第六章 グッドアンドバッド
第六章 グッドアンドバッド
僕らは、もし作戦が失敗しそうになって、命の危険がせまったら不幸世界に逃げよう、って話をしとった。けど、霧乃崎ナミヒトの話を聞いて、不幸世界やなくて欠界に逃げることにした。このまま、世界の融合を強行する。
そこは、ホントに何もないところやった。白い世界なんて、ほとんど見たことあらへん。何もかもがなくて、自分がどこに立ってんのかの認識も曖昧になってしまう気がした。
「ここのどっかに祭壇があるはずや。探そうか」
「ちょっと待って、なんか遠くに見える」
「行ってみよ!」
僕ら三人は駆けだした。霧乃崎ナミヒトが追ってこないとも限らない。霧乃崎家ならば欠界にくる方法やって知っててもおかしくはないんやし。
「あ、あれ、清水寺ちゃうん?」
「ほんまに!?」
僕は確信した。そこに、祭壇があるって。なんで、寺に神様が祀られてんのかはわからんけど、周りに建造物も有らへんし、そこにある可能性が高い。けど、霧乃崎家のある場所と、清水寺は大体三キロくらいの距離がある。やのに、欠界の中ではすぐに見つかった。欠界の中では距離の概念が有らへんのかもしれへん。
清水寺の中に入ったら、祭壇はすぐ見つかった。けど、それで終わりやない。
「これで、おしまいやなぁ」
霧乃崎ナミヒトが、欠界に来とった。周りを見ても他の人間はいない。霧乃崎ナミト単独で欠界に来たみたいやった。もしくは、霧乃崎ナミト一人やないとあかんかったのかもしれへん。
「霧乃崎家は全ての世界を支配してるって言うたやろ。欠界に行く方法も有んねん。まあ、当主しか知らんことやけどな。」
ゆっくりと、霧乃崎ナミヒトが近づいてきた。そして、数メートル離れたところで立ち止まる。
「それで、一個聞きたいことがあんねん。なんで、この世界に不満があんの?」
霧乃崎ナミヒトが、口を開いた。笑顔やった。こんなことが起きてんのに、一切表情が変わらへん。これが幸世界の影響なのか、霧乃崎ナミヒトがそういう人間なんかはわからんかったけど、とても不気味やった。
「不幸世界の人らが、可愛そうやからに決まってるやん」
アイミさんが、霧乃崎ナミヒトに返答した。その双眸にはアイミさんの強かさを示す、鋭い眼光が宿ってた。今まで不幸世界でずっと生きてきたアイミさんやからこそ、不幸世界の人らを不憫に思う気持ちは大きいはずや。
「何が、可愛そうなんよ」
アイミさんは不幸世界の人らがどんなけ苦労して毎日を過ごしてるかを知ってる。やからこそ、霧乃崎ナミヒトの言葉に絶句した。
「不幸世界の人たちは、不幸しか感じひん。やから、不幸が当たり前になる。やから、何もかわいそうやないやろ。それが普通で、比較対象もないから、自分が大変だ、苦しい、といったことは思わへん。」
意味の分からへん理論やった。けど、霧乃崎ナミヒトはそれを本気で、真剣に言ってる。不幸を知らんからこそ、そんなことを言えるんやと思う。やけど、不幸を知らへんから、それだけ不幸についての説明が、おかしかった。
「俺は、不幸って何なのか、分からへん。けど、カミラミの俺は、いっつも不幸や、って言ってる。大変やとも言ってる。苦しいとも言ってる。その感情が何なのか、カミラムの俺は分からへんけど、不幸世界の人にも、苦しいとか、そういう考えがあんのは確かや」
カミラ君の言葉は、アイミさんの時と同様、気持ちがこもってた。自分が、カミラムとカミラミの人格を持ち、それぞれが違う特性を持つからこそ、経験がある。幸せも、不幸も。その両方を、知ってるカミラ君やからこそ、それが言える。
「へぇ、なんかおもろい子やなぁ。囚われない人間とはまた違う綻び、かぁ」
霧乃崎ナミヒトの心は一切動いてそうになかった。ただ、カミラ君の特性に興味を持っただけや。何も、心に響いてへん。
「それで、君の目的は何なん?霧乃崎家に楯突いてでもかなえたい望みがあるんやろ?」
突然、霧乃崎ナミヒトの視線が僕に飛んだ。目的は何か。そんなのは決まっとる。僕も、アイミさんもカミラ君も、表現の仕方に多少差はあるかもしれへんけど、最終的にはおんなじ目的を持ってる。
「世界の融合ですよ。」
三人の思いを一つに、僕が代表して答える。霧乃崎家に敵対してでも叶えたい目標や。
「やけど、君にも死の恐怖はあるんやろ?」
突然、霧乃崎ナミヒトが試すような口調でそう言った。
「世界の融合っちゅうことは、世界を改変するってことや。それほどの規模で疑似神力を使うんやったら、疑似神力を使い切って死んでまうかもしれんやろ?」
慌てて霧乃崎ナミヒトは説明を続けた。相手もかなり焦ってきてんのやろ。どこか説得するみたいな話し方や。
「僕は、世界の融合が出来るんやったら、何もかも投げ出すつもりです。」
「私も、不幸世界の人たちのためやったら。」
「俺かって、世界を救うためやったら。」
三人の覚悟は、霧乃崎ナミヒトの想像より硬いもんやったんやろう。
僕は、囚われない人間やったから、幸せも不幸せも理解できた。やから、小さいころから不幸せな人を助けてあげたいと、幸せにしてあげたいと、そう思っとった。けど、幸世界に住んでた僕は、誰か困ってる人やら、不幸な人を見つけることもできひんかったし、助けることもできひんかった。持ってるだけの正義感ほど空しいもんはない。成長と共に諦めもつくようになってきたけど、今でも誰かを助けられたら、って気持ちは強いままや。誰かを助けられる、そんなチャンスがやっと舞い込んできたんやから、これを逃すなんて選択肢はあらへん。死の恐怖はあるんやろって?当たり前や!僕は人間なんや。死に対する恐怖もあるし、出来るんやったら死にたくはない。けど、不幸世界の人らのため、そして、人を助けた、っちゅう達成感のためやったら、命やって投げ出せる気がしてた。それに、僕は世界の融合をしたとして、死ぬつもりなんてあらへん。
「やっぱり、私と君たちの間には大きな差があるなぁ。不幸せを知ってるか、知らへんか。この差は大きいわ。この差が埋まらへん限りは、この話は平行線をたどってまう」
霧乃崎ナミヒトは、諦めの表情を浮かべた。笑み以外で初めて見せたほかの表情やった。
「世界の融合でもなんでも、やったらいい。私は何も邪魔せんわ」
霧乃崎ナミヒトは、懐に手を入れると、隠し持っていた拳銃を地面に落とす。カラン、と音が鳴って、拳銃は白い世界に転がった。霧乃崎ナミヒトは、完全に諦観する意図を示した。警戒を解くことは出来ひん。けど、今が最大のチャンスであることは間違いないやろう。僕は、霧乃崎ナミヒトから視線を外さないようにしながら、祭壇に近づいていった。アイミさんとカミラ君も、ゆっくりと祭壇に近づく。その間、霧乃崎ナミヒとうトは一切動かんかった。
「じゃあ、やるで。」
僕は、アイミさんとカミラ君の方に視線を飛ばす。二人から頷きが返ってきた。僕は、二人よりさらに一歩前に進み、祭壇に近づく。何かわからんけど、どうやったらいいかはわかってた。感覚に従って、祭壇に手をかざす。けど、何も起こらんかった。やり方は、間違ってるとは思えへん。本能的に、それが正解やと思ったんや。方法自体は間違ってへん。なら、何が原因で出来ひんのやろ。せっかくここまで来て、出来ませんでした、なんて有り得へん。あっていいわけない。
「クルト君……?」
「クル、どうしたん?」
アイミさんとカミラ君が声をかけてくるけど、何も答えられへんかった。答える余裕があらへんかった。ここまで、子供でありながら健闘したと思ってた。実際、僕らならできるんちゃうかな、って思ってた。だからこそ、ここまで来て出来ひんかった、なんて答えるのは、無理やった。
「出来ひんみたいやなぁ。疑似神力は、人によって持ってる量が違う。ほんで、量が回復することはあらへん。君は、幸世界と不幸世界を行き来しすぎて、疑似神力を消耗してもうたんや。やから、君に世界の改変は無理や。」
霧乃崎ナミヒトは勝ち誇ったようにしてそう言い切った。満面の笑みやった。ホントに、勝ったと、確信し、安堵し、油断した表情やった。
後ろの気配に気づけへんかった。物語でようあるやつやな。霧乃崎ナミヒトは、油断してもうたんや。やから、後ろから来てた霧乃崎アミトに気づかへんかった。普段やったら気付けてたんかもしれんのに。
霧乃崎アミトは、霧乃崎ナミヒトを一瞥し、祭壇に近づいてきた。アイミさんとカミラ君は、霧乃崎アミトの気迫に圧されて無言で道を空けてた。
「やっぱり、兄上は疑似神力に適性があったんですか」
霧乃崎ナミヒトは霧乃崎アミトに確認するようにして言った。
「部屋から突然消えてたり、曲がり角を曲がったら消えてて尾行がまかれてたり、みたいな報告は受けてましたわぁ」
「ナミト、協力ってわかるか?」
霧乃崎アミトは霧乃崎ナミヒトに返事をせず、祭壇の方を向いて手を持ち上げる。霧乃崎アミトが祭壇に手をかざした時、僕の力が吸い取られるような感覚がした。今回こそは、成功してるっていう確信が持てた。
「幸世界にいたら不幸になる事があらへんから、不幸な人と悲しみを分かち合ったり、同じ境遇の人と〝協力〟するなんてことなかったやろなぁ」
霧乃崎アミトは、手は祭壇にかざしながら、霧乃崎ナミヒトの方に体を向ける。
「不幸を感じることで、人は成長すんねん。お前には、それがなかった。やから、負けた。」
「なんや、分かったような口きくやないですかぁ。兄上も幸世界の人間やねんから、そんなもん分からんかったでしょうに」
「分かってた。俺は囚われない人間やからなぁ」
霧乃崎ナミヒトの表情が初めて歪んだ。
「兄上が疑似神力に適性があるゆうんは受けてた報告から予想してましたけど、囚われない人間やったなんて、知りませんでしたわぁ」
僕は両方知らんかった。それどころか、この人は僕らのことを裏切るつもりなんやろな、と思っとった。この人が、最終的にどんな人なんか、僕にはわからへん。けど、結果として協力してくれた。力を貸してくれた。なら、感謝しかあらへん。
「クルト君、君の望みは?」
霧乃崎アミトは、僕に視線を向けた。僕に迷いはあらへん。
「世界の融合です!」
「分かった。」
幸せと、不幸せ、その両方があって、不幸な時には苦しむし、大変やけど、それを乗り越えて幸せになって、幸せの大切さを知って、不幸を経て成長して。そんな世界を想像する。
「カミラ君、新しい世界で悩んだ末の答えを見つけや!アイミさんも、自分だけが違うわけやないんやで。」
僕は、もうすぐ世界の改変が行われる、という気がして、最後に声を張り上げた。
「待て……待つんだ兄上!」
霧乃崎ナミヒトが、狂ったように叫んだ。
「それは、兄の命を心配しての言葉か、それとも霧乃崎家当主として権力を失うことに対する心配の言葉か。兄としては、前者を望みたいなぁ」
霧乃崎アミトのその言葉が、欠界で聞こえた最後の声やった。
白い光に覆われて、目が覚めた時にはよく知る世界が広がってた。横を見たらカミラ君もいる。けど、クルト君はおらんかった。
不幸世界でクルト君とあって、ホントに不審者やと思った。けど、ホントはいい人で、私のことも、私の不思議な特性のことも、自分と同じや、っていって認めてくれた。それが一番、私にとってうれしかった。命さえ投げ出せる、と断言したその勇気、そして正義感ややさしさ。何をとっても、クルト君はいい人やった、と思える。
ホントに好きやった。
死んだなんて思いたくはない。折角新しい世界になっても、クルト君がいない世界やったら嫌や。けど、この世界で生きていくしか、選択肢はない。
ホントは、疑似神力使い切ったら死ぬなんて話自体が間違ってた、みたいなことあらへんかな。グッドアンドバッドの語源は霧乃崎家の庭に書いてあった英語やったんやろ?霧乃崎家では神が書いた文字や、って言ってたけど、それが疑似神力に適性があったっちゅう白人やったて可能性はないんかな。いや、そう考えへんかったら矛盾する。霧乃崎家では白人を通して接触した神やから、英語圏の神や、っていう考え方されとったけど、実際にはその神の祭壇は清水寺に祭られてた。やったら、英語の神やとは思いづらい。やっぱり、矛盾してる。白人は生きてたんや。グッドアンドバッドの後でも。やったら、クルト君やって生きてる。
「あ……ここどこ?俺何してたんやっけ。僕は……」
カミラ君が起きてきた。カミラ君は、少しぼーっとしてたけど、すぐに目に光が戻ってきて、はっとした。
「クルは!?」
「多分、この世界のどっかにいる。カミラ君、探すで!」
「うん!」
私とカミラ君は、走った。クルト君がどこにいるなんてあてはあらへん。けど、どっかにはいるはず。確証は得られへんけど、そう思うしかない。ただ一縷の希望にかけて、行動するしか、私たちにできることはあらへん。
そうして、日が暮れてきた。空が朱く染め上げられ、太陽が沈んでいく。未だ、クルト君は見つからへん。沈みゆく夕日は、私たちの気持ちが沈んでいくんを表してるみたいやった。こんなけ探しても見つからへん。
「クルト君……どこ行ったんやろ」
「そうだねぇ、どこ行ったんやろ?ね。」
突然、カミラ君やない声が聞こえた。隣を見れば、そこには探してた、私の想い人がいた。