73.どんなジャックにもジルがいる
どうしたものかと思っている間にベンが勇気を出したみたいで。やるなぁ、ベン!
その時の話を本人から聞いたんだけど、おまえは鋼の心臓の持ち主だな、と言われたのは何故なんだろう。聞いても教えてくれないからこれは諦めるしかなさそうだ。
気になっていたことも片付いて、これでやっとフィアと楽しい婚約生活が送れるようになりました!
今日も今日とてガゼボでフィアとランチ。ベンとマギー嬢が上手くいったことを話すと、フィアが満面の笑みを浮かべた。
「もしお二人がこじれたままなら、お節介を焼こうと思っておりました」
「フィアが?」
思ったよりもフィアはマギー嬢を気にかけていたみたいだ。
「マギー様は私と同じ、情が深い方です」
「そうですね、一途な人だとは思います」
その思いをネヴィルは利用した。けれど軽視したから失敗した。
「以前の私と同じで傷付くことに疲れてしまって、ベン様と向き合わずに逃げてしまわれるのではと危惧しておりました」
「それは僕も心配していました」
でも、ベンもマギー嬢も逃げなかった。自分の気持ちに向き合って、傷付くかもしれないと思いながらも相手に想いを伝えた。
具のたっぷり挟まったパンを頬張る。パストラミが美味しい。胡椒が効いてる。フィアはスープをひと口飲むとほっと息を吐く。
フィアはほんの少し遠いところに目を向けた。
「また傷付くかもしれない、この人も前の人と同じかもしれない。以前の私は婚約者が変わるたびにそう思っておりました。ですがミラー家の後継者は私しかおりません。何とかしなくてはと私なりに努力していたつもりでしたが、全て空回りで……お恥ずかしいです」
困ったように笑うフィア。彼女の頑張りをオレは知ってる。間違った方向に突き進んでいたとは思うけど、人の努力を笑うのは嫌いだ。いくら一人娘だからといって、全ての責任をフィアだけが負う必要はなかったし、ミラー伯もそのつもりはなかったと思う。ただ、フィアは愛する両親が守ってきた家を自分の代で失くしたくなかった。だから頑張った。
「後悔は今もありますし、学ぶことばかりですけれど、私はこれまでの自分があったからこそ、こうしてレジー様のおそばにいられるのだと思うのです」
肌を白く見せるための白粉や化粧の仕方も、人によっては苦手と思われてしまう瞳を隠すために前髪を伸ばしたことも、全部自分のためじゃなかった。相手を不快にさせないように、好感を抱いてもらえるように、そういう気持ちでやっていた。そのどれか一つでも気付く奴がいたなら、オレはフィアの婚約者になれなかった。
以前の自分を思い出して辛い気持ちが蘇ったのか、フィアは少し寂しそうな顔を見せる。失敗した過去を受け入れるのはいくつになっても辛いと聞く。辛い気持ちを糧にするのだと言うフィアは、前よりも大人びて見える。
「これまでの婚約者の分も、僕がフィアを大切にします」
死ぬまでずっと、この気持ちを持ち続けたいと思う。
「レジー様、ありがとうございます。私、沢山たくさん、気持ちをお伝えいたしますね」
「是非!」
自分で言いながら、是非っていうのは返事としておかしかったと思っていると、フィアが嬉しそうに微笑んだ。
「これからもたくさんのレジー様を、おそばで見させてください」
「喜んで」
「また学園の帰りにお出掛けもしてみたいですし」
「何回でも行きましょう」
「もっともっと、レジー様の時間を私で埋めていきたいです」
うっ、きゅんとする!!
こういうの、こういうやりとり待ってた!
「幸せ……」
思わずこぼすと、フィアがころころと鈴のように笑う。
「私のレジー様」
私のが付くだけですごい破壊力。何度聞いても良い。
「早く、婚姻を迎えたいですね」
同じ気持ちです、と答えようとしたオレに、思いがけない言葉が。
「私たちの式でレジー様のお顔を他の方にお見せしたくないので、レジー様にベールを被せたいほどです」
「僕もフィアのベールをめくってみたいので、今度は僕の番です」
ベールをめくりたい、という表現は果たして正しいものなのかは疑問だけど。こればかりは譲れない。
「少し残念ですが諦めます」
残念なんだ。
あぁ、でも、こうして他愛のない話をトーマスやフィアと話していると、終わったことの実感がわいてくる。
「僕も待ち遠しいです」
「お父様に、婚姻後は三ヶ月ほどレジー様をお屋敷に閉じ込めたいと申しましたの」
「素晴らしいですね……!」
もっと長期でもいい。無理なのは分かってるけど。
「そうですよね? でも、駄目だとお父様もお母様もおっしゃるのです」
「えぇー……凄い名案なのに」
ねぇ、とお互いに見合って頷く。
「そうでしょう? 本当は部屋に閉じ込めて私しかレジー様のお顔を見ることができないようにしたいのを我慢して、お屋敷の中にと妥協しましたのに」
「フィアは僕を喜ばせる天才ですね」
蜜月なんだし、と思ってしまう。
こんな風に未来のことを気にせず話せる。そのことに安堵する。気にしないようにしていたけど、以前は不安が抜けきらなくて、明るい未来を想像することができなかった。想像はした。していたけど、心に描いた絵が端から黒い何かに塗りつぶされていくような、そんな心持ちだった。
でももう大丈夫なのだと何度も自分に言い聞かせる。思い込もうとしているのではなくて、まだ事実が自分の中に馴染んでいないというか。思い出して何度もほっとする。そうだ、もう終わったんだ、って。それを繰り返してる。これから先も何度も繰り返すだろうけど、次第にその回数も減っていくんだろうな。そして忘れるんだと思う。
ネヴィルとその父は極刑が言い渡された。人の気持ちを弄び、命を軽んじ、罪を重ね続けたのだから当然の末路だと思う。当然だとは思うけど、喜ぶ気持ちはない。そのことにあまり気持ちを傾けないことにしてる。
今は前を見たいと思う。どんな未来になるか分からないけど、恐れていた未来は回避できたのだから。
「レジー様はそのように喜んでくださいますが、私の想いは多くの人には嫌がられてしまいます。普通ではないと自分でも分かっております」
普通と違っても生きてはいけるけど、普通の中で暮らすと大変さは増す。弾かれなくても、自分が異物だと感じる瞬間があるから。
「"どんなジャックにも似合いのジルがいる"。レジー様にお会いするまで嘘だと思っておりましたの。私を心から愛してくださる方も、私の想いを受け入れてくださる方も、そのような方はこの世にはいらっしゃらないと思っておりました」
何気ない以前のやりとりを思い出す。
あの時のことをフィアはずっと覚えていたんだな。
「私は見つけられました。私だけのジャック様を。嫌というほど言っても許してくださる方を」
手を伸ばして、フィアの手を握る。
「たまに僕からも言います。ジル、大好きだよって」
大きな出来事も、大きな邪魔者もいなくなったけど、これが終わりではなくて。これからも何かが起きるかもしれない。こればかりはどうしようもない。
一つの物語が終わったら、それで終わりじゃない。次の物語が始まるんだと思ってる。
「ジャック様」
「なんですか、ジル」
オレとフィアの物語はまだ、始まったばかりなんだから。
ねぇ、僕のジル。明日の約束をしよう。
ジャックとジル、最後までお読みいただきありがとうございました。




