第五章 霧乃崎家
第五章 霧乃崎家
霧乃崎アミトに聞いた通り、その場所には霧乃崎家の邸宅があった。大きな屋敷やった。しかも、庭もめちゃくちゃ広くて、カスミソウが一面に咲き誇っとった。邸宅と庭は高い塀に囲まれ、正面には門があった。門の威圧感は凄くて、ゲームのラスボスの城みたいやった。正面の門以外に出入り口はなさそうやし、中に入ったら逃げ出すんは難しそうやな。まあ、いざとなったら不幸世界に逃げる。そうしたら多分少しは時間が稼げるはずや。けど、僕がいつもやってる〝お祈り〟は誰でも使えるもんなんやろか。それとも、限られた人しか使えへんとか、そういうことなんやろうか。もし、誰でも使えるっちゅうわけやないんやったら、こっちがかなり優位に立てる。不幸世界に行けば逃げ切れるのが確実っちゅうことやねんから。けど、幸世界も不幸世界も、霧乃崎家が支配してるってことを考えたら、霧乃崎家には幸世界と不幸世界を行き来する方法があるって考えるのが妥当や。奥の手があるからって油断したらあかん。
「で、どうやって潜入すんの?」
カミラ君が館の大きさに気圧されながら聞いて来はった。
「そうやなぁ、こんなに塀が高いなんて思っとらんかったしなぁ」
僕は霧乃崎家の屋敷を観察しながら考える。集中して考えてたから、背後からの気配には気づけへんかった。
「天宮クルト様ですね。お待ちしておりました。お連れ様も、こちらへどうぞ。」
僕らは三人同時に振り返った。その表情は、驚きに染まっていた。僕らは、霧乃崎家はまだ僕らのことを認知してへんっていう前提で霧乃崎家に接触する決定をした。けど、霧乃崎家がこっちの動きを知ってたんやったら話は別になる。どこから、どのようにして話が漏れたんか。僕らの中に裏切り者がおるとでもいうんやろか。それとも、霧乃崎家にすべてこちらの動きを予測されていたんやろか。そういえば、霧乃崎アミトが僕に接触してきた時、やけに周りを気にして、きょろきょろしてはった。つまり、どっかから見られてる事を知ってたんや。なら、僕のその後の動向を監視してた人がおってもおかしくない。その人が、僕らが霧乃崎家に接触する作戦を立てているときにも、近くにいたとすれば。霧乃崎家に動きが筒抜けになってんのも合点が行く。
「どうすんの?ついてく?」
声を潜めて、アイミさんが聞いてきた。
「逃げるわけにもいかへん。大人から逃げられるとは思えへんし。」
アイミさんとカミラ君は頷きを返した。話しかけてきたんはおじいさんやけど、気配を消して近づいてきたし、かなりの手練れやっていう可能性が高い。それに、僕らが作戦を話してるときに監視してた人がいるんやったら、今もどこかに隠れている人がおるんかもしれん。それやったら逃げ切れるはずもない。今は素直について行く以外、選択肢はないんや。まあ、潜入する手間が省けたと思おうか。
「っていうか、なんでこっちの動きが分かってたんやろ」
カミラ君が、疑問を口にする。アイミさんも、首を傾げた。
「多分やけど、作戦会議しとった時にその話聞かれてたんやと思う。こっちが警戒されてへん、って思っとったんが間違いやったんや。」
「それやったら、私たちこれからどうなるん?」
「分からへん。けど、成り行きに任せよ。いざとなったら不幸世界に逃げる。」
「「分かった」」
声は潜めて話してた僕らやけど、前のおじいさんには聞こえてるかもしれへん。どうせ、僕らの大事な秘密はほとんど筒抜けになってるんやろうし、今頃話を盗み聞きされたとしてもリスクはあらへん。
「応接間で、霧乃崎ナミヒト様がお待ちです。」
霧乃崎ナミト。その名前が出たことで、僕らの警戒度が上がった。霧乃崎現当主であり、世界を支配してる張本人。そして、同時に一番の情報源となり得る人物だ。もし成功したら、大量の情報を手に入れられるかもしれへん。
僕らは白いカーペットの引かれた回廊を歩いていった。ところどころに、カスミソウが花瓶に入れられておかれてる。
「さあ、ここが応接間になります」
執事服のおじいさんがある部屋の前で止まった。僕ら三人は、お互いに頷きあうと、部屋の中に入って行った。中にあったのは二つのソファとそれらに挟まれてるローテーブルやった。それ以外にはほとんどなくて、応接間、っていう役目だけのために作られた部屋なんやな、ってことがよく分かった。
「よく来てくれはったなぁ。どうぞ、座ってや?」
僕らから向かいになるソファには、霧乃崎ナミヒトであろう人物が座ってはった。霧乃崎アミトとも少し似た雰囲気がある。多分、これが霧乃崎ナミヒトで間違いないやろう。僕ら三人はそれぞれ警戒しながら、霧乃崎ナミヒトの向かいのソファに腰かけた。ローテーブルに目をやると、そこにはカップに入った紅茶と、八つ橋が置かれてる。こういうのは何となくやけど食べたらあかん気がする。基本的に睡眠薬でも入ってるやつや。
「どうやろ、皆さん。八つ橋は嫌いやったかなぁ」
僕ら三人とも、八つ橋にも紅茶にも手を付けないのを見て、霧乃崎ナミヒトが尋ねる。京都の人は語尾を滑らかに伸ばすから、話すんが遅い人が多い、って言われることが多いんやけど、ここまで語尾を伸ばす人は初めて見た。
「用意してもらったのに申し訳ないんですけど、三人とも甘いのとかは苦手なんです…」
アイミさんが、誤魔化すようにしてそういった。しかし、その表情は本当に申し訳なさそうにしていて、実際そう思ってるんやろうな、というのが分かった。僕やって、申し訳ないし、食べられへんのがもったいない。僕は唐揚げも好きやけど、八つ橋も大好きやし、本当やったら食べたい。けど、ここで私情に駆られて食べてもうたらあかん。何が入ってるかもわからんもんは、食べられへん。
「残念やなぁ。一応言っとくけど、何も変なもんは入ってへんで?」
「そんなことは心配してませんよ」
それぞれ笑顔で話しているというのに、その心は誰一人として笑ってへんのがよく分かった。僕やってそうや。心の中には警戒心しかあらへん。ここで警戒を解くなんてことは出来ひん。多分、アイミさんとかカミラ君も同じ感じやと思う。カミラ君は今カミラムやし、断言はできひんけど。
「じゃあ、そろそろ本題に入りましょかぁ」
皆の表情が更に硬くなる。霧乃崎ナミヒトはまだ笑顔のままやったけど、それが逆に不気味に感じられてまう。
「グッドアンドバッドって、知ってはるやろ?」
霧乃崎アミトの時ともまた違う。僕らが知ってるってことを、自分たちは知ってる。その事実を一切隠そうとしてへん。こっちは知ってんねんから、白状しろ、という圧を感じる。「知ってますよ?」
霧乃崎アミトの時も同じやったけど、ここで変に誤魔化そうとして否定するんは悪手や。どうせ相手はこっちの情報をほとんど知っとるんやし、否定しても意味あらへん。霧乃崎ナミヒトもここまでは予想の範囲内やったんやろう。一切表情を変えずに頷いてる。
「やったら、疑似神力っちゅうもんは知ってはんの?」
疑似神力、という単語は初めて聞いたな。何となくで意味は予想できるけど、それが何なんかは流石に知らへん。
「あ、知らへんの? 疑似神力っちゅうのは、何でもできる力や」
あんま分からんけど、未だ意味が分かってへん欠界とかとなんか関係がある気がした。それに、何でもできる力やったら、僕らの目的を達成することもできる。
「それは、ほんまに何でもできるんですか?」
カミラ君が、霧乃崎ナミヒトに尋ねる。霧乃崎ナミヒトは大きく頷いた。けど、本当に何でもできる力なんてあるもんなんやろか。
「疑似神力っちゅうもんはね、誰にでもあるねん。けど、適性があるかどうかには人それぞれ違う。今んとこ、歴史上で確認されとんのは一人だけや。しかも、その存在も消されとる。」
「消されてる……?」
アイミさんが怪訝そうな表情をした。何らかの代償として消されたんやろか。
「丁度ええ。昔話をしてあげよかぁ。霧乃崎家の当主しか知らへん昔話や。」
霧乃崎ナミヒトはそう言って、周りにいた使用人たちを部屋の外へ追い出してく。ホントに他の人には知られたらあかん話なんやな、ってことが分かった。けど、それと同時に当主以外知れへんような話をしようとしてるってことは、秘密を知ってしまった僕らはどうなるんか、っていう不安もある。
当主しか知れない昔話。それを知って、僕らはどうなるんかはわからへん。けど、ここまで来て先の不安なんてしてられへん。ただ、前に突き進むのみや。
「さて、事の発端は―――」
事の発端は、平安時代やった。霧乃崎家はその頃、貴族の中でも力を持っとった。けど、霧乃崎家の当主は各代ともに変わった人が多かった。五代目当主、霧乃崎ナルヒトも同じで、貴族としては完全なる異端児やった。彼は、権力に固執しとって、泥をすするとしても、それが最終的に権力につながるんやったら躊躇せずにやるような人やった。ほんで、同時に権力のにおいに敏感な人やったんやと思う。
ある時、白人が日本に入ってきた。小さな船に乗って、一人だけ。歴史上やったら平安時代には白人は来てへんはずやけど、それは霧乃崎家がその存在を歴史から消し去ったからや。自分たちの行ったことも含めてな。
日本に紛れ込んだ白人はいろんなところを回ったのちに平安京のあったこの京都にたどり着いた。発見された白人は、異人っちゅうことで捕らえられかけた。そこで待ったをかけたんが霧乃崎ナルヒトやった。その白人から権力のにおいを嗅ぎつけたんやろなぁ。自分が引き取るゆうて押し通した。白人は、霧乃崎ナルヒトのそばに置かれ、約一か月を過ごしたらしい。けど、その間何もなく、ただただ労働力になっとったくらいのもんやった。周りは、霧乃崎ナルヒトがなぜわざわざ白人を助けたのか、と思い続け、霧乃崎ナルヒトはやはり変人扱いされとった。
そんなある日、白人が霧乃崎ナルヒトをある世界に連れてった。こっからが本番や。白人には疑似神力に対する適性があった。やから、複数の世界を行き来することが出来た。ほんで、それは他の人を連れてくこともできた。霧乃崎ナルヒトは、白人に連れられて、欠界って呼ばれるところに行った。
欠界にはほとんど、何も有らへん。出来損ないの捨てられた世界や。けど、その世界には祭壇が置いてあった。白人は霧乃崎ナルヒトをそこに連れてって、何が願いか、と聞いた。白人は、自分の疑似神力を祭壇を通して使ったら、世界の改変でもなんでもできる、っちゅうことを霧乃崎ナルヒトに説明して、もう一度問うた。
霧乃崎ナルヒトは、既にその時老齢やった。やから、自分が権力を得る事より、自分の一族、つまりは霧乃崎家に権力を与えることの方を考えた。それで、幸世界と不幸世界に分けたんや。不幸っちゅう感情につかれてたんもあるやろし、二つの世界に分けて、その世界を霧乃崎家が支配するようにすることで、最大の権力を、霧乃崎家に与えたかったんかもしれん。
白人は、霧乃崎ナルヒトの願いを聞き届け、疑似神力を用いて、その願いをかなえはった。結果として、今があるんや。
霧乃崎ナルヒトは、その後、幸不幸の選別を行った。人々がどちらの世界に行くかを決めたんや。そのほかにも、霧乃崎家や白人の存在含め、グッドアンドバッドに関係する事物の事実上の抹消やら、色々しはった。こうして、今では霧乃崎家が歴史上の名前として出てくることはあらへんし、白人が平安時代に日本に来とったって話も出えへんくなった。霧乃崎家は、この世界と一緒に歴史も変えてしもうた。これが、この世界の、本当の成り立ちや。
「なんか質問ある?」
霧乃崎ナミヒトは、話を終えて僕らにそう聞いてきたけど、反応できるほど落ち着いてへんかった。霧乃崎家の各代当主しか知らんような情報やって事やったし、かなり有力な情報があるんちゃうかな、って思ってたけど、想像以上やった。これやったら今にでも世界を救えるかもしれん。世界の融合が可能になる。けど、霧乃崎ナミヒトかって何も考えんとこれを僕らに話したわけやないはずや。話したとしても、僕らがそれをほかに漏らせるわけがない、という考えがあるからこそ、こんな簡単に話せたんやろう。
「日本で起こったことやのに、なんで英語の名前がついてんの?」
カミラ君が、霧乃崎ナミヒトに尋ねた。確かに、グッドアンドバッド、という名前は平安時代に考えられたとは思えへん。
「ああ、それなぁ。グッドアンドバッドがあった後、霧乃崎家の庭に、大きく「GOOD N BAD」って書いてあったんや。平安時代にはそれが何なんか分からへんかったけど、後にもう一度白人が日本に来た時にそれが英語で、グッドアンドバッドって読めることが分かったっちゅうことや。それを誰が書いたんかはわかってへんけど、白人に導かれてたどり着いた祭壇の影響で出来た文字やろう、ってことで神様が書いたんかなぁ、みたいな感じになっとるなぁ」
確かに、それなら納得できんでもない。それが神様の書いた文字なんかはわからんけど、白人に導かれて関わることになった神が英語圏の神やとしても、おかしくはあらへん気がする。
「じゃあ、白人さんはどうなったん?」
カミラ君が、問いを重ねた。
「消えた。霧乃崎家では死んだと思われとる。疑似神力は一人の持つ量が決まってるから、それを使い切って死んだんやと思うで」
霧乃崎ナミヒトは、残念そうにもせんと、にこやかにそう言い切った。
「さて、他に質問はあらへんかぁ?」
霧乃崎ナミヒトは、僕ら三人をそれぞれ見て、頷いた。
「それで、わざわざ天宮クルト君、君をここに案内したんには理由があんねん。」
霧乃崎ナミヒトが、僕の方を見てそう言った。僕の警戒心が高まっていくのを感じる。僕らの動きに注意してたんも、霧乃崎家の各代当主しか知れへんような情報を僕らに話したんも、全て理由があったんや。
「君は、疑似神力に適性があるやんねぇ。報告は既に受けてる。」
僕は、もう反応せんかった。さっき、霧乃崎ナミヒトの話を聞いていて確信を得た。今までお祈りやゆうて幸世界と不幸世界を行き来しとったけど、それは僕に疑似神力の適性があったからなんや。つまり、欠界に行って祭壇を見つけられれば、この世界の融合やって可能になる。
「だから、なんやゆうんです?」
霧乃崎ナミヒトは、僕の持つ疑似神力に、何を求めんのか。霧乃崎家の当主として、得られるものは、全て得たはず。人間であるからこそ持つ、幸福や不幸と言った感情さえ捨てて、権力を手にした霧乃崎ナミトは、何を求めるんか。
「私を、不老不死にしてほしいんや」
思わず絶句してもうた。声が出えへんくなる。人間である要素、っていうのは僕は、やけど、沢山の感情を持っとる事、死ぬこと、常に新しいことを考えられること。この三つやと思ってる。既に、霧乃崎ナミヒトは感情のうち約半分を失って、その観点では人間やと言えへんような状況やった。やのに、更に不老不死を求めてる。それが叶ってもうたら、霧乃崎ナミヒトは人間ではなくなってしまうやろう。ただの怪物になり果てる。
「今、私は何もかもを手に入れとる。やけど、死への恐怖だけは残ってんねん。やから、それを取り除けば、私は完璧になれる。霧乃崎ナルヒトの思い描いた理想を超越する、完全な存在になれるんや」
霧乃崎ナミヒトはなぜ自分が不老不死を求めるんかを説明した。けど、それを聞いても聞けば聞くほど意味が分からんくなってくる。完全な存在なんて、有り得へんのに。
「勿論、タダでとは言わへん。もし、君がこちらの要望に答えてくれるんやったら君たちは無事に帰したる。記憶だけは消させてもらうけどな。死なんで済むんや。それでも足りひんってゆうんやったら他にも報奨を用意させる。ほしいもんがあるんやったらゆうてみ」
僕が霧乃崎ナミヒトの要望に応えれば、僕らは無事に帰してもらえる。つまりは、逆らうんやったら僕らは無事ではいられへんってことや。多分、ここで殺される。
「お断りします」
選択肢など、初めから一つしかあらへん。断固として拒否する。不老不死を与えるやなんて、するわけない。
「そうかぁ。残念やなぁ……やったら、ここで、死んでもらおか」
霧乃崎ナミヒトが、そう言ってパンパン、と手を叩く。それを合図にして、周りが騒がしくなってきた。ほんで、扉が開いて、霧乃崎アミトが入ってくる。どこか、悩んでいるような、そんな表情をしてた。その三秒後ほどに、使用人たちが入ってきた。さっきはいいひんかったはずの屈強な男たちもおる。
「クルト君、どうすんの?」
アイミさんがカミラ君の前で仁王立ちしながら聞いてくる。カミラ君を守ろうとしてるんやろうけど、足が小刻みに震えとった。やはり、恐怖や緊張感が払えへんのやろう。僕も同じや。目の前にある恐怖で、体の震えが収まらへん。
「奥の手使うで」
アイミさんとカミラ君にそう言って、〝お祈り〟する。霧乃崎ナミヒト、霧乃崎アミト、他大勢の前で、僕らは消えた。