第二章 不幸世界
第二章 不幸世界
僕は、今日も左京図書館に来てた。昨日感じた違和感を、確認したかった。お母さんは、不幸というものを知らない様子やった。その様子は、昨日読んだ本の内容と一致してて、物語のはずやのに、本当のことかもしれへん、と思えてきた。
「もっかい本読んで、物語なんか本当の事なんか、確かめる!」
僕はもう感情だけで行動なんてせえへん。これからはしっかり計画を立て、確証を得てから行動する。現時点での目標は、まず本の内容の真偽を確かめる事。目標の達成のためにも、図書館にいかないといけない。
図書館に入ると、何やら中が騒がしい感じやった。基本は図書館やし、皆静かにしてるはずやねんけど、なんでこんなに騒がしいんやろ。
「あ、來山さん、なんかあったん?」
丁度、來山さんが近くにいたから呼び止めて、話を聞いてみた。
「ああ、クルト君。いや、あの本が消えてもうてん。なんで図書館にあんのかもわからんかったし、一旦保管しとこう、みたいな感じやってんけど、今日になったら消えててなぁ」
それで図書館スタッフで探してるんや、と続けながら來山さんはきょろきょろと辺りを見回す。そんな風に探して見つかるところやったらもうすでに見つかってる気がするけど。というか、あの本、ってのは多分昨日僕が読んどった本やろうけど、その本が消えてもうたんやったら大事件や。あの本はもしかしたら、世界の秘密が書いてある凄い本かもしれないのに。いや、だからかもしれへん。世界の秘密が書いてあるから、その秘密を知られたら困る人らがおって、そういう人らが盗み出したと考えたら筋が通る。そう考えたら、やっぱりあの本は本物やったんかも、と思えてきた。
「あ、そういや昨日の本に紙が挟んであって、それは残ってんで」
「ホント!? その紙見せてくれへん?」
その紙に何か、ヒントになる事が書いてあるかもしれない。本は無くなってしまったけど内容は何となくで覚えてなくもないし、本自体よりも、僕が昨日見つけてなかった紙の内容の方が重要や。
「まあ、十時までは捜索、って言われてるし、そのあと見せてあげるわ」
十時まで、あと十分程度やった。十分では一般書は読み切れへん。短いのやったら分からんけど、十分やったら探しているだけで過ぎてまうかもしれへん。こういう時は児童書を読むんが一番や。大体十分くらいで読める本ならあてがある。
『世界を超えてアイに行く』児童書の中でもしっかり作りこまれとって、十代の子供向けの本。けど、疾走感ある文章やし、展開も早いから短い時間で読める本やった。そういう風に簡単に読めるから本が苦手な子にも人気な本だ。
主人公が並行世界に連れ去られたアイと呼ばれる親友を取り戻しに行く、という物語で、ファンタジー小説の代表的な作品だった。
そういえば、あの本が正しいのやとすれば、この世界とは違う並行世界に不幸世界というものがあるっちゅうことになる。その世界の様子は、僕には見ることは出来ひんのやろうか。出来るならば、不幸世界の様子を見てみたい。この世界の秘密を知って、どうするべきなんか、今のところははっきり分からへんけど、不幸世界を見ればなんかヒントになるかもしれへん。それに、不幸世界に行ければ、あの本の信憑性だって上がる。出来るんやったら今にでも不幸世界に行きたい。この本やったら主人公は祈ることで並行世界にいっとった。もしかしたら、そんなことも有るかもしれへん。不幸世界へ行きたい。ただそんだけ祈れば不幸世界に行けるんやったら苦労はしぃひんねんけど。
* * *
祈りは、届くもんなんやな、と思った。
「こんなことで、本当に不幸世界ってこれるんや………」
思わず無意識に呟いてしまった。それぐらい、驚きやった。こんなこと、とか言うてしもうたらあかん気もするけど、こんなに簡単なことで不幸世界にこれるんやったら誰でも来れてる気がする。まあ、そもそも不幸世界、ってもんを知らん人が多いんやろうけど。
それで、ということで僕は一旦周りを見回した。よく知る風景だった。さっきと違う風景やから、ここがさっきの世界とは違うんやってことは分かるし、他にも雰囲気が全然違う。けど、ここはよく知る左京区の風景やった。少なくとも、この辺りは幸世界と不幸世界はおんなじ風景が続いてるみたいや。僕の目の前に続く東鞍馬口通りも、幸世界のもんと同じやった。
けど、おんなじ風景やからこそ、違和感がすごかった。周りにいる人たちが全員知らん人やし、纏ってる雰囲気が暗い。ここが不幸世界なんやと確信した要素は明らかに皆が暗い顔してる、ってことやった。幸世界やったら全員笑顔やった。だから、ここが不幸世界で、幸世界ではないんやと、確信することが出来た。
「夜ご飯、作らないといけない………不幸やな、毎日。」
道行く人たちの声も、落ち込んどった。しかも、幸世界では一切聞くことのない不幸、という言葉が聞こえてくる。僕が住む幸世界では明らかにおかしい状況やけど、これがこの世界では当然のことやと思うと、どこか胸がつかえるようやった。
さて、折角不幸世界に来たんやし、情報を集めたい。それに、一個気になってることがある。僕は幸世界に住んでるけど、不幸っていう感情が理解できた。他の人にはできないことが出来てた。けど、それが出来るんは何でなんか、そういうのは分からんかった。僕にとっては生まれ持った感情やったし、それが何であんのかとか考えても答えなんか出るはずがなかった。やけど、図書館に置いてあった看板には「不幸が説明できる人」みたいなことが書いてあった。不幸って感情を知らん人ばっかのはずの幸世界でそんな言葉があるってことは、幸世界に他にも不幸を知ってる人がいるってことになる。幸世界にいるんやったら不幸世界にいてもなんもおかしくない。そんな簡単に見つけれるとは思ってへん。けど、出来るんやったら見つけたい。この世界の秘密を理解するには、その特性が必要やから、僕が言う話を理解して、味方になってくれる人なんてその特性を持ってる人くらいしかいいひん。
まあ、不幸世界の情報収集をしながら僕と同じ特性を持つ人を探していこう。
「あの、少し話聞いてもいいですかぁ?」
「なんや、道歩いてただけで子供に絡まれるて、不幸な日やなぁ」
「すいません、少し話を………」
「なぁにぃ?夕ご飯作らなあかんて既に不幸やゆうのに、子供に絡まれるって、ホントに不幸なんやね、私は」
「話を聞きたいんですけど……」
「あァ?うるせぇな、不幸増やすなよ、このガキが」
流石に、僕も心が折れかけてもうた。いや、流石にキツイ。僕はよく外に出てるし、大人と話すことも多いから、知らん人ともある程度は話せるかなとか思ったけど、そんなはずなかった。いつでも元気にっていうのがモットーやったけど、これは流石に暗い気分になってまう。しかし、不幸世界やったらこれが普通なんや。それが分かっただけでも良かったんかもしれへん。やけど、これで道行く人に簡単に声かけれんようになってもうた。幸世界に住んでた僕は人に不幸の元凶扱いされたことなんてあらへん。やから、一切慣れへんし、傷つきやすくなってまう。
僕は、何もできひんまま、東鞍馬口通りを東に向かって歩いてった。なんか、ちょっとのことですごい疲れてしもうた。色々とやる気が出えへんくなった気がする。疲れて、やる気をなくして。だから、反応が遅くなってしもうたんやと思う。
「おお! 今日は晴れてる! 幸せな日やん! 近頃雨続きやったしなぁ」
突然、横の家から女の子が飛び出してきた。何となくでぶつかりそうになったんをよけることは出来たけど、その言葉を咀嚼して、その子を呼び止めるまでには時間がかかった。
「何? 思ってたより小っちゃい不審者なんやなぁ」
僕がその子を呼び止めたときの、第一声がそれだった。初っ端から不審者扱いされてるのに少し落ち込んだけど、ま、仕方ない気もする。だって、急に声かけられたらびっくりするのは当然やし。まあ、声かけてきた人は全員不審者やとは思わんといてほしいけど。
「いや、不審者やないけど。」
「じゃあ、何なん? 変質者? それともやばい人?」
「悪い人かもしれないってところから離れへん?」
「ダイジョブ、悪い人かもしれへんなんて思ってへん。」
「あ、そうなん」
「悪い人でしかないって思っとるから」
「いや、あかんから! 悪い人でも変な人でもないんやから! ちょっと話聞きたかっただけやから。」
「なんや、悪い人でも変な人でもないんや。」
「やっとわかってくれた?」
こんなやり取りを経て、やっと本題に入れた。この子は……何というか独特な子なんやな。
「で、何が聞きたいん?」
「君、幸せって何だと思う?」
「急やな。まあ、好きなことするとか、そういうときの感情……?」
「じゃあ、不幸って何かわかる?」
「馬鹿にしてるん? まぁ、自分の思い通りにいかへんかったときとか、そういうときの感情とか、そういうもんなんちゃう?」
僕は、心臓の鼓動が早まるのを感じつつ、それを隠して質問を重ねる。
「君は、幸せと不幸せ、両方感じたことある?」
ただただ、僕は静かに答えを待った。心は早鐘を打ちながら大きく高揚しとった。
「当り前やん。」
心の中で、歓喜と、驚きが吹き荒れた。ここで肯定が帰ってくるってことは、そういうことや。僕と同じ、幸せと不幸せ、両方を感じられる特性を持ってる。
「でも、周りの人は分かってくれへん。幸せなんて知らない、毎日が不幸だって毎日言ってはる。」
何となく、気持ちがわかる気がした。僕も、自分が知ってんのに、他の人は知らん、みたいなことがあって、何度も孤独感を感じた。けど、この子は、もっと大変やったんやろう。僕は幸世界に住んでたから、他の人は僕だけが違っとることに何も悪感情を抱いてへんかった。けど、この子の場合は不幸世界やから、他の人はこの子が変なのに対して不幸やとか、そういうことを言っとったはず。そんなことが毎日毎日続けば、気も滅入るはずだ。僕なんかより、この子の方がよっぽど強かなんやろう。でも、僕はこの子と自分が違うとは思わへん。
「大丈夫、僕も同じだから」
色々と、僕らは違うところもあるかもしれへん。けど、本質的なところは一切違っとらへんし、同じ環境におったら本当に同じやったはず。何より、この子が今一番望んでるのは、他の人に肯定してもらうことやと思う。今まで否定され、不幸の元凶として扱われてたんやから、肯定こそ何よりもの助けになるはずや。僕はそう信じる。
「同じって言ってくれたんは君が初めてやな。信じるわ、君は不審者やないな!」
「いや、最初からそう言ってるんやけど」
「まあまあ。わたし、鍵寺アイミ!」
「僕は天宮クルト。鍵寺さんだね、よろしく。」
「いや、折角やねんから名前で呼んで!」
「じゃあ、アイミさんだね。よろしく」
「か、揶揄いたかったのに……」
「なんか言った?」
「いや、なんも?」
というやり取りを経て、それぞれの名前をお互いに確認した。なんか、全体的に短いやり取りやったはずやのに、凄い長いやり取りののちにやっと自己紹介できた気がするんはなんでなんやろ。
「ところで、クルト君はなんで急に幸せは何なのかとか、そんなこと聞いてきたん? しかも私ら初対面やろ?」
そういえば、自己紹介とかしてるうちに本題を忘れてしもうてた。一番、大事なことはこの世界の秘密についてや。それについて、アイミさんはどんな反応するんかは分からん。けど、その答えは僕にとってなんかヒントをくれるもんになるはず。
「この世界で、幸せが何かわかる人を探しててん。」
「? なんで、幸せが分かる人を?」
「きっかけは、昨日読んだ本やった。この世界の仕組みについての本で、その本を読んでからさっきみたいなことしてる。」
「世界の仕組みて、めちゃくちゃ面白そうな導入やな!」
「話、聞いてみてもらえる?」
「逆にここまで来て聞かせてくれへんかったら困るわ!」
僕は、アイミさんに昨日読んだ本の話をした。
* * *
執事服を纏った青年が、白いカーペットの引かれた回廊を歩いていた。ところどころにカスミソウの絵画が飾られ、一定間隔で取り付けられた窓からは明るく太陽がのぞいていた。青年は、ある部屋の前で立ち止まると、白い手袋をした手でノックする。
中の人間から入る許可を得て、青年が扉を開いた。部屋にいたのは黒髪の青年だ。
「アミト様、〝あの本〟が見つかりました。それで、ついとった指紋の調査をアミト様に任せる、とナミヒト様が。」
「ほう、ご当主様がそう言わはったんか。」
アミト様、と呼ばれた男性は執事服の青年から書類を受け取った。ページをめくりつつ、内容に軽く目を通す。そして、執務机の方へと投げ捨てた。
「ご当主様から直々に仕事もらえるとか、幸せやなぁ」
男性は、椅子にどっかと腰を下ろす。
「お前はもう下がってええよぉ、私一人でやっとくわ」
退室を促されて、青年は一礼してから部屋を去る。青年が退室したことを確認して、男性はハァー、と長い溜息をついた。
「事務仕事やりたくないだけなんやろなぁ、ナミヒトも。」
先ほど投げ捨てた書類を拾い上げ、スタスタと歩いていくと、シュレッダーで粉々に切り刻んだ。切り刻まれる機械音が洋風の執務室に響いた。
「ま、丁度良かったわ。ナミヒトを陥れるチャンスやしなぁ」
男性は、にやりと口角を上げた。
本の内容を思い出しつつ、全部をアイミさんに話し終わった頃、アイミさんは激情に駆られていた。話を聞いてる最中はあんまり表情に出しとらんかったけど、話し終わった今はわざわざ取り繕うともせんと、その心情を顔に出しとる。
「誰がそんなことしたん……?」
「それはまだ分かっとらん。けど、全ての世界を支配してるんが霧乃崎家っちゅう家やって言うのは分かってる。多分、この家がなんかしたんやろ。」
「どうしたら、この世界を直せるんやろ、この間違った世界を」
間違った世界、確かにそうや。こんな世界、明らかに間違っとる。不幸世界を見てみないと、本当にこの世界が間違ってるんか分からんとか、そんなこと考えとったけど、それも間違っとった。こんな世界は、間違ってるとしか言えへん。
「僕は、この世界の融合を目指しとる」
アイミさんも、突然のことでちょっと驚いてるみたいやけど、さっきので僕の決意は固まった。こんな世界はそのままにしといたらあかんのやし、幸世界と不幸世界を融合して、両方の感情を持てる世界を作る。
「あんま私はややこしい話分からんけど、協力する! どうせ毎日暇つぶしやったし。」
「けど、それやったら霧乃崎家を敵に回すことになるんやと思うで?」
「そんなんが怖いんやったらそもそも世界を直そうなんて思わんわ!」
アイミさんに話す前、ちょっと迷ってた。この世界の仕組みを壊そうとするってことは多分この世界を支配しとる霧乃崎家を敵に回さなあかんってことになる。霧乃崎家がどれだけ過激な組織かは分からんけど、持ってるだろう権力を考えても、強い組織やってことは分かる。最悪の場合、命さえ奪われるかもしれん。だから、アイミさんを巻き込んでいいものかと思ってた。けれど、アイミさんは強い。僕なんかより、よっぽど強い。やから、この世界の真実を知った衝撃にも耐えれるやろうし、その後、自分の考えを提示できるはず。もしそこで、霧乃崎家に対して怖気づくんやったら僕一人で霧乃崎家に立ち向かうつもりやった。やけど、この感じやったら問題はなさそうや。覚悟がある人の思いを、無下にするつもりはあらへん。
「なら、一緒に頑張ろか!」
「うん、世界を直そ!」