09.婚約してからも気が抜けない
あいかわらずフィアは直接会いに来てはくれない。遠巻きにオレを観察する。でも前より近い距離からオレを観察してる気がする。フィアの頑張りは奥ゆかしい。当然見つけたら捕まえに行く。逃げられなくなったのも大きな進歩。
手紙は五枚から八枚になった。毎日もらうんだけど、よくこんなに書けるなぁ、フィア。才能あると思う。
「……やはり分からん」
首を傾げるトーマスに、思わず笑ってしまった。
「分からなくていいんだって」
「そうなんだが……距離、縮まっているか? いや、監視する距離が近付いているという話ではなくてだな、心の距離というか」
「近付いてると信じてる」
「…………そうか」
あれからトーマスは少し変わった。女性を外見だけで見なくなった。態度が柔らかくなったのもあって、女子生徒の人気が上がってきてる。元々侯爵家の人間だし、外見もいいし、頭も良い。人気が出ないはずがなかったというか。オレとしてはフィアの気持ちがトーマスにいかないかが不安。
その話をトーマスにしたところ、「彼女はおまえが言うとおり、愚直な程に一途だ。それも婚約者となった相手に。外見や家柄といった分かりやすいものには見向きもしないだろう」と言われた。
そうそう、本当に一途なんだよね。重い愛情、オレの憧れ。
トーマスの表情が少し暗い。
「……惜しいと思っているのか?」
「いや? ただ、自分はまだまだだと思っていただけだ」
フィアの婚約者になってから、これまで関係ないと思って放置していたことに目を向けるようになった。クリスやタラに、フィアのためにと言われると気になるっていうか。
最初は読むだけで精一杯だった読書も、この作家は好きだと思えるぐらいまでにはなった。文章の技巧だのなんだのは分からんけど。
フィアと踊って、ちゃんと支えられるように体力をつけるためのトレーニングは続けてる。父親の出てきた腹を見て、母親がためいきを吐くのを目にすると、鍛えねばと思う。
領地に関するクリスとのお勉強は、なかなかに難しい。同じことをしても領地によっては成功し、別の地では失敗する。気候、地質、領民の気質、これまでの領主との関係性、それらをなんとかしたとしても、他の領地で自分の領地と同じものが大成功をおさめた場合は、こちらの成功は減ってしまう可能性がある。
……良い男になるって、難しい。死ぬほど好きになってほしいのに。
「釣り書きが殺到してるって噂を聞いたけど」
あぁ、と気のない返事をするトーマス。
「きてはいるが、婿入りにこだわってはいない」
まぁ、当主の伴侶は性別関係なく大変だもんな。
「なかなか難しいものだな」
「ん?」
「家柄や容姿ではなく、性格を見極めるというのは。利益だけを考えれば候補となる令嬢は多いんだが」
あまり近づきすぎて、婚約に持ち込まれても困るし、かといって直感で選ぶものでもない。
利益を追求する必要がないアサートン家としては、依存されないような相手を探すのも大変だろう。双方にメリットのある婚約が一番いいから。
「うちの兄弟も頑張ってるぞ」
トーマスは呆れた顔をして、手に持っていた本を開く。
「トレヴァー家の令息が相手を探してるって噂になっているぐらいだからな」
「そうそう、それそれ。末の弟にすっかり踊らされていて、トレヴァー家の未来が心配になるよ」
結局あの後、クリスがハリス商会の令嬢との婚約を成立させて、トレヴァー家を継ぎたいと言ったもんだから、母方のハンプデン家の爵位をめぐって兄達の仲は険悪だ。問題を起こしたら爵位は与えないと言われてるから無茶はしないと思うけど。
「ハリス商会の令嬢を迎えると聞いたが」
「さすが、耳が早いな」
まだクリスの婚約披露なんかはしてないし、広めないようにしてるんだけど。
「それはあれか、叙爵を見越してのことか?」
「そう遠くないうちにそうなるだろう?」
トーマスは頷く。
「そうなればおまえとミラー嬢の婚約は注目されるだろうな。新興勢力を抑え込みたい者たちは邪魔しにくるはずだ」
「えぇ……」
「おまえだって分かっているだろう。ミラー家は他に類を見ないほどの血統だ。そのミラー家が新興勢力と結びついたトレヴァー家と縁続きになるんだ」
「そうだよなぁ……」
つまりそれって。
「もっと努力しないと」
「何故そうなった?」
「え? だって邪魔されるんでしょ? 邪魔は排除すればいいけど、フィアの気持ちはしばりつけられないから」
「いや、その心配はないだろう? あれだけおまえだけを見てるんだから」
分かってないなぁ、トーマスは。
「そういう慢心が浮気を呼び寄せるらしいぞ」
驚いた顔をするトーマスは放っておくとして。現状だってまだまだフィアに相応しい男になれてないっていうのに、邪魔が入るだなんて。だからってクリスに婚約を止めろなんていう気もない。
クリスうんぬんはさておいても、トーマスからも話が出るくらいなんだから、有力な商会への叙爵はそう遠くないはずだ。
「フィアの元婚約者たち、やっぱり潰しておこう」
「だから何でそうなる。それから僕は含めるなよ」
トーマスの生家 アサートン家からは王家に嫁入りしているぐらいだ。王家の決定に反対はしないだろう。
「新興勢力うんぬんは置いておいても、商会を持つのが恥ではない、って話に持ち込みたいよね」
オレがそう言うと、トーマスは深く頷いた。
「そうだな、それが一番手っ取り早いだろうな」
「まぁ、難しいんだけどな」
「そうだな」
フィアの元婚約者には、血統を重視する家がいくつもあったはず。元婚約者に今更歩み寄るなんて無様な真似は普通ならしないと思うけど、フィアはいつもその時の婚約者に対して一途だった。だから自分を今でも好きだと思っていてもおかしくないと思う。あれだけ嫌がっていたトーマスが、婚約解消後、フィアの関心が自分にまったくないと知ってショックを受けるぐらいなんだから。
「フィアの元婚約者で、血統重視の家っていったら」
「オースチン家だろうな」
「一個上の首席かぁ……」
フィアのためなら努力するけど、努力で首席を取れるかっていうと……。トーマスも頭良いしなぁ……。
「別に首席を取る必要はないだろう」
「そうなんだけどさ、フィアを取られたくないでしょ」
首席、無理でも努力はするんだけどね?
「……だ、そうです、ミラー嬢」
トーマスの向いた方を見ると、フィアが真っ赤な顔をしていた。こんな近くに来てたの?! 声かけてくれればいいのに!
「フィア!」
「レジー様のバカ!」
え。なんで?!
人に言ってないで自分に言えってこと? いや、言うけども!
走って逃げたフィアを慌てて追いかける。
あれっ、フィア、逃げるの早くなってる! 痩せてきたから?!




