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サボれなくなった男

 考査三日目。今日の予約も二軒。どちらも初めて訪問する。前任者が退職してから初めてだ。消費期限切れの薬品がたくさんあるのではないかと、多めに準備して事務所を出た。

 青空駐車場に行くと、ヨミが不機嫌を丸出しにして順を待っていた。

「遅い」

「すみません」

 車の鍵を開けるとヨミはさっさと後部座席に乗り込んだ。荷物を積み込んで運転席に座ると「おい」と話しかけてきた。ルームミラーで顔を見合わせると、もじもじと視線を下に向けた。まるで気弱な新人社員のように見える。

「運転中はスマートフォンをいじったらダメなのだろう。私が持っていてやろうか?」

 無言でスマートフォンを渡すと、ヨミは真剣な表情で操作していたが、ネコ動画がないことに気付くと、すぐにがっかりと肩を落とした。

 ネコ動画がないぞ、と怒り出すかと思ったが、意気消沈するだけとは意外だった。自分でネコは終わりだと言ったことは覚えているらしい。順のクビは未だ繋がったままだ。ホッとしたようなガッカリしたような複雑な気持ちで車を発進させた。


「貴様、ヒューマンなんとかの動画は楽しいのか?」

 順のスマートフォンを弄びながらヨミが尋ねた。順はしばらくためらったが、正直に答えることにした。

「才能に嫉妬して苦しいです」

「マゾなんだな」

 深く納得したという様子のヨミに、あわてて言い訳しようとした。

「違います! 苦しくなりたくて見てるんじゃなくて……」

「ほかのものを見たらいい。ネコとか」

 ネコの話がしたいだけなのだろうか。順のことにはまったく興味がないんだろう。

「ネコは見ません」

 せめてもの反抗を示そうと否定してみたが、ヨミは退屈そうにしているだけだ。

「ならば、なにを見るんだ」

「アニメとかです」

「ふわふわの動物が出るものか?」

 どうしてもネコの方に会話を持って行こうとしている。ネコ絶ちは失敗しているようだ。

「異世界転生ものとか」

「なんだそれは」

 ライトノベルでもアニメでも、異世界転生を知らない人に説明するのは骨が折れるかと思ったが、ヨミはすぐに理解した。

「興味深い。異世界の存在を信じる人間が、たくさんいるのだな」

 なぜか楽しそうなヨミはスマートフォンを、ぽんと助手席に投げた。

 



 予想通り、一軒目の顧客の薬箱は、品切れているものがいくつもあった。

「いっそ解約してドラッグストアに買いに行けばいいかと思ってたんだけど、置き薬に慣れちゃったら面倒くさくて」

 苦情なのか、素直な感想なのかわからない言葉に、順は「はあ」と曖昧な返事をしておいた。それ以上の小言を受けないうちにと、そそくさと外に出る。ヨミは何も言わない。売り込みしろとも、営業態度に対してマイナスポイントを計上するとも。

 嵐の前の静けさのようなものを感じて、順は冷や汗をかいた。


 もう一軒の門をくぐると、玄関の扉に『忌中』と書かれた紙が貼られていた。誰か亡くなったようだ。どうしたらいいのだろう。お悔やみの言葉など言えないぞ、と順はおののいてヨミを振り返った。まったく興味なさそうに、ヨミは庭木を鑑賞していた。

 どう対応しようかと悩んだまま、インターフォンのボタンを押した。

「オベリオ薬品です……」

 消え入りそうな声で言ったが、インターフォンはカメラ付きのため家人には順がなにものか伝わったのだろう。すぐに玄関扉が開いた。

 無言で頭を下げると、出てきた中年女性が「ご丁寧にありがとうございます」と言ったので、忌中の挨拶は済んだとホッと胸を撫でおろした。

「それで、悪いんですけど、解約したいんです」

「え」

「うちで置き薬を使ってたの、亡くなったおじいちゃんだけで……。本当に悪いんですけど」

 それならそうと電話した時に言ってほしかった。補充用の薬品の袋を車から下ろさなくてよかったのに。袋も結構重いのだ。

 最後の清算をして、薬箱を抱えて門を出た。長年、お付き合いしてくれていたのだろう。薬箱は古ぼけて色が変わっていた。おじいさんは前任者と仲が良かったのだろうか。どんな話をしたのだろうか。なぜだかそう思ったが、おじいさんが生きているときには、聞いてみる気にはならなかっただろう。


「貴様はどんな死に方をしたい?」

 帰社する途中、突然ヨミに聞かれた。どんな意図の質問かわからずルームミラーを見ると、ヨミは無表情でなにを考えているのか想像もつかない。

「考えたことないです」

「のんきなやつだ。人間は長くても百年ほどしか生きられん。さっさと死ぬ準備をしておけ」

 出来ることなら異世界転生したいくらいなのだ、百年も生きようとは思っていない。だがそれにしても終活には早いのではないだろうか。

「人間は、案外簡単に死ぬものだぞ」

 ヨミは楽しそうに笑った。




 青空駐車場に着いて荷物を下ろしていると、ヨミがいないことに気付いた。さっさと事務所に戻ったのだろうと思ったが、社内を探してもどこにもいない。ネコを見つけて追いかけているのかもしれない。いい機会だ、休憩室でサボることにした。

 だが、心穏やかにサボることが出来ない。今にも背後から「最下位!」という怒鳴り声が聞こえるのではないかとビクビクしてしまう。これなら営業電話をかけるほうがマシだと自分の席に戻ったが、それはそれでまた落ち着かない。電話なんかかけたくないし、予約なんか取りたくない。今日の二軒分の事務処理をいつまでも時間をかけて午後いっぱい過ごした。

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