3話 儚い抱擁
予約投稿できてなかった……なんかごめん…
耳の奥に誰かの悲鳴がこだましていた。何度も何度も振り払おうとしたけれど、まるで耳に張り付いているかのように、その声は消えてくれなかった。
(怖い……助けて……誰か)
沈み、落ちていくような、体の内側で何かが渦を巻くようなぐらぐらとした意識の中、何かが手に触れるのを感じた。
冷たく、大きく、優しいそれは、幼い少女の手を優しく包みこんだ。
心地良かった。
絡まり凝り固まった嫌な記憶が、ぽろぽろと剥がれ落ちていくような気がした。手に触れているものの冷たさを感じるうちに、不安や恐怖が徐々に薄れていった。
嫌な感覚が全て消え去ると、手に触れていた心地よい冷たさも徐々に消えていった。そのとき、猛烈な寂しさと悲しみに襲われた。
必死に手を伸ばし、消えつつあるそれを繋ぎ留めようとした。
(置いてかないで、1人にしないで……!)
――その手は躊躇った。幼い我が子が、自分を求めてもがいているのを見て、胸が痛んだ。
最後にもう一度、この子の手を握りたい。
我が子への愛しさから、手を伸ばしてしまった。
エルメナがぎゅっ、とその手を握りしめた。
恐怖、絶望、哀惜……。繋いだ手を通じて、互いの感情が奔流のように体中を駆け巡った。感情の激流に呑まれ、自分の意識が小さく小さく消えていく。堰を切って溢れる感情の奔流を抑えることができなかった。
(だめよ……待って!)
握った手から伝わってくる感情がどんどん強くなっていく。それに共鳴するように、自分の中に渦巻く感情もどんどん強くなっていった。
ぎりぎりで繋ぎ止めていた細い糸がぷつんと切れた瞬間、収まりきらなくなった感情の渦が、世界へと溢れ出した。
○o。.ーーーーー.。o○
「シェアリス!」
突如、見えない何かがシェアリスに襲いかかった。ぼーっとしていたシェアリスは、ブルムの声にはっとして顔を上げた。目の前まで迫ってきていたソレが、シェアリスにぶつかる寸前に突如軌道を変え、シェアリスの真横すれすれの地面に衝突した。
「大丈夫か!」
「はい、なんとか!」
ブルムの声に短く答えると、シェアリスは見えない何かに向き直った。目に見えない大きな気配のようなものが、ゆっくりとこちらを向くのを感じた。
「気をつけろ。見たことないタイプの霧だ」
「分かってます」
息を整える間もなく、次の攻撃が飛んできた。
シェアリスは後ろに捌きながら術を用いて攻撃を逸らした。一方ブルムは、シェアリスよりも後ろにいたためか、攻撃が飛んでこなかった。
「シェアリス、距離を置け! 遠くにいれば攻撃は飛んでこない!」
「ですが隊長! この先には……」
目に見えない猛攻に耐えながら、シェアリスはブルムを仰ぎ見て叫んだ。シェアリスたちがいる立体駐車場の先、霧の背後には、エルメナが乗っている車がある。
「分かってる! こいつは今こっちに釘付けになってる。エルメナの生体反応も確認されている。今は自分の命を優先しろ!」
「……はい」
シェアリスは一歩後ろに下がり、霧と距離を取った。ブルムの言っていたように、攻撃が飛んでくることはなくなったが、依然として気配は消えなかった。
「どうやってこいつを祓うんですか」
「いつエルメナに危害が及ぶか分からない。こいつを祓うことよりも、エルメナの救出を優先しよう」
「分かりました。応援を要請しておきます」
「頼んだ」
シェアリスが通信機を取り出し、要件を手短に伝えた。アナンの中にいるから、5分もすれば応援が駆けつけるだろう。
だが、その間にも、エルメナは危険に晒され続けている。なるべく早くエルメナを救出したかった。
「シェアリス、この霧の攻撃がどこまで届くのか調べよう」
「分かりました」
シェアリスが半身になり、独特な構えをした。シェアリスの周りの空気が揺れる。それにつられて、霧も動きを見せた。
「手前から行きます」
シェアリスが合図すると、凄まじい風と共にあちこちで爆音が響いた。シェアリスが術を使用するたびに、霧はそれに反応した。
10回ほどの爆音ののち、シェアリスは構えを解いた。その顔は少し青ざめていた。
「霧は、ここから200mほど先まで反応してきました」
それを聞いたブルムの顔が途端に険しくなった。ここからエルメナのところまで、およそ100m。考えられることは……。
「エルメナちゃんを中心に、円を描くようにして霧の反応が確認できました。恐らく、エルメナちゃんの術が、何かしらの理由で発動しているのかと……」
「あるいは、エルメナに霧が引き寄せられたか……。どちらにせよ、まずはこの霧をどうにかしないとな」
「えぇ」
「エルメナに直接干渉して、反応を見る。少し離れてろ」
ブルムが術を通じて、エルメナに触れようとした。その瞬間、アクルースの動きが変わった。
霧散した霧がエルメナを中心に渦を巻き、ブルムの術を取り巻く。ブルムは咄嗟にエルメナから離れた。このまま触れ続けていたら、戻ってこれなくなる気がしたからだ。
それと同時に1つの想いのようなものを感じ取った。
「隊長!」
シェアリスの声が、ブルムを現実へと引き戻した。気がつけばブルムは、シェアリスの腕の中にいた。
「大丈夫ですか!」
「……あぁ。問題ない」
ゆっくりと体を起こそうとすると、頭がズキリと痛んだ。
「無理はしないでください。隊長が術を使ったら、急に倒れたんです。何があったんですか」
「……さあな、俺でもよく分からない。ただ……」
ブルムは頭痛を堪えて立ち上がり、黒く巨大な霧を見つめた。渦を巻くそれは、地響きと共にどんどん勢いを増しているように見える。
エルメナから離れようとした瞬間、頭に流れ込んで来た、何者かの感情。
それは、深い悲しみと恐怖だった。その思いを感じ取った瞬間、ブルムは自分の為すべきことを理解した。
「ただ、こいつが助けを求めていることだけは分かった」
「……そうですか。分かりました。エルメナちゃんを止めます」
ブルムの術は、人の心に触れることができる。術は、使用者の思い、感情によって活性化する。逆もまた然りで、感情を抑えることで術を不活性化させることもできる。
彼の力を用いれば、エルメナの術を止められる。
「直接、触れる。道を拓いてくれ」
「分かりました」
シェアリスは深く息を吐き、呼吸を整えた。シェアリスの纏う雰囲気が変わる。ブルムは、シェアリスの術に巻き込まれないよう、1歩距離を置いた。
シェアリスの周囲で揺れていた空気が一纏まりとなっていく。やがてそれは、空間が歪んで見えるほど強力な"ねじれ"となった。
「霧は、なにがあってもエルメナちゃんだけは守ってくれるはずです。それを信じて、修復に時間がかかるように広範囲に、反対側までぶち抜きます」
「ああ、分かった」
「行きます!」
シェアリスの掛け声とともに、ブルムは地を蹴り、黒い渦へと突っ込んだ。間髪入れずに、全身が破裂するような爆風と共に、視界が一気に開けた。
すると同時に、猛烈な勢いで風が穴を通り抜け、爆音が全身を打つ。ブルムはその風に押され、瞬きをするよりも速く、エルメナのもとへ吹き飛ばされていた。
(手を伸ばせ……! あと少し!)
背後では既に穴が閉じ始め、より強力になった渦が轟音を立てているのが聞こえる。
それはあっという間にブルムの背まで迫ってきた。
(間に合え!)
手を伸ばす。
ぐいと後ろに引っ張られるような感覚とともに、足が爪先のあたりから、ゴリゴリと削られているような感覚が伝わってきた。
(届いた!)
ブルムの指先がエルメナの服に触れたのと同時に、黒い渦が彼の全身を包みこんだ。
○アクルース
この世界に突如出現した謎の生命体。全身が、黒い霧で覆われている。
危険度によって、S、V、C、Csとレベルが別れており、SからCsにいくにつれ、危険度が上がる。
○〈アクリュース〉
〈霧祓い〉が用いる特殊な能力。アクルース討伐において、非常に強力な武器となる。
危険度によって、S、V、C、Csとレベルが別れており、SからCsにいくにつれ、危険度が上がる。