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夢から覚めた男

 事務所に戻ると、支社長に呼ばれた。工場の件だとは思ったが、それにしては怒りも見えない平静な表情だ。

「羽柴鋼業さんから契約解除の連絡が入った。もう工場に出向かなくていいぞ」

 それだけを静かに伝えると、支社長は仕事に戻った。もう順がいることに関心もないようだ。

 その対応をされることは知っていた。夢の中で一度、体験していた。

 そう思った自分にぞっとした。ここはどこだ? 自分は過去に戻ったのか? それとも似ているだけで、ここは自分が住んでいた世界とは違うのか? なぜ夢と同じことが起こるんだ?


 混乱と気味悪さから逃げようと、休憩室に行って缶コーヒーを買ってみた。

「最下位」

 背中に呼びかけた女性の声にビクリと体が震え、動けなくなる。

「聞こえなかったのか、最下位」

 休憩している社員たちを横目でそっと見る。みんな怪訝な顔で、順の背後にいる人物を見ている。首切り役員だとも、死に神だとも、バクハツする女だとも言っていない。見知らぬ人物を見るような目だ。順は思い切って、勢いよく振り返った。

「……なんで」

「なんでとは、どんな言い草だ、最下位。私がいたら、なにか不都合でもあるのか?」

 ヨミは腕を組み、足を踏ん張り、偉そうに立っている。

「また考査に来たんですか?」

「なんどやっても、貴様は不合格だ。そんな無駄なことはしない」

 震えが止まらない順は喘ぐように呼吸をしながら、それでも口を開く。

「じゃあ、なんで」

「ネコを見せろ」


 今のヨミはオベリオ薬品の関係者ではないらしい。社員に話しかけられる前に外に出ていった。

昼休みになると、順はヨミを待たせている近所のファミレスに出向いた。ヨミは窓際の席に座り、コーラにストローで息を吹き込んで遊んでいた。順を叱り飛ばしていた首切り役員と同一人物とは思えない。

「遅いぞ、最下位」

「普通に昼休みになってから出てきたんです。遅くはないです」

 ヨミはつまらなそうにコーラをブクブク言わせてから「口答えするようになった」と不満げに言う。

「口答えじゃありません。事実を述べてるだけです」

「だが、昼休みより前にはサボっていたではないか」

「そ、そのあと、ちゃんと仕事をしましたよ」

「ふうん」

 やはりヨミはつまらなそうだ。ネコ動画以外には関心がないのだろう。順はホッとして、ヨミの服装がスーツでないことにやっと気付いた。

 全身を黒でまとめていることは同じだが、黒のセーターに黒のタイトスカート、丈の短い黒のコートを自分の横の座席に置いている。

「なんだ、なにを見ている」

「いや、服装が違うなと思って」

 ヨミは思い切り顔を顰めた。順を睨みつけて、今にも噛みつきそうだ。

「貴様のせいだからな」

 あまりにもヨミの表情が険しくて、順は恐れて言葉もない。

「貴様が死に神の鎌をバクハツさせたから、私はもう死に神ではなくなった」

 そう言われても、仕方ない事情があったのだ。自分の命を守るという。

「貴様のせいだからな!」

 このままではいつまでも責められ続ける。順は急いでスマートフォンを取り出し、動画投稿サイトでネコチャンネルを漁りはじめた。


 午後、三件の予約が取れている。昼休みの終わりごろ、客先へ出向くためにスマートフォンを返せとヨミに言ったが、ヨミは聞こえなかったフリをして順を無視した。何度も返せ返せと繰り返したが、一向に返ってくる気配はない。

 仕方なく順はヨミに青空駐車場で待っているように言いつけ、午後の始業に遅れそうになって事務所に走って戻った。


 もしかしたらスマートフォンを持ち逃げされるかと不安だったが、ヨミは社用車の後部座席に大人しく座っていた。鍵をかけ忘れていたのかと思ったが、きちんと閉まっている。

鍵をものともせず車に乗り込むとは。死に神でなくなったと言っても、人間ではないようだ。機嫌を損ねたらどんな攻撃をしかけられるかわからない、十分に注意しなくては。順は気を引き締めて車を発進させた。


 目的の顧客宅に着いても、ヨミはスマートフォンを手放す様子を見せなかった。

「降りないんですか?」

 聞いてみると、ちらりと順に目をやり、「もう監査役ではないからな」と短く答えた。それならなんで付いて来るのかと思ったが、ネコ動画のためだとすぐに思い直した。大人しくネコを見ていてくれるのなら、車に残しておいても問題はないだろう。順は荷物を抱えて社用車のカギを閉めた。

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