2話 過去の傷跡
デェルアナサスという国は、12の領地に分かれ、各領地には、それを治める貴族が存在している。そして、それらの貴族を名目上統括しているのが、デェルアナサス家である。
そして、デェルアナサスを支えるものがもう1つある。それは、研究と発明である。生活を豊かにする新しい技術を発明し、世に広める。そうして、国が発展していく。
故に、デェルアナサスにおいて、研究者というのは非常に高い地位にいるのだ。
デェルアナサス国民にとって、物事の優劣は、どれだけ生活に良い影響を及ぼし得るか、にある。
そして、研究、発明を行う施設の事をアナンと言い、デェルアナサスの〈霧祓い〉たちは皆、アナンに属している。
ハーンゲルン領が、アクルースの襲撃にあっていたとき、そこの管轄である〈霧祓い〉たちは、自分の身を守るのに精一杯だった。
7年前に起こった災厄――無数のアクルースたちが世界中に現れた、〈百鬼夜行〉。世界中で、70万人を超える人が死亡あるいは行方不明になり、そのうち〈霧祓い〉だったものは、3万人以上いたとされている。
先日のアクルース襲撃事件は、それを彷彿とさせるようなものであった。ハーンゲルン領で最も力のある〈霧祓い〉でさえ、アクルースの猛攻を耐え凌ぐことしかできなかった。
「ハーンゲルン領第2アナン所属処理班長ブルム、到着しました」
「同じく、ハーンゲルン領第2アナン所属処理班員シェアリス、到着しました」
「お待ちしておりました。案内役のフリルと申します。ハイゲルがお待ちですので、お連れいたします」
廃墟と化したハーンゲルン家からエルメナを発見したブルムたちは、隣領であるカリステイン領に訪れていた。例の事件により、ハーンゲルン領は甚大なダメージを負っており、エルメナを保護する余裕がなかったからである。
「あの子のこと、受け入れてくれますかね」
廊下を歩きながら、シェアリスがボソッと言う。シェアリスは、〈霧祓い〉となってまだ日が浅い。当然、このような異常事態も初めてだった。故に、あの子が心配なのだろう。
ブルムが顔の向きを変えずに答えた。
「そうせざるを得ないだろう。死んだと思われていた人が生き返る、だなんて魔法みたいなことが起きたんだ。あの子は今、この国で最も重要で、貴重な、研究資料だ」
シェアリスは、そうですか、と納得したようだが、その目にはまだ不安の色が張り付いたままだった。
エルメナをカリステイン領に連れてきたのは、ハーンゲルン領から近かったからだけではない。領ごとに統治の仕方が違うように、領のアナンによっても、力を入れている研究分野が異なるのだ。
カリステイン領のアナンは、『人間、異能、霧間の相互作用』をテーマに研究をしている。エルメナという人間と、霧たちの襲撃、それと同時に起こった不可思議な現象。この謎を解明するには、カリステイン領アナンを頼るべきである、とハーンゲルンのアナン長であるルティカが判断したのだ。
「お待ちしておりました」
温和そうな笑みをはりつけて、男が手を差し出した。
「カリステイン領第1アナンアナン長の、ハイゲルと申します」
「ハーンゲルン領第2アナン〈霧祓い〉処理班長のブルムです。よろしくお願いいたします」
「同じく、処理班シェアリスです。よろしくお願いいたします」
シェアリスは、右手の拳を額に当て、敬礼の姿勢を取った。
ブルムたちはハイゲルに向き合って椅子に座り、子細を話し始めた。基本はブルムが淡々とした口調で話し、時折、シェアリスが説明を付け加えた。
ハイゲルは黙って頷きながら話を聞いていたが、エルメナの話を聞いた途端、シェアリスには、ハイゲルの顔に不敵な笑みが浮かんだように見えた。が、それはすぐに消え、シェアリスも勘違いだろうと思い、忘れてしまった。
ブルムによる説明が終わったあと、数秒の間を置いて、ハイゲルが口を開いた。
「その子は、いまどこに?」
これにはシェアリスが答えた。
「ハーンゲルン領のアナンに収容されています」
すると、シェアリスは口ごもりながら、とぎれとぎれに言った。
「それと……これは私情なのですが、私は、エルメナちゃんを、ここで引き取って貰いたいです」
カリステイン領以外のアナンでは、エルメナをまともに扱うことができないだろうことはブルムから聞いていたので、シェアリスも分かってはいた。
そして、行き場のない〈霧祓い〉や、研究される場所のない研究資料がどういう末路を辿るのかも、シェアリスはよく知っていた。
「まだあんなに小さいのに……あんなに小さい子が"シュレッダー"にかけられるなんて、想像もしたくありません」
左腕をさすりながら言うシェアリスの声は震えていて、今にも消えてしまいそうなほどか細かった。隣に座っているブルムは無表情だったが、その目には深い後悔と怒りの色が浮かんでいた。
「シェアリスさん」
シェアリスとブルムの間に流れていた重い空気を気にしていないかのような柔らかい口調で、ハイゲルが言った。白髪だらけの初老のこの男は、相変わらず笑みを浮かべたままでいる。
「ご安心下さい。エルメナさんのことは、心配なさらないでください。不明な点は多いですが、その子が元気に暮らせるよう、最善の努力を致します」
落ち着いたその声を聞いて、感情的になってしまったのが恥ずかしくなったのか、シェアリスは少し赤面しながら冷静を装って言った。
「……ありがとうございます」
「ハイゲルアナン長。私からも1つ、お願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
ブルムの突然の発言に、シェアリスは驚いた。シェアリスは彼のことに、職務に忠実な人間である、という印象を抱いていたからである。それはハイゲルも同じだったようで、眉をわずかに上げ、静かにブルムを見ていた。
「毎日、とまでは言いませんが、定期的にエルメナの様子を見に伺いたいと思っています。アナン長である貴方の許可を頂けませんか」
「ええ。勿論ですよ。その方が、エルメナさんにとっても良いでしょうから」
そう言うハイゲルの目には、僅かな警戒と不快の色が浮かんでいたのを、ブルムは見逃さなかった。が、それに気付いた素振りを見せず、愛想の良い笑みを浮かべて頭を下げ、感謝の意を示した。
その後は、エルメナをいつ、どのようにして引き取るのか、などの相談が行われ、何事もなく部屋を出た。アナンの外に出て、輸送車へと向かって歩きながら、ブルムがシェアリスに言った。
「シェアリス。さっきのあの言動は、処理班の人間として、あるまじき行為だ。業務に私情を持ち込んではいけない」
「……はい。分かっています。ですが……!」
「だが」
ブルムは、シェアリスの言葉を遮るようにして前に立ち、目をじっと見据えて言った。
「だが、俺は、お前のあの行動は正しかったと思う。〈霧祓い〉以前に、1人の人間として、そうあるべきだ。
あの時の痛みを、忘れるな。お前も、俺もな」
ブルムはシェアリスの目を見ていたが、後半は自分に言い聞かせるような口調に変わっていた。
「はい。……分かっています」
シェアリスは自分の左腕をさすりながら、重く、静かに、応えた。
○ジェ・アナン
各領地の全てのアナンを管理する機関。全てのアナンには、ジェ・アナンに所属する人間が最低1人配備されているが、それが誰であるかは、アナン長ですら知らない。
○アナン
研究と開発を専門とする機関。各領地には、最低でも1つのアナンが存在し、領地によって研究の対象が異なる。また、デェルアナサスの〈霧祓い〉は、アナンに属している。




