第1話 酒場ではしょっちゅう喧嘩が起きてた
マーティ・ブラウンは今日も酒場で働いていた。
働くといっても、酒を振る舞うような仕事ではない。掃除夫だ。
床が汚れたら、デッキブラシで拭く。それだけの仕事。
白髪交じりの黒髪で大柄な彼が清掃をしていても、誰も気に留めない。酒場の客にとって彼は背景に過ぎない。
彼も昔は剣士として活躍していたが、62歳となった今では自主鍛錬以外で剣を振るうこともなくなった。
妻もいないし、おそらくこのまま孤独に余生を送り、王都近くのこの町で朽ちていくことになるだろう。
マーティはそんな自分の人生が嫌いではなかった。
しかしながら、最後にもう一花ぐらい咲かせたい。そんな思いも無いでは無かった。
一方、酒場に若い男女がいた。
ジェック・コルト。18歳の赤髪の剣士。革製の鎧を身につけている。
エルシー・マランダ。17歳の女魔法使い。黒髪に赤いローブを羽織っている。
ジェックが酒を飲み、ぼやく。
「なーんかさ、伸び悩んでるよな俺ら」
「そうねえ……」
二人はコンビを組んで、ギルドからの依頼をこなす“冒険者”として活動している。
才能はあり、訓練も欠かしていない。なのにどこか停滞感のようなものを覚えていた。
今一つ殻を破ることができない。そんな苛立ちを抱えていた。
自分たちを引っ張りあげてくれるような“きっかけ”を欲していた。
「ま、シケたこと考えてもしょうがない。今夜は飲もう!」
「そうね!」
愚痴をこぼしつつ、酒を飲む二人。
やがて、赤ら顔になってきたジェックが、酒場のある男に目をつけた。
マーティだ。
デッキブラシで黙々と掃除をしているマーティに興味を持った。
そして、酔った勢いも手伝って話しかける。
「おーい、そこのおっさん」
「俺かい?」
マーティが振り向く。
おっさん呼ばわりだったが、怒りは湧かなかった。むしろ若者から話しかけられたことが嬉しかった。
「なんだい?」
「手を見れば分かるぜ。おっさんも剣術やってただろ」
「おお、さすがだね」
マーティの手はただの掃除夫にしてはごつごつしており、ジェックはそれに気づいた。
エルシーも乗ってくる。
「おじさん、ここに座って~!」
これといって今、床に汚れはない。掃除夫の仕事は掃除だけではない。こういう時に多少客の相手をするのも酒場では大切なことである。
マーティは二人の酒に付き合うことにした。
「君たちは恋人同士かい?」
さっそくマーティが尋ねる。
「えっ、なんで!?」
「だって、男と女で一緒にいるから……」
すると、ジェックとエルシーは一斉に笑い出した。
「アハハ、そりゃ古いよおっさん!」
「そうよ。今時付き合ってもないのに、一緒にいる男女ぐらい珍しくないわ」
「そ、そうなのかい……」
早くもジェネレーションギャップを感じ、狼狽するマーティ。
俺が若い頃は……などとしみじみ思う。
場の空気もほぐれたところで、ジェックはマーティに水を向ける。
「せっかくだし、何か面白い話でも聞かせてくれよ」
「そうだねえ……」
話題を振られても、マーティは口下手である。
とりあえず、自分の掃除の仕事について話してみるが、若い二人からすれば何も面白くはない。あからさまに白けてしまう。
「もっと他の話はないかな? 昔はこうだった……とか」
「昔……か」
マーティは思いを巡らせる。
しかし、「俺の若い頃は」なんて話をしたらもっと白けるのではないかと尻込みしてしまう。
「なんかあるだろ~?」
「早く~」
二人がさらに急かしてくるので、マーティはひとまず――
「昔の酒場は……もっと荒っぽかったね」
きょとんとする二人。
「今の時代はみんな上品に飲んでるだろ?」
「上品……かなぁ?」首を傾げるジェック。
酒場内はカウンターもテーブルも賑わっており、大きな笑い声も聞こえる。
若い二人からすれば、“上品”に疑問を持っても無理はない。
「上品さ。だって喧嘩がないんだから」
マーティが笑う。
「昔の酒場は酷かった。荒くれ者が集まり、酒を飲む場所というより、暴れて殴り合う場所だった。刃傷沙汰も日常茶飯事さ」
マーティは言いながら恥じていた。
物騒な昔話を得意げに話す自分が恥ずかしかった。
しかし、ジェックとエルシーは目を輝かせ、身を乗り出している。
自分たちが聞きたかったのはまさにそういう話なのだと。
「それでそれで?」促すジェック。
「人が集まれば殴り合い、酒を飲めば殴り合い、そんな感じで……」
「そういう時、おじさんはどうしてたの?」エルシーが問う。
「俺は……喧嘩は苦手だったからね。いつも……」
瓶が割れる音がした。
「やんのかコラァ!!!」
「ああん!?」
若い男二人が突然暴れ出した。
周囲の人間は止めようとはせず、その二人から離れようとする。
ジェックとエルシーも及び腰だ。彼らもモンスター相手の戦いは慣れていても、こうした日常で突然始まるような荒事にはさほど免疫がない。
すると――
「おやおや、喧嘩かい」
マーティが二人の男に声をかける。
心なしかどこか嬉しそうだ。
「あ? なんだこのオヤジ」
「なんの用だよ」
マーティは頭をかく。
「すまんね、今の時代にこんな喧嘩が見られるとは思わなくてね。ちょっと嬉しくなってしまった」
二人の若者は困惑している。
「喧嘩なんかやめろ……ってか?」
「俺は掃除夫だから喧嘩を止める権利はないよ。ただ、ちょっと忠告しておこうと思って」
「忠告?」
「まず、酒場はテーブルでいっぱいだ。位置をきちんと把握しておいた方がいい」
「位置? なんで?」
「殴り飛ばされた時、テーブルの角に目が当たったら、潰れて失明もあり得るからね」
いきなり失明などというワードを出され、若者二人は引いてしまっている。
「それと、さっき割れたガラス瓶。あれにも気を付けた方がいい。あんなところに倒れ込んだら、腹や背中はズタズタになるだろう。特に顔面から倒れたりしたら……」
二人の若者は青ざめている。
「喧嘩をするなら以上のことを踏まえてやった方がいい。さ、ファイッ!」
マーティは二人に喧嘩を促す。が、もう二人の戦意は――
「いや……もういいわ」
「俺も……バカバカしくなった」
若者二人は酔いも覚めてしまったのか、大人しく立ち去っていった。
マーティはそれを見届けると、ガラスの破片をホウキとチリトリで掃除する。
片付けを終え、マーティがジェックとエルシーの席に戻る。
すると――
「すげえ……」
「すごい……」
二人が目を輝かせている。
「え?」マーティが戸惑う。
「かっこよかったよ、おっさん!」
「あんな喧嘩を鎮めちゃうなんて!」
若い二人には、荒事をあっさり収めてみせたマーティがかっこよく映ったようだ。
マーティも悪い気はしない。頬を染め、照れ臭そうに応じる。
「こりゃどうも……」
「おっさんはいつもああやって喧嘩を止めてたのか?」
「まあね。喧嘩は苦手だから、いつも止める側だったよ」
その頃の喧嘩に比べたら、すぐ収まった今の喧嘩など“ごっこ”に過ぎなかっただろう。
ここぞとばかりにジェックは自分たちの悩みを打ち明ける。
「俺たち冒険者をやってるんだけど、今一つ伸び悩んでて……」
「ほう」
「さっきのおっさんのかっこいいところを見て、なんか“これだ!”って思ったんです!」
「あたしも!」
「だから、俺たちに“昔”ってやつを教えて下さい!」
二人が頭を下げる。
「お願いします!!!」
マーティは優しく二人をなだめた。
「分かったよ。俺にどれほどのことができるかは分からないが、一緒にやろう!」
ジェックとエルシーは喜んだ。
「やったぁ! じゃあ今日から“おやっさん”と呼ばせて下さい!」
「え~と、あたしは“おじさん”のままで!」
「アハハ、好きに呼んでくれよ」
こうしてマーティは、しばらく二人に付き合い、“昔”を教えることになった。
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