08.目指せ、重い淑女
フィアメッタ視点です。
婚約者が代わる──そう聞いた時には、あぁ、またなのね、と落胆したのを覚えている。
気落ちを隠せない私に、お父様が慌てておっしゃったのは、お相手が是非にと私を求めていらっしゃるのだと。
そんなはずはない。自分でも分かってる。私は他の令嬢たちと違う。伝統あるミラー家の後継者として、伴侶となる方との仲を深めたかっただけなのに。することなすこと全てが上手くいかなくて、どんどん嫌われていった。そうして婚約者が何度も代わった。
病んでる令嬢と噂された。恥ずかしくて堪らなかったけれど、どうするのが正解なのか分からなかった。私は私の思うとおりに動けば嫌われてしまう。
十二人目の婚約者だったアサートン侯爵家のトーマス様のご友人、トレヴァー家の三男 レジナルド様が新しい婚約者となる方。
トーマス様にお会いに行った時に、お見かけしたこと、あったかしら?
今度こそという期待と、どうせ自分なんてという気持ちが頭の中をぐるぐる回って、落ち着かない気持ちになって眠れない。明日、婚約者となったレジナルド様との顔合わせだというのに。
結局一睡もできなくて、目の下にクマができてしまった。それを隠そうと前髪を下ろして見えないようにした。侍女やお母様にはやめたほうがいいと止められたけれど、病んでる令嬢と噂されているのだもの。目の下のクマをご覧になったら、それだけで嫌われてしまうのではないかと不安になってしまう。
顔合わせで、婚約者となったレジナルド様のご両親が私をご覧になって驚いてらっしゃった。レジナルド様はにこにこしてらっしゃるけれど。
お父様が私の良いところを話せば話すほど、トレヴァー伯爵と伯爵夫人の表情が暗くなる。
困ったお父様が私に、レジナルド様を庭に案内しろと命じた。確かに場の空気は悪化の一途を辿っていたけれど。
人と上手く話せない私に命じるなんて、お父様は酷い。
庭に下りた私にレジナルド様が手を差し出す。
もしかして、エスコートしてくださるの……?
その後の会話は、私の願望なのではないかと思うことばかり言われた。
愛称で呼んでほしい、自分も呼んでいいかと。自分に会いに来づらかったりするかとお気遣いをいただいたり、私の行動が病んでることもご存知だったり、私の理想をお知りになりたがったり。
夢のような顔合わせの後、侍女のジェマにレジナルド様──レジー様から言われた、侍女は主人を美しくしたいと思ってるというのは本当かと尋ねれば、笑顔で勿論だと言われてしまった。
女性は色白であることが好まれる。病的なほど白いのが好まれるから、私も白粉を塗っているのだけれど、ジェマは塗りすぎだと言う。
レジー様から言われたとおりにするのは怖かったけれど、提案を無視してお気持ちを害したくない。
今度こそ、婚約を継続しなくては。
ジェマが笑顔を浮かべながら、カップにお茶を注いだ。
「お嬢様がお幸せそうで、なによりです」
レジー様と私の婚約は、今のところ順調だと思う。
これまでの方と違って、隠れて見ていると見つけ出されてしまうし、私のいる教室に会いに来てくださる。手紙だって短いながらも毎日いただいている。なにより、私に笑顔を向けてくださる。
けれど、どうしていいのか分からないのが正直なところ。これまでのようにしてはいけないと思ってはいるものの、どうしていいのか分からない私に、レジー様はあっという間に距離を詰めてくるのだもの。
「レジー様、お怪我をなさったの」
ジェマの顔色が悪くなる。
「大丈夫なのですか?」
「講義の中でのことだから、大した怪我ではなかったのだけれどね」
話を聞いて慌てて救護室に駆けつけてしまったけれど。本当に、大したことがなくて良かった……。
「そうなのですね。大怪我なのかと思ってしまいましたが、それならばお嬢様がこんなにも落ち着いてはいらっしゃいませんね」
ジェマの言葉には遠慮がないけれど、そのとおりだから仕方がない。
「どうやら、元婚約者のお二人がレジー様に軽い嫌がらせをなさったみたいで。それを不快に思われたレジー様と、ご友人のトーマス様が講義での訓練でやり返そうとなさって」
「返り討ちにあったのですか?」
呆れた顔をするジェマ。話を聞いた時には私も呆れてしまったけれど、後になって胸の奥がくすぐったくなった。レジー様にはいつもこのような気持ちにさせられてしまう。
「大人びてらっしゃるかと思えば、子供っぽいこともなさって、私にはわからないことばかりだわ」
「母が、男なんてものはいつまでも心の中に子供がいる、と申しておりました」
そういうものなのね。
「お嬢様、お菓子はよろしいのですか? お好きなものをご用意いたしましたのに」
「そうね。結構よ。あとで皆で分けてちょうだい」
以前は苛立ちからお菓子を食べることがやめられなかった。太りだしたことにも気付いていたのに、どうしても食べることをやめられなかった。食べても食べても満たされなかったのに。
「お痩せになりましたね」
「そうかしら? まだまだだと思うけれど」
「もう少しお痩せになりましたら、新しくドレスを作り直すと奥様が仰せでしたよ」
近頃はお菓子を口にしてもすぐに満たされてしまうからか、少しずつではあるけれど、身体が軽くなったように思う。肌荒れも治ってきている。
化粧も髪もジェマたちに任せるようにした。そうするとレジー様が喜んでくださるから。
朗らかに笑うレジー様を目にすると、嬉しいのに、落ち着かない気持ちになってしまって、レジー様を困らせることを口にしてしまう。
意地悪だとかズルいだなんて、本当はそんなことないのに。うぅん、ズルいとは思っているけれど。
私がどうしていいのか分からないのに、レジー様はお構いなしに私に接するのだもの。それが故意ではないのが分かるから余計に。
真っ直ぐに私を見つめてくださる。遠回しな嫌味などではなく、私を思っておっしゃってくださる言葉の数々を思い出すと、ついため息がこぼれてしまう。
「天性なのではないかと思うの、レジー様」
「人たらしかどうかは存じ上げませんが、間違いなくお嬢様はたらしこまれてますね」
「まぁ、ジェマったら!」
レジー様となら、上手くやっていけそうな気がする。
「お嬢様、安心なさってはなりません」
「どういうこと?」
「レジナルド様はご容姿は人並みですが、背も高く、お家柄も問題ございません。学業のほうも悪くはないとお嬢様はおっしゃられてましたでしょう」
「そうね」
勉強には興味がないとおっしゃる割に、成績が悪くないのだから、要領が良いのだと思う。騎士にもなれるのではないかというお話だったし。
「お人柄も悪くありません」
とっても良い方だと大きな声で皆さんにお伝えしたいぐらい。
「トレヴァー家は伯爵位を二つお持ちです。夫人の生家であるハンプデン家も伯爵位ですから。それとは別に子爵位もお二つ。本来ならそのいずれかの爵位をレジナルド様が継がれてもおかしくございません」
「そうね」
けれど、レジー様は当家に婿入りなさるし……。
察しの悪い私に、ジェマはそうではないのだと首を振る。
「他のご令嬢がレジナルド様に取り入って、この婚約を邪魔する可能性もあるということです。三男なのです。順当にいけば子爵位を継がれるはずです。伯爵位を継ぐご兄弟もおり、友人に侯爵家の方もおられるのですよ?」
衝撃を受けて何も言えないでいる私に、ジェマは話を続ける。
「ジャックとジルなのだとお嬢様は仰せでしたが、ジルが一人とは限りません」
「ど……どうすればいいの、ジェマ……」
「ジャック様はジル様の重い愛がお好みなのですから、恥ずかしいだのとおっしゃってる場合ではございません。お気持ちのまま行動なされませ。そして」
「そして?」
思わず唾を飲み込んでしまった。
「己を磨かれませ」
「磨く」
「このまま順調にお痩せになればいいのです。どなたにも負けない美人になる必要はございません。ジャック様好みの淑女となるのです、お嬢様」
レジー様好みの淑女……!