第一章 幸世界
第一章 幸世界
〝泣きっ面に蜂〟ということわざがある。不幸なことを経験した後に、更に不幸が降り重なることのたとえ。しかし、この世界でこの言葉の意味を理解できる人間は数少ない。
古都・京都。歴史的建造物が多いことで有名な都市。平安時代には都が置かれていた。有名なもの、ゆうて思い付きやすいんは……八つ橋とか、金閣銀閣みたいな感じ。広い京都ん中でも、僕んちは左京区の東鞍馬口通り沿いにある。さっき言ってた銀閣寺があるところや。他にも、京都市動物園とか、京都市植物園とか、そういうところもあって、観光客があふれかえっとる。
僕はこの場所が好きやった。趣ある都市、なんかかっこいい!って思ってた。けど、ある秘密知ったら今まで通りにもいかへん。この世界が〇〇〇だったって知ったら。
僕はある日、図書館に行った。左京図書館という図書館で、東鞍馬口通り沿いにある。僕の家からめちゃくちゃ近いところにあった。家から走ったら五分も要らんくらい。僕は本を読むのが好きやったから、左京図書館にはよく行ってた。今日も、左京図書館に歩いて向かってる。道行く人たちはみんな笑顔で、今日も明るい。けれど、時々、どこか影が差しているように思うときがあった。なんか不幸なことでもあったんか、と思って心配するけど、次の日になったら元気になってはったりするし、大丈夫なんか、と思う。直接、不幸なことあったんですか?みたいには聞けへんし、元気そうならよかったと思うしかない。だけど、やっぱり心はもやもやする。なんかあったことを隠してるんちゃうか、とかそういうことを考えてしまう。だから、そんなことを考えたときにも図書館に行くようにしてる。
左京図書館の中には、大きく分けて二つのコーナーがある。出入口の近くにある児童書コーナーと、少し奥に入ったところの一般書コーナーの二つ。僕は、そのうちでいっつも一般書コーナーのほうに行ってる。児童書コーナーの方はほとんど読みつくしてしまった。流石に嘘だと思うかもしれんけど、本当やったりする。だから、新しい本の開拓のため、今日も一般書コーナーへ向かう。なんか、面白そうな本はないかなぁ、と本棚を一つ一つ見ていたら、何やら面白そうな看板があった。
「『不幸が説明出来るなら是非読むべき!』……?いや、まあ不幸って人それぞれな気もするけど、何となくで説明できひんか?」
俺は思わず呟いてしまった。小声だったから周りの人の迷惑にはなってへんみたいで何より。というか、この看板はどういうことなんやろ。不幸を説明できる人におすすめ?かなり多くの人になりそうやけど、そういう手法やったりするんかな。沢山の人に自分におすすめなんや、って思わせてなんやかんや……みたいな。そういうことなんかもしれへん。まあ、折角やしその本を読んでみよう。見た感じ読んだことなさそうやし。けど、難しい本やったらどうしよう。題名は英語やし、流石に本の中身も英語ってことは無いと思うけど、僕には理解できひんくらい難しいことが書いてあるかもしれへん。そう思って、僕は軽くページをめくってみた。けど、英語で書いてるわけやなさそうやし、びっしり文字ばか、ってわけでもなかった。よし、今日読むんはこの本にしよう。そうは思ったはいいけれど、今日はなんか人が多かったから、借りて家に帰ってから読むことにしよう。ということで、僕は本をもって自動貸し出し機の方へ向かった。なんと、この左京図書館には自動貸し出しというものがある。経費削減だったりなんだったりするんやろうけど、意外とこれが子供心的には楽しいものだったりする。やっぱり、〝自動〟という言葉には基本大体の人が興味を持つと思うんよ。その証拠に、そこに人が並んでない限り、図書館を利用する人はカウンターじゃなくてそっちを使っている。今日はあんまり人が並んでなかったから、僕もこっちを使おうかな。
僕の番が来て、本のバーコードをかざそうとした時、初めて気づいた。この本にはバーコードがついてへん。表を見て、裏を見て、やっぱない。なんであらへんのか、分からんかったけど、バーコードがないんやったら機械には通らへん。僕は一旦列から離れた。
こういう場合、どうしたらいいか、選択肢は一つしかない。図書館の人に聞くのみ。どうしたらいいとか、僕にわかるわけないし、近くにいる図書館の利用者に聞いてもわかるわけがない。こういう時には図書館の人に聞いてみるんが一番だと、相場が決まってる。幸いなことに、この図書館には何度も来ているから、知り合いの司書さんがいる。
「來山さん、元気してはる?」
左京図書館の名物ともいえる司書の來山さん。本がとても好きな男性だ。他にも、この図書館とここを利用するすべての人が好きだったりする。
「ああ、クルト君かい。元気だよ」
來山さんは、カウンターに顔をつけてぼーっとしながら答えた。いや、これを元気というんか?少し怪しい気がするけど。それに、前はもう少し爽やかな青年だったはずやのに、髪はぼさぼさになって顔色も悪い。
「どうしたん、來山さん。元気そうには見えへんで」
「いや、自動貸し出し機っちゅう便利なもんが出来て、僕みたいな司書の役目が少なくなったら、落ち込むよぉ」
しかも、蔵書確認はネットでできるやないですかぁ、と付け足しながら來山さんはカウンターの上で右に左にと転がった。それほどまでに自分の仕事が少ないのがいやらしい。この人は人と関わるのが好きな人だから、司書としてそういう仕事が少なくなると気力がなくなってしまうみたいだ。
「けど、自動貸し出し機が導入されたんって三年前やろ?もうとっくに順応しとる思ったのに。」
自動貸し出し機が導入されたころにそういうことを言い出すんやったらまだわかる。慣れへんことやし、大人でも困惑すんのかな、とか思う。けど、三年もたったのに慣れられへんもんなんやろうか。
「いや、逆やねん。最初は、珍しいもんが来たらそりゃ客もそっち行くか、みたいな感じであきらめもついたんやけど、ずっとそのままで僕らは貸出とか返却の時は使われへんくなってる、ってわかってきたら落ち込むもんやねん」
そうなのだろうかなぁ。まあ、機械が出来る単純な作業はどんどん機械がやるようになっていくやろ。けどまあ、來山さんは図書館の中で貸し出しや返却以外にもぎょうさん仕事があるんやし、そんな落ち込むことないんやないかな。
「ていうか、クルト君。なんか用があってこっち来たんやないの?」
「あ、そうやった。來山さん、この本一般書コーナーの方に置いてあってんけど、バーコード無くて借りられへんねん。」
僕は、その本を來山さんに渡した。來山さんは表を見て、裏を見て、背表紙を見て、といった感じで本を観察しはった。
「『GOOD・N・BAD』かぁ。こんな本置いてあったっけな。僕の記憶には無いんやけどなぁ」
來山さんはそう呟きながら横に置いてあるPCを弄り始めた。データベースを確認してくれはるんやろう。けど、來山さんが記憶にないっていうんやったらデータにもない。この図書館のことに於いて、來山さんの記憶っていうんは絶大な影響力を持ってる。來山さんはこの図書館についてのことなら何でも知ってる。
「やっぱ、この図書館の本やないなぁ。データにも有らへんし。」
少しの間PCを見ていた來山さんが顔を上げて言った。今回もまた、來山さんの記憶が正しかったわけだ。けど、この図書館の本やないんやったら、なんなんやろ。他の図書館の本やったりするんやろうか。
「バーコード無い本ってことは、どっかに売られてたもんやないってことやしなぁ……誰かが自分で作ったんやろか。」
來山さんは本のページをペラペラ捲りながら首を傾げた。基本的に、どんな本にもバーコードっていうのはついてるはず。だから、ついてへんってことはなんか、特別な理由がある本ってことや。この本も、普通の本とは違うってことやろ。俄然興味がわいてきた。不思議な本やったら是非読んでみたい。
「なんかわからんけど、この本はこの図書館の本やないみたいやし、貸せへんな。もし読みたかったら、この図書館の中で読みや」
そう言われて、僕は來山さんから本を受け取った。人は多いし混んどるけど、ここでしか読めへんのやったらここで読むしかない。幸いにも今日はこれから予定はないし、少し時間がかかっても問題はない。周りを軽く見回せば、近くに一つの椅子が空いているのが見えた。僕はその椅子に座って本を開いた。
本の中には、文章だけやなくて、イラストがいっぱい描いてあった。それに、文字はまあまあ大きくて、子供が読む児童書みたいだった。しかし、内容は昔のことが書いてある歴史書だった。けれど、世界が分けられてどうとか、そういうことが書いてあるから本当のことじゃないだろう。ファンタジー小説なんやろうか。この本のジャンルは何なんだろう、と考えていたら本を読み終えていた。本はぶ厚かったけど、意外と文章自体は短くて、読了にかかる時間は短くて済んだ。
本の内容としては、この世界は、幸世界と不幸世界に分断されている、というもんやった。流石に簡略化しすぎやけど、物語の本筋となっとったんはこの要素だったと思う。他にも、幸世界では幸せやっていう感情しかなくて、不幸世界では不幸や、っていう感情しかない、ってこととか、これらの世界を支配してんのが霧乃崎家、ってところやってことが書いてあった。霧乃崎家って家は聞いたことあらへんけど、舞台になっとったんは京都やし、他のことも意外と史実に基づいた感じやった。この本を作ったんが誰かはわからんけど、しっかり調べて書かはったんやな、っていうことがよう分かった。これが本当の話だと言われても信用できてまうほどに。
「面白かったなぁ……」
僕は本を静かに閉じた。なんか変な看板に惹かれて読んでみた本やったけど、この本を選んで正解やった気がする。しっかり作られた物語ほど、おもろいものもない。
時計を見てみたらまだ図書館に来てから一時間くらいしかたってへんかった。けど、来るのが遅かったからもうすぐしたら昼ご飯の時間や。僕は帰り支度をして、図書館をあとにした。
「ただいまー、今日の昼ごはん何ー?」
帰りながら歩いていたらお昼の時間ってこともあって滅茶苦茶お腹がすいてきてた。僕は本能に従って台所に行ってお母さんに尋ねた。
「今日の昼は唐揚げやでぇ」
お母さんが揚げ終わった唐揚げを菜箸で持ち上げながら言った。
「美味しそうやなぁ……」
唐揚げは僕の好きな料理の一つ。飽きひんようにせなあかん、ってお母さんは全然作ってくれへんけど、だからこそ作ってくれた時は滅茶苦茶美味しい。
お母さんと僕で食卓に乗った唐揚げを挟んで合掌、昼ご飯を食べ始めた。唐揚げは勿論おいしいのでその感想は割愛。
「そういえば、図書館で面白い本があったんよぉ」
「へぇ、どんな本?」
僕は先ほど読んでいた本を思い出した。本当やったら家に持って帰ってきて実物を見せたかったけど、図書館の本やないし、借りられへんかったから仕方ない。
「なんかファンタジーっぽい本やった。幸せしか感じられへん世界と、不幸せしか感じられへん世界がある、っていう話。お母さんは、もし不幸しか感じられへん世界があったらどう思う?」
軽い質問のつもりだった。もしも、その物語の通りだったら、どう感じるのか、っていうただそれだけ。だから、この質問が、大きな変化をもたらすとは思っていなかった。
「不幸って、何なん?」
お母さんの答えを聞いた時、僕の心臓がドクンと跳ねた。この世界は幸世界と不幸世界に分断されていて、幸世界では幸せという感情以外感じられない。不幸世界では……。いや、けどこれは物語や。ファンタジー小説の中の物語。そのはず……。けど、もし本当やったら? この世界とは別の世界があって、その世界では多くの人が不幸しか感じられへんで苦しんでる、ってことになる。そんなの、おかしい。一部の人間が得をするために他の人が苦しむなんてことが、あっていいわけない。それに、人間は幸せと不幸せの両方持っててこそ、人間やないんか? どちらかだけ持っていても、それを最大限に活用することなんてできひん。そんな世界、間違ってる……!
「どうしたん? 怖い顔して」
お母さんの言葉で僕は我に返った。
「いや、ちょっと考え事。」
今、そこまで深く考えるべきじゃない。先ず、もっとしっかり確認して、確証を得てからじゃないと。すぐに思い込んで行動しても、いいことなんてないはずなんだから。
まず、もう一度明日図書館に行ってみよう。本の内容をもう一回確認しておきたい。
* * *
ある老紳士が、静かに、それでも速足で白いカーペットの引かれた回廊を通っていった。ところどころにカスミソウの絵画が飾られ、一定間隔で取り付けられた窓からは月がのぞいていた。執事服の老紳士はある部屋の前に立つと、白い手袋をはめた手でノックする。
「ナミヒト様、ご報告に参りました。」
ナミヒト様、と呼ばれた男からの返事が返ってきてから、老紳士は扉を開ける。そこには若い男性がいた。歳は三十行くか行かないか。ワイシャツの上にベストを着ており、顔には微笑をたたえている。
「では、報告してもらおうかぁ」
男性はにっこりと笑みを浮かべ、振り返った。
「〝あの本〟については捜索中ですが、見つかってません。」
「ふむ、では兄上の方はどうなってはる?」
「近頃は部屋にいらっしゃらへんことが多いです。外に出てはるときに尾行してもいつの間にか消えてはります。」
「そうか、まぁ、予想通りやろなぁ。兄上の件はこれからも継続、本の件は少々急がせといてもらおうか」
「承知いたしました。」
執事服の老紳士は一礼して部屋から出て行った。
「父上も、ややこしい事しはる……」
兄を陥れ、当主となり、当主のみが名に持つ「ヒト」を継承した男は窓越しに満月を見上げた。