1話 繋がる糸
――怒号と悲鳴。
レンガの崩れる音。ガラスが割れる音。誰かの断末魔。
――不意に光がさす。
パパの大きく逞しい背中。ママの優しく強い抱擁。召使いが何か叫ぶ。
目の前を覆う黒は、とても大きくて、怖くて。壁を壊して、かと思えばすり抜けて、どんどん黒が押し寄せてくる。
パパが、金色の剣を持って、腕を広げる。パパはいつも、優しくてかっこよくて、みんなパパをうやまっている。パパなら、なんとかしてくれる……!
あぁ……。パパ……。なんでそんな悲しい顔をするの? なんでそんなに苦しい顔をするの?
ママ……? 待って、まだ、パパがいるよ? なんで? どうして……?
ママの肩越しに見える景色は、ふわふわして、現実のものとは思えなかった。ものすごい勢いで黒いものが押し寄せてきて、足を取られたママが転んで、私も地面に転がった。
ママ……。ママ……!
ママが、手を伸ばしてる……。こんなに悲しい顔のママは、見たことなかった。
生温いような、吐き気がするようなどろりとした時が流れていく。全てがスローに見えて、ゆっくり、でも確かに、ママの手が真っ黒に飲み込まれた。
パパも、ママも、お着替えを手伝ってくれたり、お風呂に入れてくれてた召使いも、みんな、見えなくなっちゃった。
どこに言っちゃったの……? みんな……。
――怖いよ。
――痛いよ。
――パパ、ママ、手を握って……。助けて。
○o。.ーーーーー.。o○
2549年 6月3日 天気:雨 温度:13℃ 湿度:86%
その日、デェルアナサスの市街地外縁区で起こった霧襲撃の調査のため、調査班と処理班が、派遣された。
「処理班班長ブルム以下5名、到着いたしました」
「うむ、入れ。」
石造りの豪華な屋敷に、足を踏み入れる。大破した正門からは、朝の日差しが差し込み、廃墟となった屋敷を物悲しく照らし出していた。
調査班の班員たちが、瓦礫をひっくり返して、犠牲者を探し出している様子が目に入った。
「なんともまあ、無情なものよのお。かのハーンゲルン家が、このような最期を迎えるとは」
「自分を顧みないような人は真っ先に死んで、保身を第一に考える自分勝手が最後まで生き延びる。時代や場所が違えど、それは変わらないようですね」
崩れた箇所からは光が差し込み、なんとか残った柱や足場に、影を落とす。灰色にくすんだ世界の中に、黄や赤の装飾が施された制服を着た人たちがうごめいているのが、物語の世界のように幻想的で、よく映える。
滅びるものは滅び、残るものは残る。時の流れというのは、残酷で美しいものだ。
「班長!」
不意に、瓦礫の山を掘り返していた班員のうちの1人が叫んだ。
「どうした、シェアリス」
シェアリスの声が聞こえてきたのは、ホールの奥に続く廊下側。他より濃い影を落とすその通路へと、足元に気をつけながら歩いていく。
(酷い有様だな)
廊下へと向かう途中で殺されたと思われる死体が転がっていた。そのどれもが、原型を留めておらず、同じ人間であったとは信じがたい状態だ。
(……こいつは、勇敢にもアクルースに立ち向かった。だが、為す術なく、か……)
転がる死体の中に、唯一仰向けになっている死体があった。その死体の側には、黄金に輝く傷1つない剣が置かれていた。血抜きのための溝は無く、きらびやかな宝石がいくつも嵌め込まれている。
(装飾用の剣か。……今の世の中、名声や権力なんて、こいつと同じように、飾りでしかないのだろうな)
我ながら良い事を考える……。そうだ、ここを博物館にしよう。などと考えながら、シェアリスの側まで来て、ブルムはぞっとした。
瓦礫の下敷きになっているが、赤い何かが、確かにうごめいている。そっと瓦礫をどかすと、それはまだ幼い少女だった。
全身血塗れになり、わずかに開いた口から、か細い呼吸音が聞こえる。
「偵察班の話では、生き残った者はいなかった、と。そうだったよな?」
「はい。そのように聞いてます。」
「なぜ、こんな子供が……」
「瓦礫の下敷きになることで体が隠れて、アクルースたちに襲われずに済んだ、とか……?
ですが……」
「うむ……。考え辛いかもしれないな……。このような不可思議な現象の裏には、必ずと言っていいほど、叡力が関わっている」
「班員を集めます」
「頼む」
シェアリスが振り返り、大声で処理班員に、集合するよう告げた。
その間、ブルムはまるで違う世界にいるかのように、少女をぼうっと見つめていた。少女を見つめるその眼には、恐れと好奇心のような色が浮かんでいる。
(叡力によって、人が生き還るなどということは、聞いたことがない。こいつは、良い研究対象になる……)
その少女の両手には、肘から先までしかない、人間の腕が握られていた。