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首を取る女

 定時に事務所を出た。外はすっかり暗く、ビル風が吹きつけて寒い。コートのポケットに両手を突っ込んでうつむいて歩いていると、人にぶつかりそうになった。

 あわてて顔を上げると、ヨミが腕組みをして足を踏ん張って立っていた。

「ヨミさん。あの、今日の午後は予約が取れなくて……」

 言い訳しようとしている順の口を、ヨミの言葉が塞いだ。

「減点だな」

 またクビに一歩近づいたようだ。

「三日間、貴様を見てきた。考査の結果を伝える」

 ああ、一歩近づいたどころではなく、クビが決定したのか。覚悟はしていたはずで自分で望んでさえいたのに、夜の暗さのせいか物悲しい気持ちになった。

「貴様の首をもらう」

「え?」

 クビにするではなく、もらうとは? なにを言われたかわからない順がぼうっとしていると、ヨミが背中に手を回してなにかを掴んだ。それを順に向かって突き付ける。

順のスマートフォンによく似ている。返してもらわなかっただろうかとポケットを探ると、ちゃんと入っていた。一応、確認のために電源も入れてみた。問題はないようだ。

 ヨミが取り出した黒いものを両手で握ると、フォンと風を切る音がした。ヨミが握っているものは一瞬で真っ黒で巨大な鎌に変わった。柄の長さは1.5メートルほど。その先に柄と同じほどの長さで三日月状の刃がついている。重量はかなりのものだろう。刃は黒光りして、いかにも鋭く、よく切れそうだ。

 目の前で起きたことをうまく飲み込めず、順はぽかんと口を開けた。ヨミはその顔を嘲笑う。

「どうした、最下位。鎌を見るのは初めてか? まあ、街で育てば、そのようなものかもしれんな」

巨大な鎌で、ヨミが車道を指し示した。

「この場所を覚えているか?」

 そう言われても、ただの車道だ。事務所から青空駐車場へ向かう中間地点くらいだろう。

「貴様はここで死ぬ」

 死ぬ? そうだ、トラックに轢かれそうになったのは、たしかここじゃないか? あの日は交通量が多かったからトラックも速度を落として走っていたようだった。おかげで助かったんだ……。

 ふと気づく。車が一台も走っていない。通勤どきだというのに人もいない。異様なほど音がない。

「いったい、なんなんですか」

 混乱した順が呟くと、ヨミはまた嗤った。

「貴様の首を切るために相応しいステージを準備したのだ。光栄に思え」

「ステージ?」

 ヨミは答えず鎌を大きく横に振り、勢いをつけて薙ぎ払う。

「うひゃあ!」

 腰を抜かした順が倒れるのとほぼ同時に鎌が振り切られ、順の前髪が刃に触れてパラリと落ちた。このままでは本当に死んでしまう。だが腰が抜けて逃げることも出来ない。

「ひ、ひ、人殺しは犯罪ですよ! おまわりさんに捕まりますよ!」

 ヨミは怪訝な表情で首を傾げた。

「なにを言っている。もしかして、貴様は私を人間だと思っていたのか」

まさか人間じゃないなんてことはないだろう。そう思ってよく見ると、軽々と鎌を肩にかついだヨミの目は赤く光っている。いや、人間だ、そうに違いない。赤い目だってカラーコンタクトかなにかで。

 現状を自分の常識に当てはめようとしてみたが、ヨミの目は明らかに赤い光を放っている。

「でも、どう見ても人間にしか見えないし、話が出来るし、休憩室にいた社員にも見えてたし。そうだ、お茶だって飲んでいたじゃないですか!」

「ふむ」

 鎌の石突を地面に突いて、ヨミはネコ動画を見ているときのような真っ直ぐな視線を順に向けた。

「思い出がそれだけ出来たなら、もう十分だろう。どうだ、死ぬ前に見る夢は。なかなか有意義だったのではないか?」

「夢?」

 そうか、これは夢か。いつから夢だったんだろう。あまりに現実っぽくて気付かなかった。

あれ? なにか変だ。

 順はヨミの言葉の意味を取り間違えたのではないかと、確認しようとした。

「死ぬ前に見る夢って言いませんでしたか?」

「言ったぞ。現実のお前は、トラックに轢かれて虫の息だ。さあ、じゃあ、死のうか」

 死に神はあだ名じゃなかったのか? 首切り役員とは、もしかして首切り役人だったのか? ヒントはたくさんあったのに、ぼんやりして気付かなかった自分を呪いながら、順は立ち上がった。

「……死にたくない」

「死に神の鎌で死ねば、異世界に転生出来るかもしれないぞ」

 ヨミが鎌を両手で持ち、狙いをつける。順は踵を返して逃げようとした。だが、足が動かない。

「死にたくないです!」

 せめてもの抵抗に叫んだ。ヨミはニヤリと笑って鎌を振りかぶる。

「そういう魂が欲しいのだ」

 死に神の鎌が風を切って襲い掛かる。順は思わずぎゅっと目を瞑って両手で顔をかばった。

死んだ。






 だが、いつまでたっても痛みも衝撃もなにも感じない。そっと薄目を開けてみると、鎌は順の腕すれすれのところで止まっていた。ヨミはと見ると、悔し気に唇を噛んでいる。

「ずるいぞ、貴様」

 声が震えている。もしかしたら泣きそうなのかもしれない。

「ネコを人質にするなんて!」

 一瞬なにを言っているのかわからず、順はポカンとしたが、左手にスマートフォンを持ったままだと気づいた。ヨミは、スマートフォンにはもうネコ動画が入っていないことを忘れたのだろうか。


 チャンスだ。なんとか逃げ出そう。

 悪霊退散の護符のようにスマートフォンを捧げ持つと、順は一歩、踏み出した。ヨミがジリジリと二歩下がる。順がまた一歩出ると、ヨミは二歩下がる。鎌が自分の側から離れた。逃げるなら今だ。

 だが運動神経も最下位だった自分が走って逃げても、背中から鎌で首を切られるだけだろう。しかしこのまま進み続けても、ヨミがネコ動画がスマートフォンにっ入っていないことを思いだせば、間違いなく向かってくる。

 イチかバチかだ! 順はヨミに向かって走り出した。

「な、なんだ、貴様! 死にたいのか!」

「死にたくないです!」

 叫びながら順はスマートフォンを突き出しながら、鎌の峰に全力で体当たりした。

「あ、このバカ! スイッチを押したな!」

 ヨミが悲鳴のような声で言った途端、死に神の鎌が白く光り、破裂した。轟音と爆風に襲われながら、順はまた叫んだ。

「バクハツするって、こういうことかよー!」




「どこ見てやがるんだ! 死にてえのか!」

窓から顔を突き出した運転手に怒鳴られて、我に返り立ち上がった。いつの間にか空は青く、車道には車の列が出来ている。道行く人は順に興味など持たず通り過ぎる。

 順が歩道に移動すると、トラックはクラクションを鳴らして去っていった。

「……夢、だった?」

 それにしては、あまりにもリアルだった。ただ一つ、夢だったのだろうと思えるのは、源ヨミの存在だけだ。首切り役員、死に神、赤く光る目。

ネコが好きな死に神なんて、いるはずがない。いや、そもそも死に神なんているはずがないんだ。トラックに轢かれそうになったショックで、変な夢を見たんだ。一瞬で。

 そう納得して、順は自分がなにをしていたのか忘れていることに気付いた。持ち物はボロボロのナイロンバッグだけ。コートを着ていないのは営業に行っていたから……。いや、違う。トラックに轢かれかけた日は工場に謝罪に行っていたんだ。

 思いだしても、もう怒られたという記憶は、はるか遠くに行ってしまっていて、気持ちが暗くなることもなかった。

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