所か。


 ……なぁ、そうだろう?神のような存在よ。


『……』


 あれ、心の声が聞こえないタイプか?それとも無視か?こういうパターンだと大体『勘がよくて助かるっよ』『こ、心の声が聞こえるのか!?』が定番なんだが……まぁいい。とりあえず俺は、夢にまで見た異世界転生を出来るという事だな。


『……』


 なんか言ってよ怖いなぁ……。とりあえず、ここで重要になって来るのはどんなスキルやギフト……所謂チートが貰えるかなんだが、未だに俺の目の前にあるのはYESとNOの選択画面のみだ。


 なんだろう、嫌な予感がする。


 もしかするとこの画面をタッチすると、俺は問答無用で異世界に行ってしまうのではないだろうか。


 落ち着け俺。分からなければ聞けばいいじゃないか。声は出ないけど。


 『あのーすみません、スキルとかは貰えないんですか?』


『このまま輪廻に従い新たな生物として生まれ変わるか、異世界へと記憶を宿したまま転生することもできますが、どういたしますか?』


 あれ、聞こえなかったのかな。


『何かしらのスキルとかチートみたいなのって貰えないんですか!?』


 今度は気持ち声量を大きくし、語気を強めて聞いてみる。


『このまま輪廻に従い新たな生物として生まれ変わるか、異世界へと記憶を宿したまま転生することもできますが、どういたしますか?』


 あっこれ音声案内だ。


 先ほどと同じセリフを全く同じトーンで繰り返すと、目の前の画面が一瞬消えて、同じ画面が焼き直しのように目の前に現れた。


 俺は今までにないパターンに少し汗が滲んできた……気がする。肉体無いから分からないけど。


 本来であれば神かそれに準ずる存在が居て、あなたは選ばれましたとか死んで可哀想だから転生させてあげるというのが王道だ。


 だがそれがまさか音声案内とは……手抜きにも程がある。


 だが俺は諦めない。やってやらねばならぬ時もあるのだよ。


『あの、神様とかには会えないんですか?』

『担当は現在多忙で留守にしております。どういたしますか?』


 うん、もう無理っぽい。


 俺は大人しくYESの方を押そうとして、体が無い事を思い出し、一瞬悩んでから押すのではなく念じる事にして、そこからは身を任せることにした。


 そうすると選択画面が消えて、無事にYESを選択できたことに胸を撫でおろす。これでいよいよ俺も異世界転生デビューかぁ。


『異世界に転生します。本当によろしいですか?』


 めんどくせっ!いちいち確認すんなよなんか萎えるだろ。


 もう一度YESを選択し、今度はいよいよと俺の意識がある場所から光が溢れ出した。


 これで俺もいよいよ異世界転生デビューかぁ……。

 転生したらやれやれしながらなんかやっちゃった?したり力を隠して平穏に生きながらイベントこなしたり……やりたい事が一杯だ!夢が広がりまくりだぜ!


『それでは異世界転生を開始します。強い光があるので、あまり凝視しないようにしてください』


 アクション映画の冒頭かよ。


 そんなツッコミを言う暇も無く、俺は閃光弾の様な光に目を焼かれながら、新たな生を得たのだった。

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